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斎藤幸平『人新世の資本論』を読む [読んだ本の感想]

斎藤幸平『人新世の資本論』を読む

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1)ベストセラーの理由
<斎藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社新書)>


 斎藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社新書)が30万部のベストセラーなのだそうだ。NHKのETV「100分de読む名著」にとりあげられ放映されたことが、その理由だろう。

 いま一つの理由は、「資本論」を持ち出しているところにあると思う。

 かつて1980年代、新自由主義は資本主義延命の唯一のプランだった。しかし結局は、貧困者を増大させ富裕層へ富を集中させた格差社会、分断と荒廃の現代という結果をもたらした。また、資本主義は2008年のリーマン・ショック、2020年3月の金融危機を繰り返しており、恐慌を克服できない。リーマンショックという呼び名自体が、「金融危機の発生を予想していなかった」、「なぜ起きたのか説明できない」ことを告白している。近代経済学は、経済危機=恐慌を克服するプランを提示できない。繰り返す金融危機はむしろマルクスの「資本論」、恐慌論こそがよく説明しているという理解が広がっている。

 そして、気候変動も、資本主義が生み出したが解決できない人類にとって重大な危機である。「資本論」に述べられた資本主義批判のうちに解決できる「未来社会を構想」するという著者の、目論見は刺戟的である。これも読まれる理由となっているのだろうと思う。

2)気候変動についての最新の理論

 この本のなかで教えられるところは、気候変動についての欧州での最新の議論を紹介している1~3章にある。リアルで深刻な叙述が続く。

 資本主義は、労働力たる人だけでなく自然も掠奪の対象するから、先進国は周縁の自然を掠奪し「外部」(以前の植民地、現在の発展途上国)の人々と自然に、犠牲を押しつけてきた。しかし、現代はその外部も消尽してしまい、その結果が地球環境の破壊、温暖化の危機なのだ。

 様々なデータから気候変動の危機の深刻さを示している。例えば、人類がこれまで使用した化石燃料の約半分を、1989年以降の直近の30年間に消費したという事実。それから仮に2050年に「カーボン・ニュートラル」を実現したとしても地球全体で1.5℃上昇し、気候変動の影響が確実に出ること。直ぐにも温暖化を止めなければ地球と人類に破滅が待っていると指摘する。環境危機のリアルな叙述には教えられるところが多い。読者は地球環境破壊の深刻な現実を知り、説得される。

3)「グリーン・ニューディール」では対応できない

 気候変動の危機をもたらした新自由主義は終焉すべきであり、これからは「グリーン・ニューディール」やSDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)で行くべきだという主張があるが、著者によれば、これでは対応できないという。グリーン・ニューディールもSDGsも「資本が利潤をあげる」ことを前提にしており、おのずから限界がある、資本の無限の価値増殖運動が、有限の地球環境の限界にぶつかっているのが現代であって、市場の力では気候変動の危機は止められないと主張するのだ。これもデータを示し説明している。

 この激しい主張は、2018年のCOP24(国連気候変動枠組条約締約国会議)で「環境に優しい恒久的な経済成長のことしか語らない」政治家のことを厳しく批判したスウェーデン人の環境活動家グレタ・トゥーンベリさん(当時15歳の高校生)の主張と重なる。グレタさんの批判の「激しさ」が、何を根拠にしているかを知り、あらためて賛同するのだ。

4)脱経済成長論は資本主義を批判しない!

 著者の問いはさらに深まっていく。これまで提示されてきた「脱経済成長論」は、気候変動危機に対するプランとなりうるかと問う。

 第一世代の脱経済成長論者ジョルジュ・ラトーシュは、明確には資本主義の超克を目ざしていない。かつてのラワースやオニールの脱経済成長論は、資本主義システムに立ちいろうとしていない。そのようにこれまでの「脱経済成長論」を唱えた数々の論者には、資本主義の根本的な批判と克服が欠如している、それが欠陥だと指摘する。「脱経済成長論」に対する著者の批判はまったくその通りであり、賛同する。「脱経済成長論」は、「科学から空想への退化」であると判定されて間違いはあるまい。

 他方で、著者は、反緊縮策を掲げる米バーニー・サンダースや英労働党コービンの運動を尊重するし、仏・黄ベスト運動などの直接行動の環境運動は変革運動として支持するが、気候変動の危機の解決のためには、運動の進展のなかで踏み込んだプランが必要になってくると説く。

5)資本主義の批判

 著者は、「気候危機に対して資本の価値増殖運動を原理とする資本主義を廃絶しなければ解決はない」という結論に至り、ここでやっとマルクスの資本論の検討が始まる。資本論のなかでマルクスの述べた資本主義の徹底した批判のうちに、あるべき未来社会の姿、変革のプランが浮かび上がってくるというのが、その主旨である。

 人々が生きていくために不断につくりあげる人々の連合体、例えば協同組合は、資本の価値増殖運動に対抗する、批判的な連合体(アソシエーション)の一つであり、未来社会の萌芽だと1868年以降のマルクスは注目している。共同体のなかの人々のつながり・連合体(アソシエーション)は、何か問題が発生するたびに対応して、自主的で自発的な連合体に不断に置き換わっていく。そういう共同体の在り方が、未来社会を構想させるとも述べている。ここまでの問題設定、提起には賛成する。

 ただ、この先(本書では5~9章)の著者の叙述は、「堂々めぐり」に陥ってしまう。未来社会の構想を語りながら、ではどのようにして資本の価値増殖運動を止めるのか? 未来社会への移行形態は? について、触れることができない。現実の政治的過程が進行しなければ触れるのは難しい問題ではある。著者は、移行形態に触れないで未来社会の実現を語ろうとするため「堂々めぐり」に陥っているのだろう。

 いま一つ問題点は下記のことだ。著者はドイツ・フンボルト大学で、マルクスの資本論に納められていない膨大な草稿を整理し読み解くプロジェクト、新メガ研究事業(MEGA=Marx-Engels-Gesamtausgabe:新たな『マルクス・エンゲルス全集』編纂)にかかわっている。その研究から、マルクスの資本主義批判は、資本論第一巻刊行の1868年以降に、「ヨーロッパ中心主義と生産力至上主義」から、「非西洋・前資本主義社会のエコロジー共同体」へ「大転換を遂げていた」とする解釈を示す。このような解釈は、著者の独自なものであって、にわかには賛成しがたいところがある。そこから晩年のマルクスは、西欧中心の発展史観を脱却して「脱成長コミュニズム」を説くまでになったとし、「脱成長コミュニズム」だけが人類を救うとする著者の主張に至るのだが、そのように解釈できる引用はないし、説得的な叙述もない。

 こういったところもあるけれど、著者の気候変動に対する批判が厳しくかつ現実的であり、かつあるべき社会の構想・提起が極めて革新的である。その方向・内容において議論と研究を進めることはとても大切なことだと思う。(2021年6月1日記)





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