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雅子妃の治療には? [女系天皇制を論ず]

 雅子妃の治療には?

 12月9日雅子妃の45歳の誕生日に際し、東宮職医師団が発表した見解を報じている。(共同通信)

1)東宮職医師団の見解は下記の内容である

① 病名は、慢性の「適応障害」。
② 2005年12月にくらべて、病状は緩やかではあるが回復に向かっている。
③ 原因は受けたストレスが大きかったことによる。ストレス因子の内容についての言及は控える。
④ 治療はストレスを軽減することであり、長い時間がかかる。具体的には、愛子内親王の養育や、ライフワークになるような活動を持ち広げていくことが必要。
⑤ 自身、病気治療についてしっかり認識し、東宮職医師団の治療方針に則って努力している。
⑥ 精神疾患の治療では温かい人間的な環境が不可欠である。マスコミの事実に反する憶測記事や中傷記事の掲載が変わらず続いており、病気治療に好ましくない影響を与える。温かいご理解をお願いしたい。

 2)病状が徐々に回復

 何にしろ、病状が回復に向かっているのは喜ばしいことには違いないが、言葉通りそのままには受け取れない。報道を見る限り、雅子妃自身、また東宮職医師団は病状の性格をよく理解し、治療に努めているらしいのがわかる。マスコミの憶測記事が悪影響を与えることを心配している。
 「ストレス因子の内容についての言及は控える」という表現で、東宮職医師団は「精一杯」、表現しているように見える。
 ただ、根本的なストレス因子(=妃であること)を除くことなく、治療は可能なのか、という疑問がどうしても残る。できはしない。
 
3)ストレス因子の内容

 問題は、この先雅子妃が現在の環境でライフワークを持ち活動を行い続けることができるかである。人は社会関係の総体であり、したがって社会活動することで自己を実現して行く。空疎な内容のない社会関係と社会的活動しか持たなければ、その人が「壊れて」しまうことがある。
 例えるなら、「穴掘りをし、そののち穴を埋める」、すなわち何の意義も感じられないようなライフワークでは、ライフワークたりえないし、その人が「壊れて」しまうことがある。

 外務省の職員から皇室に入り環境が激変したとともに、自身の果たすべき仕事・役割を見出せないことにから、ストレスが発生している。このようなことは医者でなくとも誰でも容易にわかる。これまでの「キャリア」は一切考慮されず(逆に考慮されて「皇室外交」などやられては余計困るが)、柳沢元厚生労働相の発言した言葉通り、ただ男子を「産む機械」としての役割を果たすことだけを「期待・要求」されてきた。

 さて、現環境、現天皇制のもとでこれを変えることができるか、できないか。できはしないだろう。
 天皇制という制度は、「男子を産む」役割以外に、雅子妃に要求しない。このような要求に対する「適応障害」なのである。「ストレス因子の内容」が何かは、明らかだ。

 4)治療は

 生活環境を変えなければ治癒は難しいと思われる。そのなかで夫婦仲がよさそうらしいのは、いいことだ。
 天皇制を止めてしまうのが一番いいとわたしなどは思うのだが、すぐにできないとすれば、生活環境を変えるために、すなわち皇室から離れるために、離婚が一つの現実的な選択肢としてあるのではないか。現在の天皇制のもとでも手続き上、決して不可能なことではないのではない。はなから不可能と決めつけることではないのではないか。

 (あるいは、皇太子も含めて夫婦で皇籍離脱も考えられる。こちらのほうはより困難ではあろうが、これとてもできなくはないのではないか。)

追記
 実際に、ダイアナ妃は離婚しているし、取り立てて問題はない。皇太子の皇籍離脱も、論理上決して不可能ではない。
 もちろん、これは小さなことだ。ひとりの病人の病状回復にとっていい、という観点から言っている。それだけのことだ。

女系天皇制論はどうして出てきたか? [女系天皇制を論ず]

女系天皇制論はどうして出てきたか?

日本政府および日本支配層にとって、天皇制を現実的に存続させようとすれば、現条件下であれば「女系天皇制」への移行しか現実的道はないからだ。

現行の天皇制では、長系の男子が途絶えてしまうのは、統計学的、生物学的な観点に立っても明白。
天皇制125代のうち皇后から生まれているのは53代のみであって、残りのほとんどはすべて庶系。すなわち皇后でない、妃、ヒン、女御、中宮、典侍、局などのいわば「側室」から生まれている。したがって、長系の男子が相続する現天皇制は、いまのまままであれば統計学的、生物学的にいってもはや存続できない事態に直面しているのだ。

天皇制のいう万世一系とは、先祖代々、女という女を使って男子が生まれるまでやってきたことで成り立ってきた。逆に言えば、「側室制度」なしに万世一系は成り立たなかった。したがって、万世一系はそれほど「誇るべき」歴史ではない。天皇制を存続するに当たり、さすがに現代においては「側室制度」復活を主張できないのだ。

現在は3宮家のみしか存在しない。昭和天皇の弟である秩父宮、高松宮はすでに絶えている。常陸宮も絶えるのは確実。残るは、秋篠宮、三笠宮と高円宮だけだが、男児はおらず女児ばかりである。

これ以外に天皇制を存続させる方法としては、敗戦後廃止した旧11宮家復活が言われているが、旧宮家は600年以上前に天皇家から分かれた「血筋」であり、35親等以上はなれていて、ほとんどまったく他人だ。しかも愛子の婿として考えると適切な男子が見当たらないし、さらにどのように選んでいいかも非常に難しい。歴史の教えるところによれば、天皇家内の殺し合いも含む権力争いで決着がついたろうが、現代においてそれを繰り返すわけにもいかない。

したがって、天皇制存続を前提にすれば、誰が考えても「女系天皇制」への移行しか現実的道はないのは、日本政府、日本支配層としては明白なのだが、事態は簡単に進まなかった。右翼的評論家は「女系天皇制」反対キャンペーンを張り、影響を確保しようとした。右翼の論理は、既存のある主張に対し激しい主張を対置し、だんだんエスカレートすることで自身の影響力を保持して行くというもの。そんな行動論理を歴史的に形成してきた。今回もそのスタイルを踏襲した。反対を強く言えば、それに引きずられる構造になっているのだ。右翼評論家の論評依頼も来るし、仕事も増える。
そして秋篠宮妃紀子の妊娠が明らかになったことで、政府は女系天皇制の法案提出を一旦おろすことになった。「女系天皇制への移行以外は今しかできないと判断し提案したのに、好き勝手批判しやがって、あほらしくてやってられない」と小泉が言ったかどうか知らないが、まあそんな心境だろう。

女系天皇制の議論は急速におさまってしまった。男系天皇制と女系天皇制の間には、そもそも本質的には深刻な対立はないのである。政治的にはどちらでもほとんど違いはない。「女系天皇制のほうがよりましなので支持する」などという主張は、実にこっけいなものだ。

女系天皇制への皇室典範改訂をめぐり騒いでいるが、憲法第一条を問題にもしない現在の風潮がこのような「牧歌的な」議論を許しているのだ。


皇族の身のふり方 [女系天皇制を論ず]

皇族の身のふり方

靖国神社・遊就館を見学したとき、満州国皇帝・愛新覚羅溥儀の写真が展示されていました。
満州国は中国では「偽満州国」と呼ばれています。日本帝国の傀儡政権であったという歴史評価は確定しています。
愛新覚羅溥儀は、中国革命のあと北京動物園の飼育係として後の半生を過ごしました。文化革命時に苦難の時期もすごしました。
この溥儀の後半生は、日本の皇太子と皇族の身のふり方の一例を示しています。中国では皇帝を廃絶してなんら深刻な問題にはなっていません。他の国でも同じような例はいくつもあります。
歴史の清算を考えるとき、天皇制を維持する銭金の問題を考えるとき、あるべき解決の一つはすでに提起されていると思うのです。


雅子妃のうつ病の究極の治療法 [女系天皇制を論ず]

雅子妃のうつ病の究極の治療法

雅子妃のうつ病はよくなりつつあり、様子をみながらそろそろ「公務」に復帰を検討したいと伝えている。
そもそもうつ病の原因はそれまでのキャリヤや知識を生かす仕事を持たず、自分を発揮する仕事を持つことができず、他方皇族としての生活や仕事にストレスがあったからであると新聞は伝えている。
いろいろ大変なのだろう。
そんななかでも夫婦仲はよさそうで、その点は安心できるようだ。

さて、「公務」とは何か?
実は絶対に欠かせない「公務」は、ある一つのこと以外はすべて代替が利く。養護施設を訪問したり、国体に出席したり、宮廷の行事に参加したり、よく知らないが多くの「公務」はあるのだろうが、これらすべては「代理」で間に合うし、欠席してもなんら支障はない。
唯一つだけ間に合わないのは、あるいは究極の「公務」は、現天皇制のもとでは男子を産むことである。彼女にとってそれ以外に欠くことのできない「公務」は存在しない。宮内庁はこれを求めている。

このように言えば、非人間的に聞こえるだろう。「非人間的なことを言うな!」と批判されそうである。そうだ、そのとおりまさに非人間的な扱われ方そのものである。

どうしてそのようになるのだろうか?
天皇制そのものが非人間的な制度であることからきているに他ならない。そこに究極の原因がある。


小説『むらぎも』の一節 [女系天皇制を論ず]

小説『むらぎも』の一節

「片口はおそろしく皇族連に同情的なんだナ…」
……
……ためらつている安吉へおつかぶせて平井は歩きながら続けた。
「皇族つてものは、それ自身で、皇族であることですでに侮蔑さるべきものなんだよ。根本的に侮蔑さるべきものなんだ。よしんば彼らに、何か同情したくなるような点が仮にあつてもだ。それは、その基本的侮蔑に結びつけてだけ問題たりうるんだよ。その同情は、基本的侮蔑の派生的部分でありうるにすぎんのだ。いいか。今の摂政は母親から生まれているネ。」
平井が何を問おうとするのか安吉にはわからなかつた。
「つまり彼は、正当の母親から、つまり正式に皇后の腹からその子として生まれているんだ。だけどネ。父親のほうは、つまり天皇のほうはネ、明治天皇の皇后の腹からは生まれていないんだよ。その明治天皇はネ、孝明天皇の皇后の腹からは生まれていないんだよ。そしてその孝明天皇は、仁孝天皇の皇后の腹からは生まれていないんだよ。その仁孝天皇は、光格天皇の皇后の腹からは生まれていないんだよ。その光格天皇は、後桃園天皇……だけど君、暦朝天皇の名、知つてるか。」
「知らないよ、はじめのほうなら知っているナ。ジンムー、スイゼー、アンネー、イートク、コーショー、コーアン、コーゲン……」
「馬鹿だなア。存在しなかったんじやないか、そんなもの……とにかくネ、今の摂政はネ、あれはとにかく正式の母親だよ。あれはおれとおないどしで、おれは特別にちやんと知っているんだ。だけどネ、今上天皇から先は、おやじも、じいさんも、ひいじいさんも……」と、何か個人的な原因でもあるかのような憎さげな調子で平井は続けた。平生口べたな平井だけに、いつそう憎々しく、溜めておいたのが走り出してくるような模様でそれが安吉にふりかかつてくる。「ほとんど全部全部、めかけ腹なんだよ。ヒだとか、ヒンだとか、ニヨウゴだとか、チュウグウだとか、テンジだとか、ツボネだとか……そんなの一体あるかい! 天皇が親で、人民が子で、両者統一の原理が家族主義だつちゆう本家本元が――(その『ちゆう』というのさえわざとのように、わざと卑しくひびかそうとしているように安吉には聞こえた。)――先祖代々めかけ腹だなんてことがあつていいのかネ。おれのおやじはネ、その点で苦しんだことがあるらしいんだよ。いや、歴代のことじやなくて、おやじ自身の結婚生活のことだ。そりや、ま、いいか。とにかくだ。日本の百姓は、先祖代々めかけ腹でやつてきたなんてものは一人もいやしないよ。片口……」といつて、何か激してきたらしく立ちどまりそうになったがまた歩きだして平井は続けた、「上層の町人なんかはまた別だつたかも知れんけれど、日本のすべての百姓は、世取り息子がないときには婿養子をしてやつてきたよ。男も女もいないときには夫婦養子をしてやつてきたよ。嫡系の男子を獲るためにというただそれだけのことで、女という女を使つて、男の子が生まれるまでやってきたなんて……それも先祖代々だ。そんなの、百姓のなかには、絶対いやしないよ。今日の労働者階級がそうだ。それでもどうしても跡取りがないときには、彼らは大名とはちがつた意味で家を断絶させてきたんだ。家名断絶なんていうじやなくて、そつと、『家』を一つ消して自分も消えてつたんだよ。……

中野重治の小説『むらぎも』の一部分。『むらぎも』は1954年に発表された。主人公安吉とその友人の平井は東京帝国大学の学生で、二人とも新人会会員である。1926年ころのある学生の会話として描かれている。したがって文中にある「摂政」とは後の昭和天皇のことである。
中野重治は「著者うしろ書」で「わたしはここで、大学生活のなかで新人会から与えられたものを書こうとした。……」と書いている。


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