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マラヤロラズの声明 [フィリピン元「慰安婦」]

 フィリピンの戦時性暴力被害者団体の一つ、マラヤ・ロラズが声明を出しました。以下、紹介します。
080814 マラヤロラズの集会 左から ロラリタ、ロラキナン、ロラピラール.jpg

 「慰安婦」問題に対する米国、カナダ、オランダ尚殿各国からの非難決議が相次いでいます。民間による「アジア女性基金」では解決しないことは明らかになりました。日本政府が正式に謝罪し補償する以外にありません。
 しかし、日本政府はこれまで公式に謝罪し補償する態度をとっていません。各国被害者からの裁判に対しても、日本の司法は「当時国家賠償の法がなかった、時効である」ことをもって退けています。
 したがって、被害者に謝罪し補償する新たな立法による以外に解決する方法はありません。
 これまで参議院において、民主党・共産党・社民党三党によって被害者に謝罪し補償する新立法の共同提案が何度かされてきましたが、廃案になっています。
この新法案では、謝罪・補償対象として「慰安婦」を「一定期間拘束され性暴力被害を受けた者」と規定しています。マラヤ・ロラズに結集する被害者は、日本軍の作戦中にマパニケ村や接収し駐屯していた地主の屋敷「バハイナプラ」(赤い家)で、1944年11月23日、被害を受けました。慰安所ではありませんし、被害はこの一日です。マラヤ・ロラズは、法案に記載されている「慰安婦」の規定に入らない恐れがあることを指摘し、自分たちも謝罪と補償の対象とされるべきであると主張しています。これが声明の主な内容です。
 このような声明、主張は当然であると判断し、ここに紹介します。


日本の国会議員の皆さまへの声明
フィリピン・パンパンガ州カンダバ町マパニケ村における旧日本軍による集団レイプの被害者について

 私たちは「マラヤ・ロラズ(Malaya Lolas)」のメンバーです。「マラヤ・ロラズ」は、フィリピン・パンパンガ州カンダバ町マパニケ村において、旧日本帝国陸軍の兵士たちにより集団レイプ被害を受けた生存者たちの組織です。私たちの痛ましいできごと、集団レイプは、1944年11月23日、起こりました。日本軍により完全に計画的になされた私たちの村への攻撃のなかで起きたのです。

 現在、私たち被害者61名は高齢で病気がちです、すでに約100人の仲間たちは他界しています。私たちは人生のたそがれを迎えており、正義を与えられないままこの世を去ることは、私たちにとって耐え難い苦痛です。

 日本政府が歴史的責任を取ること、「慰安婦」制度について戦争犯罪として公式に謝罪すること、日本の歴史教科書でこのことについて言及すること、そして被害者たちに賠償することを求めるといった内容を持つ法案を、幾人かの国会議員の皆さまが何度も提出してくださっていることを私たちはすでに知っています。

 日本の国会で立法案が通過していないことを遺憾に思います。とともに、その法案に私たちの被害例は含まれてはいないことを重ねて遺憾に思います。

 私たちの被害事例が、日本の「慰安婦」の定義から除外されていることを私たちは知っています。「慰安婦」とはどういうものかを定義する日本の歴史的、社会的状況について、私たちは議論することができません。しかし私たちは国会議員の皆さまに申し上げたいのです。日本兵が私たちを慰安所に連れて行かなかったからといって、私たちの苦しみは決して軽んじられるべきものではありません。

 私たちは言葉にできないほどおぞましく恐ろしい経験をしました。日本の兵士が私たちをレイプする前に、彼らがどのように私たちの父、祖父、おじ、兄弟たちを捕まえ、拷問を加えたのか目撃しました。私たちの親戚の男性たちが日本兵にどのように殴りつけられたか、また彼らが蟻に刺されるようにするためにどのように柱や木々に縛りつけられたか、その後、どのように彼らは男性器を切断され、自分たちの口に詰め込まれていったか、 私たちはすべて目撃しました。私たちの家や財産が焼かれていく光景や、私たちの親戚たちの死体や骨が焼かれる匂いも決して忘れることができません。日本兵たちは、私たちの財産を奪い、それらを私たち自身に彼らの駐屯地まで運ばせました。そして私たちの何人かは他の人たちが見ている前で、レイプされました。しかもそのレイプは何度も何度も続きました。

 当時、起きたことをさらに説明するために、2000年12月に開かれた女性国際戦犯法廷の判決文の一部を次に添付しておきます。

 「慰安婦」として認定されている女性たちと同様に、私たちは正義の名のもとに扱われるべき存在であると信じております。

 したがって、この問題に関心を持つ国会議員の皆さまが、旧日本帝国軍による性暴力のすべての被害者に対して正義を与えるという法律を制定してくださいますよう、私たちは切に願っております。

マラヤロラズ

代理者を通じて

2008年7月15日


添付資料

2000年12月、女性国際戦犯法廷の判決文の一部

日本帝国陸軍兵士によるフィリピンの女性たちに対する犯罪についての女性国際戦犯法廷の所見

 “証拠によると、1944年11月23日に日本兵がマパニケ村を強襲し、同村に砲撃を加え、家々を略奪して放火し、また、男性たちを人前で拷問して殺しながら、完全破壊作戦の一部としておよそ100人の女性を組織的にレイプしたことは明らかである。また、証拠によると、日本軍はマパニケ村に対して計画的な懲罰および征服作戦として村の少女や女性たちに対する性暴力を作戦に組み入れたのである。兵士たちは若い女性や10代の少女を見つけ次第、レイプした。より年老いた女性たちも多くが同様にレイプされた。

 “証言した女性たちに対するレイプは、男性を女性と分けて、男性たちをまず拷問して殺し、女性たちに荷物を持たせて「赤い家」に連行し、そこでレイプして彼女たちを放棄したという作戦のパターンを踏襲している。多くの女性は「赤い家」に向かう途中や自分たちの家の中でレイプされている。おおくの場合、犯罪者たちによって輪姦されたり、他の女性たちの眼前で長時間にわたってレイプされてもいる。この犯罪パターンはレイプが作戦もしくは計画の一部であることを示している。また、攻撃者はそこで階級性を示しており、軍幹部は家屋を使ってレイプする一方、一般兵士たちは周りのテントの周辺で女性たちをレイプしており、これなども組織的にレイプしたことの証拠となる。

 “レイプは広範囲に組織的に行われ、武装紛争中に民間人に対して加えられた。訴状にある第3訴因に挙がっている行為は、レイプの人道に対する罪を構成する法的要因を満足するものである。よって当法廷はマパニケ村におけるレイプは人道に対する罪を構成するとの所見にいたった。

 “最後に当該ケースにおける具体的事実と法律に照らして、当裁判官は、これは一般起訴にあるもののようには告発されていないものの、マパニケ村の女性たちを繰り返しレイプする目的のために「赤い家」で女性たちを監禁したことはいくつかのケースで性奴隷とみなせる。日本兵は駐屯地として使用していた敷地内や部屋で彼女たちを監禁した。また、彼らはある女性を2日間にわたって監禁している。多くの女性たちが何度もレイプされ、いつ再びレイプさるのか、いつ自由の身になるのかわからなかった。当法廷に提出された性奴隷被害に関する証言は、フィリピンにおける性奴隷のための施設は、当時、大抵が軍の駐屯地であり、兵士たちがしばしば、軍事作戦の最中に、女性や少女をレイプ目的で誘拐したこと、を明らかにしている。これらの事実は、「慰安所」のような公式な施設以外でのレイプや性奴隷も、日本軍の作戦のよく知られた一部であったことを呈示している。事実、日本の政府や軍部によって制度化されたレイプや性奴隷の公式なシステムが、慰安所以外で犯されたレイプや性奴隷を暗黙のうちに承認していたといえる。

- 日本軍による性奴隷に関する女性国際戦犯法廷、判決文、オランダ・ハーグ、2001年12月4日、665-668.ページ


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