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マイナス金利の意味は? [2008-9世界経済恐慌]

マイナス金利の意味は?

1)波乱のスタート

 2016年は年初より、株式市場は波乱のスタートである。2015年8月の急落に続く大きなショックだ。今年に入って世界の株式時価総額は8兆ドルくらい減った。リーマン・ショックが起こった08年9月でも5兆ドルくらいだった。当時以上の株価下落が発生している。
 2015年末には、「新年は株価が順調に上昇する」との見方が支配的だった。新聞各紙の掲げた経営者の年頭の見通しを見れば明らかだ。しかし、その予想はいきなり外れた。プロの経営者の見通しは外れた。株価はいきなりの下落で始まった。しかもその後、乱高下が止まらない。
 株価下落の原因は、世界経済が変曲点を迎えたからである。2008サブプライム恐慌以降、大量の金融緩和により新興国を中心に世界経済は緩やかに上昇してきたが、大量の緩和はバブルを形成し、その破綻の局面を迎えている。日本だけ見れば、ゼロ成長であった分だけ、すなわち国内投資がきわめて低調であっただけ、日本経済はバブルに至っておらず、相対的に見れば健全である。しかし、日本経済はあくまで世界経済の一部であり、その結びつきはこれまで以上に一体化している。世界経済の変曲点は、日本経済をも支配する。

2)現局面に、どのようにして到達したのか?

 2009年以降、サブプライム恐慌からの回復過程における量的緩和の規模は極めて大きかった。資本主義は恐慌とバブルを繰り返しているが、恐慌からの脱出は必ず恐慌の規模以上の金融緩和によってなされる、すなわちより大きな恐慌を準備することによって恐慌から脱出しようとする。
 現在の金融混乱は、中国経済の減速、原油安が引き金になっている。大規模な金融緩和によって大量に余った資金は、中国経済の成長をあてにして大規模に投資された。2011年ころにはすでに減速しつつあったにも関わらず、あふれる資金は原油や資源開発に投資された。シェールオイル開発を加速させ、さらに多くの資金がつぎ込まれた。その結果、資源バブルがはじけたのは、実需の後退し始めた2011年ではなく、2015年8月であった。
 原油価格が急降下した。実際の原油需要は低下していたにも関わらず、4年間にわたって資金は開発投資され続けた。これを「バブル」という。これが資本主義である。
 バブルははじけて初めてバブルとなる。はじけないうちは投資しない資本は利益を上げる機会を失う。だから、はじけるまで誰もが競って投資する。そうして、爆発力を大きくした後ではじける。資本主義はこの資本主義的過剰生産恐慌から逃れることができないし、解決する力を持たない。あとから、「あれはバブルだった」、「資産を持たない者にサブプライムローンを組むのはおかしい」と誰もが指摘し批判する。しかし、事前に指摘し、投資行動をやめる者は一人としていない。「サブプライムローン」はあれほど批判されたたが、現在は、住宅ではなく車向けにすでに復活している。
 
 その結果が、原油価格の30ドルへの低下である。「原油価格の下落」という道筋を通って、金融危機が生まれかねない情勢となった。
 原油価格の下落は、産油国の政府財政を一挙に悪化させた。そのため、サウジアラビア通貨庁、カタール、クウエートなどの湾岸諸国が蓄積したオイルマネーを、世界株式市場、債券市場に投資してきたが、これを大量に一挙に引き上げ、政府赤字を補填している。そのことで、株価は乱高下し、金融市場は動揺している。オイルマネーが金融市場から引き上げるという「流れ」は、原油価格が上昇しない限り、続きそうだ。
 オイルマネーの動きを見て、あらゆる投資家のあいだで、運用リスクを避けるため投資の引き揚げ、手控えが広がった。これが「世界経済の減速化」をもたらした。

 原油価格の低下は、米国シェールオイル資本を直撃している。全体で100兆円規模とされる開発資金の大半は高利で調達しており、ハイイールド債などとして世界中の投資信託に組み入れられすでに世界中で販売されている。「サブプライムローン」と同じ仕組みだ。原油価格の下落により、シェールオイル資本が破綻すれば、大量の不良債権が生まれる。

 大量の緩和マネーが世界市場にあふれかえっており、何かのきっかけで過剰生産恐慌を引き起こす。どのような道筋を通って起きるか特定できないが、いくつもの可能性が横たわっている。「中国経済の減速」や「原油安」は、世界経済減速(=資本主義的過剰生産恐慌)の「原因」ではなく、あくまで一つのきっかけ、道筋に過ぎない。一つのきっかけを取り除いたら、別のきっかけが現れるだろう。小さな破綻が引き金となり、一斉に資金を引き揚げる事態に陥りかねない。2016年初から、世界の金融市場は、破綻の切迫に怯えている。

3)日銀のマイナス金利

 日銀の取るべき手段が、その選択肢が、いよいよなくなってきたということだ。
 市場が不安定になっている。しかし、中央銀行によって、これを押しとどめることができない局面に入っている。

 「今回の危機を回避するには、中国の減速や新興国の債務問題、とりわけ民間企業の債務問題の解決に目途がつけば」と言われ、また、「低水準な原油価格が上昇すれば危機は回避できる」といわれる。
 表面上の経済指標を追っかけていれば、そのような「希望的観測」が生まれるのは、いつものことだ。
 確かに、原油価格が上昇すれば、原油価格下落で破産する企業がなくなり、貸し付けている資金は不良債権にならず、貸し付けている金融機関、投資信託などを購入している投資家など、破産の危機は回避できるはず、と関係者が考えるのは「手に取るようにわかる」。
 しかし、同じ理屈で別のシナリオもあるはずだ。原油価格下落でシェールオイル資本が破産し、投資している世界中の金融機関や投資家が損を確定し、一部が破産すれば、直ちに原油価格は上昇し始める、とも言えるのだ。

 どちらになるか、誰もあらかじめ決めることができない。関係者の希望によって、あるいは中央銀行の金融政策によって決まらないのが、肝心なのである。
 資本主義の無政府性であり、資本主義は過剰生産恐慌を避けることができないという「真実」を、またしても確認せざるを得ないのである。(2月22日)

「アベノミクス」はどこへ進もうとしているか ? [2008-9世界経済恐慌]

 すぐさま外交問題に影響する安倍政権の「歴史認識」問題、「改憲」への志向などの評価は比較的判断しやすいし、多くの人が論じている。もちろん内外にどのように影響するか、予断を許さない。
 安倍政権の掲げている大胆な金融緩和と大規模な財政出動の危険性について 現時点でどのように評価すべきか、まとめてみた。

 1)日本経済の後退、主役から端役へ

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<安倍次期首相、ロイター通信より>

 日本経済はここ10年弱で世界経済の「主役」から「端役」に後退した。日本経済を浮揚させることは極めて困難である。安倍政権であろうが民主党政権であろうがこの流れを変えることは容易ではない。

 日本社会は高齢化問題を抱えており、労働人口は2000年代になって減少し続けている。富を生産するのは「労働者」であり、労働人口の減少はそのままGDPの減少を意味する。減少を上回る「生産性向上」がない限り、GDPは減少する。

 日本のすべての資本、独占資本も中小資本も、国内市場における投資活動はきわめて低調である。国内市場が収益を上げにくいからだ。独占資本・大企業は利益を上げていないわけではない。一部の独占資本・大企業は十分に利益を上げている。大企業の資金は潤沢であるが、国内市場へは投資していない。金利がきわめて低いにもかかわらず、国内市場には資金需要はないし、投資は活発化していない。

 他方、一部の独占資本・大企業は海外投資、M&Aを活発化している。現在は海外進出の第二のブームになっている。日本の独占資本のビヘイビアからみて、蓄積した資本を国内市場ではなくグローバルな市場へ投資する行動をとっているのは明らかである。海外市場への進出、グローバルな展開、世界市場での地位の獲得こそ、日本の支配層にとって現時点の最大の関心になっている。
 現在のような対応は、さらにいっそう日本経済の比重を「端役」へと追いやるだろう。
 

 2)どうして、安倍発言で円安・株高になったのか?

 この一か月間、すなわち11月16日の衆院解散から、選挙期間中の安部発言によって、急速に円安が進み、日本株も1万円を越えた(12月20日現在、終値1ドル=84.435円、日経平均225終値:10,120円)。 その進行は、「急激」、「大幅」であり、「予想外」の結果だった。 (「事前」にはもとより、「経過の途中」でも予想していなかった。)

 起きた結果を現時点から考えてみると、下記のような背景、要因があったということができる。

 ① 欧州危機の影響が緩和してきてリスクオンムードが広がっていた、過剰流動性下でのボラティリティが低下している
 ② 日本の貿易収支が悪化し、経済収支の黒字幅が急速に縮小した
 ③ 安倍発言による政権奪取後の日銀の金融緩和に対する期待、補正予算への期待
 などが挙げられる。

 ① 欧州危機の緩和によるグローバルなリスクオンムード
 欧州も米国も大量に資金を市場に供給し、かつてない「過剰流動性」状態にあり、投資先を求めるそのエネルギーも蓄積している。他方、欧州債務問題がいったん落ち着き、米国もQE3で市場に資金を注入し続け、以前に比べ金融市場は「安定」を見せている。そのため世界的にリスクオンムードが広がりつつある。リスク回避のために円、特に国債に逃避していた資金が一旦離れ投資へと展開する。リスクオンになれば円安となる。

 今回、日本株だけが上昇したわけではない。12月18日までに米ダウ.DJIは11月15日終値から6.4%、FTSEユーロファースト300種指数.FTEU3は11月16日終値から6.5%上昇している。12月に入ってからは上海株.SSECも底を打ち上昇へ転じた。世界的な景気は依然厳しいものの、投資家の「投資意欲」は
回復している。日経平均は18日までに14.5%上昇と世界のなかで突出している。日本株の突出した上昇は、「円安」、「金融緩和」を期待した海外勢主導の押し上げによる。

 ② 日本の経常収支黒字の縮小
 2012年11月貿易収支は9,534億円の赤字であり、1979年の統計開始以来、過去3番目の赤字額であった。もっとも、海外からの所得収支があるので、トータルの経常収支は黒字ではあったが、その黒字額は大幅にかつ急速に減少した。日本はもはや大幅な経常黒字国ではなくなった。

 そのことはGDPの2倍、1000兆円もの債務を抱える日本政府に対する信認低下が前面に出てきて、円に逃避した資金が離れはじめたことを意味する。円安へと導く要因となる。

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<日本の貿易収支、ロイター>

 上記二つの要因は、徐々に顕在化しつつあり、10月頃からゆっくりと円安が進行していた。すなわち、円安へと移行する「マグマ」は徐々に力をためつつあったのであり、リスクオンムードのなか海外投資資金は日本株を物色していた。これが背景である。

 ③ そこへ、安倍発言、次期自民党政権への「期待」
 そこへ安倍発言である。
 安倍自民党総裁は政権を奪取したなら、日銀による大胆な金融緩和、2%のインフレターゲット、無制限の国債発行を実行すると発言した。発言だけでいまだ実行はしていない、現段階ではまだ「期待」である。

 「背景」に加えて安倍発言に対する「期待」が広がり、円安と日本株上昇が一挙に進んだ。海外勢が円売りを仕掛け、日本株を買い続けた。もちろん「背景」なしに「期待」だけではこのような変化は生じなかった。「背景」を無視して「安倍発言」だけ聞いて結果を見ると、まるで「マジック」に見えるが、決して「マジック」ではない。

 4)「アベノミクス」、金融緩和と財政政策で、解決するか?

 問題は、「アベノミクス」が日本経済の現況の困難を解決するかどうかにある。確かに、上記要因によって、円安基調と株価上昇は当面続くだろう。安倍政権も財政・金融政策で必死に円安/株高を演出しようとするだろう。日銀に一段の追加緩和圧力がかかるのは確実で、おそらく日銀はそれにある程度応えるだろう。しかし、これらの政策で持続性がどこまであるか、である。

 これ以上の円安は持続しない
 すでに先進国は史上最低水準と言われるほど低い金利水準にある。追加の金融緩和によって金利を下げようとしてもすでに下がる余地、絶対値は小さくなっていて、この点では「限界」に達している。他方、日米欧とも低金利状態にあり、日米金利差の拡大は起きにくい。したがって、円売りは持続性に乏しいと思われる。
(あくまでこの先、せいぜい2、3か月程度のレンジでみて、である。それより先はわからない、国内投資が低調であること、2008経済危機からの回復過程で円への逃避資金が離れることなどを考慮すれば、円安基調にはなるだろうが、欧米の経済危機がまだ解決したわけではないし、欧米先進国も低金利状態が継続する。何が起こるかわからない。)

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<米国金利の推移、ロイター>

 日銀は12月19、20日に開いた金融政策決定会合で、資産買い入れ基金を10兆円増額する追加緩和策を決定した。基金の規模は2013年末に101兆円となる見通しで、100兆円の大台を突破する。
 さらに安倍政権は10兆円規模の大型補正予算の編成を打ち出した。その財源は国債である。安倍政権の手法は、財政出動と金融緩和であることは明白である。

 そもそも財政出動や金融緩和ですべて解決するならば、日本経済が「停滞」あるいは「失われた20年」にならなかったはずだ。自民党政権時代の日本は不動産・株バブルの崩壊=金融恐慌に見舞われ、長期のデフレに陥った。それから抜け出すために財政出動や金融緩和をこの20年続けてきた。その結果、国家の借金が1000兆円も積みあがってしまった、将来の収入を先食いして財政出動に使ってしまった、しかし「停滞」のまま。それが現状である。ここ20年の経過を忘れるわけにはいかない。

 20年を振りかえらなくとも、ここ二、三年の経過をみても明らかである。
 エコポイントで液晶TVなどが一時爆発的に売れたが、その後、売れない。エコカー減税を実施し目先の国内の車売上を押し上げた。20年間行ってきたことはこれである。

 このような財政出動によって、日本経済の構造は変化したか? 何も変わっていない。目先の売り上げを求め、日本の大企業の当面の売り上げを確保し、危機を繰り延べした。その結果、国家の財政赤字として、将来の「損」が積みあがっただけである。

 安倍政権による今回の財政出動と金融緩和が、決し特別なわけではない、それゆえ「うまくいく」とは、とても思えない。

 4)絵に描いた餅、インフレターゲット論

 安倍自民党総裁は、2%のインフレターゲットと政府との政策協定の検討を日銀に要請した。1%というインフレ目標さえ達成できていない状況で、安倍総裁の2%目標などほとんど意味がない。

 国民の多くは、ここ何年も節約の消費行動をとっている。労働者・勤労者の賃金は減少している。リーマンショックの時などは、解雇によって、契約社員への入れ替えによって、全体としてみれば大幅に収入は減少した。今年も冬のボーナスは減少する。コンビニのプライベートブランドが流行っている、ネットショッピングが増えている、外食が減り、内食が増えている、それらは人々の「デフレ行動」の一つだ。

 2%のインフレターゲットとは、消費者物価の上昇であり、そのためには人々の収入の安定と増大、すなわち雇用の安定と賃上げが必ず必要である。さらには年金制度の充実、福祉制度の充実による将来への不安が払拭されなければならない。それらなしに人々の「デフレ行動」を払拭することはできない。

 安倍総裁がいくらインフレ目標をセットしても、インフレを実現するうえで最大の難関は消費者の「デフレマインド」解消、すなわち収入の増大と雇用の安定をどのように解決するかを明確にしない限り、実現は不可能である。
 
 賃上げ交渉のプロセスは消失
 そもそも賃金は上がっていない。日本では、労使交渉は賃金上昇のために機能していない。労働組合運動は以前に比べその「力」を失っている。「賃上げ」を推し進める社会的要因が弱体化し機能していない。

 したがって、現在の日本では賃金上昇は極めて起こりにくい。低賃金不安定雇用の契約社員増大を通じて急速な賃金下落を推し進めてきた。2000年代に入ってから名目賃金は05─06年を除き一貫して下落傾向にあり、景気後退期には6%以上、下落した。その後、景気拡大局面に入っても賃金には還元されず、最大でも2%程度の上昇率にとどまった。もはや春闘でのベアは機能せず、ボーナスも業績連動とは言えない。「定期昇給」を廃止しようとする動きさえある。賃金は「上方硬直性」が強まっている。リーマン・ショックや大震災などのショックでボーナスを大幅カットしたが、その後の収益回復時に、株主には還元しても、賃金に戻す企業はまれだ。

 現状であれば、資本が賃上げを「許容」する最大の要因は「業績拡大、生産性向上」だが、大手の一部企業を除き、それ自体が難しい。労使交渉において賃上げは生産性向上の範囲内で、しかも必ず「以下」で行われるのが原則となってしまっている。

 仮に業績拡大しても今までの経過からすれば、目に見えて雇用や賃金上昇に波及するまでに3─4年の期間が必要となり、持続的な成長が不可欠となる。その間、政府の財政支出の拡大と日銀の金融緩和で支え続けるとすれば、財政赤字を一掃積み上げることになり、財政規律の信認が失われかねない。

 したがって、仮に円安や資源高、あるいは金融緩和など何らかのきかっけでデフレ脱却ができたとしても、「賃金がさほど上がらない、投資は拡大しない『悪性インフレ』」 が起こる可能性が高い。

 インフレターゲット論が、いかに困難であるか、ほとんど「絵に描いた餅」であるか、あるいは、「悪性インフレ」という「パンドラの壺」を開けるような極めて危険な代物であるのは明らかではないか。

 5)結局、何をもたらすか?

 日本では過去20年にわたって、財政政策も金融政策も緩和方向に偏った極端な政策運営を続けてきた。「将来の所得の先食い」であって日本経済は悪化するばかりである。

 財政政策や金融政策など裁量的なマクロ安定化政策そのものに、新たな付加価値を生み出す力はない。マクロ安定化政策だけで潜在成長率を引き上げ、消費水準を恒常的に高めることは不可能である。もしも可能なら、どの国も豊かになっていたはずである。

 20年間続けてきた将来の所得の先食い
 マクロ安定化政策が見かけ上、経済成長率を高めるように映るのは、財政政策を通じて「将来の所得の先食い」が、金融政策を通じて「将来の需要の前倒し」が可能になるからだ。しかし、やはり無から有は生み出せない。上がった分だけ、将来、所得や支出は落ち込み、時間を通して見れば、効果はゼロになる。それどころか財政・金融政策が資源と所得の配分の歪みを作り出す。

 安部新政権は、これを「より大胆に」、「より大規模に」実施しようとしている点で、民主党政権と異なる。本質的には一緒だけれど、程度と色合いが異なる。

 確かに目先の利益は確実に獲得できる。文字通り近視眼的な財政・金融政策の大盤振る舞いでしかない。資本は常に目先の利益で動くからこのようなことが起きる。国家財政を通じて将来世代に負担を先送りする選択がなされやすい。国家は国民にとって収奪機構として機能し、独占資本にとって無から有を生み出す「打出の小槌」として機能する。

 先進国はいずこも将来世代への負担押しつけの結果として公的債務の山をこしらえてしまう。実際にそのようになっている。これを「日本化(ジャパニフィケイション)」という。

 しかし、こうした政策は最終的には、財政危機を招く。国債への信用不安から金融危機、金融恐慌へとすすむ。欧州危機はその一例を示して見せた。

 しかし、目の前で危機が起きてもこれを学ぼうとしない。最後の局面では犠牲は国民に転嫁してしまうからである。最終的には「国家を通じて大多数の国民に犠牲を転嫁すればいい」と考えているからである。1%の考えである、新自由主義とはこんなものだ。

 ギリシャ危機への対処を見ればわかる。「ギリシャ危機」とずいぶん騒いだけれ、ドイツやフランスが心配したのは、みずからが持っているギリシャ国債の価格暴落であって、ギリシャ国民の生活ではない。その証拠に、国債の信認回復のために、ギリシャ国民には緊縮財政を強要している。新自由主義は理論としては破綻したものの、破綻してもなお採っている政策は新自由主義に基づく緊縮政策である。IMFやユーロ首脳は、危機を前にし装いを捨て、1%の利益を守る姿を露わにした。

 日本では日銀に対して、安倍政権のもとマネタイゼーションへの安易な期待が広がっている。中央銀行はマネーという特殊な負債を発行し、マネタイゼーションによって極限まで財政ファイナンスを行う。だが、臨界点に達すれば、財政危機、金融危機、経済危機を招き、われわれの経済・社会制度に壊滅的な打撃を与える。そうした歴史的教訓から、政府から独立した中央銀行制度を構築し維持してきた。しかし、目先の利益のために中央銀行の独立性は、どこかへ蹴飛ばされそうである。

 マネタイゼーションは新たな人為的な景気高揚(=バブル)を生み出す。確かに、中央銀行のファイナンスによって、政府が支出を大規模に増やし始めた初段階では、新たな所得や支出が湧き出てくるから、消費や投資は増え景気は活気を取り戻す、成長率も高まる、しかし、それは先食いにすぎない。そのあとが恐ろしい。効果が一巡すれば、増加していた支出は減少し、成長率も大きく落ち込む。

 信用恐慌、金融恐慌を避けるために、中央銀行のファイナンスによって、財政支出増大が継続される。いったん始まれば、歯止めがきかなくなる。長期金利上昇を抑えるために、中央銀行は市場での国債買い支えを迫られる。だが、次第に効かなくなり、政策そのものが事態を悪化させる要因に転化する。国債を買い支えるために供給するマネタリーベースの価値の裏付けが、中央銀行が保有する国債だからだ、信用不安は広がる。国債が紙くずとなれば、マネーの価値が失われる。長期国債の市場での発行は困難となり、最終的には短期国債ですら買い手はいなくなり、中央銀行がほとんどを引き受けるようになる。後に残るのは、さらに膨らんだ公的債務と収益性の低い政府主導の過剰ストックである。要はバブル崩壊であり、金融恐慌である。

 このような段階になれば、「2%のインフレターゲット」どころか、200%のインフレになろう、円も暴落し「ハイパー円安」になろう。

 すでに国内総生産(GDP)の2倍以上の公的債務を抱えている日本経済は、危うい均衡の上に立っている。低金利が続いているから財政破綻が避けられているのは「幸運」であるのかもしれない。しかし、長期金利が急騰すれば、その途端に財政危機・金融危機が始まる危険性がすぐ先に見えている。そのような中で、「2%インフレターゲット」、「資産価格に相当な影響を及ぼす極端な拡張的政策」に打って出ることは、極めて危険である。

 今回の2008恐慌、サブプライム恐慌によって、欧州や米国は金融恐慌に陥った。今もなお、莫大な不良債権を抱えており、銀行・金融機関救済のため、長期に低金利政策を続けなければならない。その姿は20年前の日本である。20年前の恐慌爆発の後の日本経済の姿と実によく似ている。欧米経済は、日本化の過程を辿っている。

 日本資本主義は、その危機の様相において世界資本主義の先頭、一周まわりの先を走っていると言っていい。その結果としてのGDPの2倍にというかつてない規模の国家債務蓄積である。これがどのような「破綻」をもたらすか、どれほどの爆発力なのか、いまだ誰も見てはいない。

 「アベノミクス」は目先の利益のためにその「破綻」に向かってあえて一歩踏み出そうとしているのである。 (文責:小林 治郎吉)





We are the 99% [2008-9世界経済恐慌]

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 フィリピンの友人のFace book に張り付けてあったポスターを転載します。

 それから、このポスターのためにつくったのかとさえ思われる詩の一節を下記に引用します。
 随分古い詩です、……

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あたらしい歌、もっとすてきな歌を、
おお友よ、ぼくはきみたちに作ってやろう!
ぼくらはこの地上で、かならず
天国をつくりだ出そう。

ぼくらは地上で幸福になろう、
もう飢えて悩むのをやめよう。
働き者の手が獲得したものを、
なまけものの腹に飽食させてはならない。

この下界には、すべての人の子のために
十分なパンができるのだ、
ばらもミルテも、美も快楽も、
甘えんどうも、そのとおりだ。

    Heinrich Heine 『ドイツ・冬物語』(1844年)第一章第十一節、(訳:井上正蔵) 

ユーロ危機 収束せず! [2008-9世界経済恐慌]

 ユーロ危機 収束せず!

   世界経済危機への導火線となるか!

 1)欧州危機は、深く 長い!

 2011年11月現在、欧州の経済危機が収束しない
 収束しないどころか、世界経済危機への導火線に転化しつつある情勢だ。

 8月以降この3か月間、欧州債務問題が時間とともに少しもよくならず、逆に悪化する情勢が続いている。何か「実体経済」に大きな変化があったわけではない。欧州債務の「大きさ」が少しずつ見えてきた途端、その「あまりの大きさ」に驚き、信用不安が広がりつつある。

 ギリシャを筆頭にPIIGSの重債務国で財政悪化、深刻化を見て、あるいは予想して、国債価格が下落し利回りの急上昇、高止まりとなっている。
 ギリシャ問題がすぐに解決すると思っている市場参加者はすでにほとんどいない。というより、ギリシャ国債10年物利回りは20数%を超えており、近い将来のデフォルトは確実となった。焦点はギリシャからイタリアに移った。イタリア国債価格の下落と国債利回りの急上昇、7%を超える高止まりがその深刻さを表現している。さらにスペイン、そしてフランスへと広がり、確実に欧州全体をとらえつつある。

 現在は、爆発=デフォルトをいかに抑えるか、にEU首脳は努力を集中しているように見える。一つ抑えても、今度は抑えたことが別の爆発の要因に転化するという「もぐらたたき」状態になっている。

 仮に爆発をおさえたとしても、すなわちソフトランディングしたとしても、そのあと欧州経済には10年単位の長い期間にわたる停滞の時期が待っている。なぜ長い停滞期が続くのか?

 「バブル崩壊以後の日本経済」のたどってきた道を思い起こしてみればいい。日本経済の場合は、傷んだ金融機関・銀行資本に公的資金を注入し、政府は財政赤字とはなった。そのことで国債利回りも2%から4%(1995年)にまで上昇したけれども、国債価格の大幅な下落、あるいはデフォルト懸念による更なる危機の展開・深化までには至らなかった。その程度で済んだ。その程度で済んだといえどもバブル崩壊以後20年間にわたって日本経済は停滞の時期を経ているのである。

 今回の欧州危機は、90年代日本経済を襲った危機よりも、「より深く、より長い」のである。そのうち、「大きさ」が徐々に姿を現してくるだろう。
 欧州危機はあまりに深刻である。その危機からの回復には長い期間がかかるだろう。いくら少なくみても10年はかかるだろうし、さらに時間を要する可能性が高い。

 2)第一のトリガー、ギリシャ国債、イタリア国債

 爆発=デフォルトをいかに抑えるか、にEU首脳は努力を集中している。やっているのは対症療法に過ぎない
 必死に抑えようとしている「爆発とそのトリガー」について描写してみよう。もちろん、「トリガー」は「トリガー」であって、経済危機の原因ではないし、爆発を抑えることが解決策なのではないことは、先に指摘しておこう。

 さて、今回の欧州債務危機は、ギリシャ政府の資金繰り悪化から国債の支払い不能(デフォルト)に陥るのではないか、との強い疑念が起点となっている。
 ギリシャを起点としてPIIGS諸国の国債価格下落が進み、保有銀行の有価証券評価損が大幅に増加している。そのため、欧州系銀行のドル資金調達が難しくなっている。
 それゆえ現在では、ギリシャ国債のデフォルト懸念と並行して、スペイン、イタリア、フランスの国債価格の下落から、国債を大量保有している欧米の金融機関の負債が大きくなることで、トリガーは幾筋にも広がっている。

 すでに、欧州を中心に銀行の資産劣化も表面化しつつある。時間の経過とともに、不良債権が次々に姿を現して来て、資産劣化は大きくなり、さらに他の各銀行をとらえており、危機はより深く、また範囲を広げつつある。信用不安が広がり資金調達がままならず、欧州金融システムの一部に機能不全が生じている。その影響は、大きさにおいて、範囲においてすでに欧州にとどまらない。

 ベルギー・仏系銀行デクシアが破綻に追い込まれた。今年7月に結果が発表されたばかりのストレステストにデクシアは合格していた。このストレステストは、金融当局者によれば「より厳密に、厳しく」行われた。にもかかわらず、いとも簡単に破綻した。ストレステストそのものが信認を失っており、市場は欧州系銀行の正確な不良債権額と現在の真正な自己資本比率を知りたがっている。国債価格の下落、住宅価格の下落によって不良債権は今もなお拡大し続けており、だれもその正確な額を知ることはできない。疑心は広がりつつある。疑心とともに、不良債権額も増大しつつある。

 このような光景をわれわれはかつて見たことがある。バブル崩壊後の日本経済の姿である。日本の金融機関・銀行の抱える不良債権は、発表のたびに拡大していった。「いったいいくら不良債権を抱えているのだ!」と非難を浴びせながら、公的資金を何度も増額・追加して注入していった。誰もがイライラし、非難を浴びせた。最終的に今日では、GNPの200%に及ぶ国債などの政府債務として積みあがっている。

 10月末EUは、当面の解決策に合意した。
 A)銀行自身による資本増強
 B)監督している政府による公的資金注入、
 C)欧州金融安定ファシリティー(EFSF)による公的資金注入
という3段階の資本増強策を示した。

 日本の不良債権処理の混迷を見てきた経験から見ても、予想される対応策ではあろう。というか、欧州バブルをもたらしたそもそもの「過度の借り入れや貸し出し、過度の支出以上のさらに上回る資金の大量投入、大量貸出し」(10月24日、ローレンス・H・サマーズ前米財務長官)してしまう以外に、危機の爆発を抑える方策は考えられないのである。恐慌から脱出するのに、さらなる大きな恐慌を準備することによって、恐慌から脱出する手段をよりなくしていくことによって、脱出しようとするのである。しかし、問題はそれでうまくいく保証はどこにもない。

 A) 金融機関が自己資本の拡充を求められるということは、欧州金融機関の間では「投資資金の回収」や「貸しはがし」、「貸し渋り」が起きるということを意味するし、すでに起きている。「投資資金の回収」や「貸しはがし」は、景気を確実に冷やす要因として働く。バブル崩壊後の日本で経験済みのことでもある。金融機関の「投資資金の回収」や「貸しはがし」によって各企業は、業績は問題ないのに資金を調達できないため、投資機会を失うことが一般的に起きる。あるいは、投資資金の強引な回収によって業績は黒字なのに倒産も起きうる。全体として、信用不安が広がり投資は急速に冷え経済を一層減速させる。そのことは金融機関の財務を悪くし、さらなる自己資本の拡充が必要となる。「負のスパイラル」である。

 B) 10月23日のEU首脳会議で、欧州系銀行の資本増強については大筋合意した。しかし、ドイツや北欧諸国など一部を除いてユーロ圏各国の財政悪化が顕著になっており、公的財政資金による銀行への資本注入は、欧州各国の一段の財政悪化を招くことになる。
 仮に公的資金による欧州系銀行の増資が可能になっても、公的資金を出すことで各国政府では一層の財政悪化が進みその国の格付けが下がることになれば国債価格は暴落し、信用不安は鎮静化するどころか、収拾のメドが立たない事態に直面するリスクが高まる。そうすると銀行の保有している国債が、ほかの国債も含めてさらに値下がりし、金融機関の含み損が拡大し、更なる自己資本の拡充が必要となってくる事態を招きかねない。ここででも「負のスパイラル」である。すなわち、欧州系銀行の資本増強自体が、別のトリガーに転化する可能性が生まれてくるのである。何をやっているのかわからない。でもやらないと当面の爆発は防げない。

 C) 欧州金融安定ファシリティー(EFSF)による公的資金注入においても同様である。欧州系銀行の自己資本増強の原資をどこに求めるのか、という点で独仏両国の対立は相当に深い。
 フランスがEFSFを銀行化し、欧州中銀(ECB)から資金を借り入れて、欧州系銀行の自己資本注入を容易にしようとしたのも、フランスの置かれたより厳しい現実を何とか乗り越えようという意図があるからだ。フランスの国債利回りはすでにじわじわと上昇している。しかし、ドイツは強硬に反対した。EFSFの融資や資本注入がうまく機能せず、損失が膨らめば、融資したECBの損失も拡大し、ECBの信認失墜から欧州のインフレが猛威を振るう事態を懸念するとメルケル首相は表明している。
 ECBの毀損した自己資本を増強する際に、まとまった規模の資金を出せる国はドイツ以外にない。最終的に欧州系銀行の損失の大部分をドイツの財政資金で賄うという未来が来ることをメルケル首相は拒否した。仏・サルコジ大統領は、「そんな悠長に事を構えている事態ではない、危機はすぐそこにまで来ている」と叫ぶ。フランスの銀行はギリシャ、イタリア、スペインの国債を大量に保有しており、自身の財務がすでに相当傷んでいる。

 10月23日のEU首脳会議で、欧州系銀行の資本増強については大筋合意し、必要な資金額は1,000億─1,100億ユーロになるとの見通しがEU関係者から出ている。国際通貨基金(IMF)はすでに2,000億ユーロ規模の増資が必要との見解を示している。

 それであっても、「とりあえずの爆発は抑えられるかもしれないが、最終的にそれでは収束しはしない」というのが市場の認識である。確かにその通りだろう。

 ユーロ圏17カ国は、EFSFの融資可能額を2,520億ユーロから4,400億ユーロに拡大することに合意し、各国議会の同意もスロバキアを最後として何とか取り付けた。ギリシャ国債の50─60%のヘアカット(債務元本の削減)が実行され、欧州系銀行の自己資本の目減りがあっても、EFSF資金を活用すれば、何とか対応可能という計算だったはずだ。

 ところが、市場は「ギリシャのヘアカットは近い」とみて、イタリアやスペインなどでも同じことが起きると連想し、イタリアやスペインの国債が売られた。価格は下がり利回りは上がった。
 ギリシャ2年債利回りは100%を超え、イタリア国債の年利率は7%を超えた。イタリアとスペインの国債発行残高が合計2.1兆ユーロを超している現実では、4,400億ユーロのEFSFの処理能力を突破しているのは明らかだ。

 事態はすでにより深刻な次の局面に移行してしまった。「ギリシャ危機を押さえつければ危機は収まる」事態はすでに過ぎ去った。イタリアやスペイン国債の下落による瓦落を恐れなくてはならなくなったのである。

 国債を保有する銀行の資産劣化が進み、自己資本不足に陥り、市場での資本調達が困難であるため、さらなる公的資金によるさらなる資本増強の必要性が生じている。

 EU首脳会議で、その路線が承認されるところまできた。しかし、問題は公的資金注入の規模である。底なしに公的資金を注入することはできない。更なる国家財政の悪化をもたらし、国債価格の暴落をもたらすからだ。したがって、中国や新興国、中東諸国、日本、米国からの、あるいはIMFからの資本調達を求めている。しかし、だれが他人のために資金を提供するか。資本主義はそんなシステムではない。「国際協力、協調」と言っているから少しくらいは出すにしても、必要な額には遠く及ばないのも明らかだ。
 IMFはEFSFを強化するのを決定し、4,000億ユーロ準備するという。しかし、 EUはさらに資金を拡充する必要があるし、世界からの支援を必要としている。1兆ユーロまで拡充を決めたが、誰が出すのか決まっていない。

 金融危機への対策として国家財政への損の付け替えによって対処した。しかし今度は国家財政悪化によって国債価格の暴落の恐れが生じ、そのことで国債を大量に抱える金融機関、銀行経営が行き詰まろうとしている。銀行の自己資本を公的資金で補填しても、問題の解決になっていない。対策にならないことが、明らかになりつつある。
 EUの当面の解決策、A),B),C)は、事態の進展によっては、危機ぼっ発の要因に転化しかねない事態になっている。

 3)第二のトリガー、CDS 

 それ以外にも別のルートを通じた爆発の可能性も迫りつつある
 EUでは公的資金の投入を決め、必死になって金融機関の破綻、デフォルトを防ごうとしている。しかし、個々の金融機関は自身が助かろうとしているだけで、欧州経済危機の爆発を防ごうと行動しているわけではない。例えばヘッジファンドなどは、国債価格の乱高下の機会をとらえて儲けようと行動している。アジア通貨危機の時には意図的に売りを仕掛けてバーツなどの通貨暴落を誘い、その機会をとらえて儲けた。現時点は、国債CDSトリガー発動の可能性が現実のものになりかねない情勢なのである。

 クレジット・デフォルト・スワップ(以下:CDS)は企業や国などの信用リスクを対象とした取引で、CDSの買い手は売り手に対してプレミアム(保険料)を支払い、対象となる企業や国が債務不履行を起こした場合に、買い手は売り手から保証金を受け取る。したがって、CDSを持っておれば、保有する国債価格が下落しても損にはならない。だから、CDSを持っておれば、安心して国債のカラ売りを仕掛け暴落した後で買戻し儲けるのである。すなわち一方では必死に金融機関の破綻、デフォルトを防ごうとし、他方では意図的に破綻させようとしているのである。
 これとて資本主義のもとでは正常な資本活動であって、資本主義は本性からしてこの無政府性を克服できないし、むしろ前提にしているのである。

 そのことは、CDSを売った金融機関が大損をするのであり、それが危機のトリガーになるのだ。
 現在、ギリシャ国債のデフォルトはほぼ避けようがなくなりつつある。

 ギリシャ向け第2次支援策で民間負担を増加した場合、CDSの請求権が発動されるかどうかという金融システムにかかわる問題がまだ不透明で、それに対する方策も依然としてはっきりしない。
 
 仮に、ギリシャ向け民間債務を50─60%カットした場合、CDSを売った金融機関は買った金融機関からの請求に対して、支払い義務が生じる可能性が高まる。その規模は、市場ではギリシャ国債だけで1兆ユーロを超すCDSが発行されており、CDSトリガーが引かれた後の金融市場の動向は予断を許さない緊迫した事態になる。CDSを売った金融機関の中には、米系金融機関も含まれており、欧州債務危機の影響が、大西洋の西側に向かって広がる。
 また、欧州当局の根回しによってギリシャ国債のCDSトリガーを引かないことで全取引関係者の合意が形成された場合、今度は他の重債務国やその他の国の国債CDSの機能が発揮されないという思惑を生むことになりかねない。その場合は、逆にイタリアやスペインの国債価格下落という展開もありうる。まさにモグラたたきである。

 どのような方策をとっても、事態はなかなかよくならないのである。

 欧州ソブリン危機が招いたCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)問題が米銀のバランスシートに破壊的な影響力を与える可能性が現実のものとなりつつある。一部の米銀はギリシャ国債のCDSの売り手になっていると見られ、いずれギリシャが破綻した場合には、米銀に莫大な資金負担が発生し、3年前の危機を再現しかねない。

 米MFグローバル・ホールディングスは10月31日、ニューヨーク州マンハッタンの裁判所に連邦破産法11条の適用を申請した。ユーロ圏債券への投資に社運を賭けたことが裏目に出た。欧州ソブリン債への積極投資で痛手を受けた。米MFグローバル・ホールディングスの破産は、米金融機関・銀行資本の明日の姿となりかねない。

 これらの要因はすでに予想されており、米国では金融機関の不良債権問題の深刻化が進んでいる。米銀行、米金融機関の株価が下落しつつある。
 これらのことは、米国がこの先量的緩和を通じた金融緩和を推し進めざるを得ない要因として働くことになる。

4)EU首脳、米政府首脳、IMF は何をやっているのか?

 やっていることは、上記の通り、当面の爆発の防止である。それも対症療法的に、モグラたたきを繰り返している。別の言い方をすれば、将来への「繰り延べ」である。それ以上のことはしていない。
 今回の2008恐慌、世界的経済危機をもたらした金融資本のグローバル化そのものを、変革しようとは決してしていない。目の前の爆発をとりあえず防止し、ただ繰り延べしようとしているだけである。
 グローバル化した金融資本は、貪欲に利益を求めて徘徊する。これをとどめよう、あるいは変革しようとは決してしていないのである。

 それは資本主義そのものの欠陥である。
 資本主義の順直な発展が、瞬時にして世界を移動するグローバル化した金融資本の支配に至ることを描き出すのが経済学の課題であり使命であろう。

 (※:「脱経済成長論」など事態の推移を真面目に見つめようとしていない、チャチな観念だけでできあがっている。反資本主義と自称しているものの、実のところPro-Capitalismである。)

5)公的資金の注入は金融資本の救済であり、国民は救済しない

 欧州各国は、2008年9月のリーマンショック以降、傷んだ金融機関へ公的資金を注入し救ってきた。金融資本・銀行がバブル経済に乗って「過度の借り入れ」や「貸し出し」、「過度の支出」によって利益を上げようと行動したが、バブル崩壊、経済危機に遭遇し莫大な損を被った。その「損」があまりにも大きいため、「大きすぎてつぶせない」と言って、国家財政の損に付け替えた。「民間の需要不足」を国債発行による公的需要に置き換え、当面の経済的痛みを「緩和」してきたと言う。いわば「損」を各国政府の財政に移し替えてきた。それ以外にとる「手」はないと言うのだが、果たしてそんな方策をとってよかったのか、何のために誰を救ったのか。無駄ではなかったのかという疑念がわき起こってくる。

 民間や巨大金融機関・銀行の「損」を国家財政に付け替え、当面の爆発を抑えてきた。そのことによって、「損」の支払いはこの先おもに国民が負担することを意味する。民間の「損」を、公的な「損」に姿を変え、そのことで、損を支払う者がすり替えられた。

 損を抱えた国家財政は、この先ずうっと緊縮財政でやらざるを得なくなる。年金を切り下げ福祉・教育予算を削減し、消費税を引き上げる。その限りでは国家財政は、1%の損を、99%の損にすり替えて、人民から徴収する機構として機能している。

 EUはギリシャ支援に際して、ギリシャ政府に緊縮財政を強要したし、ギリシャ国民に窮乏生活の受け入れを強要した。年金を切り下げ、教育福祉予算の削減を無理やり飲ませようとしている。確かにギリシャ政府は国債を償還するためには資金を得なければならない。でなければ当面の資金がなく、公務員の給与さえ支払うことができない。まるでギリシャ国民に罪があるかのように大手マスメディアは非難キャンペーンを流した。

 しかしこれは物事の一面である。別の一面も見なくてはならない。誰がギリシャ国債を保有しているかを考慮しなければならない。フランス銀行もドイツ銀行も大量のギリシャ国債を保有している。EUのギリシャ支援策は、自分たちを救うのが目的である、自国の金融資本、金融システムを守るのがその目的である。

 なぜこのような不当なことが、堂々と行われるのか!
 1%を守ることを前提にするなら、こんな処方箋しか出てこないのである。
 金融資本主義は人々に輝く未来を約束しない。統合したEUは一挙に市場を拡大し2000年以降急速に経済発展をした。恩恵は主に1%が得た、金融資本・銀行資本が得た。しかし、2008世界恐慌が到来するや、統合したEUを守るために各国は財政赤字削減を強行的に実施しなければならないという。負担は99%が負う。年金制度の破壊、医療制度、教育制度の破壊を予定している。これまでの文明を100年は後戻りさせる。
  
 これでは、格差はますます拡大する。高揚期に1%は資産を増大させる。恐慌を経て99%に犠牲を負わせる。経済循環の各局面でますます格差が拡大することを意味している。その結果、どのような社会になるのかは明白である。

 統合したEUは何を守ろうとしているのか。
 ギリシャでは生活破壊に耐えかねて反政府デモが続いている。ギリシャ国民の姿は近い未来の欧州人の姿でもある。1%を守るために、欧州経済が回復するまで、国家財政に付け替えられた損を返すまで、欧州人の多くは窮乏の生活に耐えなければならないのである。

 グローバル化した金融資本の支配維持のうえにEUは未来を描き出すことができない。もちろんそれはEUだけではない。 
 ユーロ危機は、ユーロにとどまらない。最終的に米国を襲うだろう。その過程は、今のところ、「ゆっくりと」(というのはリーマンショックに比べて)進んでいるように見える。(文責:小林 治郎吉)

 ウォール街を占拠しよう! [2008-9世界経済恐慌]

 ウォール街を占拠しよう!

 自分たちのことを99%と呼んでいます。アメリカと世界の富が1%の人たちに握られていることを告発しています。
 富の偏在こそ、あるいは富の偏在をもたらす現代の社会関係こそ問題であると告発しています。そしてその変革を主張しています。
 至極まっとうな、まっすぐな要求、声、叫びではないでしょうか。
 以下の文章が友人から届きました。
_____________________________

 ニューヨーク市民総会(フリーダム公園)の第一「公式」声明

 [原文 "Declaration of the Occupation of New York City" http://nycga.cc/2011/09/30/declaration-of-the-occupation-of-new-york-city/]

 これは9月29日午後8時ごろに、「ウォールストリートを占拠せよ」の全メンバーの投票で、満場一致で採択された。これは私たちの最初の、公式発表用の文書である。私たちはこのほかに3つの声明を準備中であり、まもなく発表されるだろう。それは(1)諸要求の宣言、(2)連帯の原則、(3)あなたがた自身の「直接民主主義のための占拠グループ」を組織する方法についての文書である。

 ニューヨーク市の占拠の宣言

 私たちは、大きな不公正に対して感じていることを表現するために連帯して集まっているこの時、何が私たちを結集させたかを見失ってはならない。私たちは、世界の企業勢力によって不当な扱いを受けていると感じているすべての人々に、私たちがあなたがたの味方であることを知らせるためにこの声明を書いている。

 団結した1つの人民として、私たちは、人類の未来がその構成員たちの相互協力を必要としており、私たちのシステムは私たちの権利を守らなければならず、そのシステムが腐敗している時には、それぞれの個人こそが自分たちや隣人たちの権利を守らなければならず、民主主義的政府の正当な権力は人民に由来するが、企業は誰に同意を求めることもなく人民や地球から富を簒奪しており、民主主義のプロセスが経済権力によって決定されている間はいかなる真の民主主義も実現不可能であるという現実を認識している。

 私たちは、人民よりも自分たちの利益を、公正よりも利己的な関心を、平等よりも抑圧を優先するさまざまな企業が私たちの政府を動かしているこのとき、あなた方に呼びかけている。私たちは次のような事実を知らせるために、ここに平和的に集まっており、それは私たちの権利である。

 あの人たちは違法な差し押さえ手続きによって私たちの住宅を奪った。もともとの抵当権など持っていないにもかかわらずである。
 あの人たちは納税者のお金で救済され、免責され、今まで通り役員たちに法外なボーナスを与え続けている。
 あの人たちは職場の中に、年齢、皮膚の色、性別やジェンダー・アイデンティティー、性的指向をもとにした不平等と差別を永続化してきた。
 あの人たちは怠慢によって食糧供給を汚染し、独占化を通じて農業システムを崩壊させてきた。
 あの人たちは人間以外の無数の動物たちを苦しめ、閉じ込め、虐待することによって利益を上げ、そのことを隠してきた。
 あの人たちは従業員から、より有利な賃金やより安全な労働条件を求めて交渉する権利を奪おうとしつづけてきた。
 あの人たちは学生を教育のための何万ドルもの借金に縛り付けてきた。教育は人権であるにも関わらずである。
 あの人たちは継続的に労働者をアウトソーシング(外注化)し、それを梃子として労働者の健康保険や賃金を切り下げてきた。
 あの人たちは企業に人民と同等の権利を与えるように裁判所に圧力をかけてきた。いかなる刑事責任も社会的責任も負わせることなしにである。
 あの人たちは健康保険に関する契約を免れる方法を見つけるために、何百万ドルものお金を法律対策チームのために使っている。
 あの人たちは私たちの個人情報を商品として売っている。
 あの人たちは報道の自由を妨げるために軍隊や警察を使ってきた。
 あの人たちは利益追求のために、生命を危険にさらすような欠陥製品のリコールを意図的に拒否してきた。
 あの人たちは自分たちの政策が破滅的な結果をもたらし、現在ももたらし続けているにもかかわらず、いまだに経済政策を決定している。
 あの人たちは自分たちを規制する立場にある政治家たちに巨額の献金をしてきた。
 あの人たちは代替エネルギーへの移行を妨害し、私たちを引き続き石油に依存させようとしてきた。
 あの人たちは人々の生命を救うことができるジェネリック薬の普及を妨害しつづけている。これまでの投資を守るためと言っているが、それらはすでに莫大な利益を上げている。
 あの人たちは利益を守るために石油の漏出や、事故、不正経理、添加物を意図的に隠してきた。
 あの人たちはメディアの支配を通じて意図的に人々に誤った情報と恐怖を植え付けている。
 あの人たちは囚人を殺害するための民間契約を承認してきた。容疑についての重大な疑義が提示されている場合にさえである。
 あの人たちは国内でも国外でも植民地主義を永続化してきた。
 あの人たちは国外において、罪のない市民の拷問と殺害に関与してきた。
 あの人たちは政府からの調達契約を獲得するために、大量破壊兵器を生産し続けている。
 (・・・私たちの不満はこれに尽きるものではない)

 世界の人々へ

 ウォールストリートのリバティー広場を占拠している私たち、ニューヨーク市民総会はあなた方に、あなた方の力を行使することを促す。

 あなた方の平和的に集会を開く権利を行使し、公共の空間を占拠し、私たちが直面している問題に対処するプロセスを作り出し、すべての人々に届く全体的な解決策を作り出そう。

 直接民主主義の精神において行動を起こし、グループを形成しているすべてのコミュニティーに対して、私たちは提供可能なあらゆる支援、文書、およびすべての資材を提供する。私たちと共に、声を上げよう!



欧米金融危機の懸念から、世界経済危機の様相 [2008-9世界経済恐慌]

 欧米金融危機の懸念から、世界経済危機の様相 

ドルの低下は、米国の地位の低下

 この夏、世界経済危機は新たな、深刻な様相を呈している。

 1)米政府、10年間で2兆ドルの歳出削減 

 米連邦債務の上限引き上げ問題は、期限の8月2日に迫るなかでギリギリの決着にこぎ着け、デフォルト(債務不履行)の懸念はひとまず消えたことになった。しかし、その一方で、米国は今後10年間で2兆ドル規模の歳出削減を実施することになり、緊縮財政が義務付けられ、米政府当局者にとって選択肢はなくなった。景気高揚策としての財政政策を採ることはできなくなった。

 歳出削減額は米連邦債務の上限である14.3兆ドルと比較すれば約17%と、きわめて大きい。日本に当てはめれば一般会計予算の2年分、税収の4年分以上に相当する。
 米連邦債務の上限引き上げ問題で繰り返された2012年大統領選を想定した共和党からの攻撃に対し、オバマ政権・米政府は、対応能力の欠如を露呈し、世界の投資家を一斉に不安にさせた。

 2)スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)が発表した米国債の格下げ

 8月5日、スタンダード&プアーズ(S&P)による米国債の格下げを受け、世界の投資家が一斉にリスク削減に動いた。担保価値の低下による半ば強制的なリスク削減に加え、投資家は格下げによる負の連鎖が今後も続くことを警戒している。
 S&Pは8月8日、米国債に続き、米政府系住宅金融機関(GSE)の連邦住宅貸付抵当公社(フレディマック)と連邦住宅抵当金庫(ファニーメイ)の長期格付けも一段階引き下げた。
 スタンダード&プアーズ(S&P)による米国債の格下げをきっかけとして、欧米債務問題の早期解決に対する悲観的見方の広がり、景気の二番底に対する懸念が広がり、投資家はリスク資産から一斉に資金を引き揚げ、欧米株安、世界同時株安となった。
 しかし、スタンダード&プアーズ(S&P)による米国債の格下げは、あくまで「きっかけ」であって原因ではない。たとえ格下げがなくとも、遅かれ早かれ債務問題への不安、金融不安から世界同時株安に至っただろう。

 3)8月の世界同時株安は、欧米債務問題・金融システム不安から来ている

 投資家心理悪化のきっかけとなったのは、5日スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)による米国債の格下げ、ユーロ圏の債務危機への懸念から、米経済の悪化が景気の二番底を招くとの懸念が広がり、これに追い打ちをかけた。
 8月8日、世界の株式市場は、欧州と米国の債務問題の早期解決に対する悲観的見方の広がりや、景気の二番底に対する懸念で急落した。主要7カ国(G7)の財務相・中央銀行総裁による声明も市場の鎮静化には至らなかった。
 8月19日現在、ダウ工業株30種は8月に入ってからは13.1%下落した。
 この日アジアから始まった株価の下落は欧州でも続き、米市場で一層加速。2008年12月1日以来の大幅な下落率となった。 
 世界の株式市場では、過去8日間の下落で3兆8000億ドル以上が失われ、行き場のなくなった資金はスイスフランと円、金に向かう展開となった。
 米株市場でバンク・オブ・アメリカが20%下落するなど金融株の下げが厳しい。米国では住宅、商業用地ともに価格が下げ止まらず、不良債権の処理は終わっていない。雇用も目立って改善せず、消費拡大は見込めそうもない。

 今回の世界株安は欧米債務問題に金融システム不安が複合的に絡んで起きている。抜本的な問題解決は期待できそうにない。
 世界の投資家は、いっせいにリスク回避し、リスク・ポジションの解消を続けている。新興国への投資も引き揚げざるを得なくなり、新興国株価も一斉に下落した。その結果、世界的な株安の連鎖が止まらない。

 4)ECBの国債購入の効果は一時的、G7声明の主要ターゲットは米欧短期金融市場

 米国債格下げは、住宅ローン担保証券(MBS)の信用にも影響し、MBSを担保にした短期資金のやり取りが円滑に進むのかはっきりしない。
 G7声明で「今後数週間緊密に連絡を取り、適切に対応し、金融市場の安定と流動性を確保するための行動を取る準備がある」としている主なターゲットは、ドル/円相場ではなく、まず第一に米短期金融市場、第二に欧州短期市場であろう。

 欧州では、ECBが行ったイタリア・スペイン国債の買い入れの規模は約20億ユーロ。両国の国債利回りは急低下し一定の効果はあった。ただフランス国債の保証コストとなるクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)は160ベーシスポイント(bp)に拡大し、過去最高水準となった。米格下げを受け、フランスなど他の最上級格付国が今後どれだけ格付けを維持できるか、懸念が広がった。
 
 イタリアの国債市場規模は大きく、ECBの動きは一時的な解決策にすぎない。ユーロ圏債務危機や景気への影響への政府の対応能力を疑問視する見方に押された。

 欧州中央銀行(ECB)はイタリアとスペインの国債購入に乗り出したものの、長期的な救済策への懸念の払しょくには至らなかった。
 要するに、ECBの国債購入の効果はあくまで一時的であって、期待した効果は生まなかったということになる。
 
 5)米政府にはすでに打開策がない

 米国では債務上限引き上げの前提として緊縮財政をコミットする政治決着をはかったため、財政面での景気刺激は不可能に近い。昨年発動された量的緩和第2弾(QE2)は世界的な資源価格、商品市況の高騰をもたらし、確かに米株価を高騰させた。しかし、それは副作用が大きかった。新興国では物価上昇が止まらない。アジアでは不動産価格の上昇を招き、ガソリン価格や食料品価格も高騰した。インフレ制御に苦しんでいる。そうした犠牲のもとで米国は株価を上昇させたが、その上昇分もすでに吹き飛んでいる。QE2の効果はその程度に限定的だった上に、いっそうの金融不安を呼び起こしてしまった。量的緩和第3弾(QE3)を発動する状況にはない。

 米国ではオバマ大統領が財政赤字に対する迅速な行動を呼びかけたが、税金に関する提案が野党共和党の反発を招いた。大統領は、米国債の格下げで財政赤字削減の緊急性が増したと強調し、議会の特別委員会が11月に提案する財政赤字削減策の内容の一部として、増税と社会保障プログラムの見直しを求めたが、共和党のベイナー下院議長はこれを拒否する姿勢を示した。

 市場では、欧米の政治面での障害が迅速な財政改革を阻むとの見方が広がっており、解決策の選択肢が限られて本格的な支援は期待できないとの悲観的見方が強い。「債務増大や景気減速の問題に米政府は対処できない」との判断が広がった。市場は単に米国景気を懸念しているのではなく、恐慌に陥った際の対応策がないことを懸念している

 2008世界恐慌以降、政府による大規模な経済対策が消費意欲を刺激し、雇用の悪化にかかわらず小売りだけが2008年恐慌前の水準を超えてきた。財政出動バブルと言っていい。そのうえでこの3年間で余分に増加した米政府債務は約3兆ドルで、小売売上高がかさ上げされた分の累積値を試算すると1.5兆ドルとなり、政府支出の約半分が消費に回った格好となっている。今後、緊縮財政が実施されれば、このかさ上げされた消費のかなりの部分が失われていくことになっていくであろう。

 ドルの低下は、米国の地位の低下

 米国の地位低下が顕著となり、基軸通貨国というよりは、西側の大国の1つに成り下がったという現実が大きい。米国内では大統領のリーダーシップが低下し、安全保障やG7の枠組みにおいても、米国主導で物事が決まらなくなっている。米国が作った格付けルールの中で、米国自身が格下げされ、座標軸の真ん中が無くなった。
 市場は、スタンダード&プアーズ(S&P)による米国債の格下げを、米国自身の格下げと受け取ったのである。
 世界経済の構造変化を感じさせる。

6)世界同時株安に具体策なし

 8月26日、米連邦準備理事会(FRB)バーナンキ議長は、量的緩和第3弾(QE3)実施を表明しなかった。たとえに今後追加してQE3が実施されたとしても、世界景気が急減速する事態を防ぐ特効薬にはならない。
 米国では景気減速懸念が強まる一方、政府債務上限問題で財政支出がしにくくなっており、追加金融緩和(QE3)しかとりあえず採る方法は残されていない。しかし、そのQE3が導入されたとしても資源価格・商品市況が活況となるだけであって、根本的な解決には至らない。それどころかいっそうのドル安円高へと導き、インフレの危険性も準備する。
 そうなれば、米市場の金融機能不全を材料にドル安と株安が進行するリスクが拡大するような事態を招くであろう。
 八方手詰まりの状況にある。

 今、市場が懸念を強めているのは、2008年8月の世界恐慌後の「バブル崩壊」を、財政・金融の“大盤振る舞い”で対処したものの、結果的に米国を中心に経済は健全化する方向に行かず、財政・金融政策の刺戟効果がなくなると、再び、低成長軌道に戻ってしまったのではないかという点である。

 3年前には米国はじめ欧州各国に財政出動の余力があったが、今はその余力がほとんどない。危機対応力の低下したG7各国が、これから来る景気後退リスクを乗り越える余力を残していないのである。
 具体策を持っていない。打開策がない。(文責:小林 治郎吉)

ユーロ危機は繰り返す [2008-9世界経済恐慌]

 ユーロ危機は繰り返す

 ギリシャの大幅な債務超過に端を発した欧州ソブリン危機は、圏内の中核国であるイタリアやフランスにも飛び火し、欧州通貨統合の行方に暗い影を投げかけている。
 果たして危機終息の見通しはあるか。ユーロはドル、円とならぶ世界の通貨として市場の信認を回復できるか。
 
 1)ギリシャ危機は解決しない、ユーロ危機は繰り返される

 ギリシャ危機は債務の減免なしには解決しない、したがってユーロの危機は今後も繰り返される。7月に決まった追加支援によってもギリシャの債務問題は解決しなかった。

 「仮に金利が10%だとしても、(ギリシャは)15%程度の成長を毎年続けなくてはならず、GDP(国内総生産)の150%という債務は返せない。本質的な解決を避け、つぎはぎで対処しようとするので、いずれまた市場が荒れ、そのたびにイタリアやスペインに危機が飛び火するだろう。したがって、半年ごとに追加支援を繰り返し、問題の先送りをつづけるしかない状況にある。最終的には、債務の減免なしで解決は無理であろう。」(8月17日、国際通貨研究所の佐久間浩司・経済調査部長)。
 ギリシャ国債の価格は暴落し、金利は現在19%である。
 
 しかし、本当に問題なのは、たとえギリシャ危機が債務減免で解決したとしても、その分ユーロが債務・不良債権を抱え込むのであって、より大きなユーロ危機、ユーロ信用不安、金融機関の破綻を準備するのであり、その危機がもうすぐ先に、見えていることなのである。

 2)ギリシャ危機とは何か?

 ユーロは各国共通貨であるため、債務危機などの対外不均衡が生じた場合、ギリシャ貨幣を切り下げる為替調整機能が働かない。スペインやポルトガルも同様に、通貨が下落しないことで国際競争力を失ってしまった。さらに、2004年ごろからEUが東欧に拡大し、欧州企業の生産拠点がイベリア半島から東欧に移ってしまった。

 ギリシャでも同様の事態が繰り返された。2001年のユーロ加盟によって、実際には例えばドイツとギリシャ間には深刻な経済格差が存在するにもかかわらず、ユーロ圏であるということで、同じ通貨を共有した。強力な通貨を手にしたギリシャにおける資本調達環境は、一気に改善した。ギリシャの安価な労働力を目当てに活発な資本投資が行われ、経済は急拡大した。企業買収をおこない、生産を拡大した。いわば人為的に作り出された好条件によってバブル状態が生まれ、ギリシャ経済は急拡大した。バブルに浮かれて投資したのはギリシャ資本ばかりではない。欧州資本、特に金融資本が投資したのである。
 
 低利で調達できる資金は、ギリシャ資本主義の「高度化」に投資されることは少なかった。これまでの高金利から一挙に低金利になった。住宅需要は急速に増大し、多くの国民が住宅購入に走った。不動産、住宅への投機も同時に拡大した。多くの資金は、目先の利益を求めて不動産投資、住宅投資に流れ、住宅バブルに沸いた。欧州の金融機関はこの住宅バブルに多額の資本を投資した。

 しかし、ユーロ統合直後に生じた好条件はすぐに解消してしまった。ギリシャでの物価が上昇した、労働コストも上昇していった、そもそも低賃金を目当てに進出したから、他方で生産性の向上は遅れた。徐々に多くのメーカーがギリシャを離れ、アジアや東欧に拠点を移した。そうしてギリシャ経済が不調の兆候が出はじめたところへ、2008世界恐慌が襲った。ギリシャ経済は恐慌状態に陥り、多くのギリシャ企業が操業を停止し、逃亡し、破産した。
 不動産投資、住宅投資は焦げつきを見せはじめ、膨大な額の不良債権が姿を現し始めている。ギリシャの金融機関のみならず、欧州の銀行、金融機関はすでに膨大な不良債権を抱えている。

 他方、2009年10月に発足したパパンドレウ政権は前政権による統計数字の改ざんを暴露した。同年の財政赤字の対GDP比がそれまで公表されていた6%程度ではなく、12.7%に達していることが判明し、同国のずさんな財政実態への懸念が一気に金融市場を覆った。

 ギリシャ政府の財政破綻への懸念が拡大した、そして一挙にギリシャ国債の引き受け手がなくなり、ソブリン危機となったのである。

 住宅バブルがはじけ、企業が逃亡し、失業が増大したギリシャは、この財政危機を解決する力を失っている。財政収入が減少し、支出が増大するにもかかわらず、EUやIMFから財政再建を義務づけられた。ユーロ各国と国際通貨基金(IMF)による支援の条件として、 財政再建、すなわち、福祉予算・教育費、さらには年金を削り、公務員を削減することを求められている。

 ユーロ加盟国で初めてデフォルト(債務不履行)の瀬戸際まで追い込まれたギリシャは、欧州連合(EU)、国際通貨基金(IMF)などから第一次支援(2010年)、第二次支援(2011年)として、これまでに総額2,690億ユーロ(約30兆円)に及ぶ救済措置を受けている。第二次支援には、民間投資家の負担による債務軽減も盛り込まれた。
 その代償として、ギリシャ政府が対外公約したのは既得権益の切り捨てを含む抜本的な財政緊縮策である。そのツケは様々な形で市民生活に目に見える打撃を及ぼしている。

 3)ギリシャ危機はギリシャにとどまらない

 ギリシャ危機はギリシャにとどまらなかった。まっすぐにユーロ体制の危機へと進んだのである。ドイツを始めとするユーロ圏各国と国際通貨基金(IMF)による度重なる支援にもかかわらず、ギリシャ危機のマグマは衰えていない。むしろ、イタリア、スペイン、そしてフランスなど他の域内諸国に対する市場不安を誘発、単一通貨ユーロを足元から脅かし続けている。なぜならば、ギリシャに起きた住宅バブルは、同じように、東欧諸国でも、スペイン、イタリアでも同時に進行したてきたからである。そのバブルに欧州の主要な金融機関が投資し、莫大な不良債権を抱えているからである。ギリシャ危機は欧州バブル崩壊の先陣を切っているとみなしてさしつかえない。

 ユーロ体制は、「経済格差のある域内諸国間の亀裂」となって紛糾しはじめている。この亀裂は、修復可能なのか。欧州通貨統合の厳しい未来を暗示している。「ユーロ」は現在、最大の危機に直面している。
 「域内諸国間の亀裂」として現れているのは、欧州でのバブル崩壊、世界恐慌による損を誰が負担するのか、誰が没落するのか、をめぐった争いと見るのが、もっとも的確なのであろう。
   
 4)アイルランド、ポルトガル、スペイン、イタリアへの危機の転回、即ユーロの危機

 ギリシャと同様に大幅な財政赤字を抱えるアイルランド、ポルトガル、スペインの国債はすでに格下げされ、イタリアの国債も同様の不安にさらされている。
 さらに、8月半ばには、ドイツと並ぶユーロの牽引役であるフランスに対しても「トリプルA」格付けを失うのではないかという懸念が市場に拡大。サルコジ大統領が静養先の海辺から引き返して新たな財政緊縮策を取りまとめる事態となった。

 この余波で、こうした国々の国債を保有している欧州各国の銀行株が急落、フランスのソシエテ・ジェネラルが一時22%も下落するなど、リーマン・ショック以来ともいえる混乱が起きた。
 株価急落を阻止するため、フランスは8月12日、イタリア、ベルギー、スペインとともに金融株に対する空売り規制を導入。ドイツも欧州全体で株式、国債、クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)に対するネーキッド・ショートセリング(現物手当てのない空売り)禁止を呼び掛けた。   

 さらに、欧州中央銀行(ECB)は8月15日、ユーロ参加国の国債を12日までの1週間に220億ユーロ(約2兆4000億円)買い入れたと発表した。これは昨年5月の買い入れ開始以来、1週間の購入額としては最大規模で、ソブリン危機拡大に対するECBの切迫感が浮き彫りになった。
 ギリシャ、アイルランド、ポルトガル、スペイン、イタリアの危機は、決して各国の孤立した危機ではなく、即ユーロの危機なのである。

 欧州を覆う投機マネーの動きや景況感の悪化の背景にあるのは、2008世界恐慌による金融危機、これに続く過剰生産恐慌に対し、各国政府は公的資金の注入し、とりあえず目の前に迫った恐慌の衝撃を緩和させた。そのことは、莫大な損を国家財政に付け替えただけであって、財政危機の顕在化によるソブリン危機へと爆発の「場所」、形態を変えただけであった。現在の過程は国債の価格低下、格下げから、信用不安へと進み、とくに財政基盤の弱いギリシャが、欧州を覆う投機マネーの攻撃を受けている。

 ギリシャ危機を抑えるには、ECBの追加支援、もしくは債務減免しかありえない。ECBはさらに各国の国債を購入せざるを得なくなるだろう。いずれにせよそのことは、不良債権をユーロが抱え込むこと、またもやより大きな損のつけかえであって、ユーロの財政基盤を弱くするだけである。しまいにはユーロ自身の信用不安を引き起こす。

 実際のところ、ユーロ危機こそ誰もが恐れている。ギリシャ「支援」とは、文字通り「弥縫策」である。モグラたたきのごとく次の犠牲を求めて、マネーは徘徊する。恐慌は2008年以降、「損のつけ替え」で爆発の機会を繰り延べされた。繰り延べは恐慌の爆発力をより高めたようである。いまや、恐慌による暴力的な調整しか選択はなくなりつつあるように見える。 

 欧州ソブリン危機の連鎖に加え、8月に入り欧州圏の景況も再び減速モードに入っている。欧州ばかりか世界同時株安、景気後退局面に入りつつある。
 ユーロ危機の拡大は、世界恐慌からの「回復過程」から明らかな減速モードに入ったことを表現している。世界恐慌からの「回復過程」は、本当の回復ではなく、財政危機を人質にした爆発までの時間稼ぎであったようである。

 欧州連合(EU)統計局が8月16日に発表した第2・四半期のユーロ圏域内総生産(GDP)は、ドイツの景気低迷やフランスのゼロ成長を反映し、市場予想より低い前期比0.2%、前年比1.7%の伸び(速報値)にとどまった。最大の押し下げ要因になったのは、貿易収支の悪化や消費の落ち込み、建設投資の不振で2009年第1・四半期以来の低成長となったドイツ経済の低迷である。

 このままユーロの信認維持は難しい状況にある。ユーロ各国間の対立はより深まり、ユーロ体制の動揺とひび割れを大きくしている。どう修復するか。圏内の亀裂が深まれば深まるほど、盟主を自任するドイツとフランスには、そうした難題が重くのしかかる。

 「ドイツとフランスは、共通通貨としてのユーロを強化し、一段と発展させる義務を絶対的に感じている。そのためにユーロ圏の金融・経済政策の連携強化が必要であることは明らかだ」。ドイツのメルケル首相は8月16日に行ったサルコジ仏大統領との独仏首脳会談の後、こう語って、ユーロ動揺への危機感をあらわにした。

 しかし、現状打開の決め手はない。恐慌が勃発しないように、その場限りの「弥縫策」をとり続けるしかない。2008年世界恐慌勃発時には、財政支援政策を実施する余地はあったが、2011年夏にはその余地はすでにない。それどころか、対処したことによってもたらされた財政危機が、今度は新たな引き金になりそうである。

 息を殺して、恐慌による暴力的な調整を待つばかりである。

 ユーロ危機は繰り返す。世界的な金融危機・金融恐慌として繰り返す。(文責:小林治郎吉)

恐慌は次の爆発を求めて徘徊する [2008-9世界経済恐慌]

恐慌は次の爆発を求めて徘徊する

 1)2008世界恐慌とは何か? 何が起こったのか?

 2008年のリーマンショック以来、世界経済は深刻な大恐慌の過程に入っている。その回復の兆しもいまだ見えない

 (この変化を、「リーマンショック」とか、「世界同時大不況」とか、「リセッション」、「デプレッション」とかと、呼ぶのはふさわしくない。2008世界恐慌と呼ぶべきである。新自由主義の経済学は、あるいは大学の講壇経済学では、さらには大新聞の表記においても、これまで「恐慌」という言葉が嫌われ排除されてきた。それは恐慌を資本主義の危機としてとらえる考え方を嫌い拒否しているからである。経済学というのはきわめて「党派的な」学問であるのは確かなようだ。)

 もちろん、マルクスの言う通り、決して回復しない恐慌はない。が、少なくとも今次恐慌にあとの先進資本主義の回復過程は、1990年代から現在に至る日本経済の失われた20年とほぼ同じような過程をたどるのであろう事はほぼ予測することができる。
 米欧日の支配者たちは、この予想・この不安を、決して振り切ることができない。

 今次世界恐慌を経て、世界資本主義内部の力関係、構造は大きくダイナミックに変化しつつある。そのことの象徴的な変化は、欧米日資本主義の相対的な後退と、それに比べての新興国資本主義の発展である。一言でいえば、米国の後退、中国の台頭である。

 もちろん、経済的な大変化は、経済にとどまらず、政治・軍事・文化あらゆる面での大変化、構造転換をもたらすであろうし、すでにもたらしつつある。米国の力の後退は、現代世界の大きな政治的軍事的な変化として次々と現れてくるであろう。この先、少なくとも2008年恐慌からはじまった今循環において、世界資本主義の発展は、この傾向・方向・内容となるであろう。

 世界GDP(国内総生産)に占める各国の割合(内閣府発表)
      2009年   2030年 
 米国: 24.9% → 17.0%
 中国: 8.3% → 23.9%
 日本: 8.8% →  5.8%

 2)ケインズ政策が効かない

 今次恐慌は、米国からはじまった金融恐慌が、瞬時に世界金融恐慌となり、さらに世界的な過剰生産恐慌へとすすんだ。そして回復せぬまま各国の財政危機、欧州のソブリンリスクとしてその舞台を移したかの様相を呈してきた。
 今次恐慌の特徴的な姿は、その落ち込みの大きさであり、世界的なグローバルな広がりであり、世界同時性であり、かつ瞬時に全世界をとらえた点にある。

 先進資本主義諸国は、2008年恐慌以来、信用不安が広がり金融恐慌となった。そのあと、景気の大幅な落ち込み・停滞に苦しみ、資本主義的過剰生産恐慌に陥った。「恐慌を克服した、市場経済・資本主義は永続的に繁栄する」という言説を唱えた人たちは、恐慌を前に沈黙している。
 もちろん時代は違うけれども、材料も違うけれども、起きたのは一般的な典型的な資本主義的恐慌であった。マルクスの描き出す恐慌が、そのまま甦った感がある。

 各国政府は、2008年恐慌後、ケインズ的政策をいっせいに採った。そのひとつは、財政散布策。公共支出によって当面の消費を維持しようとした。いまひとつは、低金利、金融緩和、公的資金での金融機関の救済、市場への資金注入など。これら政策によって、景気刺戟、投資の拡大を狙っている。

 しかし、これらケインズ政策は欧米日においてまったく共通して、景気回復をもたらさなかった。先進資本主義市場での投資拡大はすすんでいないし、インフレ基調となることもなかった。それどころか資金はあり余ってジャブジャブ状態なのに、デフレ基調がすすみ、景気回復を見込むことができていない。大量の財政政策、公的資金を注入したのに、ケインズ政策は狙った効果を発揮することができない

 3)デフレとは何か?

 現在、「デフレ」状態に陥っているその意味は、単純に言って、資本主義的過剰生産恐慌の状態にあることに他ならない。
 「デフレがいけないと認識すべきだ」とか、「インフレへ誘導する政策を採るべきだ」などと「対策案」を主張したり、騒ぎ立てたりする者があるが、「デフレの認識」そのものを間違えている。資本主義の矛盾の表現であると認識しなければならない。
 あるいは、「デフレから抜け出ることが重要だ、必要だ!」と述べて人為的にすぐにでも対策可能であるかのような主張、あるいはそのような政策や対策が資本主義の変革なしに可能であるかのような主張は、同様に間違っている。

 資本主義的過剰生産恐慌、信用恐慌の状態からどのようにして抜け出すかというふうに問題を立てなければならない。したがって、現代資本主義の恐慌の原因は何か?ということになる。そのうえで資本主義変革のプランこそが要求されている。

 4)「流動性のワナ」と「クルーグマンの想定外」

 現在の事態は、ポール・クルーグマン教授(2008年ノーベル経済学賞)が指摘する「流動性のワナ」に陥った状態であろう。「流動性のワナ」とは、金融を緩和し流動性を増大しても、すなわちケインズ政策を採用し一次的な消費は拡大してもその次の投資につながらず、景気が一向に回復しない、その一方で財政赤字は積み上がるという、1990年代以降の日本経済の行き詰まりを描写した言葉である。

 しかし皮肉なことにその描写は、ケインズ政策がさっぱり効果を発揮しない米・欧州資本主義の陥った「現在の危機」そのものを、リアルに表現している。クルーグマンもここまで予想していなかった。「クルーグマンの想定外」である。

 支配階級の経済学者・クルーグマンは、「流動性のワナ」と呼んだとしても、それは描写だけであって、決して原因と対策を述べているわけではない、すなわち金融のグローバル化を、根本から批判しているわけではない。新自由主義のデタラメ経済学者と同様、危機を前にして無用なことに、変わりない。

5)どうして円高になったのか?

 2008年恐慌の時、日本資本主義は欧米ほど不良債権を持っていなかったので、金融資本の「傷み」は欧米ほど大きくはなかった。恐慌後の世界的な金融不安、信用不安のなかで、各国資本は「円」に逃避した。円高になったのはその理由からである。現時点でもその事情はほとんど変わらない。
 日本の金融資本は不良債権を持っていないけれども、それはバブル経済崩壊以降の不良債権処理をやっと終えたばかりで、前循環において世界的な投資をしていなかったその結果である。バブル以降の「低滞の時代」を強いられた日本経済の、いわば「けがの功名」である。

 ただ、そればかりでなく、「損の付け替え」をすでに終えており、すでに膨大な財政赤字が積み上がっている。バブル崩壊という恐慌の後で、長年にわたって日本政府が公共投資、財政散布策を実施し、日本資本に利益を保証したその結果、膨大な国債、財政赤字を日本政府が抱えるに至っているのである。そのような点では日本資本主義は欧米の先を進んでいるし、欧米資本主義の先行きを示唆している。

 6)危機は財政危機となって現れた

 財政散布策は、恐慌で傷んだ民間企業の損失を国家が引き受け国家財政に置き換えた。何か解決をしたわけではなく、当然のこと各国の財政危機を激化させただけであった。「損」の付替えである。

 米国も日本も欧州も財政危機に陥っている。特に、ギリシャ・アイルランド・ポルトガルなどでは財政危機が先鋭化し、国債が暴落する局面にまですすんだ。
 これら諸国政府は、IMFなどによって強制的に財政再建・緊縮財政を強いられ、その結果国民に犠牲が転化されている。他方で国際的な投機資金は、国債の暴落さえ利益を上げる機会ととらえ動いた。人為的に暴落局面をつくり、空売りして儲けて逃げる対応を示した。仮に失敗してもCDSによって損をしないのである。
 投資における危険を回避を回避するための手段であるCDSが、反対物に転化し危機の爆発力を高めたのである。何という皮肉だろうか。「合成の誤謬」などと名前をつけることはできるのだが、クルーグマンと同じように「流動性のワナ」と名前をつけることはできるのだが、資本主義はこの矛盾を解決できない。

 緊縮財政にすれば景気は後退する。各国政府は、「景気を後退させないで緊縮財政を!」という「矛盾した舵取」を強いられている。いずれにせよ妙案はない。現代資本主義は容易に解決できない事態に追い込まれている。

 国際金融資本は、各国政府の政策、支配の枠、思惑を超えてうごめいている。

 今次恐慌は、米国からはじまった金融恐慌が、瞬時に世界金融恐慌となり、さらに世界的な過剰生産恐慌へとすすんだ。そして回復せぬまま各国の財政危機、欧州のソブリンリスクとしてその舞台を移したかの様相を呈してきた。

 しかしあくまで「舞台」の移動であって、その背後にいてこの事態を規定しているプレイヤーは、瞬時にして世界を移動するグローバル化した金融資本であることは、誰の目にも明らかである。グローバル化した金融資本は、貪欲に利益を求めて、徘徊しているかのようである。恐慌はその後ろを追って、爆発する対象を求め徘徊している。

 7)グローバル化した金融資本の運動こそ、今次恐慌を引き起こした 

 2008年恐慌を準備したものは、前循環における金融資本による巨大な資本蓄積であった。2000年代の前循環において、特に金融資本を中心とする世界資本主義は、不均衡を拡大して発展を遂げた。米国は財政赤字・貿易赤字を拡大しながら、日本・産油国・中国の貿易黒字を、米国の金融市場への投資として吸収し、世界へ再投資する関係を通じて、発展した。円キャリートレードなど世界中から膨大な投機資金が米国に集まり、新興国、発展途上国、旧社会主義国を資本主義世界市場に引っ張り込み、世界市場を拡大してきた。

 範囲の拡大ばかりではなくその深度において、欧米市場では、「異様な深化」をみせ、金融市場は拡大した。住宅価格の高騰を利用し、サブプライムムローンなどを通じ借金をしてまで住宅を購入させ、この証券を化し世界金融市場に放り込み、世界中の金融機関に売りつけて、さらに高騰させたのである。
 
 さらには、M&Aを繰り返し、世界中の投資機会に参入し、あらゆる機会から儲けを汲みつくしてきた。金融市場はその範囲において、その深度において、急拡大したわけである。投機資金が価値増殖を求め瞬時に世界を駆け回り、実際に莫大な資本を蓄積してきた。

 この金融資本蓄積の一方的な極大化が、先進資本主義国だけでなく、資本主義世界市場に引っ張り込んだ新興国、発展途上国、旧社会主義国などの勤労人民の最終需要、消費との乖離を拡大させ、2008年恐慌を準備した。2008恐慌はその関係の破綻、爆発である。

 さてこのような蓄積システムは、2008恐慌を経て変わったか?
 まったく変わっていない。  プレイヤーの顔ぶれは一部変わったが、その運動、ビヘイビアは変わっていない。
 それどころか、同じ枠組みに、過剰資本はますます投入され、行き場を失っている。それなのにさらに過剰資本が投入されつつある。

 経常黒字国が米国債などを購入しファイナンスする関係は、恐慌後も特に変わっていない。それどころか日本だけでなく中国など新興国、産油国、東南アジア諸国などの顔ぶれを巻き込み加えて、より大規模に加速度的に拡大している。変わったのは、その規模と速度であろう。さらに大規模にさらに早く瞬時に移動する。

 2008恐慌以来、先進資本主義諸国は低金利政策を採り、景気刺戟を意図したが、一向に成果は上がらない。いくら金利を下げてもこれを借りて生産を再開しようという資本がいない。

 例えば、日本市場の例について言えば、勤労者は収入が低下しているので自動車を買えない、そのため自動車市場は急速に縮小している。売れる見込みがないから、自動車資本は国内に投資はしない。投機資金は行き場を失っている。なかには日産のようにタイで生産し輸入する。そうすると日本国内では雇用もさらに増えず、勤労者層の収入も増えない。デフレとなる。結局、スパイラル的に市場は縮小する。そのため、いくら金利を下げても国内で投資は拡大しない。したがって景気も回復しない。

 金利を下げただけでは効果がない。  では、どう対処したか?
 日銀は、一段階深く、金融緩和政策に踏み出した。金利政策だけではすでに効果がないと判断し、日銀が直接、ETFなどの購入を通じた株式市場の下支え策までとるにいたった。2010年11月、米国政府も更なる金融緩和政策を採った。市場に直接資金を注入したのである。

 しかし、これら政策をとったが、先進資本主義国の自国市場が活性化することはやはり簡単ではない。なぜならば、このように金融緩和しても、その資金はいっそう国際的な投機資本に回り、新興国や資源や食糧への投機にまわるからだ。

 どうしてそのように言えるか?
 1990年代以降の、日本政府は同様の施策をとったが、多くの資金は実際には、円キャリートレードで日本市場ではなく米国市場、米国金融資本を通じて世界中の投資へと流れたからである。

 あるいは、2009年、2010年だけを見ても、欧米日資本主義の資金の多くの部分はすでに、新興国や資源や食糧への投機にまわっているからである。
 事実、2011年1月現在、大量の投機資金は一斉に中国・インド・ブラジルなどの新興国に流れ込んでいる。すでにこれら諸国では、インフレ基調になり、不動産価格は上昇し、不安定さをましている。また資源や食糧への投機にまわり、これら市況を暴騰させている。
 これらの動きをみれば、一目瞭然である。

 そればかりでなく、2011年1月現在、中国・インド・ブラジルなどの新興国はインフレ基調となり、一斉に金利を上げ引き締めに入っている。すなわち新しいバブルがすでに準備され、その爆発を怖れなければならなくなっている。
 ケインズのいう金融緩和政策はそもそも、「資本が過剰なところから不足しているところへまわし、不均衡を解消する」ことを意図した。「金融の不均衡」が、恐慌の原因だという診断に基づいている。確かに、当初はその効果もあった。しかし金融がグローバル化し、投機資金が莫大な額に達したため、価値増殖を求めて勝手に運動するようになった。金融のグローバル化によって発展は次の局面に移り、それ自体が金融の不均衡をもたらした。反対物に転化したのである。「資本の不均衡を是正する」のではなく、逆に不均衡を生み出す要因に転化した。

 (その昔、ロシアの経済学者ツガン・バラノフスキー恐慌の原因として「産業不均衡論」を述べた。当人にとっては不幸なことに、あるいはわれわれにとっては幸福なことに、ツガンはマルクスの同時代人であった。マルクスによって「産業不均衡論」は見事に批判されている(「剰余価値学説史」)。「金融の不均衡」を恐慌の原因と診断する言説は、ツガンの説によく似ているだろう。)

 景気拡大を期待し、米国市場や日本市場に投資されるのではなく、より利潤率の高い新興国市場に投資されている。また資源・食料商品市場へ投機され、資源・食料品価格は急上昇している。したがって、このような金融政策は、狙った成果を挙げることなく、逆に世界経済の不均衡をいっそう拡大することになった。

 金融資本の拡大・加速度的な運動それ自体が、世界資本主義の金融を一層不安定にしている。各国の金融政策、財政政策、景気刺激策、それらを無効にしている。

 各国政府は、経済危機を「制御」できるわけではない。そもそもでかくなった投機資金、金融資本グローバル化が、「制御」をほとんど困難にしている。
 であるにもかかわらず現代資本主義は、もはや投機資本を膨張させることでしか資本蓄積を進められないところにまで来ている。

 8)恐慌は資本をブラッシュアップする、労働者に犠牲を強いる

 マルクスの言うとおり、恐慌を経て資本主義は自動崩壊することはない恐慌は革命の母だが、革命なしに自動崩壊することはない。
 恐慌は資本をブラッシュアップする。コストを減らし、労働者を解雇し、低賃金労働者に置き換え、生産性を向上させ、恐慌下で形成された低価格でも利益を上げられるように、「損益分岐点」を下げて、利益を上げよう懸命になる。すなわち恐慌下で、資本は自己を変革する。できない資本は没落し交代する。

 不良債権を抱えた金融資本や住宅関係資本を除いて、2011年初現在、すでに米国でも、日本でも、欧州でも、大企業は収益を回復し、大きな利益を上げつつあり、そのことで株価も回復しつつある。

 しかし、その一方で、労働市場の回復は大幅に遅れ、失業率は高いままである。そのことは家計支出の大きな障害となり、最終消費が拡大する上での障害になっている。「資本の経営努力」によって、正社員は契約社員・派遣社員に置き換えられ、勤労者層は全体として、収入を減じられている。
 それに加えて、財政危機は、この先長い年月にわたって、教育・福祉の削減・切り捨て、勤労者への増税、消費税の増税などを準備する。
 
 世界経済を牽引したアメリカ社会が、借金をして消費を拡大する時代は去ってしまった。確かな資産の裏づけのある者にしか消費はできなくなった。次の経済循環においては、アメリカの勤労者は、貯蓄に励み、家計と政府の財政赤字解消をまず実行しなければならなくない状態に置かれた。そのことは、アメリカ経済の回復過程は、小さな緩やかなものにしかなりえないことを意味する。最終的に景気を規定する最終消費の点で、はっきりした限界を抱えている。

 日本でも、実態は同様であるだけでなく、ある意味より深刻である。失業と派遣労働などの不安定雇用は増大している。正社員といえども長時間労働、サービス残業、過労死を強いられている。派遣労働者など年収200万円以下の労働者が2000万人を超えた。年収200万円以下なら、実際に結婚もできなければ、子どもを育てることもできない。老後の保障とて確保できない。年金を支払えない世代が急増している。国民健康保険にさえ加入していない人も急増している。
 資本の利益のために、労働力の正常な再生産さえ破壊してしまっているのであり、そのことは確実に近い将来の社会全体の崩壊をもたらすことは誰の目にも明らかである。
 しかし、誰の目にも明らかであるにもかかわらず、資本は利益のために、価値増殖のために、社会全体の崩壊へと競って進む。自らすすんで止まることがない。その欲求もない、意思もない、したがって解決する力もない。

 他方、中国やインド、ブラジルなどの新興国においても経済は好調なのにも関わらず、失業率は高いままである。投機資金は利益を求めて世界中を回っているのであり、したがって生産性向上を要求し、労働者の切捨て、契約社員・派遣社員への置き換えを要求する。
 ではあるものの、巨大な投資が集中しており、蓄積も大きい。中間層が増え、消費も拡大している。今循環における数少ない期待されている回復の「エンジン」であるのは間違いない。
 
 TPPや自由貿易協定は、当面の市場を拡大する。景気は回復する方向へ作用するだろう。しかしそのことは国境を開いて大多数の勤労者の貧困化を拡大することでもあり、将来のより大きな不均衡を招来する、すなわち次の恐慌を準備する。

 近い将来のより大きな不均衡、すなわち恐慌を準備することを通じて、恐慌から回復する。資本主義諸国、または各国政府がどんな景気回復策をとるとしても、それ以外の方途を採ることはない。
 グローバル化した金融資本の更なる蓄積と貧困化する多数の勤労者の増大、しかも世界的な増大、この矛盾こそが、次の恐慌の根本的な原因となるであろう

 9)グローバル化した金融資本を縛れ!

 グローバル化した金融資本の蓄積運動を縛り、止める以外に、状況を変えることはできない

 金融資産から税金を取る仕組みや高額所得者への所得税増額が必要である。
 教育・福祉予算を確保させていくこと、生活保護だけでなく、セイフティネットのための予算を確保させていくことが何よりも必要である。 
 さらには、金融取引そのものに税を課すことは是非とも必要である。トービン税であるが、しかし、これは誰がどのようにどうやって実行するのか、現実的な力にまでなっていない。いまだモラルキャンペーンのレベルである。

 生活破壊に抗い、反恐慌策を要求し実行していく人々の新しいつながりが必要である。
 反恐慌政策を実行させなければ、未来社会は想像を絶する荒廃したものにならざるを得ない。資本主義社会は、発生当初の資本主義がそうであったような、野蛮で略奪的な姿に、確実に変わっていくしかないだろう。
 そのような意味で私たちは時代の転換点にたっている。 (文責:小林 治郎吉)


「脱経済成長論」は空論 [2008-9世界経済恐慌]

「脱経済成長論」は空論

ピープルズプラン研究所ATTAC Japan「脱経済成長論」が主張されている。

 ATTAC Japanは、フランスからセルジュ・ラトゥーシュ(Serge Latouche)を招いて講演までしている。

 「脱経済成長論」がいかに空論であるか、みたび論じてみよう。
 具体的に論じてみるのがよかろう。

 「脱経済成長」を一国で実現することを考えてみよう。
 「脱経済成長社会」を実現するには、「公正な」分配を行うことが必要である。少なくとも、資本と労働の間での分配比率を決して変えないことである。
 日本社会は、実際に、1991年から2009年まで、GNPにおいてゼロ成長であった。しかし、正社員の派遣社員化、不安定雇用の増大などによって、労働分配率は低下した。格差社会が生まれた。

 さて、資本主義のもとで、ゼロ成長は可能か?
 可能である。1991年から2010年までの日本は実質ゼロ成長社会であった。

 では、ゼロ成長社会で労働分配率を一定のままにできるか?
 できない。  より正確に言えば、資本主義のもとでは決してできない。

 なぜならば、日本資本主義は世界資本主義の中で競争しているのであり、ゼロ成長下で労働分配率を一定のままにすると、資本蓄積率が低下してしまう。例えば、ただでさえ高度経済成長している新興国の資本に比べ資本蓄積率が低いのに、あるいは欧米に比べてさえ低い成長率であるのに、そのうえ労働分配率を一定のままにしたら、資本蓄積率の国際競争において、大幅に差をつけられて資本間競争に負けてしまう。そんなでは国際競争に生き残れない。日本資本が生き残るためには、貧乏人を増やして格差社会にして、資本蓄積を少しでも増やす以外にない。これが、この20年個々の日本資本の取ってきたビヘイビアである。そのような行動を取らない限り、資本は生き残れない。

 もっとも、「全世界で現状の労働分配比率を固定し、競争などしない」という約束が、実現できるなら、ゼロ成長社会でそれぞれの資本は生き残ることができるだろう。したがって、「脱経済成長社会」が実現できるだろう。しかし、そんなことは理念の世界でのみ成立するのであって、現存の資本主義では成立しえない。

 そもそも、自由競争こそが資本主義である。競争などしないと誓いあえる資本主義など、資本主義ではありえない。資本主義である限り制御できない「無政府性」なのである。

 したがって、「脱経済成長論」は、資本主義の廃絶のうえにのみ成立できる。
 しかし、ピープルズプラン研究所ATTAC Japanの語る「脱経済成長論」は、資本主義の廃絶を前提としていない。

 したがって、「資本主義の廃絶」を前提としない「脱経済成長論」は、理念の世界にのみ存立するだけである。
 現実の資本主義世界においては、存立できない。ある種の理念運動、宗教運動の類であることは、明らかである。

 経済に対する、あるいは資本主義に対する理解、知識が決定的に不足している。実に愚かである。

 「脱経済成長論」が、単なる理念運動、宗教運動の類であることは、「脱経済成長論」を唱える者が「脱経済成長社会」を実現するには何をすればいいのか? 決して語ることがないという、この厳然たる事実が証明している。
 より正確に言えば、論理的に言って、決して語ることができないのである。(文責:小林 治郎吉)

余計なお世話だ!- IMFによる消費税アップの提言 [2008-9世界経済恐慌]

■余計なお世話だ!

1)IMFが消費税を引き上げるように提言
 IMF(国際通貨基金)は7月14日、「日本経済に関する年次審査報告」を発表し、先進国で最悪の水準にある財政健全化のため、2011年度から消費税を「段階的に」引き上げるべきだと提言した。具体的には11年度から徐々に15%まで上げるケースを例示した。

2)内政干渉だ!
 これは内政干渉そのものだ。IMFは何様だと思っているのだろうか!
 徴税権は、憲法で規定されている通り国民主権に属する。その是非を決定するのは日本国民である。そもそもIMFにはこのような提言をする権利などない。
 外から国民主権を勝手に侵害する団体・組織として、内政干渉する組織として、そして金融を通じて世界を支配する団体として、IMFが今日、登場しているということであろう。

 今年の5月のギリシャ・ショックの際には、ギリシャ財政赤字がギリシャ国債を暴落させたとし、融資の条件として財政赤字の早期解消、そのために消費税増税、国民の年金減額、福祉教育予算の大幅減額を迫った。
 これまで歴史的に形成されてきた国家主権・国民主権を、侵害し破壊する現代的な「支配者・侵略者」の登場である。かつては戦争と侵略で、植民地化で、国家主権・国民主権を侵害し破壊してきた。かつてはファシズムが、今日においてはIMFが、ということであろうか。

 こやつら債権を持っているからといって、やたら理由つけて債務国と人々を苦しめてきている、ダニかヒルみたいな組織にすでに転化・成長している。

3)そもそも財政赤字はどうして起きたか?
 日本の国家財政の膨大な赤字は、バブル経済崩壊以降10数年、景気の低迷時に国家予算から公共投資など支出し企業に利益を確保させることで積み増してきたものである。「資本に儲けさせれば経済は元気になって、働く者の収入も増える」という新自由主義の理窟のもとに、国家は資本にせっせと国家予算・資金を提供した。資本は儲けを拡大させたが、国民全体は貧困化した。
 「小さな政府」と言いながら、恐慌時には国家財政へ借金を移転させた。新自由主義とケインズ主義は、相対立するものではなくて、好況時と恐慌時にそれぞれ使い分ける「方便」だと捉えるのが、実態に近いであろう。新自由主義とケインズ主義の学者もストックしておいて、その時々に使い分ければいい。
 
 このやり方は現在も変わっていない。自動車産業や電機・住宅産業などを支援するために、エコ減税・エコポイントなどに財政出動している。最近では、大手日本企業の多くは最悪時を脱し、利益を計上するに至っているが、多くの国民はその生活は悪化したままである。低所得者層の拡大は、この国の将来の年金制度、国民健康保険制度などの見通しさえ立たなくさせた。

 これらの結果、膨大な財政赤字を計上するに至っているのである。
 ギリシャでも激しく人々は反発した。「これは決して、われわれ国民のせいではない!」しかし、ギリシャでは、消費税増税、国民の年金減額、福祉教育予算の大幅減額がすでに実行されようとしている。
 
 その通り、「これは決して、われわれのせいではない」。
 にもかかわらず、IMFの提言に対して、菅首相は抗議さえしなかった。それどころか、「IMFの消費税引き上げ提案、しっかり読みたい」と述べた。すでに財務省官僚にコントロールされて、消費税増税を唱えている菅だから、期待しようがない。
 
4)IMFの提言は、一方の利益を代表
 今回の提言には、「法人税は減らせ!」とまで述べている。提言の内容は、実に一方的である。一方の利害に忠実である。
 日本の財政悪化の原因の一つである、90年代前半には約27兆円あった所得税収を半減させた「所得税の空洞化」なども無視している。高額所得者の増税への転換が必要なこともハナから無視している。日本の法人税の捕捉率の低いこと、様々な抜け道のあることもさらに無視している。そのうえで、消費税をあげることだけを提言している。
 主張が、きわめて露骨ではないか。一方の利害に忠実である。

5)外からだけではない!マッチポンプ
 ここまで書いて、ネットで調べてみると、この報告は、OAP(IMFアジア太平洋地域事務所)と財務省の共同開催である5月10-19日の東京での会議をベースにしていると報告書の冒頭に書いてあるそうだ。OAP所長は日本人官僚の出向者である。ちなみに財務官僚はIMFに大量出向していて、この報告書は財務官僚によるIMFを使った消費税引き上げへのマッチポンプでもあることも指摘されている。

 報告書の趣旨は、IMFの立場と利益に沿うものであって、IMFに対する抗議と怒りは、撤回するものではないし、撤回する必要もない。
 しかしだ、財務官僚によるマッチポンプでもあることを知って、「IMFによる内政干渉ではないか!」と振りかざした拳は、振りおろす先が決してIMFだけでないことに、一瞬驚きとまどってしまったではないか。
 何やら腹の立つことばかり。
(文責:小林治郎吉) 





連休明けのギリシャ・ショック [2008-9世界経済恐慌]

連休明けのギリシャ・ショック

 連休明けの5月6日、世界的に株価が急落し、「リーマンショック再来か」と世界を震撼させた。「ギリシャ危機」が一時的に煽られ、投資家の心理が不安に支配され、世界中からリスクマネーが一斉に引き上げたからである。リスクの少ない通貨である円、米ドルが買われた。

 もともとは、08年の経済危機で市場が急収縮し資本活動が一斉に危機に陥ったため、各国政府が財政出動して需要を創出し資本活動を支え利益を保証したその結果、債務が国家財政に移転した状態になっていた。実質は、世界各国が膨大な財政支出によって金融市場の損失を補てんしたのである。そのなかで南欧諸国、とくにギリシャの財政赤字の程度が目立ってきた。

 金融市場の損を国家財政で補てんしたあとの、その小さなアンバランス・ほころびをとらえて、ヘッジファンド・投資銀行が、空売りをかけて利益を得るチャンスにしているのである。

 この不安定な状態をヘッジファンドがとらえ、ギリシャ財政不安を煽り、ユーロやギリシャ国債の大量売りをしかけた。何度かしかけた結果、この動きに呼応する投資家が現れ、さらにそのことが雪崩的なすべての投資家の一斉の「売り」につながった。ヘッジファンドは大量の空売りから価格が落ちたところで買い戻して莫大な利益を得た。これが5月6日、7日にかけて起きたことである。

 米株価の5月6日急落を「コンピュータの発注ミス?が原因」などと報じているが、まったくの偽りである。いずれ、だれの責任でもないと曖昧にして終わらせるだろう。ヘッジファンドが仕掛けたことはだれもが知っている。そしてヘッジファンドには大手の金融機関が投資している。最新の金融工学による「合法的な」利益の獲得であり、今まで何度もやってきたことだ。今回は損をした者も多く、かつこれまで辛抱して行ってきた各国の財政政策が無になり、かつ景気回復過程を破壊しかねない事態となっており、損をした資本、投資家から不満が出ているのである。コンピュータの発注システム?という適当なスケープゴートが必要だったのだろう。事態は、そんなレベルを超えている。

 現代資本主義では、このようなことは「合法」なのである。特に90年代以降の金融資本主義のもとでは、金融投資にとって新しい世界基準となっていった。
 古くは97年のアジア経済危機の時もそうだった。当時過大評価気味だったタイ・バーツへの売りが仕掛けられ、その乱高下を通じて、米国金融機関、ヘッジファンドは莫大な利益を得た。この時IMFは、危機をもたらした原因は、アジアの前近代的な商習慣にあったと診断を下した。IMFも仕掛けた側にいたからである。

 2000年代の米国金融資本主義の発展は、このような金融の新しい基準、新しい活動に負うている。

 ギリシャの危機は極大化され、IMFによる融資と厳しい返済基準を押しつけられた。財政赤字の削減、実際には公務員給与の減額、年金の減額実施がすでに計画されている。

 これまで人々が永年にわたる人々の闘いによってかちとってきた生活の向上や権利が、「新しい金融基準」によって暴力的に破壊されるのを、わたしたちはいま目の当たりにしている。欧州の労働者は、新自由主義を先に導入した米国や日本に比べて、労働時間・年休・短時間労働などでは有利な条件を保持してきた。この成果が、グローバル化した巨大資本の論理によって、奪い取られる過程が始まるのではないか、という不安にとらわれる。

 08年の世界恐慌、経済危機は、100年に一度の危機と言われた。実際に世界中に投資していた資本家にとっては100年に一度の震撼であったろう。大きく損をした者もあれば新たに利益を得た者もいる。支配層の顔ぶれと序列に変化があった。その点では100年に一度の危機だった。

 しかし、財産をもたない大多数の人々にとっては、2008年秋の時点ではとりたてて大きな変化はなかった。しかし、世界恐慌、経済危機に際して被った民間資本の「損」を国家財政に付け替えさせた結果、じわじわとわたしたちの生活破壊へと影響が出てきはじめる局面がはじまったし、さらにこの先長い期間続くと予想される。

 さて、今後の展開にはなお予断を許さない。ユーロ安に賭けるファンドや投資銀行の食欲は底抜けだから、欧州金融機関に不良債権があるとみればなお攻撃を緩めないだろう。とすれば信用収縮、信用不安が一気に広がり、資本がいったん投資先から引き揚げ、世界経済も「調整」から「後退」に広がりかねない情勢だ。(文責:小林治郎吉)

続いて「脱経済成長論」を論ず 山口響さんの論文 [2008-9世界経済恐慌]

続いて「脱経済成長論」を論ず 
 山口響さんの論文

1)経済危機の中の世界社会フォーラム
 山口響さんの論文、『「脱経済成長」が提起された――経済危機の中の世界社会フォーラム』(『季刊ピープルズ・プラン』46号(2009年5月発行)
http://www.peoples-plan.org/jp/ppmagazine/pp46/pp46_yamaguchi.pdf)は、世界社会フォーラム(以下:WSF)の報告である。その内容はきわめて重要で、また検討しなければならない多くの現代世界の認識・とらえ方・批判、そしてプラン案が含まれている。遅ればせながら、興味深く読ませていただいた。南米・欧州・中北米を中心とする5808もの団体が集った論議は、彼らがどのように現代世界をとらえ、どのように運動を進めようとしているのかをあらためて認識するとともに、議論の熱気が伝わってくる気もした。「世界は、人々は動いている」と感じた。その点では論文から多くのことを教わった。
 ただ、あまりに読んで気になる点がいくつかあるので、以下に述べさせていただきたい。
 
2)気になる点、その一
 その第一は、2009年1月の第8回世界社会フォーラム(以下:WSF)に参加した山口響さんが、「このフォーラムが「脱経済成長」を提起した」と書いていることだ。
 山口響さんのWSFレポートを見ての判断であるけれど、WSFでは「脱経済成長論」にどの団体も個人も言及していないように見受けられる。なのに、山口さんにかかると「WSFは脱経済成長を提起した」ことになるらしい。
 どのように判断したらいいのだろうか。少々、強引ではないか。あるいは我田引水的ではないか。
 もちろん、たとえ強引でも我田引水的でも、その根拠さえ明確であれば、どの団体・個人が言及さえしなかったにしろ、フォーラムが提起した課題を自分なりに解釈・読みかえることは可能であることは承認するし、しなければならないと思う。しかし、その論拠を示すことなく、自分なりに解釈・読みかえることは、決してしてはならない。これはあたりまえのことだと思う。しかしわたしには、山口響さんは、この「あたりまえ」を破っているように見える。

3)気になる点、その二
 「WSFでの論議、危機の原因は何か、新自由主義か?資本主義か?」
 「危機の原因は何か、新自由主義か?資本主義か?」こそ、WSFで論議されたテーマだという。
 
 わたしの個人的意見を先に述べておくと、上記の対立が必ずしも非和解的な対立だとは思わない。仮に、現代の危機が資本主義そのものの危機だとしても(わたしはそのようにとらえているが)、野蛮な現代資本主義である新自由主義への規制、すなわち金融取引への課税、金融システムの改革、食料やエネルギーへの投機の禁止、租税回避地の解体など政策の実施やそのプラン・要求・運動には、賛成する。規制であって廃絶ではないが、もちろん賛成する。実際には、上記の政策を実施しようとすることは、資本主義廃絶の過程でもあると思われるからだ。でなければ現実性が生じない。もちろん、資本にとっては、山口響さんが指摘されているように「排出量取引など環境を主軸にした規制のメカニズムも、そのメカニズムの上での新しい資本間の競争、新しい投機が生まれる機会」であり、資本主義存続の追求となるだろう。その可能性は常につきまとう。仮にそのような政策を実現したからといって、廃絶と継続の綱引き、闘争が終わるわけではないし、最終的に解決するわけではない。上記の対立が、局面が進み、和解的な上記の違いが非和解的な対立へと転化することもあるかもしれない。事態は矛盾した複雑な過程をたどるとしか言えない。しかし、だからといってわたしたちが頭の中であらかじめ、そのプロセスを決めてしまったり拒否することはできない。
 要するに、「危機の原因は何か、新自由主義か?資本主義か?したがって、解決のプランは社会民主主義か?、社会主義か?」と二律背反的に理念的に頭の中でとらえることであれば、そしてその対立を超越するかのような装いで「脱経済成長論」が唱えられるのなら、反対する。柔軟にとらえるべきだと思う。
 
 さて前置きが長くなってしまったが、気になる点その二は、山口響さんのこの議論への接近の仕方である。
 山口響さんは、「危機の原因は何か、新自由主義か?資本主義か?したがって、解決のプランは社会民主主義か?、社会主義か?」と議論を俯瞰し描き出した後で、このように述べる。

 「だから、私たちの側も、たんに新自由主義を終わらせればよいとか、あるいは、各国政府による景気刺激策の規模の大きさを見て「社会主義の復活」を単純に観測する傾向に与するわけにはいかない。やはり、資本主義という経済のありかたそのものを問題にしなくてはならないだろう。」
 
 「「社会主義の復活」を単純に観測する傾向に与するわけにはいかない」ことの論拠として、山口響さんは経済危機、恐慌下での国有化、すなわちAIGの国有化や金融資本の債務を国家が肩代わりすることを、あげている。しかしこれは、単純な勘違い、誤りであろう。恐慌下で破綻した資本を国家が救ったとしてもそれは決して社会主義ではない。国家による資本の救済であって社会主義ではない。かつて日本資本主義を最も「社会主義的だ」と描写した論述や報道がなされたことがある。個々の資本の資本蓄積が国際競争する上では相対的に小さかったので、国家を利用し対抗したのであって、そのようなものは社会主義でもなければ社会主義的でもない。単純な誤りである。まさか、このような誤りに影響され、言い訳する必要などなかろうと思うのだが。資本主義のもとでの国有化を論拠として、山口響さんが「「社会主義の復活」を単純に観測する傾向に与するわけにはいかない」と書いているのは、まったく理屈にあわないと思うのだが。

 上記の意味不明な論拠とともに、山口響さんが「危機の原因は何か、新自由主義か?資本主義か?したがって、解決のプランは社会民主主義か?、社会主義か?」の議論を超越したかのような、あるいは避けるかのような論述をするところが、小さなことではあるが、第二に気になる点である。そのような描出は、現代世界で不断に生まれつつある人々の批判、人民運動のリアリティから、遠ざかることになりはしないか?
 後で判明するが、どうもこれは「脱経済成長論」を主張するための「前ふり」のようだ。

4)気になる点、その三
 「資本主義と過剰生産」
 ここの叙述がわたしは最も重要だと考えている。どうしてかというと、「脱経済成長論」の根拠らしき事が書かれている唯一の箇所だからである。
 山口響さんは「現在の資本主義の特徴とは、…金融経済が支配していること…金融化は一九七〇年代ぐらいから始まった…そもそもこの実物経済自体が一九七〇年代の時点で過剰生産に陥っていた、という事実である。つまり、この過剰生産への指向、別の言い方をすれば経済成長指向を改めないかぎり、…」と書いている。

 「経済成長指向とは、過剰生産への指向」だというのだ。そしてこれを改めようという。これが、わずかに触れられた「脱経済成長論の論拠」なのだ。
 
 「過剰生産」とは何か?「過剰」とは何か?「消費に対する生産の過剰」である。消費と生産の乖離は、資本主義のもとでは不可避的に宿命的に周期的に起きる。限定された消費の水準にまで生産が、強制的に暴力的に引き戻されるのが恐慌局面。恐慌は消費と生産の乖離という形をとって現われる。もっとも恐慌の原因が、過少消費にあるわけではない。
 そもそも「過剰生産」は「資本主義の宿痾」ではないか。山口響さんが指摘する1973-4年の世界的な過剰生産恐慌(石油ショックと言われた)は戦後初の大恐慌ではあったものの決して初めてではなく、過剰生産恐慌は資本主義が発生して以降、何度も繰り返されてきた。もし、「過剰生産」を「脱経済成長論の論拠」というなら、わたしの理解によると「過剰生産、すなわち資本主義を廃絶しない限り」、「脱経済成長論」を主張することはできないことになってしまうのだが。結局、山口さんの論述を敷衍すると、こういうふうにとらえることになってしまう。
 
 資本主義そのものが「過剰生産」を不断に生み出す。そんなことは明らかだろうと思う。
 それを、「過剰生産への指向、すなわち経済成長指向」と書き換えるところに山口響さんの独自性がある。しかも、格別の論拠もなしに、言い換えるところに、山口響さんの独自性がある。

 そもそも「脱経済成長、経済成長への指向を改める」などとわざわざ言葉の言い換えをする必要などないではないか。山口響さんが論拠に述べた通り、「過剰生産、すなわち資本主義を廃絶しなければいけない」と言えばいいではないか。なのに、あえて「脱経済成長」と言い換えている。しかもこの言い換えは、よりあいまいに、より不明確になっている。
 なぜわざわざこのような言い換えをする必要があるのか、不明である。説明はなされない。
 むしろ逆に、説明なしに言い換えてますところに、「脱経済成長論」の特徴があるようにさえ思えるのだ。
 さて、ここに何か意図でもあるのだろうか、などと考えてしまう。

5)気になる点、その四
 ついでに気になる点、その四を先に述べておこう。
 山口響さんは「経済成長への指向を改めよう」と呼びかけている。
 これはいったい何をすることなのか?どういう政策のプラン、行動のプランとして描くのか?まったくわからない。というより、まったく書かれていないだから、わかりようがない。十分に検討しないで決めつけてしまうのはあまりよくないけれど、「プランの欠如、呼びかけのみ」というのが、「脱経済成長論」の一つの特徴のように見えてしまう。

 どのようなプラン、プログラムを通じて脱経済成長を実現するのだろうか?書かれていない。
 目標を掲げる者は、目標に至る過程を規定しなければならない。しかし、書かれていない。
 「脱経済成長論」の主張は必ずしも山口響さんだけではないようだ。でもわたしの見る限り、誰も「脱経済成長」を実現するためには何が必要なのか、述べていない、述べようとしていないように見受けられる。(ひょっとしたら、わたしが見逃しているのかもしれない。もしそうならば、ぜひお教え願いたい。)
 これは、とてもおかしなことだ。「脱経済成長論」を主張しているのは、山口響さんだけではなく、集団的な見解のようにも読めるが、わたしが見る限り誰もそのプラン、プログラムに触れていない。できればその論拠を書いたもの、「脱経済成長」を実現するプランを書かれたものを教えてもらいたいと思う。まさか誰もが見過ごしていて、誰もが気がつかないはずはないと思うのだが。この点が、不思議でしょうがない。
 この点は、気になる最も大きな点である。

6)言いたかったこと
 山口響さんの報告を読んで、特に途上国の人たちの置かれている現状と彼らの認識、運動の方向の一端がわかった。気にかかる点としてこのように書いたのは、山口響さんの報告されていること、書かれていることを尊重しないわけではない。むしろ、逆である。尊重しているからであり、その持つ意味を読み取ろうと丁寧に読んだ結果出てきた疑問、気になる点である。なるべく、わたしの疑問を率直に書くようにしたので、乱暴な言葉もいくつかあろうとは思うが、悪意はない。(文責:治郎吉)





「脱成長経済論」を唱えることは、現実的か? [2008-9世界経済恐慌]

脱成長経済論」を唱えることは、現実的か

1)「脱成長経済論」
 わたしたちの持つべきビジョンとして、「脱成長経済論」が唱えられている。

 「…民主党は、めざすべき経済のビジョン(たとえば脱成長経済)を持っていないから、その時々の経済状況に振り回されるご都合主義的な経済政策を行わざるをえないだろう。…」(「総選挙・政権交代と新政権の行方」 2009年9月6日 白川真澄) 
つるたまさひで 「経済成長?!いる?いらない?」ピープルズプラン研究所 9月30日掲載「今月のお薦め」
 
2)選択は可能か?
 つるたまさひでさんは、「経済成長?!いる?いらない?」なる「問い」を書いている。
 そもそもこのように問うことは、経済成長は、人々のいる・いらないという希望や意思による選択によって実現できることが、当然の前提として成立していなければならない。残念ながら、この前提は成立していない。
 たとえば、現在、世界を経済危機が覆っているが、「経済危機は、いる?いらない?」と尋ねたら、ほとんどの人はいらないと答えるだろう。でも「いらない」と望んでも、バブルと破綻を繰り返してきたし、これからもなくなりそうにない。これと同じ。
 
3)「経済成長」が原因か?
 二つ目の問題は、「経済成長」が原因であるのか、という問題である。
 環境汚染や地球温暖化、エネルギー資源の枯渇、開発による伝統的社会の急速な破壊、また長時間労働など労働強化や派遣社員などの不安定短時間艇賃金労働の増大など、最近の世界は混乱をきわめている。「このままだと未来はない」と多くの人が感じている。その通りである。
 原因は「経済成長にある」と考える人が出てきても、何ら不思議はないし、「経済成長が原因である」と考えた人が、「脱成長経済論」を唱えたとしても不思議はない。このように考える人の気持ちはわかる。
 「経済成長が原因である」場合は、このような思考は有効であろう。
 ただ、はたして「経済成長」がその原因だろうか?
  
4)「原因が経済成長である」ととらえる「認識」は正しいか?
 確かに、「経済成長したから、環境が汚染された、地球が温暖化した」のは、経過の描写としては間違っていない。確かに同時に進行し出来した。

 たとえば、わたしのうちの近くに踏み切りがある。電車が通るたびに「カンカン」警音を鳴らす。そのあとに電車が通過する。同時に出来する。
 「カンカン鳴ると電車が通る、警戒音が列車通過の原因である、したがって警戒音を止めれば電車が止まる」と、もし考えたとしたら、とんでもない間違いだろう。同時に出来したからといって原因とは限らない。
 「経済成長」が原因であると、まったく証明していない。
 
5)資本の価値増殖運動こそ資本主義
 わたしたちの生きている現代は資本主義社会である。資本の活動が社会的活動の主要な根幹をなしている。資本は、その運動の衝動力を価値の自己増殖に置いている。資本は資本の増大を目的に運動している。たとえば、資本家は資本を投資する、すなわち、原料や設備費、労働力を購入し、生産を組織する。生産したあと市場で販売し、投下した資本以上の金額を得る。すなわちG→W→G'の運動をしており、回収した資本G'は、最初に投下する資本Gよりも、大きくなければならない、あるいはG’がGよりも極力大きくなるように、資本家は努力を集中している。GよりG'のほうが大きいことが、資本活動の原理であり、衝動力である。その結果たる「経済成長」を規定している。でなければ、資本家は生き残れない。価値増殖の努力、目的にしたがって、たとえば会社組織は活動している。資本家とは、自己増殖する資本の運動が人格化したものであろう。

 さて、資本家に対して、「経済成長?!いる?いらない?」と問うた時、彼はどのように答えるだろうか?予想される反応は「GよりG’を小さくしたら、儲からないない。投資する意味がない」ではないか。

 さてわたしたちの問いは、「資本の自己増殖運動を是認したうえで、経済成長を否認できるか?」である。もし可能なら、事は簡単である。説得する運動を行えばいい。ひとりひとり資本家を訪問し、「経済成長しなくても儲かります」と説得し、考えを変えてもらうのがいいと思う。
 「脱経済成長論」はこの資本活動の「衝動力」の否定なのだ。
 
6)「脱経済成長論」は資本の価値増殖運動と矛盾する
 わたしの考えを結論的に言っておこう。
 脱経済成長論は資本の価値増殖運動と相容れない。
 むしろ、現代世界の危機的状況、すなわち環境汚染や地球温暖化、エネルギー資源の枯渇、開発による伝統的社会の急速な破壊、また長時間労働など労働強化や派遣社員などの不安定短時間艇賃金労働の増大などは、きわめて単純化して言えば、資本の自己増殖運動がもたらしてきたものであって、すなわち上記の問いは、正確にいえば「資本主義、いる?いらない?」と問うべきであった。あるいは、「資本主義のシステムは、この危機を回避できるか?この先どうしようもないとしたら、このまま続ける、それともやめる?」このように問うべきであった。
 
7)「脱経済成長論」の脆さ、危うさ
 「経済成長」という何が原因であるか不明の言葉で表示したことにまず、間違いがあった。
 あるいは、資本の活動が原因であると述べるとケンがあるので、なんとなく全体を指している「経済成長」という言葉を使ってソフトに表現したことによって、正確さを失った。
 あるいはあいまいな「経済成長」という言葉ゆえに、受け取ったそれぞれの者が自分の都合よく原因を理解することを意図的に期待して使った論者のずるさに間違いがあった、というべきではなかろうか。
 どの場合も、客観的には違いはない。
 いずれも誤りである。

8)オールタナティブとは?
 現代社会の様々な問題、矛盾の原因が資本の活動にあるとしないで、そこを意図的にあいまいにして、はたしてオールタナティブが描けるのか?という疑問に行きつく。そのようなことでそもそもオールタナティブと名乗れるのだろうか?はたして学問的なのか、という疑問が生じる。

 そんなことは無理ではないかと疑っている。もちろん、それが可能であるとの科学的な、学問的な説明をわたしはいまだ見ていないからそのようにいっているだけで、説明され道理が通っておれば自分の考えを撤回する用意はある。
 わたしたちの持つべきビジョンとして主張される「脱成長経済論」は、経済学的ロマン主義であろうと判じている。(文責:治郎吉)
  

  

世界経済危機とG20 [2008-9世界経済恐慌]

世界経済危機とG20


 1)G20閉幕
 昨年9月にはじまった世界経済危機をきっかけにはじまったG20は、昨年11月、今年4月に引き続き、9月米ピッツバーグで開催された。G20の定例化が決まり、世界的な経済問題を議論し調整する場は、G8からG20へ移行することになった。
 このことは、米国をはじめとする「主要国8カ国(G8)」の世界経済における影響力が相対的に弱まり、中国・インド・ブラジル・メキシコ・南アフリカなどの新興国の影響力・発言力が高まっている現時点での関係を表現している。超大国アメリカとて世界経済における地位は決して、万能・盤石ではないこと、むしろ「落日」にあることをあらためて如実に示したのである。
 
 住宅バブル、証券化などで背伸びした米国の「過剰」消費を前提にした世界経済は、もはや回らなくなったことをG20においても確認した。そのため、財政・貿易赤字の米国は消費を減らし、日本や中国などの新興国などの黒字国は内需を喚起し、そのことによってより均衡した世界経済の成長をめざすという「理念」において、合意した。
 しかし、合意したのは「理念」においてだけであって、各国政府はその実現のために何をしたらいいのか、何も決まらなかった。はたしてそもそも可能なのか、さえ明確ではない。

 2)処方箋は示されなかった
 別の言い方をすれば、何度もG20を開催したけれども、世界経済危機に対する有効な処方箋を示すことはできなかったということである。G20の重要性が強調されればされるほど、誇張されているという印象が増大するばかりで、ピッツバーグでのG20は「内容」は薄かった。G20は発足したが、すでにセレモニー化している。

 3)報酬規制――世界の賢人が集まって出てきた知恵
 唯一、G20で具体的に提起されたのは、「金融機関の暴走を防ぐための報酬規制」である。金融会社・証券会社のトレーダーの報酬は出来高払いのため、バブルをあおることで目先の報酬増大をめざした。この出来高払いの巨額な報酬制度が、今回の経済危機の「原因」だと、診断するのだ。したがって、報酬規制を導入すれば経済危機、経済恐慌は防げると主張しているのである。こんなことでホントに防げると考えているのだろうか? G20でマジメに論及されている。だいじょうぶか。
 ほとんど「笑い話」に近い。「目先の報酬増大をめざしてきた同類者」にとって現代資本主義社会の欠点は見えないということだろうか。

 オバマ大統領は「バブルと破綻を繰り返してきた、この繰り返しはもう受け入れられない」といったそうである(9月27日日本経済新聞)。そのためにトレーダーの報酬規制を主張している。たとえ、善意であろうとも巨額報酬への「道徳的非難」で事をおさめようとする以外に何ものでもない、すなわち「誠実な」無力さを、告白していることに他ならない。
 こうして、また忘れたころに「バブルと破綻を繰り返す」のである。


 

G8サミットと金融危機 [2008-9世界経済恐慌]

G8サミットと金融危機


1)G8サミットと金融危機

 G8サミットが行われているちょうどその時、世界経済は、サブプライムローン問題を引き金に金融不安が高まったきわめて不安定な状態にある。欧米の金融当局は、特に米国政府は信用不安をおそれて金融を緩和する以外に対処しようがない。せっせと金利を下げ、通貨流通量を増やしている。すると投機マネーが行き先を失い、世界を駆けめぐり、今度は石油や穀物・食糧品などの物価を上昇させてしまった。インフレが確実に進み人々を苦しめている。しかし、金融当局は景気後退が気になって、金利を上げられない。もっともたとえ金利を上げても下げても、どちらにしても危機は避けられそうにない。

 その結果、資本主義世界経済は身動きがとれず、事態の推移を見守るしかない。G8サミットの討議内容を見てもよくわかる。

 わずか数年前には、「デリバティブを駆使したまったく新しい金融工学」、「資本主義の矛盾を克服したIT資本主義」と称し、もてはやされ金融資本は世界中の富を手にした。「スマートに」掠め取ったといえる。しかしいまやその活動、その存在自身が、金融危機・経済的危機をもたらす要因に転化したこと明らかになった。経済を、より大きく育て制御できなくした結果、自分自身へと跳ね返ってきた。

 サブプライムローン問題は、90年代の日本の「バブル経済破綻」とまったく同じだ
 資本主義的金融危機以外のなにものでもない。実際に、このようなことは誰でも指摘できるし、指摘している。しかしだ、わかっていても事前に止めることができないし、できなかった。破綻にまで進まなければ気がつかない。バブル経済はバブルが破綻しなければ、すなわち資本の価値増殖運動G→W→G’が継続しているうちは、バブルではない。破綻して、すなわちG→W→G’が成立しなくなって、初めてバブルだったと特定できる。だから破綻しないうちは、価値増殖運動G→W→G’が成立しているうちは、あくまでバブルではない。これは資本主義そのものの持つ避け得ない本質的な性質=経済運動であって、したがって「本質的な欠陥」であって、わかっていてもこのように何度も「バブルの破綻」を繰り返さざるを得ない。

 結局のところ、資本主義の無政府性は、何ら解決されなかったことが明らかになったし、そもそも解決されうるものでもないことが重ねて明らかになった。資本主義は、「金融工学」、「IT資本主義」などと装いをどのように変えようと、人類の未来を描き出すことができないことを、またしても誰の目にも明らかにしてしまったといえよう。

 どんな最新の装いを持って現れようとも資本主義の下では、貧乏人を増やさなければ資本は利益を拡大できないという「ありきたりの真実」を、今回も確認することになった。資本主義であるかぎり、このような未来しか約束することができない。

 この10年、金融資本が大もうけしたことは、その別の一面として、途上国をはじめとして多くの人々が一層の貧困におちいり、飢え・人権侵害をもたらした荒廃した社会を出現させた。途上国ばかりではない、先進国においても、「格差社会」が進行し貧しい大量の人々が出現してしまった。

 現在の事態は、誰もコントロールしないし、コントロールできなくなった「妖怪」が世界市場を駆け巡り、破産する者を求めて徘徊しているさまと似ていよう。

 もちろん、金融危機は永久に解決不能ではない。誰かが犠牲を負うならば可能だ。果たして誰が破産するか、損をこうむるか。

 誰かが損を負担しなければならないが、自分が犠牲になることは承諾しない」。G8首脳は皆このように考えた。

 誰かが、つぶれなければならない、誰かが損をかぶらなければならない。そうして最終的帳尻をあわせなければならない。

 かつて、バブル経済破綻に対して日本政府が行った「公的資金の注入」は、「損」を国家という収奪機構を通じて人々に転化することでこの危機に対処した。その結果、日本政府の「借金」である、国債・公債発行高は、1000兆円に達しており、深刻な財政危機がこの先何十年も続く。もちろんわれわれはそのツケを現在と遠い将来にまで負うている。既に年金制度、福祉予算、医療費などが削られているし、消費税アップは当然のこととして語られている。

2)G8サミットは何か有効な手立てをとることができたか?
 G8サミットはこうした金融市場の混迷と地球温暖化こそ対処すべき問題であるという大方の一致した認識にもかかわらず、なんら有効な処方箋を提示することができなかった。金融市場の混迷に対しては、まともに討議する議題にさえならず、何ら統一的な政策をとることができない。
 むろん投機マネーの運動は、一国政府が制御できる以上の大きさに達していることを追認しただけとなった。ただ、「制御すべきである」とする論調は、何度も何度も主張されるが、誰もが自身の個別的利害に囚われて、統一的な政策、制御に達することができない、という資本の既存利害という「単純な壁」にいつも跳ね返され、現実性を持つことができない。

 G8においては地球温暖化への対策の必要性を、各国政府首脳の誰もが認めながらも、この点でも、統一的な目標数値の採択にさえ至らなかった。単にビジョンの一致にととどまった。何のための首脳が集まって、会議を持ったのかさえあいまいになったほどだ。こんなことなら、G8会議など必要ないのではないか、誰もがこのように自問したであろう。

 G8首脳が一致したのは、途上国と途上国人民に対する、あるいは対立する先進国の利害だけである。先進国間の利害調整の場にさえならなかった。
 したがって、「反G8サミット」は、途上国人民と先進国の住民が共通して、先進国支配体制、支配層を告発するスローガンとして、現在もまた近い将来も現実的でありつづけるだろう。
 もっとも現在にかわる未来社会のシステムは、すぐには見えてはいない。未来社会は現状の社会に対する徹底した批判から立ち上がってくるのであろうから、「反G8サミット」運動の果てにあることは確かであるだろう。(文責:小林 治郎吉)

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