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「即位の礼・大嘗祭と信教の自由――真宗者の立場より」菅原龍憲さん [靖国、愛国心、教育、天皇制]

菅原龍憲さんの講演

「即位の礼・大嘗祭と信教の自由――真宗者の立場より」
19年12月12日(木)


――当メモは、参加した筆者が菅原さんのお話をうかがい理解したかぎりでまとめました。また聞き漏らしたと思われるところを当日配布された資料の一部も引用し補充しました。理解が及ばず間違いもあるかもしれません。それらを含めて文責は筆者にあります。――
      
菅原龍憲さん、山陰教区、蔵坊前住職 
 1940年生まれ、父親が戦歿者、真宗遺族会代表、1985年の中曽根首相の靖国神社への公式参拝に抗議し原告に加わり裁判を始めた。小泉首相靖国参拝違憲アジア訴訟団原告代表でもある。

1)天皇代替わりの儀式、大嘗祭とその意味 

 19年秋、愛知トリエンナーレでもめていた最中に愛知の市民団体から呼ばれ、天皇制について話をした。私の前の回に天野恵一さんが講演され、右翼が押しかけて騒然となった。最近思うのは、天皇制の問題を語り合うのが難しい時代になったということだ。

 私は1940年生まれであり、この年は皇紀2600年と言われた。もともと皇紀など誰も知らなかったのだが、天皇制政府がにわかに持ち出し、天皇のお祭り、国家的なお祭り行事を行った。

 当時、中国との戦争が膠着してなかなか終わらず、国民のあいだでは厭戦気分が蔓延していた。ちょうどその時、天皇制政府は皇紀のお祭りをした。古色蒼然・荒唐無稽だと冷静に考えれば誰でも思うだろうが、当時の国民は政府のつくり出した熱狂的な雰囲気に圧倒され飲み込まれ、一挙に国民の心情は天皇へと統合された。政党は大政翼賛会に組織統合され、1941年太平洋戦争開戦へと進んだ。天皇のお祭りには上記の通り、レッキとした政治的、イデオロギー的意味と役割がある。支配者の望む戦争体制をつくりあげたのだ。天皇による祭祀が果たした役割、その結果日本政府・日本軍がどのような歴史をつくり出し、日本国民はどのような道をたどったか、きちんと認識しておかなくてはならない。

 そんなことを顧みながら、今回行われた大嘗祭の意味を併せて考えるべきなのだと思う。支配の側から国民の精神を統合していくことは、国家による国民支配をとても有効なものにする。「天皇による祭祀や天皇の行為、祈り、天皇存在そのもの」それらの機能は、「幻想の喚起による国民の心情の統合を促す」ところにある。一見、荒唐無稽と思われたものが、実は政府による支配、天皇による支配にいかに有効だったか、このことを私たちはしっかりと心に留めておかなくてはならない。

2)天皇の行う祭祀の役割 

 この秋に、徳仁新天皇が伊勢神宮に参拝したことについて、旧暦でいえば11月20日ころまでが「神無月」だから、伊勢神宮の神・アマテラスは出雲に行っていて不在ではないか? そんな伊勢神宮に参拝するのはおかしかろう? と伊勢神宮に問うたところ、「神には天津神(あまつかみ)、国津神(くにつかみ)があって、アマテラスは天津神であり、神無月でも出雲に行きません」と言われた。
 神話の解釈もすでに都合よく改変されている。

※註:天津神と国津神:
 日本書紀などによれば、天津神(アマツカミ)とは高天原(タカマガハラ)にいる神々、または高天原から天降った神々の総称、アマテラスやニニギなど。国津神(クニツカミ)とは、地に現れた神々の総称。高天原から天降ったスサノオや、その子孫である大国主(オオクニヌシ)など、天孫降臨以前からこの国土を治めていたとされる土着の神(地神)が国津神とされている。
 日本神話においては、国津神である大国主命(オオクニヌシ)が、ニニギを筆頭とする天津神に国土(葦原中国)の移譲したことが「国譲り」として描かれている。アマテラスなどを祖先とする有力な氏族が支配・征服者となる過程で天津神となり、平定された出雲などの地域の有力者や人々が信仰していた神が国津神になったものと考えられる。
*****

 伊勢神宮で年に30回ほどの行事がある。考えてみれば、皇室は年中祭祀礼をやっている。その費用は、公の宮廷費(公の費用)、内廷費(天皇家の費用)と分けてはいるものの、どちらも税金であって国費から支出されている。

 天皇代替わりの儀式、一連の行事があり、総仕上げとして11月14日の大嘗祭があった。
 大嘗祭では、三種の神器を引き継ぐ「剣儀等承継の儀」を行った。三種の神器は連続性の装置だ。所有者が変わろうが「神器」は連続するので、支配が連続しているように見える。神器を引き継いで所有するがゆえに、皇位を引き継ぎ正統・神聖であるかのように見せる。「アマテラスの霊が歴代天皇に憑依し連続する」というストーリーを表現する「道具」なのだ。

3)国体―「三種の神器」が天皇の神聖性・宗教性を示す

 「三種の神器」の承継の儀が、即位式のなかで最重要だとしている。それはどうしてか?

 「三種の神器」こそが国体の象徴だからだ。それは天皇の「神聖性」「宗教性」を証するものであり、天皇制が「万世一系」で揺るぎないこと、天皇制支配の連続性・持続性を主張しているからだ。

 昭和天皇は独白録のなかで、1945年8月に戦争を終結した理由として、「三種の神器が奪われる、だから講和した」と述べている。「米軍が伊勢湾に上陸すれば、伊勢熱田神宮は直ちに敵の制圧下に入り、神器の移動の余裕はなく、その確保の見込みも立たない。これでは国体の維持は難しい。故にこの際、私の一身は犠牲にしても講和をせねばならないと思った」(昭和天皇独白録1945年8月)。

 木戸幸一日記によれば、広島への原爆投下を聞いた時、最初に裕仁が発した言葉は、広島の被害についてではなく、「三種の神器を避難しなければならない」だった。

 京都で、白井聡さんを招いて念仏者9条の会で講演会を持ったことがある。白井さんは「菊より星条旗、天皇は力を失っており、国体は米国支配に変わっている」と述べた。

 私は、この点には納得できない。天皇制は終わっていない、連続している、国体は変わっていないと思う。「国体」は、戦後もなお「天皇」であると私は考えている。そのことを示すのが、「三種の神器」である。天皇が天皇たるものとして支配を受け継いで来たというレッキとした歴史の事実があり、いまも生きているからだ。「三種の神器」は連続した支配を象徴している。

4)徳仁天皇「即位儀式・大嘗祭など」違憲訴訟を提訴 

 19年12月10日、即位儀式、大嘗祭などの代替わりの一連の儀式を国費で賄うことは違憲行為だとして、全国の市民、宗教者ら241人が、国を相手取り公金支出差し止めと損害賠償を求める訴訟を東京地裁に提訴した。しかし、地方裁判所ではなかなか受け付けないし、口頭弁論もなかなかさせない。

 30年前の明仁天皇の大嘗祭の際には、全国から1700人の原告が集まり、勢いがあった。昭和天皇の場合は、戦争と結びついていたし戦争責任問題があったので、1700人が原告となり提訴した。今回の原告は241人だった。明仁天皇が「親しみ深い」、「国民の信頼が高い」と言われていることと関係しているのだろう。

 前回の明仁天皇の「即位・大嘗祭違憲訴訟」に対する1995年3月の大阪高裁判決は、「大嘗祭は神道儀式の性格を有することは明白」として、目的が宗教的意義を持つことを認め、「少なくとも国家神道に対する助長、促進になるような行為として、政教分離規定に違犯するものではないかという疑義は一概に否定できない」と指摘した。私たち原告は敗訴したが、このような内容を含む高裁判決はすでに確定している。

5)国を救済するために最高裁が存在している 

 私たちは靖国訴訟を闘っているが、なかなかいい判決は出てこない。最高裁ですべて覆されてしまう。最高裁長官は形式上であっても天皇が承認するシステムになっている。

 最高裁がひっくり返し、国を救っている。国を救済するために最高裁が存在していることを、私たちは知らなくてはならない。

 靖国訴訟で高裁は、憲法違反の判決を下した。実際のところ、戦死者名簿は厚生省が握っている。軍人会、遺族会に靖国神社に祭ってくれと請願させ、厚生省から地方自治体へ調査を通達し名簿を作成している。逃亡者、投降者は祭られない、地方自治体で調べなおして、厚生省へ送る。厚生省は合祀基準をつくり合祀手順まで作成した。実際には厚生省=国がすべて行っていることだ。

 高裁はそのことをとらえ国の憲法違反という判決を下した。ただ判決内容は、「国は憲法違反したが、靖国神社は祭る自由があるのだから合祀取り消しの理由はない」だった。合祀の手順・基準は違法だが、靖国神社の自主性だという理屈をつくり出して、国を救った。「靖国神社に信教の自由があるので祭っても問題ない」と述べ、ひるがえって国の責任も問わなかった。

 常識からいえば、国が憲法違反したら、それに従って行ったことはすべて違法だが、判決はそれをすり抜ける判決を出した。
 司法はすでに「人権の砦」の立場を放棄している。国家を守る、政権を守る役割を果たしている。
 
6)民草に恩恵を施す 

 明仁天皇は、災害地を訪問しているが、「民草に恩恵を施す」という帝王学に基づいて行っているにすぎない。ひざを折って言葉を交わす、民に恩恵を施すのが帝王学であり、天皇への「信頼」を勝ち取る重要な要件なのだ。必ずしも明仁天皇に限ったことではない。

 ただ、民と天皇の「交流」ではないことはよくわきまえておかなくてはならない。天皇から民に声をかけることはできても、民から質問はできない。

 ある種の新たな「神格化」である。「好感と信頼が持てる」と勝手に国民が思うのだが、そういう形を通じて権威をつくりあげている。その結果、天皇の赴くところには異常な事態が起きる。

 私の住んでいる近くの三瓶山で植樹祭があり、そこに明仁天皇が来た。道路には1mごとに警察官が配備され、そのために全国から警察官が動員された。天皇の行事を遂行する場合は、超法規的であって戒厳令のような国家による動員体制が敷かれる。どのような法的根拠、基準があるのか不明だ。植樹祭の前に、住民の特別戸口調査を行った。精神病者はいないか、犯罪歴のある者はいないか、リストアップして「監視をつける」、「排除する」ことが公然と行われた。天皇の側から警護について、それをするな云々とは、一度も言及したことはない。こういうところ、天皇制の実像は戦前といささかも変わることがない。

 本質的には「仁慈と暴力」という問題ではないかと思う。
 昭和天皇と沖縄のことを考えたら、問題は明確になる。アジア太平洋戦争末期に沖縄は捨てられた。そればかりでない。1947年9月17日、昭和天皇は天皇制を守るために米軍は沖縄にいてもらいたいと申し入れた「沖縄メッセージ」を宮内省御用掛・寺崎英成を通じて密かに米政府に送り、沖縄を二度捨てた。そのため昭和天皇は沖縄に行っていない、行くことができなかったのだと私は思う。棄民した人たちに恩恵である「ねぎらいのお言葉」を施すことはできなかったのだろう。

 「民草に恩恵を施す」という帝王学に関連して、西光万吉(1895-1970)さんの話がある。西光万吉さんは水平社宣言を起草した一人。永六輔(1933-2016年)さんが西光さんと会った時(1968年頃)、水平社宣言の最後の文言に触れ西光さんが語った言葉を、永さんが書き留めている。

<水平社宣言の最後の部分
・・・・・祖先を辱しめ、人間(じんかん)を冒涜してはならぬ。そうして人の世の冷たさが、何(ど)んなに冷たいか、人間を勦(いた)はる事が何んであるかをよく知つてゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃するものである。
 水平社はかくして生まれた。 
 人の世に熱あれ、人間(じんかん)に光あれ。

大正十一年三月   水平社   1922年3月3日、京都市・岡崎公会堂にて宣言


 「人間(にんげん)」ではなく「じんかん」と読むと西光万吉さんは言われたと永さんは記す。人と人との関係を冒瀆してはならないという意味だそうだ。また水平社宣言の前の草意書?に「人間は勦はる(いたわる)ものではない、尊敬するものだ」と表現しているという。「労(いたわ)る」「勦(いた)はる」――上位にある者が下位にあるものを「いたわる」という意味だ。したがって、我々が考えている「いたわる」とは意味が違う。「勦はる」=殺すという意味もある。

 天皇の「いたわる」は、まさしくこの意味だ。上位にある者から下位の者=民草に恩恵を施すことだ。

 天皇の「希望します」とよく言う、「希望いたします」とは決して言わない、敬語だから天皇は使わない。天皇・皇后の「誠実さ」であると国民の側が勝手に誤解し、その誤解の上に立って腐敗した政府・政権のなかにあって天皇・皇后を一服の清涼剤、「聖なるもの」であるかのように受け取る傾向がある。これは私たちが天皇制を誤解する道、もしくは誤解につながる道だととらえなければならない。

 森達也さんという方がいて、天皇制に批判的なことも時に言う人だが、明仁天皇を「誠実な人」だとと発言されたので、そのような言い方は少しおかしいのではと問いかけたことがある。

 天皇制という枠組みがあるなかで、その人の人格に言及することがどれほどの意味があるのか? と私は考えている。あるいは、天皇制という枠組みを問わないでおいて、天皇家の人々の個々の人権を取り上げることは間違いだと考えている。「天皇制という国家機構のなかに組み込まれている民主主義の否定の意味」を、「天皇個人における民主主義否定、人権喪失」という限界内でしか対象としえない、認識しえない、考え及ばないということであろう。

7) 象徴天皇制は天皇制の最高形態 

 権力による支配・統治の装置として「天皇は国家の最高祭祀である」、象徴こそが天皇制の本質ではないかと私は考えている。権威の象徴である天皇と政治をつかさどる権力の二重システムはわが国に連綿と受け継がれてきた権力構造である。

 天皇の宗教性、神聖性が権力の側にとってどれほど重要かを明らかにしなければならない。

 天皇の本質は、よく言われるような「元首化」ではない。自民党憲法改正案には「元首化」がうたわれているが、私は天皇の本質は「元首化」ではないと考えている。

 天皇を元首とすべきだという主張は実際のところほとんど存在しない。元首であったのは、明治から敗戦までという近代天皇制の前半の時代くらいであって、多くは「君臨すれども統治せず」だった。

 先ほども指摘したが、天皇は祭祀権を持っている。年中、祭祀漬けだし、伊勢神宮の頂点に立つのは今でも天皇だ。敗戦と新憲法、象徴天皇制への転換によって、明治憲法で規定されていた三権のうち政治的統治権、軍事的統帥権を失い、天皇には宗教的祭祀権だけが残った。しかし、そもそも祭祀権だけを持つ時代が大半だった、「天皇は象徴だった」と言い方をしてもいい。大半の時代はそうだったといえる。象徴天皇制になったからといって、生まれ変わったとか、戦前とは違うとかと言って、批判せずに受け入れてしまう傾向があるが、これがよくない。

8)政治が天皇を利用しているのではない 

 憲法20条は天皇を規定するためにできていると考えている。
 秋篠宮が「祭祀は内廷費で行うべき」と発言した。秋篠宮が発言すること自体が問題であり、その発言をもとに憲法学者や知識人が賛成したり云々すること自体がさらに大きな問題である。

 「政治が天皇を利用している」という人がいる。権力の構造がわかっていないのではないかと思う。権力と天皇は一体化している。権力が天皇を神聖化している。権力は、神聖性という背景がなければ立ち行かないことを知らなくてはならない。

 「日本会議」を支配しているのは右翼でありカルトであるが、問題は神社本庁だ。国家に認定されている宗教である、それが怖い。

 このように考えるなら天皇制は権力そのものであるから、「天皇制を政治利用する」という言い方は正確ではない。天皇制そのものに問題がある。「天皇制を利用したと批判する場合、天皇制そのものへの批判が欠如している」ということが生じると思われる。

9)国家の宗教性―天皇の宗教性・神聖性は権力にとって極めて重要 

子安宣邦:『戦う国は祭る国
国家への忠誠心を収斂させ、国家を国民の新たな信仰共同体たらしめるような宗教性により、国家それ自体が国民の犠牲を期待しうるような聖なる存在にならなねばならない

 権力は国民に犠牲を求めるのだが、一方的な抑圧政策だけを出すわけではない。犠牲を強いられても仕方がないというイデオロギーをつくりだし、支配されている人が支配されているという感じを持たないようにする。そのための天皇の神聖性である。

 戦前のわが国の軍隊は「国軍」ではなく「皇軍」であった。天皇の神聖化が国の隅々まで広がり、天皇の統率する軍隊ゆえに「皇軍」(すめらみいくさ)と呼ばれた。天皇の行う戦争は「聖戦」となり、戦死者は「英霊」となり「軍神」となった。「聖戦」の「英霊」が「侵略戦争の戦死者であるはずはない」という理屈だ。あるいは、「英霊」にしてしまえば、「軍神」にしてしまえば、「戦争責任」を追及されることもない。戦争責任回避の理屈が組み込まれている。
 あれだけ巨大な犠牲を内外に強いて戦後なお、日本人の精神風土は微塵も揺るがなかった理由だ。

 犠牲になった遺族たちが靖国神社の白州にひれ伏して天皇を迎えた。遺族にとっての理不尽な死と天皇制とはなかなか相容れるものではないが、補完する制度もある。軍人恩給、遺族年金は、本来は本質的な意味は保障、賠償である。しかし遺族たちは褒章として受け取る。褒章をもらった遺族が持ち帰って地域で見せびらかせる。うちの人は国のためによく働いたと周りに訴える。遺族たちが仮に貧困におちいり差別的な扱いをされるようなことがあったとしても、遺族は天皇との関係、靖国との関係を意識し生きることができる。
 
 沖縄戦で犠牲になった2歳の子供が、「準戦闘員であり、日本軍に壕に譲った」という合祀基準によって靖国に「英霊」として祭られている。実際には、壕に避難していた住民を日本軍が追い出し自分たちが入ったのだ。「英霊」として「慰霊」することで、加害も被害も不問にする意味がある。

 「慰霊」が天皇による祭祀として行われる。「終戦記念日」での戦死者への慰霊を、広島・長崎・沖縄・東京の犠牲者たちの「慰霊」を唱える。「多くの犠牲の上に築かれた平和」であると語り、加害と被害を不問にし、戦争責任を追及しない。昭和天皇自身の責任も不問とし、そこから反転し日本人全体に責任があるかのように論点が移動させ、結局、誰も責任を負わない無責任体制を波及させている。
 天皇による「慰霊」は無責任体制をつくり出しているのだ。

 原発の災害地を訪問し犠牲者の冥福を住民とともに祈ることで、加害と被害の枠組みを雲散霧消させ、政府や東京電力の責任を免責することにもつながっている。

 神聖性という基準で犠牲者をほめたたえていく状況をつくりあげて、抵抗が起きないようにする。背景に神々の世界を置くことでこれを実行する。憲法20条の根っこにこのような考え方がある。たしかに抑圧感を感じさせないために権力は宗教を利用しているのである。このことに気づかなければならない。

10)親鸞聖人と神祇 

 天皇の問題は、親鸞聖人ご自身が抱えてきた。親鸞聖人は、法然聖人流罪、4人の聖人を死罪にしたことを激しく批判し、公文書で怒りの言葉を述べている。

 親鸞聖人の教えは、神々の支配のもとに除災招福を求めていた人間から、神々を恐れず祈らない人間へと転回することを教え、人間の尊厳を回復するものである。







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日本会議もカルト団体、9条教もカルト団体。
どっちも存在価値なし。
by お名前(必須) (2020-05-22 20:51) 

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