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神風記念碑にトレーラーが突っ込む [神風特攻隊]


フィリピン・パンパンガ州マパラガットの神風記念碑にトレーラーが突っ込む

故意か?事故か?

8月14日、パンパンガ州マパラガットの神風記念碑を訪れたところ、大きなトレーラートラックがコンクリート製鳥居にぶつかっていました。管理人に聞くとわたしたちが到着するわずか5分ほど前にぶつかったとのことでした。

道路を隔てた向かいにトレーラートラックが数台駐車した駐車場があり、駐車場からまっすぐ突っ込んだようです。ドライバーはすでにその場にはいませんでした。故意か?事故か?ドライバーに確認したいものです。

前輪はまっすぐ向いていて、ドライバーがハンドルを切った形跡は見られませんでした。コンクリート製鳥居にはひびが入っていました。

残念ながら、鳥居は倒れてはいません。
なぜもっとアクセルを踏まなかったのか、なぜ倒してしまわなかったのか、残念です。
まあ少し痛快でもありましたが。
そもそも鳥居を建てたり、旭日旗のレリーフと作ったりしていること、碑文からしても、侵略戦争をなんら反省せず、肯定しようという意図がありありです。品がありません。

今年も11月25日に式典があるようで、日本からも遺族会などが来るのでしょう。
徳田虎雄議員が毎年来ているようです。

特攻の戦功を称えることは、日本の侵略戦争を肯定することです。
特攻碑は特攻隊員の戦果を過大に記し、戦功を称えています。マパラガットに来て式典を行うことは、追悼するのではありません。


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神風特攻隊 関のために [神風特攻隊]

フィリピンのパンパンガ州マパラガットの神風記念碑

記念碑には、最初の神風特別攻撃隊である敷島隊の関行男大尉、中野盤雄一飛曹、谷暢夫一飛曹、永峰肇飛長及び大黒繁男上飛の名とその戦功が記されている。関行男はもともと艦上爆撃機乗りで、「艦爆に乗せてもらえるなら特攻などせずとも自分は敵艦を沈めてみせる」と最後まで言っていた。関は決して進んで神風特別攻撃隊で飛んでいったわけではない。
戦果も記念碑には米空母セント・ロー撃沈と書いてあるが、セント・ローは小型の護衛空母であり、通常の航空母艦空母ではない。しかも「成功裡に終わった」と記している。こういうところは読む者が勝手に誤解しやすいように、話を大きく書いてある。
「陸軍参謀本部」が、わざわざ「陸軍」をとって、「参謀本部」と自称したのと同じだ。
記念碑の碑文の文章は、この日本軍の体質と同じ考え方、尊大というか、口先だけで責任を負わない「参謀本部」の伝統を引き継いだ人物が書いていることがわかる。

碑文:「関機が先ず最初に米空母セント・ローに体当たりした。同艦は炎上、20分後に沈没した。他の隊員も全員体当たりを果たし、米空母カリニン・ベイ、キトカン・ベイ、サンガモン、サンティー、スワニー及びホワイト・プレーを大破あるいは中破させ、米軍に多大の損害を与えた。成功裡に終わった・・・」

神風特別攻撃隊などというのは、戦略戦術的に見てはるかに劣勢の側の捨て鉢の戦法であり、戦法といえるものでさえない。日本軍上層の無能ぶりを示すものだ。それをごまかすために、多大な戦果を挙げたと言わなければならなかった。
関はこのとき二四歳、他の四名は二〇歳前後の若者であった。彼らの死は悔やまれなくてはならない。しかし称えられるものではない。


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フィリピンに神風記念碑 [神風特攻隊]


神風記念碑の前で

 2005年4月3日、ピースサイクルでパンパンガ州マバラカットを訪れた時、最近、神風特攻隊の戦功を称賛する碑が建てられていました。特攻隊員の像とともに背景には軍国主義の象徴である旭日旗とフィリピン国旗のレリーフが配置され、公園の入り口にはコンクリート製鳥居までありました。神風特攻隊の戦果も過大に記されていました。
 マパラガット飛行場跡は劣勢なレイテ戦のさなか、1944年10月25日、神風特別攻撃隊が初めて飛び立った地です。関行男大尉以下5名と、特攻隊の起案者である大西瀧治郎海軍中将の名前が刻まれていました。
 フィリピン現地では侵略日本軍の戦功を称えるような碑を誰が立てたのか問題になっていました。インクワイヤラ紙記者から直接ただされました。
 最初の神風特攻隊とその戦功を過大に称賛する文章です。戦中において、神風特攻隊の戦功を多大に宣伝することで、その後の多数の特攻隊が組織されたのであり、戦争を継続し長引かせ、多大な犠牲者と被害をもたらしました。
 犠牲者と被害をもたらした最大の責任は、敗勢がすでに明らかであったにもかかわらず国体護持=天皇制支配体制護持に固執し、戦争を早期に終結させなかった天皇ヒロヒトと日本政府、日本軍指導部にあります。碑文にある大西瀧治郎海軍中将は特攻隊の起案者でありその直接の実行者です。碑には彼ら責任者に対する追及はありません。このことに碑の性格が如実に現れています。
 彼らの責任を追及することなくして犠牲者と被害を追悼することはできませんし、現在と未来の確かな平和もありません。特攻隊員はいわば日本敗戦を長引かせる目的のために利用された無益な死ですので彼らも犠牲者であるとともに、彼らはフィリピンの地に侵略に来た軍隊の一員でした。特攻隊員の死を悔いることはあっても、決して称えるべきものではありません。
 このような碑を日本軍侵略の地であるフィリピンに建てることは、フィリピン人民を愚弄するものであるとともに、侵略の歴史とその責任者たる日本天皇と日本軍支配層の責任を現代においてなおあいまいにするものです。
 


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