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斎藤幸平『人新世の資本論』を読む [読んだ本の感想]

斎藤幸平『人新世の資本論』を読む

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1)ベストセラーの理由
<斎藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社新書)>


 斎藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社新書)が30万部のベストセラーなのだそうだ。NHKのETV「100分de読む名著」にとりあげられ放映されたことが、その理由だろう。

 いま一つの理由は、「資本論」を持ち出しているところにあると思う。

 かつて1980年代、新自由主義は資本主義延命の唯一のプランだった。しかし結局は、貧困者を増大させ富裕層へ富を集中させた格差社会、分断と荒廃の現代という結果をもたらした。また、資本主義は2008年のリーマン・ショック、2020年3月の金融危機を繰り返しており、恐慌を克服できない。リーマンショックという呼び名自体が、「金融危機の発生を予想していなかった」、「なぜ起きたのか説明できない」ことを告白している。近代経済学は、経済危機=恐慌を克服するプランを提示できない。繰り返す金融危機はむしろマルクスの「資本論」、恐慌論こそがよく説明しているという理解が広がっている。

 そして、気候変動も、資本主義が生み出したが解決できない人類にとって重大な危機である。「資本論」に述べられた資本主義批判のうちに解決できる「未来社会を構想」するという著者の、目論見は刺戟的である。これも読まれる理由となっているのだろうと思う。

2)気候変動についての最新の理論

 この本のなかで教えられるところは、気候変動についての欧州での最新の議論を紹介している1~3章にある。リアルで深刻な叙述が続く。

 資本主義は、労働力たる人だけでなく自然も掠奪の対象するから、先進国は周縁の自然を掠奪し「外部」(以前の植民地、現在の発展途上国)の人々と自然に、犠牲を押しつけてきた。しかし、現代はその外部も消尽してしまい、その結果が地球環境の破壊、温暖化の危機なのだ。

 様々なデータから気候変動の危機の深刻さを示している。例えば、人類がこれまで使用した化石燃料の約半分を、1989年以降の直近の30年間に消費したという事実。それから仮に2050年に「カーボン・ニュートラル」を実現したとしても地球全体で1.5℃上昇し、気候変動の影響が確実に出ること。直ぐにも温暖化を止めなければ地球と人類に破滅が待っていると指摘する。環境危機のリアルな叙述には教えられるところが多い。読者は地球環境破壊の深刻な現実を知り、説得される。

3)「グリーン・ニューディール」では対応できない

 気候変動の危機をもたらした新自由主義は終焉すべきであり、これからは「グリーン・ニューディール」やSDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)で行くべきだという主張があるが、著者によれば、これでは対応できないという。グリーン・ニューディールもSDGsも「資本が利潤をあげる」ことを前提にしており、おのずから限界がある、資本の無限の価値増殖運動が、有限の地球環境の限界にぶつかっているのが現代であって、市場の力では気候変動の危機は止められないと主張するのだ。これもデータを示し説明している。

 この激しい主張は、2018年のCOP24(国連気候変動枠組条約締約国会議)で「環境に優しい恒久的な経済成長のことしか語らない」政治家のことを厳しく批判したスウェーデン人の環境活動家グレタ・トゥーンベリさん(当時15歳の高校生)の主張と重なる。グレタさんの批判の「激しさ」が、何を根拠にしているかを知り、あらためて賛同するのだ。

4)脱経済成長論は資本主義を批判しない!

 著者の問いはさらに深まっていく。これまで提示されてきた「脱経済成長論」は、気候変動危機に対するプランとなりうるかと問う。

 第一世代の脱経済成長論者ジョルジュ・ラトーシュは、明確には資本主義の超克を目ざしていない。かつてのラワースやオニールの脱経済成長論は、資本主義システムに立ちいろうとしていない。そのようにこれまでの「脱経済成長論」を唱えた数々の論者には、資本主義の根本的な批判と克服が欠如している、それが欠陥だと指摘する。「脱経済成長論」に対する著者の批判はまったくその通りであり、賛同する。「脱経済成長論」は、「科学から空想への退化」であると判定されて間違いはあるまい。

 他方で、著者は、反緊縮策を掲げる米バーニー・サンダースや英労働党コービンの運動を尊重するし、仏・黄ベスト運動などの直接行動の環境運動は変革運動として支持するが、気候変動の危機の解決のためには、運動の進展のなかで踏み込んだプランが必要になってくると説く。

5)資本主義の批判

 著者は、「気候危機に対して資本の価値増殖運動を原理とする資本主義を廃絶しなければ解決はない」という結論に至り、ここでやっとマルクスの資本論の検討が始まる。資本論のなかでマルクスの述べた資本主義の徹底した批判のうちに、あるべき未来社会の姿、変革のプランが浮かび上がってくるというのが、その主旨である。

 人々が生きていくために不断につくりあげる人々の連合体、例えば協同組合は、資本の価値増殖運動に対抗する、批判的な連合体(アソシエーション)の一つであり、未来社会の萌芽だと1868年以降のマルクスは注目している。共同体のなかの人々のつながり・連合体(アソシエーション)は、何か問題が発生するたびに対応して、自主的で自発的な連合体に不断に置き換わっていく。そういう共同体の在り方が、未来社会を構想させるとも述べている。ここまでの問題設定、提起には賛成する。

 ただ、この先(本書では5~9章)の著者の叙述は、「堂々めぐり」に陥ってしまう。未来社会の構想を語りながら、ではどのようにして資本の価値増殖運動を止めるのか? 未来社会への移行形態は? について、触れることができない。現実の政治的過程が進行しなければ触れるのは難しい問題ではある。著者は、移行形態に触れないで未来社会の実現を語ろうとするため「堂々めぐり」に陥っているのだろう。

 いま一つ問題点は下記のことだ。著者はドイツ・フンボルト大学で、マルクスの資本論に納められていない膨大な草稿を整理し読み解くプロジェクト、新メガ研究事業(MEGA=Marx-Engels-Gesamtausgabe:新たな『マルクス・エンゲルス全集』編纂)にかかわっている。その研究から、マルクスの資本主義批判は、資本論第一巻刊行の1868年以降に、「ヨーロッパ中心主義と生産力至上主義」から、「非西洋・前資本主義社会のエコロジー共同体」へ「大転換を遂げていた」とする解釈を示す。このような解釈は、著者の独自なものであって、にわかには賛成しがたいところがある。そこから晩年のマルクスは、西欧中心の発展史観を脱却して「脱成長コミュニズム」を説くまでになったとし、「脱成長コミュニズム」だけが人類を救うとする著者の主張に至るのだが、そのように解釈できる引用はないし、説得的な叙述もない。

 こういったところもあるけれど、著者の気候変動に対する批判が厳しくかつ現実的であり、かつあるべき社会の構想・提起が極めて革新的である。その方向・内容において議論と研究を進めることはとても大切なことだと思う。(2021年6月1日記)





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桐野夏生 『日没』を読む [読んだ本の感想]

 桐野夏生 『日没』を読む 
2020年9月29日発行、岩波書店


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<桐野夏生『日没』>

 この小説は、2017年に、雑誌『世界』に連載されていて、その頃一部を読んだことがある。単行本で、昨秋出版された。

1)桐野夏生 『日没』とは?

 作家である主人公マッツ夢井は、ある日、「総務省・文化文芸倫理向上委員会」(以下、ブンリン)から「召喚状」が届き、出頭するように指示された。疑問に思いながらも出かけると、海沿いの療養所へ連れていかれる。「作品がエロ小説ばかりで傾向がよくないから研修して更生してもらう」と言い渡される。療養所とは名ばかりで、実質は収容所であった。逃げ出せないし、収容に抗議すると「減点」が加算され収容期間が延びる。反抗的な態度をとれば、「減点」が加算されるだけでなく、拘束衣を着けられ、地下の部屋に閉じ込められ、薬漬けにされる。療養所は軍隊的な組織であり、所長-医師-職員-患者という明確なヒエラルキーがあり、患者は最も身分が低い。

 ほかにも患者はいるが、話したり交流することはできない。スマホは通じない、外部とは遮断される。スマホがなければ孤立してしまうことを思い知らされる。何人かの患者は自殺しており、療養所は自殺を推奨しているかのようである。

2)小説のテーマ

 小説は、「表現の自由」が奪われ、違反者が海崖にある療養所という名の収容所で更生を強要される近未来の日本社会を描き、警鐘を鳴らしているようである。
 同時に、現代人の不安を描いている。人と人とのリアルな関係やつながりが希薄になり、ネット上の関係に置き換えられている現代人の孤立や不安を描き出そうとしている。この小説のテーマであろう。

 作者による上記の試みは、極めて興味深く、かつ重要だと思う。
 小説で描かれている世界は、一見、実際にはありそうにない設定に見えるが、この小説を評価すべきかどうかの基準は、作者の設定の是非というより、描き出された内容が、現代日本人の孤独感、不安を、リアルに描き出しているかにある。

3)リアリティがあるか?

 作者の描出した世界に、リアリティがあるのかというところが評価すべき判断基準となる。その基準のもと、次の二つの点から、考えてみた。

3)-1:一つは、現代日本人、日本社会の描写として、リアリティがあるのかというところだ。

 登場人物は孤立している。主人公のマッツは、希薄な家族関係しか持っていない。母は介護施設におり、弟とはたまに電話するくらいで、主人公の苦悩を共有したり相談する関係にはない。

 編集者との関係も希薄だ。「ブンリン」からの呼び出しについて訊ねようと担当の編集者に電話してみたが、休日だったこともあって面倒くさそうな対応が電話でもわかったので、それっきりにした。

 仲間の作家である成田麟一にも聞いてみたが、そんなの無視しておけばいいと言われ、本気で対応してくれなかった。

 主人公は、すでに「希薄な」人間関係しか持っていない。でも、これって、現代日本人にとってむしろ一般的ではないか。最近の日本社会の姿そのものである。

 現代社会の人間関係は、ネットでのつながりで世界中のより多くの人と関係を持ち情報を交換できるようにはなったが、一方でこれまでの家族や地域、市民団体などのリアルな関係から一部が置き換えられており、世界は広がったようなのに孤立・不安が広がるという複雑で矛盾した過程を辿っている。ネットでの関係は希薄であり、ネット中傷やフェイクニュースによって、一挙に孤立しかねない。 

 そのようなところはよく表現されている。
 作者・桐野夏生はなかなかの書き手であって、描写にしてもスリルのある展開にしても、読者をひきつける。その力量はたいしたものだ。

 療養所内の描写は興味深い。周りの人物はすべて信用できないなかでの主人公の孤立した奮闘が主に描かれる。ただ、療養所内の疑心暗鬼、不信や裏切りへと集束してしまうのは気になるところだ。

 療養所内の散歩道で会話を交わし唯一信頼を寄せていた患者A45は、のちに療養所からの逃亡を助けた元作家仲間の成田麟一から、ブンリンの職員で「草」だと知らされる。

 療養所内の職員である「おち」と「三上春」、成田麟一が逃亡を手助けしてくれるが、逃亡させるためではなく、どうも自殺させるためだったことが最後にわかる。療養所所長や医師に服従しないまま自殺し、プライドを保つのを助けたらしい。彼らからも最終的には裏切られたことになる。療養所では、被収容者の自殺を推奨しているということもある。

 叙述はおもしろくて読ませるのだが、作者の興味が療養所内の「誰も信用できない関係の描写」に転化してしまったようで、現代日本人の孤独感や不安の描出というテーマから少し離れてしまう。

 主人公が逃亡の途中、成田麟一から自殺を強要されるところで、突然、小説はプツンと終わる。袋小路に入り、突然終わった印象を強く持った。この点は不満に思う。

3)-2:リアリティの二つ目は、療養所の実情の描写にある。

 桐野夏生の描いている療養所は、日本の精神病院の実情とよく似ている。
 日本の精神医療は欧米より遅れており、例えば、拘束衣の着用、幽閉・独房隔離、抗うつ薬などでおとなしくさせることなどが、今でも残っている。また、院長-医師-看護師-患者の関係には、軍隊のような確固たるヒエラルキーが残存しており、患者は最も身分が低い。

 また日本の精神病院では、他の病院に比べ、入院患者数に対し医師数は3分の1、看護師数は3分の2でいいとされ、入院患者を多く長期に抱え、「空きベッド」を出さないようにすれば儲かるように制度設計されている。そのことをとらえ、かつて武見太郎・元医師会会長が、「精神医療は牧畜業者だ」(1970年)と呼んだことがある。
 おそらく桐野夏生は、こういった実情も取材して、描写のうちに取り入れているのだろう。 
 企業社会のなかでふるい落とされ、格差社会の底辺に追い込まれ、一方で孤立化が進む現代日本社会では、うつ病、自律神経失調症となる人は増えており、療養所に隔離し隠すのは、近未来というより現代日本社会の一つの特質でもある。

 こんな問題も示唆しているのではないかと、勝手に受け取った。

4)問題を提起している小説

 この小説は、文芸書の割によく売れていること、図書館での貸出予約待ちの人が多いことから、比較的読まれているらしい。現代日本人の実感と合うところもあるのかと思う。上記の通り、一部に不満はあるが、問題を提起している小説である。一読を薦める。




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マーク・トウェイン『アダムとイブの日記』(1893年)を読む [読んだ本の感想]

マーク・トウェイン『アダムとイブの日記』(1893年)を読む

 コロナ禍で出かけることが少なくなり、Web上での読者会もあって、おかげで本を読む時間が増えた。
 マーク・トウェイン(1835-1910)の『アダムとイブの日記』(1893年)を読む機会があった。

 『アダムとイブの日記』が書かれた19世紀末のアメリカは、農業社会から産業社会化し、富も蓄積し、欧州の影響から独立しつつあった。


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<マーク・トウェイン『アダムとイブの日記』大久保博 訳(河出文庫、2020年1月30日発行)>

1)「エデンの園」を追放されたあと、アダムとイブは何を考え、どのように暮らしたか?

 アダムとイヴが神によって「エデンの園」を追放された後に、『アダムとイブの日記』があったとマーク・トウェインが設定して、日記の叙述を始めている。平易な文章とユーモラスな描写がおもしろい。

 アダムとイブの暮らしには、ミシシッピ河やナイアガラの滝も出てくるし、アダムがバッファローの狩りに出かけたという叙述もあるから、このアダムとイブは、北米のアメリカ人(おそらく白人)であるらしい。マーク・トウェインにとって聖書の厳密な描写などどうでもいいらしくて、「エデンの園」を追放されたあと、アダムとイブがどのように暮らしたか? 自分の頭で何を考えたか?(=当時のアメリカ人ならどのように想定するか?)にもっぱら興味があるようなのだ。

2)「アダムの日記、イブの日記」の叙述から

 日記の叙述の一部を拾ってみる。

 アダム(の日記)によれば、
「・・・・・・イブがやってきた時、邪魔だと思った。いつでも後をつけてくるし、何でも手あたりしだいに名前をつけてしまう。追い出そうとすると、穴(目)から水(涙)を出し、大きな声をあげる。・・・・しかもしょちゅうペチャクチャやっている。・・・・・・・そんなイブが林檎をいくつか持ってきたので、食べた。・・・・・・・
・・・・・・・・

 何年かそんな暮らしをしているうちに、
「・・・・・彼女は連れとして立派な存在だと思うようになった。彼女がいなければきっと寂しい思いをし、気が滅入ってしまうだろう。・・・・・・・カインやアベル(息子たち)がやってきて、何年かを送った・・・・・。今になってみると、エデンの園の外にあっても彼女と一緒に住む方が、エデンの園のなかで彼女なしに住むよりはいい。・・・・」
と書くようになっている。

 イブ(の日記)によれば、
「・・・・アダムの後につきまとって知り合いになろうとして、おしゃべりをした。彼の様子を見てみると、わたしがそばにいるのを喜んでいるようだった。・・・・・わたしは物に名前をつける仕事を引き受けて、彼の手をわずらわせないようにした。彼はどうやら大いに感謝しているらしいのだ。
・・・・・・・・・・・・・・」

 日記の終りのほうで
 「・・・・ふりかえってみると、「園」はもうわたしには夢でしかない。それは美しかった。「園」は失われた。でもわたしは彼を見出した。そして満足している。・・・・・彼はわたしを精いっぱい愛してくれる。わたしもちからいっぱい彼を愛してる。自分でもその理由がわからない。・・・」
と書いている。

**************

 マーク・トウェインは、アダムとイブのやりとりのなかに、今でもありがちなそれぞれの勝手な思い込みも描き入れていて、つい笑ってしまうところもある。全体として平易でユーモラスな叙述が続く。

 そういった叙述のなかで、エデンの園を出た後のアダムとイブはどんな暮らしを送り、それぞれ何を考え、二人の関係がどのように変わったかを描き出している。自然な、順直な変化であること、二人にとっては成長である、しかもその成長は神がもたらしたのではなく二人が自分たちで得たものだと、描き出しているようなのだ。それはマーク・トウェインの考えである。

3)マーク・トウェインの実際的な考え方

 神が禁じていた木の実をアダムとイヴがとって食べた途端、目が開き互いに裸であることを知り、「恥ずかしい」という感情が沸き上がってきた。これまで持ち合わせていなかった「感情」だ。そこでイチジクの葉で身を隠す。

 ということは、神はアダムとイヴに自分でものを考えることを禁じていたことになる。自分で考えるとは、知恵がついたということだろう。しかし、「自分で考える、知恵がついた」ということは、造物主である神の意図に対する干渉であり、反逆となりかねないらしいのだ(訳者・大久保博が解説でそのように書いている)。

 自分の力でものを考えない、神の指示どおり生きるのが「エデンの園」の掟だとすれば、それは楽園とはいえない、人形か奴隷の社会ではないか、という考えも浮かんでくる。

 マーク・トウェインは、「エデンの園」からの追放を「転落」であると書いているものの、彼の描くアダムとイブは、楽園からの追放をもはや後悔してもいなければ、後戻りしたいとも思っていない。神の存在は、アダムとイヴにとって少しずつ「薄れ」つつあり、不要になりつつある様子が叙述される。

 表立って神や宗教を批判してはいないが、マーク・トウェインは、神や宗教からの「自立」を主張していると解釈することもできそうだ。彼の描き出すアダムもイブも「エデンの園」にはもはや興味がない。神の影響が薄まったところに、自分でものを考え自らの意思で行動するところに、人々の幸福が存在すると主張しているようなのだ。そこにヒューマニスティックな価値を見出しているようでもある。

 マーク・トウェインのこの考えは、宗教に対する「原理的で理論的な批判」ではないけれど、産業社会が発達しつつあった19世紀末当時のアメリカ社会のなかで生じた「実際的な考え方」、プラグマティックな考えでもある。
 ヨーロッパから自立し自身の道を歩みつつあった当時のアメリカ人の問題意識であり、ある種の自信のようなものもそこにあるようなのだ。


追記:『アダムとイブの日記』(大久保博 訳)は2020年1月30日に河出書房から河出文庫として、新たに発行された。(文責:児玉繁信)





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堀田善衛 『夜の森』を読む [読んだ本の感想]

堀田善衛 『夜の森』を読む


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1)侵略戦争を描いた堀田善衛

 2018年は堀田善衛生誕100年であり、11月に富山でシンポジウムがあった。堀田善衛は高岡市伏木の生まれ。

 戦後『広場の孤独』、『歴史』、『記念碑』、『奇妙な青春』などの一連の作品をわずかの間に世に送りだした堀田は、日本が引き起こしたアジア太平洋戦争と敗戦がもたらした結果と、そこにおいて日本人それぞれがどのように振る舞ったかを描いた。そのことで今後どうすべきかを問うている。

 1955年には双子のような二つの小説、シベリア出兵を描いた『夜の森』、南京虐殺を描いた『時間』を発表した。ともに日記体の小説であり、『時間』の語り手は中国国民党海軍部に勤める知識人・陳英諦であり中国人から見た南京大虐殺を描く、『夜の森』はシベリアに出兵した筑豊の貧農出身兵士・巣山忠三が、自身と日本軍の振る舞いを綴る。

 佐々木基一との対談で堀田はこの二つの小説について、当初は一つの小説として構想したと語っている。日本による侵略戦争で何があったか、そこにおける加害と被害を双方の当事者の目と心情を通して描こうとした。『時間』は2015年岩波現代文庫に収録され、辺見庸が解説を書いている。

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<『夜の森』単行本1955年>


2)『夜の森』を読む

 『夜の森』は、筑豊出身の下級兵士、巣山忠三が語り手の、大正7年(1918年)9月8日から大正8年7月6日までの日記体の小説。シベリア出兵は1918年から1922年の間、連合国(アメリカ合衆国・イギリス帝国・大日本帝国・フランス・イタリアなど)が「ボルシェビキによって囚われたチェコ軍団を救出する」という大義名分で出兵した、ロシア革命に対する干渉戦争の一つ。

 忠三は小作人出身で尋常小学校を出て以来、百姓の手伝い、本屋や新聞屋の配達小僧、呉服屋の手代などを経て従軍した。ウラジオへ上陸してから、ハバロフスクからアムール川沿いのブラゴエシチェンスクまで各地を転戦する。

 貧困や逆境にはなれている忠三は、軍隊で兵士が牛馬のように扱われることにも「忠勇愛国の美点を備えた日本軍人でなければ到底出来ぬ」と考える典型的な日本兵士。クラエフスキー戦では「逃げていく六尺もある大きな敵をうしろからブスーリブスーリと突き殺していくのであるから、この戦争も面白い」と記し、インノケンチェフスカヤ村では村民に対し「のどをとおす首をとおす胸をつくという風になぶり殺しをやった。もうこのときは人を殺すをなんとも思わない、大根か人参を切る位にしか思って居ない。心は鬼ともなったのであろう。人を殺すのがなにより面白い」、さらに「・・・家の外の、自分が殺した仏たちがかたく凍ってござる、その骨が凍みつき、ポッキン、ポッキンと折れるような、そんな音が耳に入って来る・・・(同僚の)上村と戸塚の二人が露人の女のところ行こうとさそった・・・・・殺したあとの夜が来ると、妙に不安で女が欲しくなり常軌を逸したくなるようだ」と書いている。

 過激派(=ボルシェビキ)や住民の虐殺に快感を覚えるが、現地で軍に雇われた花巻通訳の影響で次第にこの戦争への疑いを持ち始めていく。「人を殺しすぎると思う、・・・村を焼きすぎる、・・・将校も兵隊も物をとる者がふえて来た」と書くようになる。

 そのころ、国内で米騒動が起きたのを知る。「我が日本にも過激派が出来した」、「我々シベリア遠征軍が、あまりに沢山の米を持ち出したから内地では貧民の米騒動が起こったのではないか」と忠三は考えるが、しばらくして米騒動に軍隊が出て鎮圧したことを知り衝撃を覚える。内地からの友達の便りで、故郷の炭坑に入っている連中のほとんどが米騒動時の炭坑暴動に参加したらしい、それを我が留守部隊もでて鎮圧した。我が友人知り合いも炭坑に入って居る。忠三は自分がその場に居合わせたらと考え、シベリア戦争と軍に疑問を持つに至り、覚醒し始める。

 このころになると厳冬のなかでの戦闘が続き、上官によるあまりに苛酷な扱いに反抗する兵士も現れてきた。軍上層部は兵士が過激派にかぶれていないか極度に警戒するようになり、日本軍の非道な戦闘ぶりを故郷に書き送った忠三にも疑いをかけられる。忠三らの凱旋帰国の前に、露人や朝鮮人に親切だった花巻通訳が憲兵に殺される事件が起きる。その殺害現場を見ていた同僚の上村は憲兵にくってかかり取っ組み合いになるが、逆に営倉入りとされてしまう。

 「内地へ帰って満期除隊したら、黙って働こう。・・・・花巻さんと上村のことは忘れようとて忘れられぬ。日本は露西亜のように野放図もない国ではないから、チョット人様と違ったことをやったり考えたりすればすぐに何かがやってくる運命になっておる。・・・ともかく凱旋は万歳。」と綴る。

 忠三の覚醒は未発に終わり、勤勉な庶民の誠実さや知的欲求は軍隊内で、あるいは日本社会の同質性のなかで逼塞させられていく叙述で小説も終わる。

 小説の題『夜の森』は、下記の記述からきている。「ドボスコーイの激戦のとき、一時疎林のなかに伏し、樹林に弾丸や砲弾の破片があたり、ビシッ、バスッという、じつに厭な音をたてる。シベリア全体が、暗い気味の悪い「夜の森」のようなもので、そこには虎や狼のようなけだものがいっぱいうごめきひしめいていて、ときどきピカッと異様な眼玉を閃かせる、我々は本当のところ誰を相手にしていかなる名目で戦っているのかがはっきりしないような、不気味な気がする森のなかにいる」
 (この項の多くは、シンポジウムでの明治大学・竹内栄美子さんの報告、「1950年代の堀田善衛―-『時間』を中心に―」に拠っている)

3)忠三は今も生きている民衆の一人

 忠三の揺れ動く気持ち、その上で「内地へ帰ったら、黙って働こう」と考えたのも、多くの兵士の心情であったろう。

 それはシベリア出兵時に限らず、アジア太平洋戦争を体験した兵士も同質の心情を持ったのではなかろうか。

 食糧さえ十分に輸送配給しない日本軍はしばしば現地調達した。「徴発」、あるいは「緊急購買」などという「呼称」を使用しながらも、実際には食糧や財産を強奪した。そればかりでなく火を放ち女性を強姦し、住民の虐殺を行ったのである。多くの兵士は自ら体験した。慰安所へ通い慰安婦の存在やその境遇も知っていた。それらを知りつつも多くの兵士は帰還後、沈黙して過ごした。
 
 『夜の森』『時間』が発表された1955年当時、南京虐殺は嘘だとか、という堀田への非難は起きていない。帰還した兵士らは生存しており、口に出して言えないものの「ある種の常識」であった。私たちの祖父や曾祖父の世代の日本の男たちの多くが、かつて相手国土を侵略しそこに暮していた人たちとのあいだに加害者と被害者という立場でぬきさしならない関係を持っていたのである。

 にもかかわらず、忠三のように、あたかもそういった体験などまったくなかったかのように多くは沈黙し過ごした。
 
 戦後、主流であったそのような対応は、中国や朝鮮、アジアの人たちの心情を知らないで居続けるという日本社会の姿を常態としてきたのである。その延長上にある平成の日本社会は、いっそう過去を顧みなくなったし、死者の声を聞かなくなった。そのことで未来への不透明感が増しているのだろう。

 忠三が「内地へ帰ったら、黙って働こう」考えたと同じように、日本社会は再び画一化への圧力が強まりつつある。学校でも企業内でも同調圧力は強まり、自分の考えを持たず主張もしないで、周りの顔色を窺い「気くばり」と「忖度」をするばかりの世の中となりつつある。昨今は特に「無知」という土台に立って過去を「美化」する風潮、あるいは「無知」を通り過ぎた意図的な「忘却」や「捏造」までが目立ち、暴論が幅を利かす社会となっている。

 歴史認識を修正し、慰安婦被害者の声を聴かない道へと踏み込んだ日本社会が失ったものはとても大きい。

 歴史認識を修正した分だけ東アジアの国々を見下し戦争のできる国へと変質した。慰安婦問題を抑え込んだ分だけ、女性の人権が軽んじられ#Me Tooが広がらない日本社会となった。

 1950年代に堀田善衛は、日本の引き起こした戦争は何であったか、日本人がどのようにとらえなおすべきか、提示してみせているのである。
 生誕100年は過ぎたが、『夜の森』『時間』を読み直すのもいいと思う。

 『夜の森』は堀田善衛全集2巻に収録されている。単行本はすでに絶版。
 『時間』中国語版(翻訳:秦剛・北京外国語大学教授)が18年年7月に人民文学出版社から刊行された。
(文責:児玉繁信)

(*19年3月発行「ロラネットニュース25号」に掲載)

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<『時間』 2015年 岩波現代文庫>











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台湾の現代小説『自転車泥棒』を読む [読んだ本の感想]

台湾の現代小説『自転車泥棒』を読む

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 台湾の現代小説『自転車泥棒』。作者は呉明益。文藝春秋 2018年11月10日発行.


 作者らしい主人公の家族の物語が、当時所有していた実用自転車「幸福号」の探索を通じて叙述される。仕立て屋の父が、仕事に使っていた実用自転車とともに失踪する。主人公が、父と自転車を探す物語は、父や母の経てきた生活をたどっていく叙述となる。自転車をいわば「象徴」として登場させる小説となっている。

 家族それぞれの自転車にまつわるエピソード、思い出から物語はどんどん広がっていく。父親はかつて台湾少年工として日本に徴用され、神奈川県の座間海軍工廠で働いていた。多くの台湾少年工が爆撃で父の目の前で死んだことも触れられる。

 アジア太平洋戦争開戦の12月8日、マレーシア・コタバルに上陸した日本軍は銀輪部隊(自転車部隊)としてシンガポール目指すが、その部隊に加わった台湾人兵士の物語が叙述される。
 また、軍用自転車の一部が台湾から送られたが、故障か何かで送られず台湾に残った自転車があり、小説は戦後の台湾社会のなかでのその自転車の行く末をたどる形をとり、戦後の台湾人の暮らしや台湾社会の描写へとつながっていく・・・・・

 当初、家族の話と思われたが、作者のたどる物語はどんどん広がり、台湾のいろんな人々の経てきた歴史の叙述になる。作者の力量、広い視点を感じさせる。

 物語のひろがりを導き、全体を生きた姿で統一しようとしているもの、それは作者の欲求、あるいは意志として結晶しているのだが、台湾人としての自覚、矜恃のようなものである。国民党による一党支配の時代をくぐり抜けた台湾人の新たなアイデンティティの形成を意識しているようなのだ。それは台湾社会の現代的な問題意識なのだろう。台湾社会の成熟と余裕が、この作者を通じて表現されている。

 作者は、外省人も、本省人も、原住民もみな台湾人であるととらえている。日本の植民地時代があり、日本軍に徴兵され徴集され徴用され、ある者は日本兵としてアジアへ、ある者は少年工として日本へ、それぞれが戦争に巻き込まれた歴史がある。その傷も癒えぬ間に1945年以降は蒋介石の国民党軍が中国から支配者としてやってきて、228事件、弾圧があり、それまで台湾に住んでいたの人々を支配し、反共独裁政治の時代が続く。もちろん支配した軍人ばかりではなく下っ端の兵士もいる。彼らは戦後、台湾で生きた。
 
 時代に翻弄された支配者でない、人々の歴史がある、生き抜いてきた人々の生活がある。人々の経てきたそれぞれ生活にたいする作者の愛着がある、台湾人のアイデンティティの形成のために作者はその見つめなおしを訴えているようでもある。

 強いられた歴史、目の前の事態に対応し従い、余裕などなく懸命に生き抜いた歴史であったとしても、それもまた台湾人のたどってきた歴史であり、そのなかで人々は暮らしてきたし、家族の生活はあった。一つ一つの道行きを認め尊重しながら、その上にやわらかい批判や反省を、作者はかさねる。

 たどった経過から現代の台湾の人々の生活や文化が生まれていることを認めたうえで、歴史全体を把握し引き受け、現代とこれからの台湾と台湾の人々の生活を打ち立てようとするかのような姿勢を、作者は示している。

 このことがかつてなく新しいと思う。民衆のたどった歴史のようなものを見つめたうえで新たなアイデンティティを形成しようという、このような構想が可能になった現代の台湾社会であり、ある成熟なのだと思う。

 内外の厳しい政治・経済情勢、歴史的な事件、あるいは自然的環境の影響を受け、それへの対応に忙殺されて、自らを「振り返る」ことを長らく忘れてきた。世代間、エスニックグループ間、地域間、あるいは外省人、本省人、原住民で断絶した関係、日本統治時代、国民党統治時代があった。そのあとアメリカや日本資本を呼び込むことで経済発展を試み「卑屈」な対応を余儀なくされた日々も続いた。

 断絶してきた社会、あらゆる面で断絶され、互いに非難し、共有せず排除し、あるいは触れることができず触れてこなかった人々の関係、歴史、記憶を、改めて見直そうとしている。全体像を再現し、再発見していくことの意義や社会的な関心を、現代台湾社会や現代の台湾に生きる人々に訴えている。あるいは問題意識、思い、心情、欲求、動き・・・・を描き出している。
 
 家族の体験の描写でありながら、それを「個人的なもの」ではなく、台湾人、あるいは台湾民衆のもの、として描き出している。作者は、ずいぶんと大きな、あるいは豊かな構想の上に立って叙述しているようなのだ。

 それが何となく「ふんわか」とした、時を飛び越え全体が包摂されるかのようなある種「不思議な」感じさえする作者独特の文章の運びによって叙述されるのだ。

 可能にしているものは、これまで生きてきた台湾人への敬意であり、生きてきた人々の生活への尊重、あるいは愛着である。そのことがよくわかる。

 こういうところが優れていると思う。 (文責:児玉 繁信)




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安部公房『榎本武揚』を読む [読んだ本の感想]

安部公房『榎本武揚』を読む  1965年7月26日初版、中央公論社

 2017年10月6日、ある古書店で安部公房『榎本武揚』を見つけ買い求めた。すぐに読み終えた。ずいぶん前の作品であるが面白かったので評を書く。

1)きわめて独創的な才能

 豪快でユーモラスな表現、リズミカルでシャキッとした文体と日本語。それだけでも、めったにない、なかなかの才能と実力であると、あらためて思い知らせてくれる。
 明治維新という変動の時代を生きた榎本武揚が、いかに魅力的な人物であったかを、生き生きとした文体で描そうと試みた。
 
 文体だけにとどまらない。小説の構想は、極めて独創的である。そればかりではない、小説の構成もまたきわめて独創的であるし、野心的でさえある。読者をわくわくさせる。榎本武揚の思想と行動に、土方歳三の思想と行動を対抗させ、その奮闘でもって時代精神を描こうとした。忠節と転向として「対立」させて、表現している。しかもそこに、戦前に憲兵であった福地屋の主人の忠節と転向をも重ね合わせ、現代的課題として展開しようとしている。何という大胆さであるか。果たして、破綻せずに押しとおせるのだろうか?

 安部は何を描き出したのか?
 安部公房の描きだす榎本武揚は、むしろきわめて現代的な人物である。実にイキイキとしている。生きて眼前に存在する人物として思い浮かべることができる。安部公房の手腕である。もちろん、安部公房も、現代的に描き出す必要を見出したのであろう。
 どうしてなのか?

 安部公房は、執拗に『榎本武揚』に挑んでいる。それは当然のこと安部公房自身の現代に対する認識、批判が背景にある。1965年に書かれていることから、1965年当時の日本に対する批判も、当然のこと意識されているだろう。戦前の天皇制軍国主義日本に対する忠誠と戦後民主主義への「転向」の関係についての、安部公房の追究も重なっている。あるいは当時の共産党に対する忠誠とその批判をも視野に入っているかもしれない。

2)安倍公房は何を描き出したかったのか?

 安部公房は、何を書きたかったのだろうか。榎本の人物の大きさを描き出そうとしている。知の巨人であり、革命の実行者でさえある。現代においても、対置されるべき人物とその性質を、安部公房は提示したかったのだろうか? たぶんそうだろう。
 描き出された榎本武揚は現代に生きているがごとくイキイキとしている。土方歳三と対峙し、榎本武揚の大きさをさらに堂々と浮き上がらせている。叙述は、土方歳三の部下・浅井十三郎の考えと行動を通じて、榎本批判として叙述ははじめられる、しかし榎本武揚の「大きさ」が際立ってくる。

 土方歳三のあの変質的な執着は、徳川末期、滅びつつある封建制から生まれていると榎本に語らせている、その通り、適確な指摘である。土方歳三の駆使する「徳川への忠誠」は、崩壊を前にして自身の地位を守ることばかり考えている従来の武士たちへの批判であり告発であり、徳川体制内で土方が彼らを押しのけて成り上がっていく行動の指針である。しかし、徳川封建制はすでに崩れかかっていた。崩れかかっていたからこそ百姓の近藤勇や土方歳三が侍になれた。それ以前の盤石だった徳川の時代においては、近藤も土方も到底武士にはなれなかった。

 土方歳三の理念と行動は、徳川擁護を掲げているものの、あくまで建前で会って、徳川を擁護する道筋を通って土方が百姓から武士へ成り上がるところに重点があった。侍に成り上がることをそれ以外の思想、すなわち時代を変革するプランも理念も持ちあわせていなかった。世の中が見えていなかったのである。

 したがって、土方自身が、そして彼の理念と行動自体が、すでにアナクロニズムであった。徳川封建制は大きな社会的変動によって崩れかかっていた。薩摩も長州も、徳川打倒から近代的中央集権国家の建設を目指した。それまでの封建制を再建したのではない。したがって、土方や榎本に比べれば、とてつもない進歩であり、百姓や商人や下級武士など大多数の人びとの要求と希望を体現したのである。それは榎本の才能の大きさをも越えていた。もっともその近代中央集権国家は成立後、百姓や下級武士の要求を裏切ったのではあるが。

 百姓から侍になりたかった土方や近藤は、社会的に広範な支持を受ける時代的精神をその内に持っていなかった。それゆえ、彼らの理念と行動は社会的変革とはならなかった。革命的運動からは無縁であり、というより反革命勢力の手先、テロリストであった。滅びゆく人間であったし、滅ぶのは必然であった。このことを安部公房は、榎本武揚と対比して、見事に表現する。

3)安倍公房の目に映った榎本武揚

 他方、榎本武揚はどうか。
 榎本武揚は、見事に彫り上げられているか?
 土方ほど愚かではない。徳川の崩壊は必然と知っている。問題は、あるいは榎本の矛盾は、誰よりもよく歴史発展の方向を認識していながら、榎本自身の行動は運動の要素となりえなかったことである。

 安部公房は、榎本の「人物の大きさ」をあまりに強調する、時代を超えてさえ強調する。しかし、誰しも時代を超えることはできない。超えることができない榎本を描いていないところが、安部公房『榎本武揚』の欠点ではないかと思う。

 明治維新は、不完全な不徹底の民主主義革命である。榎本が西洋に遊学し学んだ新しい知識は貴重ではあるものの、幕府の役人である彼にとっては、徳川封建制を破壊する行動はとり得ず、革命において彼の知識は役立つ場所を得られなかった。得られなければいくら才能の大きさを誇ろうとも、意味はない。

 武闘派の新選組や彰義隊らを江戸から脱走させ、江戸を戦火から守ると同時に、武闘派を分散させ弱体化させたのが榎本の深謀遠慮であるかのように描くのは、単なる嘘である。
 「江戸を守るため、戦火を交えなかった」とは一つの口実であり、幕府旧勢力の一部が、何とか新政府の権力者の一員に加わりたい希望を表現している。守りたかったのは江戸ではなく、自身の地位であろう。勝海舟もその点は同じではないか。江戸で戦闘があったなら、幕府の旧権力機構はより徹底的に破壊しつくされただろう。そのことで明治新政府への権力移行は、ただスムーズに行われたろうし、変革はより徹底にしたものになったろう。

 明治維新のなかで、不徹底な、不完全な行動しかとれない榎本であったし、それは彼の立ち位置から来た。したがって、余るほどの新知識を身につけていたにもかかわらず、榎本の理念も行動もまっすぐに変革へと結びつかない。「知恵」があるように描くが、社会的実行と結びつかない、梃子を得ることができない「知恵」は、「知恵」ではない。「無用の人」、榎本武揚である。

 安部公房はこの点を知っていない、少なくともそのように見える。不思議なことである、また奇妙でもある。実に賢く才能のあふれる安部公房がこんなことに気づかないことがあるのか? きわめて残念に思うところである。

 榎本が「無用の人」に終わらざるを得ないのは、決して個人的性質からくるのではない。榎本の抱える時代的な矛盾に、安部公房は思い至らないようにみえるのである。
 しかし、想像するに、榎本武揚自身は、そのことを自覚していたのではないか。「無用の人」と何度も扱われ、そのたびに「悲しみ」を自覚しただろう。なぜその悲しみを描かないのか、「無用の人」榎本を描かないのか。
 
 徳川体制を徹底的に破壊すればするほど、変革は前に進む。それをまっすぐにできない榎本、そのような位置にいない榎本は、偉大な役割を果たすことはできない。立ち位置から、その歴史的役割は決まる。

 榎本が仮に、軍艦を引き連れて、官軍に寝返り、徳川体制破壊をより徹底的に実行すれば、明治政府内でより強力に変革を実行する権利を獲得するかもしれない。しかし、そのようになるには、理念と社会的運動が必要である。人々をとらえた運動なしに、一夜の裏切りで寝返っても、力にはならない。歴史は陰謀で動くものではない。榎本は背後に変革を求め支持する人々を組織しなかった。

 時代の要請は、個人の「知恵」の水準を越えている。「知恵」は個人の所有物でさえない。集団的社会的運動として、歴史的な役割を果たす。このような描写が、安部公房には欠けている、あくまでも「知の巨人」榎本である。非常に残念に思う。

 榎本武揚を「矛盾のなき人物」と描き出しているのであって、その限りでは偽りに転化しているであろう。榎本武揚は自分では解決しえない大きな矛盾を抱えている、にもかかわらず、安部公房の目はそこに向いていない。この点だけに限って言えば、「節穴」であったようにみえる。
 「無用の人」榎本武揚の悲しみを描いたならば、その人物像は、本当に大きな、時代的なものとなったろう。それを回避したから、「大きく」見せる工夫が必要となったろう。
 
 徳川に忠誠を誓う武士を集団で脱走させ、疲弊させ、蝦夷地にまで引き連れて、滅びやすくした、という安部公房の説明は、嘘だ。「偽り」そのものである。このような「知恵」を持つに人が、賢いのではない。そもそもそんなものは「知恵」ではない。あとからつくった「つくり話」である。ハッタリの一種で、人を驚かせるには役に立つだろう。一時は騙される者もいる、しかし、だまし続けることはできない。安部公房はだまし続けられると勘違いしたのだろうか。もしそうであれば、だまされているのは安倍公房自身である。
 
4)福地屋の主人の忠誠と転向

 安部公房は、榎本にみられる時代への忠誠と転向に、福地屋の主人の抱える「時代への忠誠」と重ねて描いている。ただ、この構成・構想は、大胆で魅力的であり、作者の才能の大きさを感じさせるが、残念なことに成功していない。

 厚岸に住む福地屋の主人は、戦前、憲兵であり、義弟を石原莞爾信奉者という理由で告発し死に至らしめた。本人は「時代に忠誠」を尽くしただけで悪意はないという、ただ敗戦により時代が変わり「忠誠」の中身が変わり、誠実に生きてきただけなのに非難されると嘆く。福地屋の主人は、その気持ちを徳川封建制から明治新政府へと時代が急激に変わったなかを取り残されて生きた土方歳三や榎本武揚の気持ちに重ねる。

 榎本武揚は、明治新政府に取りあげられ、のちにずいぶんと出世したことから、変節漢と非難される。土方歳三は、自身が「無用の人物」になっていることを薄々感じとりはしたが、『徳川への忠誠』なる理屈で生きるのを変えることはできなかった。福地屋の主人は、いずれに対しても自身の姿を重ねて、同情する。

 ただ、それが同情に落ちて、福地屋の主人の「時代への忠誠」、戦前と戦後のあいだの変革の意義をあいまいにするかのような取扱いに陥ってしまっているところは、はなはだよくない。
 それは、土方の「武士道」、「勇猛さ」に感心しているだけでは、戦前戦中の日本軍人の「玉砕精神」を褒め上げなくてはならなくなるのと似ている。また榎本の抱える時代的な矛盾を描きださない安部公房であれば、福地屋の主人の悔恨にただ同情するだけでなく擁護する方向へ傾いて終わるのは必然なのかもしれない。少し言い過ぎだとは思うが、榎本武揚を矛盾なき人物と描きだすことは、時代的精神から離反すること、行き過ぎた称揚に至るのであり、戦前に対する適切な批判に至らない結果をもたらしているようでさえあるのだ。

5)見上げた才能

 というような根本的な不満もあるけれど、構想通り、押し切って書き上げる才能と実力は、見上げたものである。表現もユーモアがあって、しゃれている。例えの文句が、リズミカルで具合がいい。美しく力強い日本語をつくりだしている。
 「歴史物」でありながら、時代的であり現代的だ。生きて再現されている。小説には時代を再現して目の前に突き出して見せる、小説でこのような表現や描写が可能なのだ、こんな可能性があるんだと、あらためて教えてくれる。読んだ後もなお興奮が残っている。(文責:児玉繁信)




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金石範の話を聞く [読んだ本の感想]

金石範『火山島』出版・復刊 記念シンポジウム

 11月8日(日)、成蹊大学で、金石範『火山島』出版・復刊記念シンポジウムがあった。『火山島』は、1948年済州島で起きた四・三事件を描いた小説である。約20年かけて1997年に完結した。

 2015年に『火山島』全巻の韓国語訳が初めて出版されたという。韓国の人たちは、『火山島』をどのように読むのだろうか? 

 当日、翻訳者である金煥基(東国大学日本学研究所長)さんが挨拶した。日本でもオンデマンドではあるが、岩波書店から『火山島』が復刊される。韓国語出版と復刊、そして金石範90歳、それらをすべて記念したシンポジウムである。
 金石範さんも出席し挨拶した。

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<挨拶する金石範>
 
 2015年10月16日、韓国・朴政権は金石範の入国を拒否したという。その理由は、2015年4月、「済州四・三平和財団」平和賞の初代受賞者に選ばれた金石範が、授賞式で事件当時の政権を批判したことが関係している。済州島で住民を虐殺した警察や政府関係者の人的な関係、および政策を引き継ぐ保守勢力がいまだに朴政権の一部を構成し、影響力を持っているからだ。
 現在もなお、金石範と作品『火山島』は、韓国社会に全面的に受け入れられておらず、したがって「歴史の空白」を埋めるべく闘っているのである。

 4人のパネラーがそれぞれ報告した。
 あるパネラーが、金石範の『火山島』は、歴史の空白を文学が埋めたと指摘した。まったくその通りである。済州島四・三事件を金石範は、政権によって隠蔽され、歴史資料もなく、現地取材に訪れることもできないなか、書き継いできた。小説『火山島』を追いかけるように、2003年盧武鉉政権になってやっと真相究明、済州島四・三事件が何だったかを、振り返る事業がはじまっている。

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<11月8日、金石範『火山島』シンポジウム 於 成蹊大学>

 当日のパネラーの一人によれば、金石範の作品は、「『日本文学』ではなくて、『日本語文学』と呼び直すべき」(鶴見俊輔)なのだそうだ。楕円の新たな軌跡をなぞり、楕円をあらためて説明しなおそうとするかのようで(花田清輝、『楕円の思想』)、どうでもいいことを論じているのではないかと思えることもあった。

 そのなかで、金石範の話が印象に残った。パネラーたちの報告の後、立って挨拶した。「90歳を祝われるのは嫌だ、しかし、『火山島』が韓国語で出版されたこと、復刊もされること、今日も多くの方に参加いただいたことに感謝する」と語ったうえで、金石範の挨拶は沖縄・辺野古の話になった。

 三、四日まえ(11月6日?) 沖縄・辺野古で新基地建設に反対し資材搬入を阻止するため座り込んでいる人たちを、警察がごぼう抜きにするに場面を見た、しかも沖縄県警察ではなくて、警視庁から派遣された200名の警官だった。本土から派遣された警察官が、基地に反対する沖縄の人々を排除する、弾圧する。金石範は、これを見て済州島の四・三事件を思い浮かべたのだという。済州島へも本土から来た警察や右翼集団が済州島の人々を虐殺した。その光景を思い浮かべたという。
 「侵略」そのものではないか。「侵略」と呼ばなくてはならないのではないか、という。

 金石範は続けてこう語った。「歴史書によれば、明治になった後、『琉球処分』があったとしている。しかし『処分』はおかしかろう。『処分』とは、汚いものをゴミ箱に捨てる、不要なものを処理するという意味ではないか! 日本政府の琉球支配確立に当たって、反対する沖縄の人々を抑えつけ、無理やり言うことを聞かせた歴史的事件を、『処分』という言葉で表現するのはおかしい、『琉球侵略』、『沖縄侵略』と呼ぶべきだ」

 さすがに文学者ではないか! 何と言葉を大切にすることだろう!

 『火山島』出版・復刊記念のシンポジウムでの自身の挨拶に、沖縄の辺野古基地反対を語る、反対する人々に自身の気持ちを重ねて語る。この作家はどこまでも現実を生きる作家だ、金石範の特質が如実に示されているのではないか、そのように思って聞いたし、あらためて感心もしたのである。 (文責:児玉 繁信)



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宮部みゆきは退化している [読んだ本の感想]

  
 宮部みゆき『名もなき毒』文庫本を見かけたので、買い求めて読んだ。つまらなかった。宮部みゆきは退化している。明らかに退化している。
  
 1)推理小説の効用

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 日本で作家として食えるのは「推理小説」作家だけ、だからそこらじゅう推理小説作家だらけ。TV のスイッチを入れると、必ず「殺人事件」が起きて、善人で有能な刑事や警察が、あるいは賢い探偵がこれを解決する。
 このワンパターンの何度も何度も使い古しの筋立て。しかし他方で、現代日本社会は、驚くべきほど、殺人の少ない社会なのだ。であれば小説家は、驚くべきほど殺人の少ない現代日本社会の現状を描写し、その秘密を明らかにすることこそが、仕事であるはず。なのに、仮想の推理小説の世界では、ワンパターンの殺人事件が毎日起こり、気まぐれな「謎解き?」して見せる。
 3万人以上の自殺や「いじめ」は、現代日本の「殺人事件」であるのに、推理小説家は少しも反応しない。その理由を、原因を、なぜ推理しない!

 殺人事件に対する「人工的な恐怖」や「ワンパターンの批判」を毎日刷り込めば、警察のイメージアップになるだろうし、警察予算を確保するのに都合よくなる、その予算で生きている人たちの生活を安定させるという実際の効用がある。被害遺族の報復感情をあおり、さらには死刑制度維持にも効用がある。

 リアリティのない作り物の「殺人事件」とそのイメージをまき散らし、鮮やかに推理し解決するのが現代社会における「賢い」人物と描き出される。事件の解決、トリックの解明を通じた知恵比べが繰り広げられ、それが「エンターテイメント」なのだそうだ。

 むしろ「エンターテイメント」となっているのがより根本的な要因である。TVドラマや推理小説でブームを作りだすことで、TV局は「エンターテイメント」商売が成り立つ。現行の警察や検察システムを擁護するうえでも都合がいい。これら関係者の集団、「原子力ムラ」と少し似た「ムラ」が存立している。

 そんな事情はこの20年30年変化していない。

 2)宮城みゆきの登場は衝撃的だった 

 さて、そんなところに宮部みゆきは登場した。衝撃的でさえあった。
 日本では推理小説家しか食えない、したがって比較的多く存在する。そうするとなかに「社会派」が生まれる、「宮部みゆきの登場」はこういうことなのだろうと推定した。
 『火車』なぞは、実に面白かった。弁護士事務所に事務員として働いていた宮部みゆきは、多数のカード破産、サラ金破産の事例を目の前で見てきた。現実の観察から出発した。それは当時の日本社会の描写であり、描写はそのまま告発となり批判となった。

 さて、宮部みゆきはその後どのような作品を書いたか。
 破産の事例に詳しかった宮部も、売れてしまったら現実の日本社会と接する場を失ったらしく、それに代わる取材を怠けたらしく、ネタ切れが徐々に明らかになってきた。のちに書かれた作品をざっと見てそのように感じる。でも、腕力があるので、宮部は書くことができる、そしてたくさん書いた。

 「超能力者が社会的に受け入れられない悩み」だとかを書いた、作者が自分の観察をそのまま述べるために安易に、実際には絶対に存在しない中性的な少年による語り口でもって舞台回しをしてしまった。そんな少年など存在しない。はては時代物、こんなものに方向転換してしまった。腕力があるからとって、使い道を誤ってしまってはいけない。
 
 こんなテーマだと「観察」や「取材」しなくとも書くことはできるからというのが、私の見立てだ。「見立て」が当たっているかどうか以前に、つまらない、こんなもの読みたくもない。「エンターテイメント」だといって、喜んで読む人もいるらしい。
 
 通常、人は職業を持ち働いていろんな人々と社会関係を結び、その中で生きている、自己を実現し、同時に社会の一端をつくりあげていく。さらに必要ならその関係を変えても行く、行こうとする、家族をつくり友人をつくりそうして自身をつくっていく、その過程における世の中の認識が「観察」であろう。それが小説を生み出す要因、衝動力である。宮部みゆきには、ほかにいろんな才能があふれるほどあるのだが、この要因が欠乏している。

 小説家は、書くだけで稼ぐようになれば、既存のエンターテイメント産業の枠に入れば、「営み」が希薄になる、現代の日本社会のなかで生きていない存在になってしまう。
 
 宮部みゆきの才能は、尋常ではないので、上記の「衝動力」がなくても、何かしら書くことはできるのだし、実際に書いてきた。筆力というか、腕力をもっているから、強引に書き進めていくことができたし、そして売れもした。でも同時に、現実社会の観察、生きた生活が、彼女の小説のなかから徐々に確実に消えて行った。
 叙述のテクニックは冴えたのかもしれないが、肝心の生きた現実生活が消えて行った。
 「こさえもの」なんぞ読みたくない、そんなもの読みたいとも思わない。遺伝子組み換えのまがい物食品のようなものだ。

 3)社会性を喪失した

 さて、「名もなき毒」を文庫で最近読んだのである。しばらくぶりに宮部みゆきの作品を読んだ。
 たしかに読みやすい文章、一気に読ませてしまうだけの筆力があるのは確かだ。ふつうこんな叙述はなかなかない。
 しかし、読んだ後に、何も残らない。こんな人間はいるのだろうか? いないだろうなぁ、つくりもんだなぁ、読みながら、常にそんな疑念が浮かんでくる。
 結局のところ、現実を観察していない。頭の中だけで書いている。それも材料は使い回し、材料は本当に貧しい、使い古したワンパターンばかり。一度使った死んだ材料の「現実」が繰り返される。生きていない、動いていない。

 現実こそが小説家の命である。
 「事実は小説より奇なり」という言葉は、人の認識や想像よりも現実生活のほうが何倍も複雑で豊かだという意味でもある。
 頭の中だけで、観念だけで、小説は書けない。宮部みゆきはそんなことに気がついていないのではないか、と疑ってしまう。
 宮部みゆきが気づいているかいないかにかかわらず、「そんなのではだめだ」という「厳しい判決」を、彼女の作品はすでに獲得している。
 やたら豊かな才能を持っていたのに、ただ浪費してきた、あの筆力、あの腕力はムダ使いされている。そして今ではほとんど「並みの推理小説家」になってしまった。世間の求める、推理小説市場の求める推理小説の書き手に仲間入りしてしまった。

 探偵や警察を通じて真実が明らかになるかのように描く、毒も何もあったものではない。警察におもねるように書く。その分だけ、「名もなき毒」などと大げさな名前をつけるまでになった。

 名は大きくなったのかもしれないが、強烈な毒は消えてしまった宮部みゆき、いずれ名も消えてしまうことを恐れなければならない。

 当初、「推理小説に社会性を導入した」と感心し評価したが、今では撤回しなければならなくなった。もっとも「火車」に対する私の評価は変更するつもりはない、変質したのは、宮部みゆきである。

 量産されるのは「社会性を排除していった」宮部みゆきである。「社会性」などと固化した言葉でいうよりは、生きた人物の描写が消えて行ったというほうがより適切だろう。
 彼女はまだ若くてこれからも作品を書くだろうが、でもこのままであればどんなものが出てくるか、容易に想像できる。小説家・宮部みゆきはいるが、しかし衝撃を持って登場したあの宮部みゆきはすでに消えた。

 4)モデルがいなければ書けない作家に転向すべし
 
 宮部みゆきはモデルがいなくても書ける作家である、居なくても腕力で書いてしまう。現実生活を観察しないでも書いてしまう力がある。
 他方、世の中にはモデルがいなければ書けない作家もいる。二つのタイプがある。
 話は飛ぶが、『1846年のロシア文学概観』でべリンスキーが、トゥルゲーネフはモデルがいなければ書けない作家であるが、ゲルツェンはモデルがいなくても書ける作家であると評した。トゥルゲーネフは「猟人日記」を、ゲルツェン「誰の罪か?」を、この年発表した。
 この便宜的な分類を持ち出すのは、どちらかが優れている、と言いたいのではない。
 ただ宮部みゆきは、実在のモデルを観察して書くように、スタイルを変えなければならない。モデルがいなければ書けない作家に転向しなければ、先はない。

 さて、「名もなき毒」。この小説は、10年くらい前単行本で出た、最近文庫になったので読んだ。
 だから私のこのような評価は10年遅れている。すまないけれど、最近の作品をきちんと読んでいない。この10年前の作品に対する評価が現在もなお有効かどうかわからない。でも残念ながら、たぶん有効だと思っている。 (文責:児玉 繁信)
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「日本を捨てた男たち」 を読む [読んだ本の感想]

「日本を捨てた男たち」 を読む
 
水谷竹秀著 集英社 2011年11月30日発行

 
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 著者は日刊「まにら新聞」記者。取材に当たりマニラの日本大使館や近くの「結婚手続き代行事務所」を何度か訪れている。水谷記者を直接には知らないが「まにら新聞」は知っている、また日本大使館近くの様子や「結婚手続き代行事務所」の日本人スタッフを何人か知っている、そんな私たちにとっては、叙述の風景がいくつか目に浮かび何かしら近しい思いすら浮かぶ。

 本書はフィリピンの「困窮邦人」のレポートであり、現実を直視したリアルな叙述に特徴がある。フィリピンのことを語ると、つい何かしら面白おかしく伝えがちだし、聞く者に受け入れやすいようにある種のサービス精神を発揮してしまい表面づらの紹介に終わってしまうことも多々あるけれど、本書はそんな「甘さ」「いいかげんさ」を突き抜けている。

 「日本を捨てた男たち」は、フィリピンでホームレスになっている困窮邦人数人に対するインタビューをもとにしている。海外の困窮邦人の半数はフィリピンにいるそうで、「居やすい」らしい。著者は、フィリピン人が困窮邦人に親切に接する事例に突き当たる。どうしてだろうかと問いかける。この「秘密」を探ろうと書きはじめた。

 もっともホームレスになっている邦人であれば、インタビューしても本当のことを言うはずもない。仮に当人が本当のことを語ったとしても、真実とは限らない。著者もそのことはよく自覚していて、裏を取ろうと日本の親族を訪ねてもいる。親族の様子のほうが衝撃的なことさえある。この二つを合わせてはじめて日本を捨てフィリピンに逃げた男たちの実情が厚みと重みを持って現れてくる。

 フィリピン人はあっけらかんとしていてよくしゃべりよく笑いよく泣きよく怒る。考えてみればそのほうがむしろ当たり前だ。フィリピン人は人を「見かけ」や社会的地位で差別したり態度を変えたりしない。
 もっとも、フィリピンではすべてが理想的なのではない。ノープロブレムといいながら問題だらけだし、何度も手違いや失敗があってなかなか思う通りすすまない。決していいことばかりではない、それどころか貧困層が膨大に存在し、社会は問題だらけである。(著者はフィリピン社会とフィリピン人に対して好意的であってあまり批判的ではない。)

 その中で人々は生きている。何しろ失業者だらけなので失業しても人間関係を失うことはない。フィリピンの「密度の濃い」家族や人間関係は、そうでなければ生きてゆけない事情から来ている。また教会やNPOとかいろんな団体、人々の連合体が多い。もちろん人間関係があったって、貧困が解決できるわけではない。フィリピン人、フィリピン社会は決して「理想の姿」ではない。ただここでは孤立しない、人間が簡単に壊れない、居場所がなくなることはない、貧困に対抗して行く連合体がある、そう言っているのである。強引に解釈すれば、対抗する人々の連合体がなければ、人々はイキイキと生きていけない、当面する現状を認識し批判し告発できないと言っているようなのである。

 中高年の男が、小金さえあればフィリピンではチヤホヤされるのは「滑稽なこと」でもある、もちろん小金がなくなれば捨てられる。それはどこでも同じだ。ただ、日本の家族や人間関係を捨てフィリピン女性に「はまる」に至るのは、それまで居場所のなかった、あるいは希薄だったからでもある。
 日本ではずうっと「粗末に」扱われてきた、そもそもチヤホヤされたことさえなかった、濃密な人間関係を持ったことがなかった。処世上の表面的な関係は持ってきたものの、どんな人とも関係を持って何とかしていこうという経験はなかった。むしろ「余計な関係」はムダとして削ってきた。
 「人間関係は必要がないので捨ててしまったら、自分自身を失った、そしたら居場所もなくなっていた」のである。

 著者は「自己責任」ではなかろうか?と何度も問い返す。困窮邦人と接していると必ず投げかけられる言葉なのであろう。登場するホームレスの中には、到底誰も相手にしないだろうと思われる人物も確かにいる。ネットでこの本の評判をざっと見たが、「自己責任だ、甘えるな!」と困窮邦人個人と著者の同情的な態度を非難する論調ばかりだった。明らかに著者はそんな声を意識している。
 
 なぜ男たちは日本社会に居場所がないのか?
 日本では仕事を失うと、あるいは収入を失うと、人として扱われない現実が存在する、人間関係も同時に失う。現代日本社会では学校教育も、家族も地域社会も、よい学校大学を卒業し安定した職、収入・地位に就くことを目的としたシステムとして自発的に変化し、それ以外の機能はムリムダムラとしてそぎ落としてきた。そのことは他方で、仕事を失った時の手立ては準備されず、逆に失業者を排除する社会関係ができ上がることになった。別の言い方をすれば、対抗する人々の既存の連合体は力を失い消えていき、新しい連合体は形成されてこなかった。

 著者は、「日本を捨てた困窮邦人」は若年世代の「引きこもり」と同質の現象でもあると指摘する。生きにくい、息苦しさを感じている点では同じというのだ。適確な指摘だろう。最近は「外こもり」というのもあるらしい。日本でバイトして、その金で3カ月とか半年とかをタイで暮らす若者が存在するという。これも同質の現象だ。確かに世代が違う、女に入れあげるのも違う、しかし日本社会で生きる場所がないと感じるのは同じだ。自殺者が3万人を超える現状もおそらく同根の問題であろう。無縁社会は日本人すべての世代に(もちろん底辺の人々により強く)それぞれ確実に影響を及ぼしている。

 叙述はあくまでホームレス個々人の実情の描写であるのだけれど、同時に背後に広がる現代日本社会の特質、「厳しい現実の姿」を浮かび上がらせている。「男たちが日本で居場所をなくした」のは、実は現代日本社会の最近の変質にあるのではないかという論点を浮かび上がらせ、問題提起している。こういうところに本書の特徴が表れている。真面目な説得力のあるドキュメントとなっている。

 「日本を捨てた男たち」の叙述は、効率化を極め到達した日本社会の希薄な人間関係、人々の連合体の「貧困さ」を炙りだすに至っている。それゆえあるべき社会としてもっと人々のつながりのある、対抗的な連合体を幾層にも作り上げた社会へと変わる必要があることを提示しているようにも見える。(文責:児玉繁信)

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山田風太郎 『戦中派 不戦日記』を読む [読んだ本の感想]

 山田風太郎 『戦中派 不戦日記』 を読む

 山田風太郎『戦中派不戦日記』は、1945年1月から敗戦をはさんで12月までの1年間の日記である。
 1985年8月に講談社文庫として発行されている。著者・山田風太郎は1922年に生まれ、すでに2001年7月79歳で亡くなっている。

 7月にある読書会で読む機会があった。盆休みに読み直してみた。

山田風太郎『戦中派 不戦日記』001.jpg

 叙述には、「ある特徴」があるし、「おもしろさ」、「魅力」がある。

 第一の魅力は、著者が戦中と敗戦直後人びとの暮らしを記録しようと心がけていることにある。日記のおもな内容は、戦時下と敗戦直後の人びとの暮らしであり、その時々の日本人の考えの率直な記録である。

 読者であるわれわれにとっては、戦中・敗戦直後の暮らしの実態はどんなであったか、当時の日本人が何を考えたか、考えなかったか、を認識することは、その時代を評価するうえで、まず重要である。

 勤労奉仕に行ったのであろう、「今の工場ことごとく七時乃至は七時半に作業を開始するに、区役所のみが八時半に始むること許さるべきや。」  「…空襲するB29が巨大な鰹節に見えたこと。 …黄燐弾、踏んでも踏んでも消えない、靴に火がうつる。 空襲警報の闇中につくった握飯が舌も曲がるほど塩からかったこと。 …落ちたB29から油を盗んだ話、落下傘で落ちてきた飛行兵一人を、集まってきた民衆が鳶口でたたき殺したこと、もう一人は何と女の兵隊だったこと。 …米軍の小型機が銃撃する、白いものを身につけている者はどこかに行ってくれ、という叫び声が聞こえたこと」など
・・・・・・・描写が生々しい。あげていくとキリがない。

 叙述を読めば直ちに判明するが、著者は、相当まめな人で、日々身の回りに起きたこと、考えたことをそのまま率直に日記に記録している。新聞なども丁寧に読み、戦況など世の中の移り変わりを丹念に記録している。そのうえで、自分で考え判断しようと努めている。

 とともに、文学などを中心に時間を見つけては本を読んでいる、膨大な読書量。フランス文学など古典が多い。当時の多くの学生のように、文学といえば万葉、思想といえば忠孝思想でアレンジされた日本的カント倫理哲学ではなく、当時としては広範で調和のとれた教養の持ち主のようである。万葉やカント倫理哲学を決して読んでいないわけではないが、日本主義などの一方的な影響からは比較的自由である。

 著者は医学生であり、軍隊に入ってはいない。好きな本を自由に買い求めるだけの財力を持っており、当時としては比較的恵まれた地位にいた。その幸運を最大限に利用し、勤勉に読書し、記録している。

 著者が「民衆の記録」を大変尊重していることは、叙述を読んでみれば容易にわかる。
 「民衆の記録」をどうして著者がそんなに大切だと考えたのか? その理由は、明確にはわからない。
 小説家というものは、人びとの生きた暮らしを大切に思うものなのかと考えたりもする。たぶんそんなには外れていないだろう。

 前書きに「戦国時代の支配者の記録ばかりではなく、民衆の記録が残っていればどんなによかったろう」と書いていることからも、「民衆の記録」を尊重していることがわかる。著者は、のちに「忍者武芸帳」、「くのいち忍法」などの小説を書いたが、「戦国時代の民衆の記録」が残っておれば、自身の小説が「より豊かな面白いものになったろうに!」と残念に思ったのではなかろうか。

 いずれにせよ、「民衆の記録」を尊重し叙述していることが、『戦中派不戦日記』を面白いもの、興味深いものにしている。

 「民衆の記録」とともに、日記には、日々の事件に対する作者の見解のようなものもまとめられている。たぶん著者は、事件の起きた二、三日後に自分の考えをまとめて書いたのであろう。そのような意味では、日記は決してその日のうちに書かれたものばかりではない。

 また、日記は後にいくらか手が加えられている、がしかし、そのことで価値が減じられることにはなっていない。
 例えて言えば、当時著者は、文語調で書いたに違いない。出版するに当たり、文語の一部を文中に残しながら、現代文に統一している。その意味では手が加えられている。また、当時は旧漢字が多用されているはずだが、全体的に当用漢字中心の表現に直されている。日々書き連ねる日記は、多くの場合、文体はばらばらになりがちだが、全体として少しの違和感も残らないようにキチンと統一されている。
 このようなところを見ると、出版するに当たり、書きかえられたり書き加えられたりしているのは確かであろうが、著者は時々の記録や考えをそのまま残そうとしていており、その意味ではいわゆる「変容」、「変質」は感じられない。
 この面でも、著者を信頼できるように思う。

 第二の魅力、「腹を立てて書いている」ところにある。

 著者が、「最近(1985年当時)」見かける当時の回顧や体験談には、「民衆すべての体験であって特別異常なものではないが、意識的な嘘や法螺や口ぬぐいや回想には免れがたい変質の傾向が甚だしい」、「むしろ終戦直後のものの方が、腹を立てて書いているだけにかえって真実の息吹きを伝えているものが多い」と述べている。

 すなわち著者は当初、日記など公表するつもりはなかった。しかし初版の出た1985年当時、戦中・敗戦直後についての世間に出まわっていた回顧や体験談には、「意識的な嘘や法螺や口ぬぐいや回想には免れがたい変質の傾向が甚だしい」と感じた。その批判のためにも「不戦日記」の出版が必要だと著者は判断したのである。

 ここには、戦中・敗戦時の回顧や体験談に対する著者の明確な不満と批判がある。「戦中・敗戦は、決してそんなんではなかった!」
 現在の必要に応じて過去を変容させてはならない、と主張しているのだ。

 別の面からいうと、当時の暮らしのなかで「腹を立てて書く」ことが真実を伝えるととらえている。悲しみや怒り、喜びと悲哀とともに書いた文章にこそ、すなわち生きた生活を通じた認識や叙述に、真実を多く伝える場合があるという著者の考えが提示されている。
 そんなことは、小説家・文学者にとっては当たり前のことかもしれない。決して小説家・文学者にとどまらない「視点」だとは思うが、著者の考え、というより気持に同意する。

 したがって、「不戦日記」の叙述のなかに、著者の「怒り」を読み取ることが大切である。そして、その「怒り」は著者個人のものではなくて、「全国民的」なものであった。当時の戦中・敗戦を生きた人びと、当時の日本人の心に沿ったものだということがさらに重要ではないか。

 「不戦日記」を読んで私たちは、当時の日本人が何を考えていたかをあらためて知る。「意識的な嘘や法螺・口ぬぐい、変質の傾向が甚だしい回想」が氾濫する現代日本において、眼をくらませられることのないように。

 著者は、いわゆる左翼でもない、右翼でもない、当時の日本人の一人であり、「民衆すべての体験」を記録したいと書く小説家の卵である。当時の日本人の生活感覚と認識が叙述に残っている。もっとも、「当時の生きた日本人の暮らし、考えかた」を残すというのも決して簡単なことではない。それなりの見識、視点が必要だ。

 「銭湯の湯はだんだん垢で汚れてしまったこと、脱衣場でメリヤスの新しいシャツを盗まれたり、新しい下駄は盗まれた、風呂には汚いシャツと欠けた下駄で行くようになった」、 「強制立ち退きした後にめぼしいものをいただく、爆撃された家々のものをいただく」という叙述も当時の状況をよく伝えている。すなわち、ある種のリアリズムではなかろうかと思う。

 「意識的な嘘や法螺・口ぬぐい、変質の傾向が甚だしい回想」による歴史の書き換えから免れるには、このような当時の人びとの暮らしぶりと考えの認識から、出発しなければならない。

 「ムッソリーニ、ミラノの叛乱軍のため殺害されたりと。何たる惨憺たる最期ぞや。 …全イタリー民衆より神のごとく崇められたる英雄伝中の典型、…今…犬のごとく殺害される。ペタン、またフランス新政府に捕縛せらる…」。  ドイツ降伏、「独、米英には全面降伏せるも、ソ連にはなお抵抗せんと欲するごとし。…外相声明 日独伊三国同盟に帝国は責任を有せず。…。外相、ソ連に秋波を送る。…そもそもソ連がかかる秋波に乗るものなりしや?」

 「民衆から神のごとく崇められたる英雄・ムッソリーニ、今…犬のごとく殺害された」と書いている。著者も、ムッソリーニを英雄として崇めた記憶があるのだろう。
 また、ドイツ降伏した後、帝国政府がこれまで「赤魔」と呼んできたソ連に秋波を送り、日米戦争の調停を頼もうとしたことに批判的な疑問を呈している。

 当時の日本人のなかには、イタリーやドイツ、ソ連の情報をきちんと調べ、過去に帝国政府が主張してきた理窟とあわないことについて、疑問と批判を提示している人は決して多くはないだろうけれども、著者は限られた情報のなかではあるものの、自分で考え判断しようと努めているのがよくわかる。

 第三の特徴は、当時の日本人の「欠陥」からも著者は自由でないことである。広い視野を持っているものの著者も軍国青年の一人ではある。

 中学時代の同級生・田熊と京都駅で偶然会う(1945年6月4日)。「二人で沖縄戦について悲憤する。もはや本土が戦場になることは避けがたい。しかし最期の一兵まで、国民の一人まで死物狂いに戦ったらきっと勝つ、というのが二人の結論だった。」

 戦争もそして自身の死も避けられない状況に追い込まれ、自身の意思で戦争遂行を決意した青年」、戦争に参加遂行しなければならない現実と自己の運命を、一体のものとして認識・表示している。
 他方、著者は「当大戦の真因」を自問自答し、「地球に人口が増えすぎたこと…」などと書いている。
 もしその理屈が正しければ、人口の多い国は周りの国々を侵略し支配する権利を有することになる。たとえば、現在で言えば、人口の多いインドや中国は日本を侵略する権利を有するということになろう。このような単純明白な間違いにさえ気がつかない、あるいは批判できない程の、愚かな姿を見せる。当時の日本人の「欠陥」をそのまま映し出している。

 「きけ!わだつみのこえ」の青年たちにみられる特徴を同じく持ち合わせている。当時の青年たちのたどらざるを得なかった運命に同情するとともに、同時にそこには、当時の青年を含む日本人全体の特徴であるところの、「社会的問題に対する無知、愚かさ」が垣間見えることも、同時に認めなければならない。この著者だけにとどまらない、善意であり誠実であるけれども、世代としての「無知」、「国民的無知」がそこに確かに存在する。

 まずはこのような「欠陥」を冷静に見つめ、認めるのが大事である。擯斥して済ませてはならない。ましてや逆に、「ほめそやしたり」、「美しい日本」として描き出してはならない。

 「欠陥」は個人的なものではない、世代全体のものである、国民的なものであることを認めたうえで、したがって、どうしてこのような認識に世代全体が陥ったのかが、次に明らかにされなければならない。当事者意識こそが歴史評価に接近するうえで重要なことなのだ。
 現代日本において必要なことでもある。
 当書は、その材料を提供している。(文責:児玉 繁信)

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リリー・フランキー「東京タワー」 [読んだ本の感想]

リリー・フランキー「東京タワー

0)はじめに
 本も売れ、TVドラマも放映されている。世間の流行に後れてはいかんと思い、リリー・フランキーの『東京タワー』を読んでみた。最近TVでよく見かける下膨れの顔のリリー・フランキー。

1)リリーの才能のタイプ
 予想を裏切り、なかなか楽しく読んだ。読みやすい文章だ。そしてこれはいわゆる私小説であろう。小さい頃の思い出からこの小説は始まる。自身の体験したであろうエピソードの描写が魅力的だし、巧みだ。
 しかし、各章の始めに二ページほどをとって、抽象的な教訓を導き出したり、わざとあいまいに、ある場合は「象徴主義的」に書いている文章がくっつけられている。少し気取って、あるいは「文学ふうに」書こうとしていて、作意が前にできて、途端につまらなくなる。というより、この作家の表現力の欠如を暴露してしまう。これなどはまったく余計なことだ。この二ページは、各章に規則的に並べられているから、作者は意図してやっているのだろう。作者は何かひどい考え違いをしている。

 この「考え違い」と魅力ある本文を対比してみると、次のようなことが言える。作者は、フィクションを書けないタイプの作家であろうと思う。物語を自身で作ることが、よりできないタイプであろう。自身のこと、経験したことは生き生きと描写できるが、体験していないことを描こうとすると途端におもしろくなくなるタイプの才能。もっとも決して非難しているのではないし、非難されるべき特徴でもない。作家には二種類ある。モデルがいなければ書けない作家とモデルがいなくても書ける作家である。

 この作者は自分にあったこと、考えたことを、つとめてそのまま書こうとこころがけている時、おもしろさを発揮する。

2)「東京タワー」は二つに分裂している
 子供の頃の風景として書き始められ、後は母親の看病記録に変わってしまった。「東京タワー」は作品の前後で分裂している。前半の調子でどうして押しきらなかったのか、押しきればよかったのに、作品として分裂や破綻を避けられたであろうと思う。テーマも文章の調子も分裂してしまっている。作者は、途中から自身が何を書いているのか、わからなくなったではないか。

 初めのうちは、かつて暮した周りの人々、筑豊や小倉、別府の人々との関係に愛着を持つ主人公の心情がつづられている。その愛着の内容に魅力がある。人々の関係の再現に魅力がある。
 ところがオカンが病気になってからは、文体、文章までも変わってしまう。対象はオカン一人になってしまい、テーマがいつの間にか変質している。「オカンとの日々」は作者にとって大切なのだという思いから、対象が時代と人間関係を超えた「オカンひとり」になった。時間の流れが一挙にゆっくりとなり、日々起きる出来事をもらさず書き記すことが目的であるかのように叙述が変わってしまった。それまでの何か乾いたところのある、ある種のユーモアのある文章なのだが、その調子が消え失せてしまい、文章のリズムと面白みも失われた。
 「自身の思い」と「描写」とが折り合いをつけることができずに、「思い」のほうが大きくなって、すべてを占領してしまい、作品のテーマと性質まで変えてしまっている。残念だと思う。こういうところはまずいところだし、完成度が低いところでもある。

3)この小説はなにを言っているか
 母子家庭のみじめさを感じさせないように、一所懸命大切に庇護してくれるオカン、食事と衣服は、自分のものは節約しても無理して買ってくれる。自転車も買ってくれた、別府の高校へ行きたいと言った時も、ムサビ(武蔵野美術大学)へ行きたいと言った時も、無理して行かせてくれた。ムサビはオカンの財産をはたいてしまうことになった。オカンの優しさを感じていたものの、ただオカンに庇護されるだけの子供であり、学生であり、そのまま大人であった。そこから抜け出ることが大人になりかけた頃の目標だった。
 今振り返って、それにあらためて気づき、オカンとの関係を大切に思うのだ。
 どうして大切に思うのだろうか。作者はすでに庇護される必要はなくなったし、作者の現在には、オカンのような一所懸命大切に庇護してくれる人間関係は存在していないからだ。ここが肝心のところだ。ある意味、現代日本社会に対するリリーの静かな批判なのだ。

筑豊と東京の対比
 それから筑豊の田舎と東京を対比している。「貧乏だったが豊かだった」という。東京は豊かだけれど汚れているという。本当にそうであるかは別にして、筑豊の田舎がひとつの幻想として、美しく、子供時代が輝いていたように思えるのだ。「この町は豊かな町ではなかったけれど、ケチ臭い人のいない町だった。」

小倉の街の描写
 小倉のばあちゃんちで夏休みを過ごす。空に突き刺さる煙突。新幹線の停まる大きな駅。ジェットコースターのある遊園地。立ち並ぶデパート。ネオンの眩しい歓楽街。すし詰めの路面電車。………昼過ぎにはばあちゃんが市場に買い物に行くのについて行く。………揚げ物屋で鶉の玉子の串揚げや肉屋のソーセージを買ってもらって食べるのが楽しみだった。………
 ばあちゃんは五十円くれることが多かったので、小倉の駄菓子屋はかなりお坊ちゃまな買い物ができる。
 ベビーコーラに串刺しのカステラ。グッピーラムネにチロルチョコ。ゴム人形に指でネバネバやると煙の出る魔法の薬。………クジ屋のババア。「当たり」や「一等」が入っていない。………そんなイカサマはババアの駄菓子屋に限らず、たこ焼き屋のたこ焼きにはたこでなく「ちくわのぶつ切り」が入っていたが、もうこの町ではそんなことを指摘する者はいなかった。………

 こういう風景の描写は、何を描いているのか?この風景を大切に思っている作者の心情がよく読みとれる。安物の駄菓子屋の想い出は、「安っぽい」ことに作者の非難は向いていない。「クジ屋のババア」の狡さに非難は向いていない。それよりも、同じような貧しいなかで日々の暮らしを送った人々であったというふうに描かれている。作者は、そんな人たちとの関係に、愛着と懐かしさを感じている。
 タコ焼きにタコの代わりにちくわが入っていても、この町では誰も非難しない。タコがなけりゃチクワで済ます、誰でもそれぞれ生活の上で実際やってきていることから、それもしようがないと誰も認める。ある種の生活の智恵であるし、こんなことくらい、いくつもいくつも受け入れなければ、生きていけない。子供の頃はいやだったが、そんなことを思い出すと、「貧しくても豊かだった」と、作者は現在から見て、思うのである。
 「貧しくても豊かだった」とはどういう意味か。必ずしも、正しく適切な表現ではない。実際そうであったかどうかは別にして、作者は当時の生活、人間関係のなかに人間的なものを感じ、現在の作者の生活、もしくは現代日本の生活のなかに非人間的なものを見ている。現代日本の人間との対比、そして現代日本の風潮への作者の批判がある。ただその批判は、現実的な基盤を見いだすことはできていない。

ボタ山に自分も埋もれるのではないかという恐怖感
 ボタ山に自分も埋もれるのではないかという恐怖感。確かにその通りだろう。作者の少年は確かに、この田舎には自分の未来はないと思った。
 「下らない差別に、世間の狭い大人たち、毎日毎日二四時間が、ここで費やされていくことに焦りと恐怖を感じていた。イギリスやアメリカの音楽のなかには、こんなチマチマした価値観を否定しているんじゃないか、………」と感じた。
 こういう感情は地方出身者の多くが持つものだろう。
 現在の作者には、すでにこの時の「焦りと恐怖」はない。なぜならば、田舎を抜け出し、幸運なことに東京で生活を確立しているからだ。しかも、オトンのような田舎の人間には理解できない種類の仕事で暮している。
 この作者が、あれほどボタ山に埋もれてしまうのではないかと思った強烈な恐怖感も、今では「懐かしい想い出のひとつ」として振り返ることができる立場にいる。
 そのことであれほど嫌っていた田舎やくすんでみえた友人、大人たちが、すべて美しかったとまではいかないが、「ある愛すべきもの」に転化していることを、作者は発見する。現代の彼が喪失している濃密な人間関係がそこに存在していると思えるからだ。ここにリリーの書きたいことがある。
 もっといえば、現代の作者を取り囲む「希薄な人間関係」に批判的なのだ。しかし、このことには特に触れられていない。  誰もが貧しかったし、洗練されていなかったし、みっともないこともたくさんありまた欠点も持つ人たちだが、率直に自分の愛情を投げつける密度の濃い人間関係は確かに存在したし、愛着を持つと、作者は読者に白状しているのである。そのことは、希薄な人間関係しか形成しえない、あるいは人間関係を物の関係に置き換えてしまう現代日本の社会関係への批判が作者のなかで澎湃として広がっているようであるのだ。ただ、それを回復するにはどうしたらいのか、必ずしも明確ではない。批判はあいまいなまま、宙に浮いている。

 完成度が低いとか、テーマが分裂しているとかは、いずれ修復可能だろう。その上で続けて言えば、リリーの批判や大切に思っていることは、確かに魅力的だし、リリーの観察した描写一つ一つに同意するのだが、しかし描き出しているものは、閉じられた世界のことのようであり、現代とのかかわりが薄くて、現代生活に対する意識的な批判として成立していない。だから何か生命力に乏しいというのが、最終的な不満として残ってしまうのだ。(文責:児玉 繁信)


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加藤 廣 「信長の棺」を評す [読んだ本の感想]

 加藤 廣 「信長の棺」を評す

 評判が高いそうなので読んでみることにした。面白いところもいくつかあるが、やはりこれまでの歴史物の限界を破ってはおらず、それほど優れた作品ではない。失望が残った。

 まず先に、いくつかの優れた点をあげてみよう。
 その第一は、叙述力が巧みなので、読者はつい引きこまれて読みすすめてしまうことである。この点には工夫があって、『信長公記』作者たる太田牛一を主人公とし、牛一の心情を通じて描写するスタイルをとっていることが成功をもたらしており、読者は牛一と共に、同時代人となって「本能寺の変」の真犯人を突きとめる追体験をするのである。作者の意図は、生きた人間のやり取り、闘いを通じて歴史を描き出そうとすることであり、この点ではうまく書かれている。秀吉像の描写などよく描かれており感心した。
 第二は、最近、歴史の事実調べが急速に進んでいるようで、この歴史研究の最新資料と評価をベースにして構成しなおしているところがこの作品の成果の一つであろう。
 それは「本能寺の変」の真犯人が誰かと問うものであり、作者は秀吉が大きく関与したという結論に基づき歴史評価を描き直そうとしている。この点も興味深い。ただし描き出された歴史評価は、欠点や無理も多く、これまでの評価を抜け出ているとは言えず、欠点をそのままくりかえしている。作品の大きな欠点、つまらなさにもつながっている。

 作品の欠点の第一は、「本能寺の変」の真犯人にのみ作者の興味が向いていることである。「本能寺の変」の真犯人をあきらかにすれば歴史評価が変わるとでも思っているのだろうか。犯人が誰であろうと歴史評価のすべてがそのままそっくりひっくり変わるものではないことを、作者が理解していない。即ち、歴史物の持つべき根本的な要素がなんであるかの認識が決定的に欠けている。

 具体的に例をあげよう。
 加藤廣の叙述には、信長が果たした歴史的役割についての評価が明確化されていない。秀吉とて信長の変革の延長上に自身の支配体制を作りあげたが、その基本的な評価がなされていない。信長は楽市楽座などにより商品経済の勃興とその社会的要求をとらえ、それに見合う社会関係の創出し、そして利用し、それまでの役に立たなくなった古い社会関係の破壊を実行した。この基本的な歴史の流れについて何等触れていない。
 加藤廣は秀吉の力の源泉を生野銀山と特定し説明しているが、それはあまりにも部分的で一面的である。秀吉は、戦闘は動員できる兵力・火力によって決まると心得ており、そのための兵站、土木工事を専門的に行う「機械化師団」を備えたより専業的専門的な近代的軍団を、誰よりも先駆けて形成した。「穴掘り」技術のための投資や経営的組織の確立を同時にすすめた。食料弾薬の調達から土木工事資材の調達、諜報活動まで全面的に行う資本主義的、「経営的」組織を形成しはじめていた点で遥かに優れた軍団を形成していた。秀吉が古参の部下を待たなかったことは、石高で示される地主としての地位をそもそも政治的出発から持っていなかった。それゆえ堺の商人らとも関係を持ち、彼らをも儲けさせ、自身の支持基盤とした。政治的代表者をもたない商業資本は信長や秀吉と密接な関係を結び、支持者にもなった。
 応仁の乱から関ケ原までの時期に、日本の農業生産は約二倍となり、余剰生産物は市場を求めて商品経済のより一層の拡大を要求し、資本も集中、集積した。この経済的拡大に呼応した新しい社会層、社会関係の要求を汲み取り、また利用し、信長や秀吉は支配力を獲得した。新しい社会変化を読み取っていたのである。かれらは新しい支配層として登場してきたのであり、彼らもまた農民を弾圧したのも歴史的事実である。

 商品経済、資本主義経済の勃興とこれを利用する新しい組織、社会関係の確立にこそ、信長や秀吉の時代に対する先進的な意味と功績があったのであり、力の源泉であったのだ。これをまずきちんと評価し描かなくてはならない。
 しかし、われわれが発見するのは「歴史は謀略で動く」という間違った観念にとらわれている作者・加藤廣である。このような歴史観にとらわれている限り、いかなる歴史的資料の新発見があろうと正しい歴史評価にはたどりつくことは到底できない。いかに大胆な仮説を提示しても、意義は大きく殺がれる。龍頭蛇尾に終わる。これは根本的な欠点である。

 他の例もあげてみよう。
 太田牛一が信長を慕っている理由の設定である。牛一は信長の文書掛りであったから各地の武将から戦闘記録が送られて来ていたが、当時の日本には各地各様の暦があり、そのすべてが不正確でかつ一致しておらず、実際に用をなさなかった。信長は宣教師たちから当時のグレゴリオ暦が優れていることを知り、朝廷などの旧勢力の反対をも押しのけて強引に導入した。この信長の先進性に心服したとされている。そのように設定しながらも、牛一(および作者)は信長の先進性の深い意味を理解していないし、時代の変化を見とおしているわけではない。牛一が信長を慕う理由がやはり明確に提示されていないし、安易にすませている。作者・加藤廣がなぜこのようなことに興味を示さないのか、不思議でならない。
 私が読む限り、太田著『信長公記』は歴史評価をなすにはほとんど不充分な歴史書であり、多くの箇所で俗物的な彼の評価があふれており、それらをえり分けながら読みすすめなければ読めるものではない。だから主人公にすえた作者の設定には少々無理があるかもしれない。まあ、でも作者・加藤廣には克服可能な立場にある。

 それ以上に不可解なのは、秀吉の野望の根拠である。加藤廣は確かに秀吉像を見事によく描いている。喜怒哀楽が激しく、人を引きつける「魅惑的な」人物の様が生きた姿でよく描かれている。この点は当小説の優れたところではないかと思う。
 しかし、秀吉が信長を倒そうという考えが芽生えるに至った根拠として、朝廷を尊重する秀吉が、信長を批判し離反していったと設定している。
 しかもそれを根拠づけるために、秀吉はもともと丹波に追われた藤原道隆(藤原道長に追われた道長の兄)の子孫であるとの俗説を採用して説明している。このようなものを秀吉なる人物の説明、描写として取り上げるこのセンスは、ひどく間違ったものである。これだけで歴史を描き出す資格を失うようなものだ。アホらしくて読み続けることができなくなる。
 権力獲得後、出自に負い目のある秀吉は、自身が高貴な血筋の出自であるといううわさを意図的に流した。秀吉の得意な「諜報」戦である。ただ、当時の誰もが笑って信用しなかった。そんなうわさを加藤廣は取り上げる。

 「本能寺の変」の真犯人をつきとめる上で、秀吉と牛一の根本的な対立、それを歴史を動かした要因として表現することが可能であったはずだが、そしてそこに歴史物の本当のおもしろさがあるのだと筆者は思っているが、加藤廣はそのようにはしなかった。加藤廣の設定は、歴史を矮小化し歴史のダイナミズム把握を勝手に放棄してしまっている。これは根本的な、どうしようもない欠点である。

 信長が朝廷を軽んじたことを作者は、秀吉と一緒になって、太田牛一と一緒になって、清如上人と一緒になってこれを非難している。これなども本当にばかばかしい。信長は確かに朝廷を軽んじた。しかし軽んじたのは信長ばかりではない。秀吉も家康、あるいは、ほとんどの大名が軽んじた。軽んじただけではなく、自身の勢力拡大に利用した。そのような簡単な歴史的事実を見逃してしまうほど、加藤廣の目は曇っている。歴史を自分勝手な「モラル」で裁断するほど、ばかばかしいことはない。

 丹波者がもともと諜報や穴掘りが得意なのではない。諜報や穴掘りの社会的・軍事的意義を認め、そのための活動に資本を投資し、近代的効率的組織を形成し、古い役に立たない組織・制度を取っ払い新しく創造したからこそ、彼らが力を発揮したのである。丹波者という先祖のつながり(?)がそれをなしたのではない。

 結論は下記の通り。叙述力で読者をわくわくさせるものの、これまでの歴史物の限界を破ってはおらず、むしろひどいもの。(文責:児玉 繁信) 
-------------------------
追記
 「秀吉の枷」が売れている。同じ話を秀吉の側から描いたもの。売れたものだから、ひとつのトリックで二つの小説を書いてしまう。「柳の下の二匹目のドジョウ」を狙った。
 しかし、結果は売れてしまった。「世の中なんて、甘いもの」と加藤廣が思ったか、思わなかったか。俗っぽい理解で「歴史」を再現する加藤なら、二匹目、三匹目のドジョウを狙うのであろう。


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小川洋子「博士の愛した数式」 を評す [読んだ本の感想]

小川洋子「博士の愛した数式」 を評す

 本書は、「認知症」問題を扱っているのだろうか?まずそのように思ったのだ。
 認知症は高齢化社会の現代日本にとって、緊喫の問題である。人道的・人間的に扱わなければならない。しかし、われわれの社会は本当に人道的・人間的に扱えるのか、という問いである。
 多くの高齢者が「周りの者に迷惑をかけないで死にたい」と「思っている」し、そのように発言している。現代日本は不安を抱えて老後を迎えなければならない社会なのだ。わたしたちの社会は認知症を、どのように受け入れていかなくてはならないのか。わたしたちの社会は、一人の人間として扱っていけるか、どのような社会であるべきか、である。介護は?その費用は?

 資本主義社会においては、主要な社会活動は資本の自己増殖サイクルのうえに成立している。資本を自己増殖させない社会活動(すなわち、率直に言って資本家を儲けさせない社会活動)は、そのままでは継続したりひろがったりすることは容易ではない。人道的・人間的に対処するとはまったく別の論理が、存在する。「人間としての尊厳」は、資本の自己増殖運動の論理の枠外にあり、ある場合はこれと相容れず、尊重されない事態が出来する。

 人間の尊厳の根拠を何にもとめたか?  さて作者・小川洋子は、どのように接近したか。まず「乱暴かつ安易に」も、「形象の設定」から「尊厳ある人間として扱え」と主張したのである。

 この小説の第一の特徴は、登場した博士の形象の特殊さ、突飛さにある。「数学という特別な才能」を持つ「博士」が設定される。博士の数学の才能は半端ではなく一流である。「奇をてらった」なのではないか?まずこう疑った。この点に限って言えば、そうではなかった。作者は「博士」なる人物を注意深くつくりあげているし、そのことに作者の主な努力は注がれている。

 読者は「博士」にある愛情を注ぐ。主人公「私」やルートと共に、あるいは導かれて。「博士」なる人物は、威厳のある人物、畏怖さえさせる才能を持つ人物。そのことで作者は、「認知症」におちいった人に対しても、「人間としての尊厳」を尊重し、人道的・人間的に接するように主張しているようである。このような設定にしなければ、「人間としての尊厳」は語れないものなのか?まずそのような疑問と軽い反発を覚える。

 「博士」の才能は、主人公の「私」だけが発見する。これまで家政婦協会から送り込まれた人たちは発見できなかったにもかかわれらず、主人公「私」は九人目にして初めて発見する。読者は当然、自身の感情を「私」のそれに重ねる。

 作品のほとんど終りのほうでは、設定は徐々に変化していく。博士の才能も衰えていく。博士の八〇分記憶能力が徐々に衰えて短くなり、博士の才能は徐々に破壊されていく。その様も小説では描写されている。しかし、「私」と「ルート」の博士に対する心情は少しも変化せず、一〇歳のルートが二二歳になり「博士」が亡くなるまで続く。「私」と「ルート」にとって、博士の人間としての尊厳は永遠に尊重されたままで終わる。博士と彼の「数学の才能」は消えても「博士の愛した数式」は「私」と「ルート」に残る、読者にも残る。博士と互いに交わした心情とともに残る。博士の才能は破壊され、博士自身も破壊していったにもかかわらず、「私」と「ルート」には、博士を尊敬し尊重した心情はこれからもずっと残る。これは著者・小川の描きたかったことなのだろう。
 私は作者のこの心情におおむね同意する。
 でも、疑問は残る。作者のこの心情は、このような特別な設定にしなければ語り得ないものなのか?と。

 博士は確かに興味深い人物である。作者の構想も苦心も工夫もこの一点にかかっている。すなわち博士をどのようにして魅力的な人物に描き出すか、である。
 これは成功しているだろうか?
 いくらか、成功している。なぜならば、「博士」の描写は小説のおもしろさを構成しているし、読者は興味深く読み進めることができる。確かに興味深い人物ではある。どんな人物で、どんな生活をしているのだろうか、われわれの興味はそそられる。描かれている数字や数学をはさんだエピソードは巧みに描かれている。作者がもっとも苦労したところであろう。
 ただ、わたしは数について作者が工夫を重ねた説明は、工夫の割には生きていないと思う。あらかじめオチが準備された完結した小話になってしまい、生きて発展するところがない。これは作者の才能の質、そして欠陥とも関係するのだと思うが、作者の作り出した形象やエピソードは、固定的で生きて変化していくところ、発展していくところがない。数学の小話もそれ自体は完結していて、説明されると面白いのだが、一瞬であって、広がりがない。現実生活との関係、発展がない。こういうふうな観念的なところ、理念から叙述をつくり出してしまって、それで済ませてしまうところは、この作家の良くないところだ。何か勘違いをしている。あるいは、この作家の才能の質を表現している。よくない、貧しい「質」である。

 いくつかの不満も残る。
 数学に特別の才能を持った人物を設定すれば、「尊厳ある人間」として描き出すのは、やや容易である、あるいは読者を「畏怖」させる。小川はあきらかにこの効果を狙っている。これは「安易なやり方」ではないのか?さて、そもそも「人間としての尊厳」は、果たして何から発生するのだろうか?このように問われたとき、この小説は力がないことを暴露してしまう。

 そのことは作者も無意識に感じていて、「博士」に人間的魅力を与えようとした描写を追加している。作者はどうやろうとしたか?
 博士も「ルート」も、阪神タイガースと江夏豊のファンであり、ファンとしての心の交流を通じて、かつまた博士の「ルートを含む子供への愛情」を示す事件を通じて、博士の人間的魅力を表現しようとした。
 これは成功しているか?  あまり成功していない。作者の力のなさを象徴的にあぶりだしている。博士の人間的魅力を表現しようとして持ち出すのが、阪神タイガースと江夏豊のファンだというエピソード。この作家は、人間的交流がどのようなものか、知らないのか?人として本当に交流した経験がないではないのか?世の中に野球ファンが多いことに乗じて、読者ってのは「こんなものだろう」と見定めて、叙述を観念的にひねり出しすませている。作者の観念のなかでのこさえ物で済ませている。この作家のダメなところだ。現実の観察が決定的に足りない。あるいは、作家としての才能に乏しい。

 小説の欠点は下記のところにも現われていると思う。

 まず、認知症、あるいは当小説のような事故や病気による脳の破壊、若年性認知症の問題は果たして小説に描かれているような「スマート」なものだろうか、という疑問である。もっとどん詰まりの、あるいは悲惨な家族の負担、困難をもたらすのが実情であろう。
 人は苦しむ、なぜこうかと苦しむ、自分だけが苦しまなければならないのかと苦しむ。しかし、同時に人は苦しめば苦しむほど、知性的になるのだ(花田清輝)。自身苦しみを、時代の苦しみとしてとらえ、この批判と克服を構想するのだ。そうして人類は「類的性質」を発揮するのだ。というふ風に、作者はとらえるべきであった。    「同時代の苦しみ」にことさら踏み込んでいないように見える。  その現われと言っていいかも知れないのだが、小説が記憶が消える博士=認知症患者に接する「私」から描かれている点である。確かに接する「私」の心情は描かれている。しかし、もっと興味深く、かつまた描くべきなのは博士の心情の描写ではなかろうか?
 博士の心情は、「私」や「ルート」との交流のなかで断片的に知ることはできる。しかし、本当のところこの博士本人は、どのような苦しみを持っていたのだろうか?そして何を思い日々行動し生活し、どのような喜びを持つのだろうか?この根本的な問題はまだ十分には描ききれていないと思う。 まあでも、これらはより小さな不満であって、作者を非難するまでには及ばない。

 「ルート」なる子供を登場させ、博士との関係、交流を描いているが、この「ルート」は、作者の観念的な「つくりもの」であろう。観察と描写が何よりも必要なところで、これをやらずごまかすため子供にした。「中性的な」男の子供にした。こんな子供はいない。女の作家・小川には「男の子供」に対する幻想がある。宮部みゆきなどもよくやる手だ。こういう逃げをやってはならない。
 子供向けの童話を描きたいという人がよくあるが、これは何か勘違いしていると思う。大人向けに描けない者が、子供向けに描けるはずはない。子供向けなら誤魔化してもいいと考えているからそんなことがいえるのだ。これと似ている。「ルート」は作者の分身である。自分の考えたこと、感じたことを、つくりものの男の子の気持として語らせてすましている。ここでも観察不足を露呈している。

 次にあげることなども作者の生きた描写が少ないことの一例である。「私」の一〇歳の息子に博士が名前をつけてくれる。「君はルートだよ。どんな数字でも嫌がらず自分の中にかくまってやる、実に寛大な記号、ルート」。これが博士の言葉として紹介される。また完全数28の説明もそうだ。どれも説明された時点で話がすでに完結している。  それぞれ形象が設定され、命が吹き込まれ、生きて動き出し描写が生きて発展するところがない。これも観察や描写から描くというより、先に理念から叙述するこの作者の傾向が影響しているのだろうと思う。最近の若手芸人の芸のように、5秒に一回笑わせるため、頭にオチをもってくるようなものだ。小説家としては致命的な欠点である。
 しかも先述のように作者の理念によって作られた人物やエピソードが、作者の閉じた認識によって作られており、現実から乖離してしまうのだ。それだから、描かれた世界がチャチなものにしかならないのだ。

 作者は博士と「私」、「ルート」間の人間的交流、心情を描き出したかったのだろう。それを作者は阪神タイガースと江夏豊を通じて描こうとする。これは本物か。あまり本物ではない。えらいこと水で薄まっている。
 この作者は、本当の人間的交流を持ったことがないのではないのか?阪神タイガースと江夏豊も作者の観念によるこさえ物ではないか?こんな描写を重ねるところは、作家としての根本的な欠陥である。

 上記の通りいろいろあるが、結論は次の通り。私は作者の描き出したかった心情におおむね同意する。しかし描き出されている世界が小さくチャチなことに不満を持つ。(文責:児玉 繁信) 


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バチェラー八重子『若きウタリに』を読む [読んだ本の感想]

バチェラー八重子『若きウタリに』を読む

バチェラー八重子

 コートをしまいこもうとしたら、岩波現代文庫、バチェラー八重子『若きウタリに』が出てきた。確か昨冬、買い求めた。「セメント樽の中の手紙」みたい。
 バチェラー八重子『若きウタリに』は一九三一年刊行されたもの。二〇〇三年十二月岩波現代文庫で復刊。
 そのなかのいくつかの歌を拾ってみる。

有珠湾に まれに訪ひ来る 雁の群 足もぬらさで 去るぞ悲しき愛でらるる 子より憎まるる 子は育つ などてウタリの 子は育たぬぞ
適度なる 野心家であれ ウタリの子等 欲の無い者 間抜けて見ゆる
死人さへ 名は生きて在る ウタリの子に 誰がつけし名ぞ 亡の子とは
黒けれど 侮りますな あの烏 自由に高く 飛びめぐるなり
石のごと 無言の中に 力あれ ふまるるほどに 放て光を
亡びゆき 一人となるも ウタリ子よ こころ落とさで 生きて戦へ
悪人が 父の残せる 家破壊し とく去りゆけと せまりたる日
砂原に 赤く咲きたる ハマナスの 花にも似たる ウタリが娘
オイナカムイ アイヌラックル よく聞かれよ ウタリの数は 少なくなれり
   ※「オイナカムイ アイヌラックル」:アイヌ信仰や神話にある天降つた神、人間の祖神として
     崇敬する神格、「神でありながら、吾々人間のやうだつた人 」

 『若きウタリに』ついて、一九三五年に中野重治が評を書き、本書にも載録されている。中野評「控え帳三」は、本書では『わが読書案内』(一九五五年)に収められたときのタイトル「『若きウタリ』について」とされている。

 八重子は、日本語で、そして短歌形式で書いた。彼女にとっては「異民族」の言語である日本語、「異民族」の文化形式である「短歌」で表現するしかなかった。強制されて、あるいは日本人側から言えば「恩恵」を受けて。当時はこのような形しか受け入れられなかった。中野によれば、異民族風のこの表現手段を突き破っているものが詩としてすぐれている、という。
 中野は留置所で、直前に読んだ八重子の歌を思いだし、「(八重子の中には)熱い鞭のようなものがあった」、あるいは彼女の声には、「抑えつけられたもの反逆の疼きが響いている」と評した。中野が当時の置かれていた状況から批判として立ち上がる彼の問題意識を、八重子の歌のなかに重ねて見出している。それが中野の評に緊張感をあたえ、適確なものにしている。『若きウタリに』のなかに「パルチザンの歌」の芽を、民族の「抵抗文学」の要素を見出した。

 編集者・村井紀は、この文庫の丁寧に解説を書いていて、多くを教えられるが、いくつか気になることもある。歌人・バチェラー八重子の「歌」が、中野に「パルチザンの歌」と定義されたことによって、その後「文学から消去」される一因になり、アイヌ歌人はすべからく「抵抗詩人」という言説の一端を形成したと、中野に対する非難めいたことを述べている。「消去した者」、「形成し排除した者」を批判するのが正当な批判であろうから、そもそも方向が間違っているだろう。不可思議なことを書くものだ。この点は奇妙かつ乱暴な論であり賛成できない。

追記
 八重子は、「幸運にして」、イギリス人宣教師バチェラー夫婦の養子になり、当時の高等教育を受けることができた。もちろん、日本人としての教育である。  また、バチェラー夫妻にともなって、イギリスを訪問したこともある。当時としては珍しい経験をした。英国の図書館で男女が一緒に調べものをする姿を目にし、彼女の「憧れ」を歌に詠んでいる。このような経験や教育を受ける機会を持ったアイヌの人は当時としてはきわめて「まれ」であったろう。
 しかし、それは別の面から言えば、体のいい「人買い」であった。バチェラー夫妻は八重子を引き取り、布教活動の手伝いをさせたのである。八重子の意思によるものではない。
 アイヌとして生まれた八重子は、アイヌ人として育てられはしなかった。その八重子がアイヌの人たちのことを思うのである。
 中野重治が指摘するとおり、短歌というきわめて日本的な文学形式をとって、八重子は表現している、当時の八重子には、日本語による短歌しか許されなかったといっていい。と同時に、八重子はすでに短歌という形でしか表現できなくなっていた。彼女の受けた教育と日本人的生活が、「もはやアイヌでない中間的な」八重子をつくりあげていた。そのことを八重子自身、よく知っていた。  写真にもある通り、日本髪を結っている。アイヌの女は断髪である。  
 このことに八重子は、何か贖罪であるかのような感情を持った。アイヌとして生まれながら自身がすでにアイヌでない悲しみ、アイヌの人たちからひとり離れて安定した生活を送ることへの批判、「罪」と感じるような感情、これらを終生持ち続けている。八重子の歌の底には、アイヌとして生まれながら、もはやアイヌとはいえない八重子の悲しみの心情が流れている。この「悲しみの心情」こそ、彼女のヒューマンな欲求、批判を生み出しているものだ。
 これらが彼女の歌を豊かな魅力あるものにしている。(文責:児玉 繁信) 


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