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比大統領選の結果について [フィリピンの政治経済状況]

比大統領選の結果について

1)大統領選挙結果
 フェルディナンド・マルコス・ジュニア(64)は、5月8日のフィリピン大統領選で、3,163万票以上(得票率58.8%)を得て、ライバルであるドゥテルテ政権の前副大統領だったレニー・ロブレト候補の得票(約1,504万票 27.9%)に2倍以上の差をつけ当選した。投票率は83.1%と比較的高かった。レニー・ロブレトは、進歩的なマカバヤン・ブロックを含む人々の運動に支援されたが大差で敗れた。進歩的なグループは人権弾圧、市民運動弾圧をしない政権を求めてレニー・ロブレトを支持したが、その願いはかなわなかった。副大統領はドゥテルテ前大統領の娘サラ・ドゥテルテが当選した。

 6月30日大統領就任宣言式が行われ、フェルディナンド・マルコス・ジュニア上院議員が、第17代フィリピン大統領に就任した。

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<マルコス新大統領>

2)マルコスJrが勝利した理由は?
 ⑴ 選挙戦のやり方にある
 
 「フィリピンの選挙戦は、「お祭り騒ぎ」が繰り広げられる。大統領候補の集会は、野外音楽フェスティバルのようで、有名芸能人が司会し、かわるがわる人気アーティストが舞台に上がってパフォーマンスし、観客を大いに盛り上げた後、候補の訴えが始まる。コンビニでも、支持する候補のカップに飲み物を入れて買っていくいわば人気投票である。」(5月3日NHK)と伝えている。「お祭り騒ぎ」と化した選挙は、政策・政治ではなくただイメージを溢れさせる性質を多く持っている。候補者は大量の資金を投入する。選挙民は6年に1回「お祭り騒ぎ」に歓迎されるというある種の利益誘導でもある。フィリピンではこういったスタイルの選挙が長年行われ、定着している。

 そのようなフィリピンの選挙でマルコスJrは、どのようにして多くの国民、選挙民の支持を取り付けたか? この点に注目すべきだ。彼は、極めて「奇異な」手法で大統領選に勝利した。

 マルコスJrは、主要メディアのインタビューをすべて無視したし、都合の悪い質問、追及には答えなかった。大統領候補者の討論会にも一度も出席しなかった。討論すれば、敗ける・都合が悪いということもあったろう。「ドゥテルテ政治の継承」という以外に、政治目標・具体的な政策を掲げなかった。

 マルコスJrは、Facebook,TiktokなどのSNS、ソーシャルメディアを通じて「いい人であるというイメージ」とほとんどウソの情報を大量にたれ流した。ずいぶん資金を投入したのだろう。父親であるマルコス元大統領の「功績」を宣伝し「いい時代だった」とするイメージを広め、独裁者であり人権弾圧者である事実を隠した。マルコス独裁を倒した86年のエドサ革命の意義を否定した。

 一方、進歩的なグループは、従来通りの社会的運動として選挙運動を取り組んだ。レニー・ロブレトは約1,500万票を得たが、多くの選挙民までその主張は届かなかったようだ。進歩的グループや活動家、幅広い政治的野党に対する国家権力による赤札貼り(レッド・タギング)、嫌がらせや攻撃は、選挙の前・最中・後も続き、進歩的なグループから人々を遠ざけ、十分に訴えかける場を奪ったという面もある。
 マルコスJrのこの戦略は、結果を見れば明らかだが、成功した。

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<レニー・ロブレト候補>
 
 ⑵ どうして受け入れられたのか?
 問題は、どうしてこのようなやり方が成功したのか?ということだ。背後で進行しているフィリピン社会の変質を読み取らなければならない。

 フィリピンは経済成長の過程で、農村から大量の人々が都市に流入し、その階級を変えている。農村で成立していた地域社会の共同体、家族関係が(時には互恵的な救済の機能を持ち、別の意味では封建的な支配を強要する機能を持っていた)が崩壊してきた。都市に流入した人々は不十分ながらも新たなコミュニティを形成したし、そこに地域社会、市民運動、労働運動の基盤が生まれた。あぶれる人、失敗する人、底辺の者も含めて、家族・地域、仕事仲間、教会・宗教関係、共産党、都市貧民団体、半犯罪組織、麻薬組織・・・・・などが引き受けてきたし、規範と強制力をも行使する共同体として内在してきた。その上に国家が存在した。

 しかし、現代フィリピン社会では、人々の共同体、連合体が衰退し崩壊しつつあり、孤立した個人が大量に生みだされている。その孤立した個人それぞれが、SNSで直接、ドゥテルテやマルコスJrのまき散らすイメージにつながるというフィリピンの社会関係の変質が起きている。社会に内在するさまざまな共同体とその規範が影響力を失っていったら、残るのは支配者の論理、国家の規範だけになる。そこに劣化した民衆が生まれる。

 マルコスJrのSNSによる一方的な宣伝と利益誘導が功を奏したのは、バラバラになった個人が増え、その人々が彼のSNSイメージを受け入れたからだ。人権擁護、社会運動、市民運動、労働運動などのこれまでの訴えが、孤立した個人により少なくしか届かなかったのだ。

 フィリピン政治は、すでに劇場型政治となっている。特に「進化」しているのは、SNSで大量の情報・イメージ発信と利益誘導が行われ、直接孤立した個人それぞれと直接つながり、人々が受け入るという選挙と政治に変質していることだ。

 ⑶ エドサ革命はどこへ?
 フィリピン国民の平均年齢は24.3歳(2020年)、人口の半分以上は1986年のエドサ革命を知らない。他方で、「マニラには世帯で4万7千円~28万円ほどの月収がある「中間層」は2017年時点で人口の40%を占めるまでになった。」(鈴木直子:朝日GLOBE副編集長)

 都市貧民層・中間層は、政権による弾圧もあって人権擁護や市民運動に近づかない、という対応を身に着けた人々も多い。そのことは政治的代表を持たない大量の人々を生み出しており、マルコスのSNSイメージはその人々を捉えたのだろう。

 ドゥテルテやマルコスJrの支持率が高いことをもって、ドゥテルテ政権が一部民主的な政策を行ったと評価する必要はないし、あれほど多くの民衆に支持されたマルコスJrは父親と違う政治をするのではないか、と期待を抱くこともできない。

 あるいは、マルコスJrの勝利を見て、1986年の「ピープルズパワー」の精神は消滅してしまったのかと嘆く人もいる。その気持ちはよくわかる。エドサ革命やピープルズパワーの意義は消えはしないが、フィリピン社会が変化しつつある現実も同時に認めなくてはならない。
 おそらくこの先、マルコス以外の候補も似たような選挙戦を繰り広げることになる。資金と大量に投入する者だけが選挙戦に勝つという選挙になりかねない。フィリピンの人々にとって、このSNSに影響・支配された関係を批判し、これに対抗する人々の新たなつながり、連合体の形成が課題になる。とても困難な課題だ。

 日本も同じようなつながりを失った社会に変質しつつある。Z世代(1990年代生まれ)は余暇の4分の1をゲームで過ごすという。政府支配層の情報が、例えば内閣調査室からネトウヨ主宰者にもたらされ、孤立した不安定雇用の若者や孤立した中高年の男性を捉えるという現象はすでに起きている。

3)マルコスJrはどうして候補者になることができたのか?
 -ドゥテルテ政治の継続-
  時間は前後するが、マルコスがどうして与党内、支配層内で大統領候補になることができたのかも押さえておかなくてはならない。一言でいえば「ドゥテルテ政治の継承」を掲げることで、経済成長の継続を望むフィリピン資本家層を安心させ、その支持を取りつけたからだ。

 ⑴ 米中等距離外交
 ドゥテルテは、フィリピン資本家層にとってフィリピンを米従属国からより独立的な米中等距離外交の国に転換した「功労者」である。その結果、中国との貿易、中国資本の直接投資は増大し、フィリピン経済は大きく成長した。他のASEAN諸国はすでに米中等距離外交に転換していたが、ドゥテルテがフィリピンの転換を成し遂げた。そのような意味ではフィリピンの民族資本の利益の上に立ち、自立的な「民族的な」方向へ踏み出したのである。米国はTPPから離脱し、一方、中国は「一帯一路」構想を推し進めてきたなかで、そのような選択をしたのである。マルコスJrはこの路線の継承を約束した。

 ⑵ 軍・警察の支持
 また、マルコスJrは、軍・警察の支持を取り付けた。ドゥテルテが兵士や警察官の給料を2倍にあげ、軍・警察の支持を取り付けたうえに、麻薬戦争の実行者、共産党弾圧者としての役割を与え、その結果、軍・警察はフィリピン支配層のなかに確固たる地位を築いた。その軍・警察を引き続き重用することをマルコスJrは約束した。レニー・ロブレト候補はこれを約束しなかった。

 ⑶ 旧来の地方ボスの支持
 さらには、旧来の支配層の支持を取り付けたことで候補者になった。マルコスJrは北ルソン地方のボスであり、自身の基盤に国家予算や利権を引っ張って来る旧来型の政治家である。北ルソンのマルコス家の地盤、ミンダナオのドゥテルテの地盤など利権誘導型の地方ボスの支持も取り付けたようである。このような力も今回の大統領選では機能した。

 ただし、経済成長のなかで地方ボスは資本家や富豪になった者、マニラから来た資本家もいて、顔ぶれも階級も急速に変わりつつある。マルコス新大統領は、親しい富豪や地方ボスを政権内に登用する姿勢を見せている。今回は矛盾が噴出しなかったが、旧来の地方ボスによる利益調整政治は、フィリピン資本家層にとっては不必要な部分もあり、この先たとえば経済成長が低下した時などに対立が噴出することもあるだろう。

4) マルコス新政権はどんな政治を行うか?

 一言でいえば、ドゥテルテ政治のコピーだろう。ただし、小泉政権から出てきた安倍政権のように、いずれ「独自性」を発揮するかもしれないが、それには少し時間がかかる、現時点ではまだわからない。

 ⑴ 軍・警察を重用する--人権弾圧は続く
 軍・警察は政権内で確固たる地位を築いている。引き続き、人権弾圧、市民運動・労働運動弾圧、共産党弾圧を行い、その存在をアピールする。マルコス新大統領は、麻薬取締を引き続き実施すると表明している。そのため人権擁護の活動、市民運動、労働運動にとっては厳しい政治、厳しい日々が続く。ただし、今後、軍・警察が政府内で余りに大きな顔で振舞うことにたいし他の支配層から反発が起きる可能性はある。

 ⑵ ASEANの一員として振る舞う、中国との関係を維持・拡大する
 新政権は米中のどちらかを選ぶというような選択はしない。米比軍事同盟は存在するが、TPP離脱を表明した米国は同盟を維持し続ける経済的戦略を持たないし、メリットを示すことができない。政権は経済成長を重要視した選択をするだろうから中国との関係は維持するし、さらに拡大する。

 フィリピンはASEANとして共同した対応を採ることになる。フィリピンはこの先ASEAN内での分業、原材料・部品の調達、貿易などを増大させるだろうし、ASEANのフィリピンとして振る舞い、対中国・米国と付き合うようになるだろう。フィリピン資本家にとって魅力なのは開放された市場であり、継続した経済成長こそ重要である、特に中国市場を無視することはできない。そのことはマルコス新政権になっても変わらない。

 ⑶ 「ビルド・ビルド・ビルド」を継承、富裕層による支配
 フィリピンは交通インフラやデジタルインフラの整備が遅れており、現在すでに経済成長の桎梏となっている。朝6時のエドサ通りを見ればわかる。出勤する勤労者で満員のバスがひっきりなしに通り、何かあればすぐに渋滞する。港湾や空港、高速道路の建設、デジタルインフラの整備も待ったなしだ。新国際空港の建設も各財閥が計画している。これらが整備されれば更に成長することはほぼ約束されている。

 しかし、そこに巨大な利権が伴う。マルコス新大統領は大手財閥サンミゲルの高速道路事業を率いるマヌエル・ボドアンを公共事業道路相に登用した。前任の公共事業道路相が一族の不動産業を引き立てたように、新公共事業道路相は、不動産や建設業でサンミゲル社長ラモン・アン家やサンミゲルの大株主アヤラ家の利益拡大を図るだろう。「サンミゲルの大株主であるイニゴ・ゾベル氏(比国内21位の富豪)は、マルコス新大統領の友人だし、イニゴ氏のいとこのエンリケ・ゾベル氏(5位の富豪)は大手財閥アヤラの大株主。マルコスの妹アイリーン氏の夫グレゴリオ・アラネタ氏は複合企業ディトCMEホールディングスをはじめ不動産や銀行の幹部を務める。また、富豪アンドリュー・タン氏の息子で不動産大手メガワールドの再興戦略責任者兼副社長のケビン・タン氏もマルコスと親しい。」(7月15日Nikkei Asia)

 新政権の周りにはすでに富豪や資本家が集まりつつある。ドゥテルテは特定の財閥に厳しいところがあったが、マルコスJrにはドゥテルテほどカリスマ性がなく、どのように調整するだろうか? いずれにせよ、ドゥテルテ政権と同じように、あるいはそれ以上に新政権に近い財閥が恩恵を受けることになる。国家予算・公共事業を一族や友人に引っ張って来るボス間の利益調整政治は、現代的なスタイルをとって継続するし、より腐敗が進むだろうことは容易に予想できる。

 読者はすでに気づいておられると思うが、マルコス家を含む支配者たちは、それぞれ資本家や富豪と縁戚・友人関係にある。富裕層と選挙民ははっきり分かれており、選挙民は選挙の時だけ褒め上げられあてにされる社会なのだ。フィリピン社会は極めてはっきりとした階級社会であることもあらためて認識しておかなくてはならない。

 ⑷メディアへの対応
 マルコス新大統領は、選挙戦でSNSでイメージを大量に流し支持を得たという「成功体験」を持っている。

 6月1日、アンヘラ次期大統領広報室長は、ブロガーをマルコス新大統領のブリーフィングに呼ぶ方針を明らかにした。
 彼は選挙戦で、①自身の脱税による有罪判決、②未払いの巨額な相続税、③父であるマルコス元大統領による戒厳令に関する歴史認識などには全く触れないで済ませてきたし、追及するメディアには応じなかった。おそらく新政権でも自身に近いメディアしか近づけないだろう。そうでないメディアへの冷遇・弾圧、さらには「報道の自由」の侵害、報道の統制が危惧される。

 ただ、大統領選選でのマルコスへの支持票は、上述の通りきわめて流動的で不安定なものであって、確固たるものではない。レニー・ロブレトを支持した1,500万票もある。安定した政権になるとは言えない。

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 新政権は振りまいたSNSのイメージとは異なり、独裁的で反人民的な、より腐敗した政権になるのはほぼ明らかなようだ。(2022年8月12日記)










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