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「即位の礼・大嘗祭と信教の自由――真宗者の立場より」菅原龍憲さん [靖国、愛国心、教育、天皇制]

菅原龍憲さんの講演

「即位の礼・大嘗祭と信教の自由――真宗者の立場より」
19年12月12日(木)


――当メモは、参加した筆者が菅原さんのお話をうかがい理解したかぎりでまとめました。また聞き漏らしたと思われるところを当日配布された資料の一部も引用し補充しました。理解が及ばず間違いもあるかもしれません。それらを含めて文責は筆者にあります。――
      
菅原龍憲さん、山陰教区、蔵坊前住職 
 1940年生まれ、父親が戦歿者、真宗遺族会代表、1985年の中曽根首相の靖国神社への公式参拝に抗議し原告に加わり裁判を始めた。小泉首相靖国参拝違憲アジア訴訟団原告代表でもある。

1)天皇代替わりの儀式、大嘗祭とその意味 

 19年秋、愛知トリエンナーレでもめていた最中に愛知の市民団体から呼ばれ、天皇制について話をした。私の前の回に天野恵一さんが講演され、右翼が押しかけて騒然となった。最近思うのは、天皇制の問題を語り合うのが難しい時代になったということだ。

 私は1940年生まれであり、この年は皇紀2600年と言われた。もともと皇紀など誰も知らなかったのだが、天皇制政府がにわかに持ち出し、天皇のお祭り、国家的なお祭り行事を行った。

 当時、中国との戦争が膠着してなかなか終わらず、国民のあいだでは厭戦気分が蔓延していた。ちょうどその時、天皇制政府は皇紀のお祭りをした。古色蒼然・荒唐無稽だと冷静に考えれば誰でも思うだろうが、当時の国民は政府のつくり出した熱狂的な雰囲気に圧倒され飲み込まれ、一挙に国民の心情は天皇へと統合された。政党は大政翼賛会に組織統合され、1941年太平洋戦争開戦へと進んだ。天皇のお祭りには上記の通り、レッキとした政治的、イデオロギー的意味と役割がある。支配者の望む戦争体制をつくりあげたのだ。天皇による祭祀が果たした役割、その結果日本政府・日本軍がどのような歴史をつくり出し、日本国民はどのような道をたどったか、きちんと認識しておかなくてはならない。

 そんなことを顧みながら、今回行われた大嘗祭の意味を併せて考えるべきなのだと思う。支配の側から国民の精神を統合していくことは、国家による国民支配をとても有効なものにする。「天皇による祭祀や天皇の行為、祈り、天皇存在そのもの」それらの機能は、「幻想の喚起による国民の心情の統合を促す」ところにある。一見、荒唐無稽と思われたものが、実は政府による支配、天皇による支配にいかに有効だったか、このことを私たちはしっかりと心に留めておかなくてはならない。

2)天皇の行う祭祀の役割 

 この秋に、徳仁新天皇が伊勢神宮に参拝したことについて、旧暦でいえば11月20日ころまでが「神無月」だから、伊勢神宮の神・アマテラスは出雲に行っていて不在ではないか? そんな伊勢神宮に参拝するのはおかしかろう? と伊勢神宮に問うたところ、「神には天津神(あまつかみ)、国津神(くにつかみ)があって、アマテラスは天津神であり、神無月でも出雲に行きません」と言われた。
 神話の解釈もすでに都合よく改変されている。

※註:天津神と国津神:
 日本書紀などによれば、天津神(アマツカミ)とは高天原(タカマガハラ)にいる神々、または高天原から天降った神々の総称、アマテラスやニニギなど。国津神(クニツカミ)とは、地に現れた神々の総称。高天原から天降ったスサノオや、その子孫である大国主(オオクニヌシ)など、天孫降臨以前からこの国土を治めていたとされる土着の神(地神)が国津神とされている。
 日本神話においては、国津神である大国主命(オオクニヌシ)が、ニニギを筆頭とする天津神に国土(葦原中国)の移譲したことが「国譲り」として描かれている。アマテラスなどを祖先とする有力な氏族が支配・征服者となる過程で天津神となり、平定された出雲などの地域の有力者や人々が信仰していた神が国津神になったものと考えられる。
*****

 伊勢神宮で年に30回ほどの行事がある。考えてみれば、皇室は年中祭祀礼をやっている。その費用は、公の宮廷費(公の費用)、内廷費(天皇家の費用)と分けてはいるものの、どちらも税金であって国費から支出されている。

 天皇代替わりの儀式、一連の行事があり、総仕上げとして11月14日の大嘗祭があった。
 大嘗祭では、三種の神器を引き継ぐ「剣儀等承継の儀」を行った。三種の神器は連続性の装置だ。所有者が変わろうが「神器」は連続するので、支配が連続しているように見える。神器を引き継いで所有するがゆえに、皇位を引き継ぎ正統・神聖であるかのように見せる。「アマテラスの霊が歴代天皇に憑依し連続する」というストーリーを表現する「道具」なのだ。

3)国体―「三種の神器」が天皇の神聖性・宗教性を示す

 「三種の神器」の承継の儀が、即位式のなかで最重要だとしている。それはどうしてか?

 「三種の神器」こそが国体の象徴だからだ。それは天皇の「神聖性」「宗教性」を証するものであり、天皇制が「万世一系」で揺るぎないこと、天皇制支配の連続性・持続性を主張しているからだ。

 昭和天皇は独白録のなかで、1945年8月に戦争を終結した理由として、「三種の神器が奪われる、だから講和した」と述べている。「米軍が伊勢湾に上陸すれば、伊勢熱田神宮は直ちに敵の制圧下に入り、神器の移動の余裕はなく、その確保の見込みも立たない。これでは国体の維持は難しい。故にこの際、私の一身は犠牲にしても講和をせねばならないと思った」(昭和天皇独白録1945年8月)。

 木戸幸一日記によれば、広島への原爆投下を聞いた時、最初に裕仁が発した言葉は、広島の被害についてではなく、「三種の神器を避難しなければならない」だった。

 京都で、白井聡さんを招いて念仏者9条の会で講演会を持ったことがある。白井さんは「菊より星条旗、天皇は力を失っており、国体は米国支配に変わっている」と述べた。

 私は、この点には納得できない。天皇制は終わっていない、連続している、国体は変わっていないと思う。「国体」は、戦後もなお「天皇」であると私は考えている。そのことを示すのが、「三種の神器」である。天皇が天皇たるものとして支配を受け継いで来たというレッキとした歴史の事実があり、いまも生きているからだ。「三種の神器」は連続した支配を象徴している。

4)徳仁天皇「即位儀式・大嘗祭など」違憲訴訟を提訴 

 19年12月10日、即位儀式、大嘗祭などの代替わりの一連の儀式を国費で賄うことは違憲行為だとして、全国の市民、宗教者ら241人が、国を相手取り公金支出差し止めと損害賠償を求める訴訟を東京地裁に提訴した。しかし、地方裁判所ではなかなか受け付けないし、口頭弁論もなかなかさせない。

 30年前の明仁天皇の大嘗祭の際には、全国から1700人の原告が集まり、勢いがあった。昭和天皇の場合は、戦争と結びついていたし戦争責任問題があったので、1700人が原告となり提訴した。今回の原告は241人だった。明仁天皇が「親しみ深い」、「国民の信頼が高い」と言われていることと関係しているのだろう。

 前回の明仁天皇の「即位・大嘗祭違憲訴訟」に対する1995年3月の大阪高裁判決は、「大嘗祭は神道儀式の性格を有することは明白」として、目的が宗教的意義を持つことを認め、「少なくとも国家神道に対する助長、促進になるような行為として、政教分離規定に違犯するものではないかという疑義は一概に否定できない」と指摘した。私たち原告は敗訴したが、このような内容を含む高裁判決はすでに確定している。

5)国を救済するために最高裁が存在している 

 私たちは靖国訴訟を闘っているが、なかなかいい判決は出てこない。最高裁ですべて覆されてしまう。最高裁長官は形式上であっても天皇が承認するシステムになっている。

 最高裁がひっくり返し、国を救っている。国を救済するために最高裁が存在していることを、私たちは知らなくてはならない。

 靖国訴訟で高裁は、憲法違反の判決を下した。実際のところ、戦死者名簿は厚生省が握っている。軍人会、遺族会に靖国神社に祭ってくれと請願させ、厚生省から地方自治体へ調査を通達し名簿を作成している。逃亡者、投降者は祭られない、地方自治体で調べなおして、厚生省へ送る。厚生省は合祀基準をつくり合祀手順まで作成した。実際には厚生省=国がすべて行っていることだ。

 高裁はそのことをとらえ国の憲法違反という判決を下した。ただ判決内容は、「国は憲法違反したが、靖国神社は祭る自由があるのだから合祀取り消しの理由はない」だった。合祀の手順・基準は違法だが、靖国神社の自主性だという理屈をつくり出して、国を救った。「靖国神社に信教の自由があるので祭っても問題ない」と述べ、ひるがえって国の責任も問わなかった。

 常識からいえば、国が憲法違反したら、それに従って行ったことはすべて違法だが、判決はそれをすり抜ける判決を出した。
 司法はすでに「人権の砦」の立場を放棄している。国家を守る、政権を守る役割を果たしている。
 
6)民草に恩恵を施す 

 明仁天皇は、災害地を訪問しているが、「民草に恩恵を施す」という帝王学に基づいて行っているにすぎない。ひざを折って言葉を交わす、民に恩恵を施すのが帝王学であり、天皇への「信頼」を勝ち取る重要な要件なのだ。必ずしも明仁天皇に限ったことではない。

 ただ、民と天皇の「交流」ではないことはよくわきまえておかなくてはならない。天皇から民に声をかけることはできても、民から質問はできない。

 ある種の新たな「神格化」である。「好感と信頼が持てる」と勝手に国民が思うのだが、そういう形を通じて権威をつくりあげている。その結果、天皇の赴くところには異常な事態が起きる。

 私の住んでいる近くの三瓶山で植樹祭があり、そこに明仁天皇が来た。道路には1mごとに警察官が配備され、そのために全国から警察官が動員された。天皇の行事を遂行する場合は、超法規的であって戒厳令のような国家による動員体制が敷かれる。どのような法的根拠、基準があるのか不明だ。植樹祭の前に、住民の特別戸口調査を行った。精神病者はいないか、犯罪歴のある者はいないか、リストアップして「監視をつける」、「排除する」ことが公然と行われた。天皇の側から警護について、それをするな云々とは、一度も言及したことはない。こういうところ、天皇制の実像は戦前といささかも変わることがない。

 本質的には「仁慈と暴力」という問題ではないかと思う。
 昭和天皇と沖縄のことを考えたら、問題は明確になる。アジア太平洋戦争末期に沖縄は捨てられた。そればかりでない。1947年9月17日、昭和天皇は天皇制を守るために米軍は沖縄にいてもらいたいと申し入れた「沖縄メッセージ」を宮内省御用掛・寺崎英成を通じて密かに米政府に送り、沖縄を二度捨てた。そのため昭和天皇は沖縄に行っていない、行くことができなかったのだと私は思う。棄民した人たちに恩恵である「ねぎらいのお言葉」を施すことはできなかったのだろう。

 「民草に恩恵を施す」という帝王学に関連して、西光万吉(1895-1970)さんの話がある。西光万吉さんは水平社宣言を起草した一人。永六輔(1933-2016年)さんが西光さんと会った時(1968年頃)、水平社宣言の最後の文言に触れ西光さんが語った言葉を、永さんが書き留めている。

<水平社宣言の最後の部分
・・・・・祖先を辱しめ、人間(じんかん)を冒涜してはならぬ。そうして人の世の冷たさが、何(ど)んなに冷たいか、人間を勦(いた)はる事が何んであるかをよく知つてゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃するものである。
 水平社はかくして生まれた。 
 人の世に熱あれ、人間(じんかん)に光あれ。

大正十一年三月   水平社   1922年3月3日、京都市・岡崎公会堂にて宣言


 「人間(にんげん)」ではなく「じんかん」と読むと西光万吉さんは言われたと永さんは記す。人と人との関係を冒瀆してはならないという意味だそうだ。また水平社宣言の前の草意書?に「人間は勦はる(いたわる)ものではない、尊敬するものだ」と表現しているという。「労(いたわ)る」「勦(いた)はる」――上位にある者が下位にあるものを「いたわる」という意味だ。したがって、我々が考えている「いたわる」とは意味が違う。「勦はる」=殺すという意味もある。

 天皇の「いたわる」は、まさしくこの意味だ。上位にある者から下位の者=民草に恩恵を施すことだ。

 天皇の「希望します」とよく言う、「希望いたします」とは決して言わない、敬語だから天皇は使わない。天皇・皇后の「誠実さ」であると国民の側が勝手に誤解し、その誤解の上に立って腐敗した政府・政権のなかにあって天皇・皇后を一服の清涼剤、「聖なるもの」であるかのように受け取る傾向がある。これは私たちが天皇制を誤解する道、もしくは誤解につながる道だととらえなければならない。

 森達也さんという方がいて、天皇制に批判的なことも時に言う人だが、明仁天皇を「誠実な人」だとと発言されたので、そのような言い方は少しおかしいのではと問いかけたことがある。

 天皇制という枠組みがあるなかで、その人の人格に言及することがどれほどの意味があるのか? と私は考えている。あるいは、天皇制という枠組みを問わないでおいて、天皇家の人々の個々の人権を取り上げることは間違いだと考えている。「天皇制という国家機構のなかに組み込まれている民主主義の否定の意味」を、「天皇個人における民主主義否定、人権喪失」という限界内でしか対象としえない、認識しえない、考え及ばないということであろう。

7) 象徴天皇制は天皇制の最高形態 

 権力による支配・統治の装置として「天皇は国家の最高祭祀である」、象徴こそが天皇制の本質ではないかと私は考えている。権威の象徴である天皇と政治をつかさどる権力の二重システムはわが国に連綿と受け継がれてきた権力構造である。

 天皇の宗教性、神聖性が権力の側にとってどれほど重要かを明らかにしなければならない。

 天皇の本質は、よく言われるような「元首化」ではない。自民党憲法改正案には「元首化」がうたわれているが、私は天皇の本質は「元首化」ではないと考えている。

 天皇を元首とすべきだという主張は実際のところほとんど存在しない。元首であったのは、明治から敗戦までという近代天皇制の前半の時代くらいであって、多くは「君臨すれども統治せず」だった。

 先ほども指摘したが、天皇は祭祀権を持っている。年中、祭祀漬けだし、伊勢神宮の頂点に立つのは今でも天皇だ。敗戦と新憲法、象徴天皇制への転換によって、明治憲法で規定されていた三権のうち政治的統治権、軍事的統帥権を失い、天皇には宗教的祭祀権だけが残った。しかし、そもそも祭祀権だけを持つ時代が大半だった、「天皇は象徴だった」と言い方をしてもいい。大半の時代はそうだったといえる。象徴天皇制になったからといって、生まれ変わったとか、戦前とは違うとかと言って、批判せずに受け入れてしまう傾向があるが、これがよくない。

8)政治が天皇を利用しているのではない 

 憲法20条は天皇を規定するためにできていると考えている。
 秋篠宮が「祭祀は内廷費で行うべき」と発言した。秋篠宮が発言すること自体が問題であり、その発言をもとに憲法学者や知識人が賛成したり云々すること自体がさらに大きな問題である。

 「政治が天皇を利用している」という人がいる。権力の構造がわかっていないのではないかと思う。権力と天皇は一体化している。権力が天皇を神聖化している。権力は、神聖性という背景がなければ立ち行かないことを知らなくてはならない。

 「日本会議」を支配しているのは右翼でありカルトであるが、問題は神社本庁だ。国家に認定されている宗教である、それが怖い。

 このように考えるなら天皇制は権力そのものであるから、「天皇制を政治利用する」という言い方は正確ではない。天皇制そのものに問題がある。「天皇制を利用したと批判する場合、天皇制そのものへの批判が欠如している」ということが生じると思われる。

9)国家の宗教性―天皇の宗教性・神聖性は権力にとって極めて重要 

子安宣邦:『戦う国は祭る国
国家への忠誠心を収斂させ、国家を国民の新たな信仰共同体たらしめるような宗教性により、国家それ自体が国民の犠牲を期待しうるような聖なる存在にならなねばならない

 権力は国民に犠牲を求めるのだが、一方的な抑圧政策だけを出すわけではない。犠牲を強いられても仕方がないというイデオロギーをつくりだし、支配されている人が支配されているという感じを持たないようにする。そのための天皇の神聖性である。

 戦前のわが国の軍隊は「国軍」ではなく「皇軍」であった。天皇の神聖化が国の隅々まで広がり、天皇の統率する軍隊ゆえに「皇軍」(すめらみいくさ)と呼ばれた。天皇の行う戦争は「聖戦」となり、戦死者は「英霊」となり「軍神」となった。「聖戦」の「英霊」が「侵略戦争の戦死者であるはずはない」という理屈だ。あるいは、「英霊」にしてしまえば、「軍神」にしてしまえば、「戦争責任」を追及されることもない。戦争責任回避の理屈が組み込まれている。
 あれだけ巨大な犠牲を内外に強いて戦後なお、日本人の精神風土は微塵も揺るがなかった理由だ。

 犠牲になった遺族たちが靖国神社の白州にひれ伏して天皇を迎えた。遺族にとっての理不尽な死と天皇制とはなかなか相容れるものではないが、補完する制度もある。軍人恩給、遺族年金は、本来は本質的な意味は保障、賠償である。しかし遺族たちは褒章として受け取る。褒章をもらった遺族が持ち帰って地域で見せびらかせる。うちの人は国のためによく働いたと周りに訴える。遺族たちが仮に貧困におちいり差別的な扱いをされるようなことがあったとしても、遺族は天皇との関係、靖国との関係を意識し生きることができる。
 
 沖縄戦で犠牲になった2歳の子供が、「準戦闘員であり、日本軍に壕に譲った」という合祀基準によって靖国に「英霊」として祭られている。実際には、壕に避難していた住民を日本軍が追い出し自分たちが入ったのだ。「英霊」として「慰霊」することで、加害も被害も不問にする意味がある。

 「慰霊」が天皇による祭祀として行われる。「終戦記念日」での戦死者への慰霊を、広島・長崎・沖縄・東京の犠牲者たちの「慰霊」を唱える。「多くの犠牲の上に築かれた平和」であると語り、加害と被害を不問にし、戦争責任を追及しない。昭和天皇自身の責任も不問とし、そこから反転し日本人全体に責任があるかのように論点が移動させ、結局、誰も責任を負わない無責任体制を波及させている。
 天皇による「慰霊」は無責任体制をつくり出しているのだ。

 原発の災害地を訪問し犠牲者の冥福を住民とともに祈ることで、加害と被害の枠組みを雲散霧消させ、政府や東京電力の責任を免責することにもつながっている。

 神聖性という基準で犠牲者をほめたたえていく状況をつくりあげて、抵抗が起きないようにする。背景に神々の世界を置くことでこれを実行する。憲法20条の根っこにこのような考え方がある。たしかに抑圧感を感じさせないために権力は宗教を利用しているのである。このことに気づかなければならない。

10)親鸞聖人と神祇 

 天皇の問題は、親鸞聖人ご自身が抱えてきた。親鸞聖人は、法然聖人流罪、4人の聖人を死罪にしたことを激しく批判し、公文書で怒りの言葉を述べている。

 親鸞聖人の教えは、神々の支配のもとに除災招福を求めていた人間から、神々を恐れず祈らない人間へと転回することを教え、人間の尊厳を回復するものである。







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天皇制は、すでに憲法を逸脱しつつある [靖国、愛国心、教育、天皇制]

天皇制は、すでに憲法を逸脱しつつある
        
1)「汝ら、悔い改めよ!」

 「汝ら、悔い改めよ!」とは、元は新約聖書にある言葉だという。この言葉を、トルストイは1904年6月に英国「タイムズ」誌上で発表した日露戦争に反対する「非戦論」の冒頭に置いた。東京朝日新聞は、杉村楚人冠が訳し「トルストイ伯 日露戦争論」という表題で、1904年8月2日~20日、計16回連載している。また、週刊「平民新聞」は、1904年8月7日第39号、幸徳秋水・堺利彦の共訳で、紙面一面から六面までつぶして「汝ら、悔い改めよ!(Bethink Yourselves!)」と題して一挙掲載した。「平民新聞」第39号は、発売後ただちに8千部売りつくしたという。

 ちょうどその頃、23歳の魯迅(1881年-?1936年)が、1904年9月からの仙台医学専門学校入学を控え、東京ですごしていた。留学生仲間のあいだでこの記事が話題になっていたのだろう。
 22年後の1926年、帰国していた魯迅は厦門(アモイ)で短編小説『藤野先生』(1926年)を執筆し、そのなかでトルストイの「非戦論」「汝ら、悔い改めよ!」に触れ、「……これは新約聖書のなかの語であろう。だがトルストイが最近に引用したものでもあった。時あたかも日露戦争、トルストイ翁はロシアと日本の皇帝にあてて公開状を書き、冒頭にこの一句を置いた。日本の新聞社はその不遜をなじり、愛国青年はいきり立ったが、・・・・・・・」(魯迅『藤野先生』竹内好訳)と記している。(佐藤春夫・増田渉訳『藤野先生』は、訳者がこの部分を削除している)

 杉村楚人冠による東京朝日新聞紙上の訳文は、表題を「トルストイ伯 日露戦争論」とし、「汝ら、悔い改めよ!」のくだりを省略している(自粛、自己検閲したのだろう)ことから、魯迅が『藤野先生』で述べているのは週刊「平民新聞」の紙面を指しているのが判明するという。(以上は、黒川創『鷗外と漱石のあいだで』(2015年)から、多くを引用した)

 当時、日本の新聞社は、トルストイの「非戦論」の内容よりも、「汝ら、悔い改めよ!」と呼びかけた相手にロシアと日本の皇帝が含まれていたことをとらえて、魯迅の記した通り、その不遜をなじり、愛国青年はいきり立ったのである。いきり立ったのは、愛国青年というより、その背後にいた、日露戦争を推し進める日本政府と日本の支配層そのものでもあった。

 実際のトルストイの論旨に沿えば、その所論は、「戦争の下では皇帝の言葉も政治家たちの演説も、現状を追認するものにしかなりえない」。つまり、「悔い改めよ!」との声に導かれて、戦争という事態を根本から考え直すことができるのは、帝王、兵士、大臣、新聞記者といった立場を離れ、ただ一個人として物事を考えられる者だけだ、とトルストイは主張する。またそれは、ひとりキリスト教だけではなく、仏教、イスラム教、儒教、バラモン教など、あらゆる世界に通じる大法である、とくに日本人の多くは仏教徒であると聞くが、仏教は殺生を禁じているではないか、と彼は述べる。
 

 「帝王、兵士、大臣、新聞記者と言った立場を離れ、ただ一個人として物事を考えられる者」たるべきとトルストイが考えたのは確かなようで、キリスト教に基づくトルストイ自身の考えとともに、人類に対する希望、信頼、あるいはそのように信じたい彼の「願い」が表れている。その「願い」は、日露の政府や支配者、すなわち帝王や、大臣、新聞記者等には響かなかったが、そうではない多くの民衆に確かに影響を与えた。

 注目すべきは、この時の日本政府、新聞、日本社会のとった対応である。日露戦争に反対する主張や考えに対し、その内容を検討するのではなく、天皇へ「汝ら、悔い改めよ!」と呼びかけるのは「不遜、不敬」であると非難の合唱を浴びせ、抑え込む世論が意識的に組織されたことだ。

 この洪水のような宣伝のなかで、国民は、帝国憲法上は天皇が始めた戦争に、「自主的自発的」に協力するように誘導される。「自主的自発的」に応じない者には、「皇室に対する罪」として不敬罪(刑法74条、76条)、大逆罪(73条)という強制が、当時の日本社会には存在した。「自主的自発的な支持・協力」と「強制」の二つは、セット・表裏一体である。「平民新聞」に関係した幸徳秋水ら多くは、1910年、大逆罪で26名が逮捕され、12名が死刑とされた。当時の政府、権力者らが幸徳らを弾圧し殺した理由の一つは、日露戦争で「平民新聞」が国策に公然と反対し非戦を説いたことにある。

 そのようなことを考えるならば、一つ重要なことは、当時の「(天皇への)不遜をなじり、いきり立ったという愛国青年」の姿がどのようであったか、どのように社会的雰囲気を醸成したか、当時の社会の状況、人々の気分や態度はどのようであったか、私たちはよく考え、想像してみなければならない。どんなふうに愛国を主張したのか? どんな言葉を吐いたのか? 愛国の主張は、賛同し従わない者へのどのような乱暴な暴力を伴っていたのか? 多くの日本人は、どのように恐れおののき、かかわらないようにしたのか? そのことで従ってしまったのか? それらをよく調べ、想像し、認識しておかなくてはならない。

 なぜならば、2019年の現代に同じような現象が、再び生じているからである。
 そして次に、どのように対処しなければならないかを、現代に生きる我々はよく考えなくてはならない。そのうえで、決して放置するのではなく、対抗する行動に踏み出さなければならない。

2)もう一つの最近の出来事

 2月7日に韓国の文喜相(ムン・ヒサン)国会議長(74)が「慰安婦問題の解決には天皇の謝罪が必要」と発言した。文議長がブルームバーグとのインタビューで、慰安婦問題に関し「一言でいいのだ。日本を代表する首相かあるいは、私としては間もなく退位される天皇が望ましいと思う。その方は戦争犯罪の主犯の息子ではないか。そのような方が一度おばあさんの手を握り、本当に申し訳なかったと一言いえば、すっかり解消されるだろう」と語ったのだ。

 この発言にはいくつかの問題が含まれているのだが、

 一つは、天皇の退位、即位に際して、「戦争犯罪の主犯の息子」という話題が常に出てくるというのが、アジア諸国の、あるいは国際的な常識だということに改めて、気づかされることだ。

 「裕仁天皇は、戦争犯罪の主犯だ」とは、日本人の多くが、決して表向き言わないことだ。TVや新聞は決してこのようには報じない。明仁天皇でさえ、昭和天皇は平和を志向していたなどと、デタラメを言っている。なぜ本当のことが言えないのか!

 日本社会と韓国社会、あるいはアジア諸国とのこの「温度差」を、日本人は深刻に、あるいは正面から受け止め考えなければならない。果たして日本人のうち何人が、「裕仁天皇は、戦争犯罪の主犯である」ことを正面から受け止め、考えたかだ!
 無視しても、国際社会との「温度差」は決して解消などされない。
 TV、新聞は無視して済ませるようである。

 二つ目は、慰安婦問題の解決は、日本政府が、日本軍による犯罪と被害事実の一つ一つを認めたうえで、真剣な公式謝罪を行い、被害者に賠償しなくてはならない、そして二度とこのような被害を繰り返さないために、被害事実を調査し公表し研究・教育しなければならない、ということだ。したがって、文喜相国会議長の言うように、ただ明仁前天皇が頭を下げて謝罪すれば済むというものではない。
 きっかけの一つにあるかもしれないが、そんな「きっかけ」をつくってくれては困る。
 
 三つ目、なぜならば「天皇の地位は、主権者たる国民の総意に基づく(憲法第一条)」のであって、国民に主権があり、天皇は単なる象徴にすぎない。議長は、天皇を国家元首であると誤って認識している。

 天皇は「政治的機能を有しない」、それは天皇に権力を集中した戦前の大日本帝国憲法の欠陥に対する反省から、天皇の権限に厳格な制限を課しているのである。天皇制は戦争の原因の一つであった、あるいは原因をつくった(と評価された)から、「政治的機能を有しない」規定が入っているのである。一番いいのは天皇制の廃止だが、当時そこまでできなかっただけにすぎない。天皇制が存在する限り、日本国民は再び戦争を招く要因、理由を持ち続けることになる。危険極まりない。

 天皇の政治的行為は憲法で規定している象徴の役割の逸脱であり、政権による天皇の政治的利用へとエスカレートする。その点でも文議長は、間違っている。

 上記のような問題があるのだが、ここで言いたかったことはそのことではなく、日本社会から生まれた「反応」である。

 「天皇陛下に失礼だ!、不遜だ・・・・・」という反応が、マスメディアで、あるいは現代の「愛国青年」がweb上で、大量に現れたのである。慰安婦問題の解決をどのようにすべきか、という点について触れずに、「天皇陛下に失礼だ!、不遜だ・・・・・」と対応でもって、問題を押し流そうとしている。115年前の「日本の新聞社はその不遜をなじり、愛国青年はいきり立った・・・」のと似た現象を繰り返しているのだ。発信源、その大元は、安倍政権であって、権力に従う大手マスメディアが、「失礼だ、不遜だ・・・」という報道を意図的にまき散らしている。

 この反応に、日本社会の内部から、明確な批判がほとんど出てこなかった。メディアは何も指摘しなかった。驚くべきことだ。

 天皇の退位、即位の祝賀ムードの洪水のなかで、批判はしづらい雰囲気は確かに醸成されている。むしろ祝賀ムードは批判を押しつぶす役割を果たすものだ。表裏一体である。そう認識すべきなのである。祝賀ムードをまき散らすのも、発信源は安倍政権である。

3)天皇制は、すでに憲法を逸脱し機能しつつある

 私たちの周りには、権力や権威あるものにすがろうとする「風潮」が確かに存在する。しかも権力や権威は声高に、強引に主張する。

 他方、われわれのあいだ、例えば家族や近所、職場では、表立って主張しない雰囲気がある。相手が気まずくなるのではと忖度し、もめごとはなるべく避け、たわいもない話だけに終始する。その結果、表面的な人間関係しか形成できない。こういう関係しか持てなければ、人々は連帯することも少なくなり、政府からの、メディアからの、周りからの「祝賀ムード」の洪水に流されるしかなくなり、対抗できなくなる。こういう関係もまた表裏一体になっている。

 洪水のような祝賀ムードとともに、天皇制は、すでに憲法を逸脱し機能しつつある。
 すでに4月5月の退位、即位の儀式において、国家神道に基づく儀式や祭礼に対しても国費を支出しており、数々の逸脱がすでに公然と行われた。祝賀ムードによって、この「逸脱」を強引に実行しつつあるのを、我々は目の前で見ている。元号の使用、日の丸の掲揚も、祝賀ムードのなか強行されている。

 祝賀ムードに、どのように対抗していくかを考えなくてはならない。天皇制に反対するには、天皇制反対のデモで参加したりしてはっきり声をあげることはとても大事であるが、それととともに、身の回り、職場や近所の人たちのあいだで、このムードにどのように対抗していくかも、また重要なのだ。

(2019年5月8日記、文責:林信治) 

 5月に原稿をいただいていましたが、手違いで掲載が遅れたことをお詫びします。





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「戦後日本の変容と『歴史問題の和解』の課題」 [靖国、愛国心、教育、天皇制]

 10月19日、広島で「安野 西松和解10周年記念集会」があり参加した。
 そのなかで、外村大(東京大学大学院教授)さんの講演があり興味深く聞いたので、メモをもとにまとめた。ただし、筆者が勝手にまとめたので、文責は筆者にある。理解が至らない、あるいは誤解しているところがあるかもしれない。それも筆者の責任である。

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 「戦後日本の変容と『歴史問題の和解』の課題」
 
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<10月19日、外村大・東京大教授>

1) 戦後の出発と友好親善運動 

 戦後出発において、日本社会と日本人はなかなか戦争責任を明確に認識し、謝罪する・・・というふうにはならなかった。

 その原因・背景には、冷戦構造がある。冷戦構造下において日本はアメリカの庇護のもとにいたことで、日本政府は近隣諸国に対して戦争責任を認め、謝罪せずに済ませることができた。中国や朝鮮、アジア諸国の人々とは市民運動として交流がなかった。サンフランシスコ講和条約は単独講和であり中国、韓国は呼ばれなかった。中国とは1972年まで国交がなかった。それらのことは、日本人、日本社会にも確実に影響を及ぼした、アジアへの日本の侵略、支配という歴史を明確に意識しなかったし、見ないままにしてきた面がある。そのため、戦争責任や加害事実を認めること、謝罪し賠償することに対し、無自覚なまま過ごしてきたと言える。

 戦後の平和運動を引っ張ってきたのは労働組合であり、社会党、共産党である。いろんな努力があったにしても労働組合は企業別労働組合でインターナショナルな意識が生まれにくいところがあった。市民が海外に出ていくことはきわめて難しかったし、アジア諸国の人々との交流も意識的に追求されてこなかった。

 戦後の日本社会では、日本人は被害者という考え方が支配した。アジア諸国民への加害の歴史には触れることはきわめて少なかった。日本の戦死者・遺族は、保守系の軍人恩給連盟、日本遺族会に組織されていくという問題があった。その過程で保守的な歴史観が遺族の間で支配的になったという経過をたどった。

 もちろん、日本人と日本社会は、戦後出発からちゃんと侵略と植民地支配のことを考えるべきだったし、そこにおける加害と支配の歴史を考えるべきであった。

 戦後の日本には80万人の在日朝鮮人・韓国人がいたが、運動の側、人々の側も内政不干渉、国交回復が主な目標となって、日本の過去の植民地支配を批判することはすくなかった。そのことは在日の人の受難と被害の歴史を認め、権利回復を考えるというふうにはなかなかならず、逆に在日の人が日本社会のなかで「遠慮して」生きなければならない状況を広げた。

 戦後を通じて現在まで、日本人の多くは、植民地支配を悪いことと認識していない。「創氏改名」とか「徴兵制度」を敷いたのはよくなかったが、それ以前は善政を敷いて、朝鮮を近代化したという認識を持つ人が多かったし、現在もなお多い。

2) 被害者の人権救済活動の開始 

 1965年に日韓条約が締結された。
 戦後日本の突出した経済成長は、日本をアジアへ再び経済進出させ、アジア諸国との経済関係を再構築させた。しかし、それは経済成長によって膨張した日本経済が、新たな市場、基盤を求めた経済進出であり、かつての植民地支配や侵略に対する批判がきちんとされないままの進出だった。

 アジア各国政府と各国支配層は、経済成長する日本との貿易や投資のために、日本の経済進出に応じる対応をとった。経済進出したものの日本政府や日本企業は、かつての植民地支配や侵略に対し謝罪せず、それどころか触れもしなかったため、アジアの人々から批判が立ち上がった。しかい、日本政府はアジア各国政府を相手に、経済協力、経済援助などをばらまきそれに対応する姿勢をとった。
 そのためこの時期になっても日本人と日本社会の大勢は、過去の侵略や植民地支配に対して、加害に対して、意識せずに済ませてきた面がある。あるいは、経済援助の問題、「お金の問題」と理解する傾向が生まれた。

 そんななかで、市民運動のあいだで、在韓国被爆者への支援の始まりがあった。市民運動のなかから被害者の人権侵害に対する救済運動が始まる。ただし、当時の中国人や韓国人には実際的には日本へ入国できなかったし、他のアジア諸国の人々にとっても、日本に入国することはほとんどできなかった。

 アジア近隣諸国との関係をどうするのか、国民的な議論があったわけではないが、市民運動のなかに人権救済の動きが生まれたことに注目したい。

3) 冷戦後、80年代末

 アジア諸国の経済的発展、市民社会の形成にしたがって、台湾や韓国で民主化運動が力を増してくる、被害者が声をあげてくる、市民団体、人々の交流も盛んになってきた。

 1990年代初めには 慰安婦の問題が取り上げられる、韓国の金学順さんが慰安婦被害者として初めて名乗りあげ、外交問題になった。そのほかの国々でも名乗りをあげる慰安婦被害者が続いた。アジア各国における一定の民主化の進展、人権尊重の機運が、被害者が名乗り出る条件をつくった。

 日本政府の対応は、93年の河野談話、95年村山談話、アジア女性基金などとして現れた。遅ればせながら「戦後処理」が課題となったのである。

 このような変化は、90年代前半は、確固としたものではなく「ぼんやりとしたもの」だったが、日本が謝罪したほうがいいという世論が、日本国内で生まれだしてきたからでもある。当時の若い世代は、「謝罪への転換」に賛同しており、戦後補償に肯定的だった。周りの国や市民からの批判に対して、どう対応するのかという課題が浮かび上がってきたのをそれなりに意識したと言える。

4)世論の逆転と国民間の葛藤の激化

 90年代末から「揺り戻し」が起きている。
 90年代末、新しい教科書をつくる会若手議員の会、のちに日本会議が発足する。
 どうして揺り戻しがおきたのか? これは何か? 歴史修正主義はなぜ広がったか?注意深く検討しなければならない。
 日本の右翼保守層が時間をかけて準備してきたのは明らかだ。雑誌、TV・・マスメディアのあいだで、歴史修正主義が徐々に広がっていった。
 
 政府や保守的な論調、右派の主張などがあふれるようになった。その結果、日本社会では、戦後補償の問題を「個々人の人権侵害の救済」というより、「国家間で調整する問題」ととらえる認識、傾向が広まった。その浅い認識の上に「まだ、韓国や中国は謝罪を要求するのか?」という気分が日本人のあいだに広がった。

 日本人の多くは、韓国や中国、アジア諸国から歴史問題を持ち出されると、日本人と日本が攻撃されているような認識を持つ人が多くなった。人権侵害の救済の問題ととらえることができない。

 そのような認識が果たして正当なのか? についての国民的な議論がほとんどできていない。
 日本政府は95年に、慰安婦被害者に対し「アジア女性基金」で対応した。その考え方は、「要求は、どうせ最終的にはお金でしょ」、だから「お金を配って解決する」という考え方である。日本政府がお金を払った、基金を創設したことから、日本人の多くもそのような認識を持つに至っている。「とにかく政府が頭を下げ、お金を払う」それが解決というとらえ方があったし、いまもある。その考え方が克服できていない。

 一旦支払ったのに、韓国政府や慰安婦、徴用工の被害者が「いまだに解決を要求するのはおかしい、お金を払ったのだから、そのあとは触れてほしくない」というのが、多くの日本人の本心に近い認識であろう、そのような認識を多くの日本人が現在もなお持っている。

 日本人と日本社会は、いまだに「責任」の意味を誤解している、あるいは正しく理解していない。それゆえ、歴史問題を持ち出されると日本人全体を攻撃されているととらえる、そういう傾向が多数を占める「奇異」な状況が成立している。

 2000年代から日本社会では 「和解」が一つのキーワードとして頻繁に語られるようになった。キーワードとして頻繁に出てくるのは、それなりの理由がある。

 頻繁に出てくるものの、日本人と日本社会は「和解」の本当の意味を理解していない。

 本来の「和解」の意味は、過去の戦争・植民地支配に対して、日本政府が加害の事実をきちんと認めたうえで謝罪・賠償であるが、そのことが理解されていない。人権侵害の救済であることが理解されていない。その上で、あるいはそれとともに、市民社会が隣国の人々と関係をつくっていくことでもあることが理解されていない。

 隣国から歴史問題や戦争責任を提起されて、「その問題を解消したい、あるいは未来志向でもはや忘れて対処したい、何で解決しないんだ‥‥」などという気持ち、問題の本質がどこにあるか認識していないイライラが、「和解」というキーワードになって現れている。

 戦後の日本の経済成長によって、アジア諸国と人々にお金を配って関係をつくってきた、過去には触れないできた、それですましてきた。このような関係、考え方に影響を受けている日本人、日本社会は認識を転換しなければならない。市民運動はその課題を自覚して日本人のあいだに、新たな歴史認識の共有を意識する運動を進める必要がある。そのような努力をアジア社会の市民運動とも共有していくなかで、加害者側の意識の変化、被害者側の納得、これら全体を実現していくことがが、本当の「和解」の意味となる。

 それができていない、あるいは意識的に自覚されていない面がある。それゆえ、日本市民の間で、近隣諸国の「反日」へのいらだちが見えるようになっている。例えば、2005年廬武鉉大統領の3・1節演説などに、「反日」だという反応が出てくる。
 あるいは、韓国や中国が歴史問題に触れれば、TVなどは「反日だ!」という反応、報道が出てくる。
「反日」へのいら立ちが「和解」という言葉の繰り返しを生んでいる。

5)市民運動のこれから

 「和解」の意味をきちんととらえなおした上で、めざす市民運動の活動が重要である。そのために市民運動の歴史を意図的に記録し記憶していく必要があると、私は考えている。

 現在は、国家間の和解ではなく、日本社会における国民内部での分裂、対立が広がっている。現代日本社会は、困っている人を助けようという気運が、最近明らかに後退している。
 その背景には、日本経済の衰退、格差拡大、それに伴う市民一人一人のいっそうの孤立、分断化があると思われる。

 「経済大国」日本の姿は薄れた。「アジア唯一の先進国」の地位が日本人の自信の根拠だったが、その基盤が崩れ自信を喪失している。他方において、中国はすでに日本の3倍のGDPであるし、台湾、韓国はすでに一人当たりのGDPは日本とほぼ並んでいる。技術革新においても、すでに中国企業や韓国企業が多くの分野で日本企業を凌駕している。日本はここ20数年、ほとんど経済成長していない。そのなかで格差が拡大し、貧困化や地方の荒廃、労働者の階層化を分断、孤立化が目立っている。

 戦後の日本はアジア随一の高度成長を成し遂げたことで、日本人と日本社会はある「自信」のようなものを持ってきたし、その気分でアジア諸国の人たちに接してきたが、いまその基盤、背景が崩れている。
 
 市民社会、市民運動においては、「自信」を別の基盤の上に再構築することが必要だ。その基盤は、日本国憲法であり、人権尊重の理念である。それを現代と近い将来の日本人と日本社会の「自信」の新たな根拠にしていかなくてはならないし、市民運動は意識的に追求していかなくてはならない。その上に、市民社会、市民運動同士の国際的な信頼、連帯が広がるのだろうと思う。
(文責:林 信治)





















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5月3日 立川での憲法集会 [靖国、愛国心、教育、天皇制]

遅くなりましたが、5月3日、立川で行われた憲法集会の報告です。

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5月3日、立川で憲法集会

250名の参加があり、盛会

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<5月3日憲法集会、歌う田中哲郎さん>

 5月3日、立川・柴崎公民館で現憲法の平和主義・国民主権を擁護する集会があった。
 田中哲朗さんが歌った。歌もよかったが、あいだの話もよかった。企業は儲けのために、会社への批判を許さない、人権を侵害する、談合をする。そんな沖電気を告発し続けている田中さんがいかに原則的であるか、よくわかる。
 田中さんは、戦争は企業の利益追求が起こすものだと断言した。その言葉を聞いて、はっとした、その通りだと思う。やはり「人が人を搾取する制度と、人が人を殺す制度=戦争とは同じ」だ。資本主義が戦争の原因である。とりわけて現代における戦争の危険は、新自由主義がもたらす。戦争を引き起こし、あるいは自然災害や国家財政破綻を機に、これまで歴史的に獲得してきた民主主義の制度や人権、労働者の権利を破壊し、現代資本の儲けのシステムを導入してしまう。リビアの戦争、シリア内戦やウクライナ危機を引き起こしているのは、新自由主義である。
 憲法9条を守っていくことは何よりも重要だが、現代の戦争の原因である新自由主義とどのよう対抗していくかが、新たな戦争の脅威と戦う上で必要となってきている。
 集団的自衛権とは、「解釈」によって憲法を守る守らないという対立、9条をめぐる対立を回避し、一足飛びに米国とともに混乱した国々へ、軍隊の派遣を狙ったものである。さらには資本進出し支配することを狙っている。

 池田浩士さんの講演も興味深かった。ナチスがどのように支持を得、権力を握っていったか、ドイツ国民レベルでの実態を報告した。
 当時のほとんどのドイツ国民はナチを支持したし、戦後になってもなお「あのころはよかった」(非公式に)というドイツ人が多くいるという。
 歴史上もっとも民主的だったワイマール憲法の下で、ナチス党が、ドイツにおける民族主義、排外主義を煽り、国民の支持を得、権力を握った。第一次世界大戦敗北の賠償と世界恐慌の影響で苦しんでいたドイツ国民は、確かにナチスを支持した。宣伝省ゲッペルスでメディアを統制し、反対者は内務省権力ゲーリングが弾圧した。それでも選挙では過半数をとることができなかったナチス党は、全権委任法を制定し、それ以降は選挙をせず、支配を確立した。
 メディアが進んで権力におもねる現代日本の姿は、ナチの時代のメディアとよく似ている。メディアは政府の意向を先取りした報道しかしない。さらには嫌韓・嫌中を煽り、その結果多くの日本国民を、韓国嫌い、中国嫌いに変えてしまった。まるでゲッペルスの宣伝を見るようだ。
 このような事態に陥りながら、多く日本人は危機感を持っていない。歴史を学んでいないのではないか、と池田さんは刺戟的な問いかけをして講演を締めくくった。
 この日は250名の参加があり、盛会だった。

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「天皇中心の美しい国」でいいのか? [靖国、愛国心、教育、天皇制]

「天皇中心の美しい国」でいいのか
2・11反「紀元節」集会とデモ


<2・11のデモ、右翼の妨害>

 2月11日夕方、全水道会館での2・11反「紀元節」に参加した。70人くらいが参加した。
 右翼の妨害がありながら、デモは最後まで整然と行われた。
 右翼の妨害は、「天皇制暴力」が現在もなお存在していることを示す一つの例証である。

1)憲法20条改悪のこと
 山本浄邦さん(憲法20条が危ない!緊急連絡会事務局)から、憲法改悪は、9条ばかりではなく、憲法20条「信教の自由」の改悪もぜひ注目しなければならないと提起された。山本さんは西本願寺の僧侶である。
 自民党改憲案では、憲法20条3項の政教分離、すなわち国家神道と国家との結びつきを厳しく禁止した3項を改訂しようとしている。それは、「習俗、社会的礼儀」なるものは「政教分離」の例外であると規定し、靖国神社への首相参拝、忠魂碑や地鎮祭への公費支出などを合法的なものと規定しなおし、国家-靖国―国家神道の関係を復活、もしくは新たに再構築するものであることを指摘した。自民党改憲案は、首相の靖国参拝など裁判で負けたり問題になっている点を、この改悪で処理しようとしている。
9条だけが強調されていて、20条の問題は指摘されて始めて知った。確かに指摘されるとおりである。

2)「すでに一木一草に天皇制は宿ってはいない
 昨年の集会で、鵜飼哲氏が講演した言葉が印象に残っている。「戦後言われてきた『一木一草にも天皇制は宿る』ような状況はすでになくなった」と彼は述べた。そのことは、現在の日本支配層が必ずしも戦前のままの天皇制復活を考えていないことと関連すると理解される。
 今年の集会基調でもそのことは一部触れていて、安倍政権は右派政権であるけれども「親米右翼」としてしか存在しえず、この点に示されるように戦前のままの「天皇制復活」を考えられない状況下にあると指摘していた。
 確かにその通りである。現代において「鬼畜米英」というわけには行かない。もっとも「親米」はあくまで現状において選択せざるを得ない路線であって、絶対に変わらないものではない。中川昭一政調会長の独自核武装発言や、麻生太郎外相の米によるイラク戦争と占領政策の稚拙さを指摘する発言は、米に対する日本支配層の要求と利害対立を意識させるアドバルーンとして発せられてはいる。その「不満」表示の程度は親米基調に比べてはるかに小さく、それを揺るがせることをはじめから意図していない。この程度は、現在世界における日米間の軍事力、政治力の差と比例するかのようである。
 それから集会基調で指摘されていた「戦争国家化」。まっすぐに「戦争国家化」にすすんでいるとは言えないだろうし、やはり一つのオプションとしてとらえるべきだと思う。現代世界において戦争によって新たな侵略・支配を打ち立てる道筋は、日本政府にとっては、米と比べても圧倒的に不利である。その米にしてもイラク戦争の失敗のように武力による世界支配は必ずしも成功していない。武力拡大策は「アジア支配」においてさえ成功を約束することは難しい。
 いずれにせよ、日本支配層の意図を的確に受け取ることが必要だ。「戦前の天皇制復活反対」と言ったとき、様々なシステムが思い浮かべられるが、「戦前のようになるから反対」と危機感をあおって進められるかどうか、確かに疑問はある。

 構想されている「天皇制」の内容、特徴、方向についていうならば、「親米右翼」問題のように個々の項目で戦前との違いを指摘するのでは、全体像を描き出せないであろう。日本資本主義、帝国主義の発展と現代世界での位置に規定されて、この先形成しようとしている日本の政治体制の一つのオプションとしてのプランが構想されていると受け取らなければならないだろうと思う。  戦前の天皇制ファシズムは遅れて侵略、世界分割に参入しようとした当時の日本のめいっぱいの政治システムであったから、ある意味では日本帝国主義の弱さの表現でもあった。したがって、現在と近い将来においては、ベースは「議会制民主主義」としながら、危機に瀕したときのオプションとしてのシステムを、天皇制-靖国-愛国心-教育、これら一連の動きのなかに支配層は模索しているのであろう。だから、原理的には矛盾するけれども、形式的な「議会制民主主義」と融合したシステムを構想しているのではないか。日本帝国主義はこの先、発展の見通しが立たないとすれば、そのオプションはより危機に瀕したときのものとして構想されるのであろう。


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愛国心は誰に必要なのか?--御手洗ビジョン [靖国、愛国心、教育、天皇制]

愛国心は誰に必要なのか?

1)日本経団連(御手洗富士夫会長)は1月1日今後10年を見据えた将来構想「希望の国、日本」(御手洗ビジョン)を発表した。
企業・官公庁が日常的に日の丸を掲げ、君が代を斉唱することを初めて提言。憲法9条の改正も求めるなど政治色が極めて強く、しかも右派潮流であって、安倍首相の主張に近い内容である。

2)御手洗ビジョン
御手洗ビジョンは140ページ。産業競争力の強化や経済連携協定の締結促進、税制改革、労働市場の改革など19の優先課題を提示した。
・「日の丸、君が代」については、「・・・国を愛する気持ちを育む」「教育現場のみならず、官公庁や企業、スポーツイベントなど、社会のさまざまな場面で日常的に国旗を掲げ、国家を斉唱し、これを尊重する心を確立する」ことが明記されている。
・「愛国心」の必要性も強調している。「愛国心を持つ国民は、愛情と責任感と気概をもって国を支え守る」と記述されている。
・憲法改正も課題の一つに位置づけ、「戦力不保持をうたった9条第2項を見直し、憲法上、自衛隊の保持を明確化する」「・・・・・集団的自衛権を行使できることを明らかにする」と提言している。

3)日本経団連が法人税引き下げ要求
その一方で、日本経団連(御手洗富士夫会長)は、法人税の税率を30%に引き下げるように要求している。現在の日本政府の借金は、国債を中心に約800兆円、地方債約200兆円を含めれば、1000兆円を超える。来年度もなお、国家財政は支出が収入を上回り、不足分25兆円を国債発行でまかなわなければならない。今年度は不足分が30兆円であったのが、景気の回復で法人税収入が増え、25兆円となる見通しが発表された途端、日本経団連は、その分法人税を引き下げろと要求しているのだ。

 1000兆円を超える国の借金は、あまりにも額が大きく、敗戦直後のインフレで、国債や軍票を無価値にしたのと同じやり方で踏み倒すしかないと、エコノミストたちは真面目に語っている。すなわち、敗戦直後、国民や侵略先のアジア諸国の人びとは、窮乏生活を強いられたが、同じように近い将来日本国民に窮乏を耐え忍んでもらうことで、ツケを支払おうというのだ。
 国家財政が破綻するまでは、自分たちは国から金を引き出せるだけ引き出そうとそうというのだ。根性の悪い盗人ではないか。しかもおおがかりな。
 
 日本経団連は、国家財政を通じて集めた金は自分たちで使うだけ使い、国家財政が破綻したら後は踏み倒し、その後の負担は国民に、と露骨に考えているのだ。愛国心を語る日本経団連と御手洗会長にとっては、国は愛する対象などではなく、金を集めるポンプ、自分らが勝手に利用つくす対象である。だから、このような国家財政の危機状況下にあっても、法人税引き下げを要求するのだ。御手洗会長自身、「国を愛する」などと全く考えていないことを証明しているではないか?
 「愛国心、愛情と責任感と気概をもって国を支え守る気概」を叩き込む必要があるのは、まずは日本経団連の面々であり、御手洗会長その人ではないのか?ちゃんと税金を払え!
 この構図は戦前の天皇制論者と同じである。戦前の汚職犯罪の90%は、自称「強硬な天皇制論者」であった事実とあい符合する。「愛国心」は、時の権力者、支配者への服従を、すなわち自分たち支配者への服従、戦争政策への服従を、「国を愛せ」と強要することで、論理をすり替えることで実行するものなのだ。


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映画「出草之歌」上映会 [靖国、愛国心、教育、天皇制]

映画「出草之歌」上映会


井上修監督

10月21日三鷹消費者活動センターで、映画「出草之歌」上映会を行い、30名が参加しました。
映画「出草之歌」は、旧日本軍兵士・高砂義勇軍として徴兵され戦死した台湾原住民の遺族が、連絡も了解もなしに靖国神社に祀られていることを告発するドキュメンタリー映画で、2005年に完成したもの。映画「あんにょん・サヨナラ」とまるで対をなすかのような作品です。

先住民遺族たち60名は今年8月にも来日し、靖国合祀と小泉首相の参拝に抗議する一連の行動をおこないました。わたしも一緒に行動することがありましたが、先住民遺族たちがまっすぐに厳しく日本政府を告発する姿、行動を目にしました。映画で紹介されているとおりでした。
映画には全編にわたって台湾原住民の伝統的な民謡の美しい旋律が流れていて、原住民の怒りや告発、祖先を大切に思う気持ちを見事に表現しています。その旋律に、現在においては、日本軍に使い捨てられた祖先の無念を思い、日本政府を告発する気持ちが重ねられて歌われています。この音楽がすばらしい。

上映会には井上修監督も参加し、会場からの質問に答え、また映画作成のエピソードをいくつか紹介されました。監督によれば続編も計画しているとのことです。

このような映画を見たり、また行動し議論しあったりして、現在と今後の靖国問題と日本政府の態度をよく検討し、あらためて安倍政権に対して靖国問題をきちんと追及していくことがわたしたちにとって必要なのでしょう。靖国問題は、現在もなお、わたしたち日本人の問題ですから。


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映画「あんにょん・サヨナラ」にもし欠点があるとすれば… [靖国、愛国心、教育、天皇制]

映画「あんにょん・サヨナラ」にもし欠点があるとすれば…

映画「あんにょん・サヨナラ」の欠点とは、決してこの映画を貶めるために言っているのではない。むしろこの映画が炙り出している日本人側の問題として受け取らなければならないことを言いたいのである。

1)映画「あんにょん・サヨナラ」の主張
映画「あんにょん・サヨナラ」の掲げている要求は、勝手に靖国合祀された韓国人兵士遺族からの「合祀取り下げ」である。韓国人兵士は決してすすんで日本軍兵士となったわけではない、当時の社会的状況からほとんど強制されて、心ならずも兵となったのであり、心ならずも日本帝国主義の植民地支配と侵略に荷担させられ、命を落とした。それなのに日本帝国の侵略戦争と植民地支配のために命を奉げたと称えられて靖国に合祀されるのは、遺族として耐えられない、合祀の取下げを要求する、というもの。

映画は、その結論を導きだす過程で、靖国神社が明治以降の日本の戦争を支えた戦争神社であることを暴露し、批判している。また、この批判を行う上での実際的な基盤として日本と韓国の民衆の連帯の具体的な姿を描き出している。これらはこの映画の優れたところではあるが、しかし最終的には韓国人兵士の靖国合祀取り下げが一つの要求として出てきている。

この映画は韓国と日本の合作。映画の結論は、韓国の人々の要求であろうし視点であろう。「韓国人にとっては侵略戦争、植民地支配を支えた靖国神社に合祀されたくはない」という主張に収斂するだろう。そのことはよく分かる。韓国人や韓国人遺族、あるいは朝鮮人や朝鮮人遺族にとっては、当然の要求である。台湾人遺族とて同じような要求をしている。

しかし,日本人のとるべき態度、要求はそれだけでよいのか、と問わなくてはならない。

2)「A級戦犯分祀論」「靖国神社の国営化」論の持つ意味との関連で

いまや、日本政府や自民党が、韓国人・台湾人の靖国合祀を取下げに応じる可能性はあると思う。あるいは現実的に出てきたと思う。2006年6月以降、日本の支配層、政府自民党から、「A級戦犯分祀論」や「靖国神社の宗教法人格廃止と国営化」案が出てきた。日本遺族会会長・古賀誠、自民党政調会長・中川秀直、麻生太郎外相などが発言している。

このことは何を意味するか。「A級戦犯分祀」でアジア諸国からの批判をかわし、かつ靖国の無宗教化・国営化で「憲法の政教分離原則」にも触れないような、新しい靖国を作ろうとしている動きもある。このなかで「韓国人・台湾人の靖国合祀を取下げ」に応じる可能性は、わたしは充分にあると思う。

実際に韓国人・台湾人の靖国合祀を取下げたところで、日本の支配層にとっては何ら失うものはない。過去の侵略を認めるか否かの違いである。そんなことより、むしろこの先の新しい日本の戦争に対応した「国立の追悼施設」、「国営化され、政教分離された靖国社」とするほうが重要だと考えれば、受け入れたところで何の問題もない。

わたしは、映画「あんにょん・サヨナラ」短縮版で元自民党幹事長・野中広務氏が激しく「韓国人・台湾人の靖国合祀を取下げ」を主張するのを見て、野中広務氏の主張と映画の主張が合致することにまず驚いたのだが、よくよく考えて見れば、それは不思議ではない。野中広務氏の政治的見解や立場が決して変わったわけではない、以前からの主張と矛盾しないのだ。

野中広務氏は、様々な問題はあるにしても東京裁判で「A級戦犯」に戦争責任を負ってもらって、それを前提に政治的決着をつけ、サンフランシスコ講和条約を締結し、戦後日本は出発したのであり、そのことをいまさら覆そうとしてははならない主張しているのである。

野中氏の主張は、靖国神社の「A級戦犯合祀」は問題であり、分祀すべきであるという立場であり、「韓国人・台湾人の靖国合祀を取下げ」も受け入れたらいい、そうすれば、韓国や中国、台湾の、他のアジア諸国から批判されることはない、というものなのである。
そのような主張は、小泉首相や安倍官房長官らの考えよりはマシではあるが、対立点が見えにくい非常に「したたかな」主張なのだ。「スマート」で現代的に危険だ。私は少しでも「マシ」なほう選んだらいい、と間単に言えないと思う。

小泉政治を修正しようとする政府自民党の一部が考えている新しい靖国社案では、「韓国人・台湾人の靖国合祀を取下げ」は受け入れられる可能性が充分にある。したがって、この要求だけならば、「21世紀の新しい戦争神社としての靖国社」への道を掃き清める可能性がある。

3)どう対応すべきか?
これに対応するには、われわれ日本人としては、「韓国人・台湾人の靖国合祀を取下げ」要求だけではなく、「21世紀の新しい戦争神社としての靖国社」という新しい危険を指摘し阻止する主張、および視点が併せて必要だ。それは日本人としての責任である。

韓国・朝鮮人遺族の課題ではない。台湾人遺族の課題でもない。日本人が負わなければならない課題だ。

むろん映画「あんにょん・サヨナラ」は、イ・ヒジャさんを支援するためだけの映画ではないし、靖国問題は韓国人遺族の問題だけと決して決めつけて描いているわけではない。

しかし、日本人としてのとるべき態度の点で、不明確なところを持つのは、あえて言えば映画「あんにょん・サヨナラ」の欠点なのである。
そしてそれは、靖国問題をあたかも過去処理の問題とらえ、21世紀の戦争神社としての靖国の危険性へ対峙できていない現時点の日本の民主勢力の側の持つ欠点でもある。


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8月13日、平和の灯を!靖国の闇へ! キャンドル行動 [靖国、愛国心、教育、天皇制]

平和の灯を!靖国の闇へ! キャンドル行動

8月13日、日本教育会館で「平和の灯を!靖国の闇へ!」8・13集会があり700名が参加した。集会後、神田から神保町へデモ行動した。

集会では、主催者を代表して、内田雅敏弁護士、韓国リ・ソクテ弁護士が開会挨拶を述べた。
この時期に韓国からは11人の国会議員が来日し集会に参加しており、キム・キソン国会議員が壇上で11名を紹介し、代表して挨拶した。小泉首相の靖国参拝を中止すること、韓国・台湾兵士の靖国合祀取り下げを訴えた。
高橋哲哉氏が講演した。靖国問題を決してA級戦犯分祀論に矮小化させてはならないこと、分祀し国際的批判をかわした上で、首相も天皇も堂々と参拝できるようにすることを狙っている。麻生外相私案の靖国神社の国営化案もまた同様に天皇参拝の道を開くものである。それは21世紀の日本の新たな戦争を支える役割をさせることになっていくし、そのことに反対しなければならないと警告した。
87歳になる光州遺族会・イグムジュさんが、日本植民地統治下・朝鮮での自らの体験を証言した。イグムジュさんの夫も勝手に靖国に合祀されている。
合祀取消訴訟韓国人遺族代表イ・ヒジャさん、今村嗣夫ヤスクニ・キャンドル共同代表も挨拶した。それぞれが、小泉首相の靖国参拝を中止と、韓国・台湾兵士の靖国合祀取り下げを訴えた。
「飛魚雲豹音楽工団」
集会の第二部はコンサート。台湾の原住民「飛魚雲豹音楽工団」の歌には、祖先と民族を尊重する心が溢れている。古くから伝わる生活の旋律を歌うのだが、彼らの祖先が侵略者たちに踏みにじられ、殺され利用され、土地を奪われていった無念の思いを、自身の思いとして重ねて表現している。そのことは同時に、現在の自分たち原住民の社会的な扱われ方の認識、その批判を含みこんで、古い旋律が新しい内容をもって流れる。私たちはそれを聴いた。

集会のあいだじゅう、右翼が会場周辺を囲み、妨害し続けた。参加者は整然とデモを行った。


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靖国神社に代わる新追悼施設建設に賛成すべきか?(2) [靖国、愛国心、教育、天皇制]

靖国神社に代わる新追悼施設建設に賛成すべきか?(2)
靖国神社拝殿

1)靖国神社と広島市の原爆資料館との対比

わたしは、靖国神社による死者の「追悼」が「顕彰」に転化する仕組みを考えるとき、いつも広島市の原爆資料館を対比して思い浮かべます。
原爆資料館は、被爆者の悲惨な被害を克明に伝えています。あの被害の描出、再現は、被害者に対する人間的感情が背景に流れていると受け取っております。悲惨な被害をもたらした者への怒りと告発が必然的に立ち上がってきます。戦争を防ぎ得なかった反省と戦争を引き起こした者への強烈な批判のなかに、被爆者への追悼が成立していると思うのです。それゆえ観る者に、原水爆禁止の強い要求と戦争への批判をはっきりと訴えるものになっています。
原爆資料館は、私たちにとって現存する追悼施設の一つのモデルです。しかしこれとてその性格が確定しているものではありません。

2)千鳥ケ渕の無名戦士戦歿者施設
詩人・石川逸子さんが戯曲「千鳥ケ渕へ行きましたか?」を書き、無名戦士を戦争の犠牲者としてとらえ、その鎮魂をうたっています。戯曲には戦争批判があり、戦争を引き起こした者への批判が底に流れています。
映画「あんにょん・サヨナラ」に、雪の日、イ・ヒジャさんたちが千鳥ケ渕の無名戦士戦歿者施設に参拝するシーンがあります。この行為も、無名戦士を戦争の犠牲者としてとらえ、その鎮魂を祈るものです。
千鳥ケ渕へは、無名兵士の鎮魂、追悼のため、いくつかの団体が自主的に参拝しています。

しかし、千鳥ケ渕へは小泉首相も参拝していますし、宮家(今名前を思い出せない)も訪れています。彼らの参拝の意味は、国のために死んだ兵士の顕彰です。

同じ千鳥ケ渕への参拝でも意味が違ってくるのです。場所や施設の問題を超えています。
千鳥ケ渕の戦歿者は、軍隊の階級で区別されていないし、また千鳥ケ渕は追悼を目的にしています。それらは靖国神社とちがいます。侵略戦争を正当化する主張を、施設としては特にしていません。それらのことはよく理解しますが、例え千鳥ケ渕への参拝でも、小泉首相やその後の政府代表者、すなわち国家による追悼が行われる場合は、必ず国家の戦争目的の是非を問うことなく、ただ国家のためにその身をささげたことが称えられ、そして次の世代に国家への献身を説く顕彰施設に転化してしまう可能性が非常に大きいでしょう。
もちろん、今のところ、日本政府は靖国神社を「放棄」するつもりはないし、新追悼施設に即刻代えようとはしていませんから、とりあえず現実的には問題になってはいないだけです。

3)「あるべき追悼施設」
8月4日の朝日新聞で、ドイツ国家による戦歿者施設者追悼施設が紹介されていました。そこにはケーテ・コルビッツ作の母子像がモニュメントとして置かれ、戦士した兵士と犠牲になった市民が区別されずに追悼されています。ケーテ・コルビッツの母子像は、犠牲者の側に立って、戦争を引き起こした者を強く批判しています。そのことは、ドイツ国家自身がナチス国家の引き起こした戦争を批判し反省することを前提としてこの施設があることを、強く主張しています。戦後ドイツは、二度と戦争を引き起こさないと、周囲諸国、および周辺諸国の人々に対して宣言しなければ戦後出発できなかった政治的状況があったからです。
ユダヤ人団体から、被害者のユダヤ人とナチに協力した兵士が一緒に祀られるのは問題で、分離すべきという批判があるそうです。わたしは、ナチに協力した兵士といえども、戦争指導者などを除く多くの兵士には犠牲者の面があるので、その誤りを批判する観点が明確にされて施設が設立され、運営されれば、必ず下分離する必要はないと思います。
このドイツの戦歿者追悼施設は、現在ある限り「あるべき姿」の施設であると思われます。しかし、これとて国家による追悼施設である限り、追悼から顕彰へ転化する可能性はより小さいと思いますが、まったくゼロではありません。この施設の性格もまた確定しているものではありません。

平和は、天から与えられるものではなく、その時々の戦争準備、歴史の書き換えなどあらゆる戦争への志向を批判し、そのことで人々が共通の考えを持ち、平和を求め続ける関係を日々つくり上げていくことで、確保されるものと考えています。

4)戦後日本政府は、「死者」をどのように扱ってきたか?
戦後日本政府は、「死者の扱い」を明確に区別してきました。
遺族年金・軍人恩給に見られるとおり、遺族年金・恩給額は軍隊での階級と勤続年数に応じて算定されました。靖国神社に祀られて戦死者は「神」になりましたが、死んだ後も遺族年金の金額で階級わけされました。死んで神になったとおだてられても、神=死者に階級があるのです。

さらに、広島、長崎の被爆で死んだ者、東京大空襲などで死んだ者とその遺族は、なんら補償さえされず、文字通り放置されてきました。戦後日本政府は死者をはっきり「区別」してきました。日本政府が市民の犠牲者に対してなんら詫びてさえもいません。戦歿兵士であれば、「国家のために命を落とした」として、次の世代を兵士に駆りたてる宣伝に使えますが、市民の犠牲者についてはその「死」は、政府の責任を問われこそすれ、「利用」できないからです。

千鳥ケ渕でさえ、兵士だけであり、市民の犠牲者は弔われていません。
もちろんのこと、日本の戦争により犠牲になったアジアの人々は、更に放置されています。

5)これらのことから、戦歿兵士の追悼は、同時に広島・長崎の犠牲者の追悼、東京大空襲などで死んだ者の追悼、そしてアジアの犠牲者の追悼と、一体になったものでなければならないこと、戦争の性格が何であったか、それを批判する施設でなければならないことが明確になってくるでしょう。このような観点にたてば、論じるべきは追悼施設だけの問題ではなく、さらに国家の政策にかかわることが、明確になってくるでしょう。
それは戦後日本政府が取ってきた態度、政策の全面的な見直し、批判の観点に立つことでもあります。

これらすべての観点に立った上で、私たちは新追悼施設建設についての態度を決めなければならないところへ来ています。


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靖国神社に代わる新追悼施設建設に賛成すべきか? [靖国、愛国心、教育、天皇制]

靖国神社に代わる新追悼施設建設に賛成すべきか?
靖国神社拝殿

1)靖国神社に代わる新追悼施設建設をすべきだという政治的発言が目立ってきている。それは政府自民党内からも出てきている。千鳥ケ淵を拡張し新施設建設が検討されている。
目的は、靖国神社がA級戦犯合祀を批判する中国や韓国、その他のアジア諸国からの批判を「かわす」ためであり、そのことで中国、韓国、アジア諸国とのこの先の関係、外交を改善するためと語られている。日本の支配層のなかの「開明派」(とりあえずこう呼ぶ、特にそのようなグループは明確に存在しない)は、「靖国神社にとらわれて国の将来を誤ってはならない」と考えているであろう。
政府自民党内だけではない。靖国神社やA級戦犯合祀に反対している人たちの間にも、新追悼施設建設をすべきだという声はあるようだ。

2)靖国神社に代わる新追悼施設建設に対して、私たちはどのような態度をとるべきなのだろうか?

私は、新追悼施設の建設に反対するし、また反対すべきであると考えている。その理由は下記の通りである。
現時点での追悼施設は、例え「平和志向」と形容詞をつけても、現在の国家、すなわち日本支配層の所有する国家による追悼施設にしかなり得ない。国家によって運営される戦死した兵士の追悼施設は、必ず顕彰施設になる。国家による追悼は必ず、国家の戦争目的の是非を問うことなく、ただ国家のためにその身をささげたことが称えられ、そして次の世代に国家への献身を説く顕彰施設に転化する。

戦後に殉職した自衛隊員を顕彰しなければならない。でなければ「誰が国家のために命を落とすか。」と語られている。自衛隊員や海上保安庁職員のなかには、近い将来必ず死者が出るであろう。そのような方向に日本政府は政策をすでに変更している。だから、「国家のために進んで命を落とす国民をつくる」ためには国家による新追悼施設が必要なのだ。

それは「死んだ兵士のため」といいながら、決して死んだ兵士ためではなく、今後の国家政策のために必要なのである。中国や韓国の批判をかわしながら、すなわち第二次世界大戦の誤りはとりあえず認めながら、しかし現代と近い将来の「反テロ戦争」、米国と同盟した世界分捕り戦争で、戦い、死ぬ新しい日本兵士のための国家追悼施設が必要となってきているのだ。

むしろ、自衛隊員や海上保安庁の現場の職員に問いたい。
戦死を称えられることで、自身の死を戦争美化の作意と欺瞞のため利用されることを望むか。戦争勃発の防止とそのための責任を政府が十分に取らない言い訳に、「崇高な死」という美辞麗句で飾られてよいか。
それ以前に、政府の戦争志向の政策が問われなければならない。国家の戦争目的の是非が問われなければならない。

3)過去の問題として論じてはならない
この点に関連して言えば、靖国神社へのA級戦犯合祀は、決して過去の問題なのではない。現在と近い将来が問題なのだ。過去の問題の処理の解決案という視点だけでこの問題を論じてはならない。小泉首相は首相になってから、靖国参拝しているが、首相になる前は参拝していないことからもわかるように、決して過去の戦死者の冥福のために参拝しているのではない。その行為は、現在と近い将来の日本政府の戦略、政策の切り替えを想定しているからである。すでにその政策は実行に入っているのである。小泉でさえそのような視点から参拝しているのに、私たちが過去の問題の処理として捕らえるのでは、はなはだおかしかろう。

4)では「平和志向の新追悼施設建設に賛成する」と言えばいいのか。
「平和志向の新追悼施設建設に賛成する」と仮に言ったとしても、平和志向の新追悼施設になる現実的可能性があれば、そのように言っていいが、ない場合は、そのように言ってはいけない。
「自分は、平和志向の新追悼施設建設に賛成したのだが、政府自民党が、あるいは○○勢力が賛成して、国家追悼施設にしてしまった。そのようなものには自分は当初から反対していた。」と、できた後で言ったとしても、言い訳にはなるが、それ以上ではない。後の祭りである。

したがって、現在の日本の政治状況下で、「平和志向の新追悼施設建設に賛成する」と言ってはいけない。現在の日本政治に対して、現実を見ずに幻想を見ているからだろうと判断する。

5)それからついでに、「新追悼施設の建設の動きに、ただ反対を叫ぶだけでよいのか。何でもかんでも反対してばかりではだめだ」と心配する声もある。「ただ反対するだけの野党でいいのか!」これは自民党の常套文句である。社民党はそう言われ続け、気に病んで原則を変えた。共産党も「反対するだけの野党でいいのか!」と非難され、いつも気にしている。何でそう気にするのか私には不明だ。だめなものはやはりだめと言うしかない。それが正しい態度であると思う。


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昭和天皇、A級戦犯の靖国合祀に不快感 [靖国、愛国心、教育、天皇制]

昭和天皇、A級戦犯の靖国合祀に不快感

1)富田朝彦元宮内庁長官のメモが、小泉首相の8月15日参拝が焦点となっているこの時期に、「政局に絡めて」公表された。

14人のA級戦犯が合祀されたのは1978年。メモには昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感を示し、1988年「だから私あれ以来、参拝していない、それが私の心だ」とある。昭和天皇が靖国参拝をやめたのはA級戦犯の合祀が原因であったことがはっきりしたという。

A級戦犯は1966年合祀対象に加えられていたが、靖国神社・筑波藤麿宮司はずっと保留していた。1978年に松平永芳宮司が就任すると、まもなく合祀に踏み切った。松平元宮司は天皇側近であった松平慶民元宮内大臣の長男。この松平の名をあげてメモには「松平は 平和に強い考(え)があったと思うのに 親の心子知らず」と、松平元宮司によるA級戦犯合祀を直接批判している。
「A級が合祀され その上松岡、白鳥までも」と記されており、松岡洋右下外相、白鳥敏夫元伊大使までもA級戦犯として合祀され賛美されたことに不快感を示していた。

2)この時期に公表された背景は、支配層内でも小泉の靖国参拝を押しとどめ、孤立する日本外交を修正しようとする政治的モーメントが働いている。これを成すのに昭和天皇を引き出してきたのであろう。
もちろん、小泉の靖国参拝を阻止しなければならない。しかしその根拠を昭和天皇の「心」に求めることはできないし、すべきでない。

3)昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感を持った理由は、戦争責任は臣下であるA級戦犯に負ってもらわなければならず、自身に戦争責任が負いかぶさるのを怖れたからだ。戦争責任については戦後一貫して触れるのを避け、ごまかしてきた。非常にしたたかにずるい裕仁であった。
昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感を持ったかもしれないが、わたしは昭和天皇が戦争責任を避けてごまかし続けたことに不快感を持っている。

A級戦犯・東條英機を重用したのは昭和天皇であった。東條は非常に几帳面な性格で、何事を決定するのにも上奏し昭和天皇の判断を仰ぎ、それを自身の権力の根拠の一つにした。細かいことをすべて報告し上奏する東條を、昭和天皇は信頼した。東京裁判で戦争責任を追及された時、東條のいだいた不満は「すべて昭和天皇に報告しており、天皇は承知していた。自身に戦争責任があるとすれば天皇にもある。」いうものだった。

4)A級戦犯を分祀すれば問題が解決するのではない。靖国問題がA級戦犯分祀の問題に矮小化されている。あるいは靖国神社ではなく無宗教施設、国立追悼施設を建設したとしても根本的には解決はしない。
靖国神社の存在自体が問題なのであり、国のために戦った死者を国のとった政策を問うことなく賛美するのが問題なのだ。過去の侵略戦争を賛美する現代日本の政治的志向が問題なのだ。これは決して過去だけの問題、歴史評価だけの問題ではない。現在と近い将来軍事的侵略のオプションを確保しようとする政府自民党の政治的志向が問題なのである。

小泉の靖国参拝に反対する。
この国の新しい戦争のできる態勢への準備、米国の軍事支配へ加担して世界の分捕りを行おうとする政治的志向を批判し拒否するがゆえに、反対する。


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「教育基本法の改悪を止めよう!6・2全国集会」へ参加 [靖国、愛国心、教育、天皇制]

「教育基本法の改悪を止めよう!6・2全国集会」
日比谷野外音楽堂

平日であったが、日比谷野外音楽堂には3千人に参加者があり集会とデモを行った。
共産党議員、社民党議員も来賓として参加し、党派を超えた集会であり、この点は非常に良かったと思う。参加者の雰囲気も良かった。高橋哲哉、小森陽一、三宅晶子、大内裕和、四名の呼びかけ人によって「教育基本法の改悪を止めよう!6・2全国集会」が準備され、多くの人たちが協力したのだろう。現在と今後にこそ必要な、かつ適切な運動のあり方だと思う。

教育基本法改悪は、「日の丸・君が代強制」や「憲法9条改悪」とそのまま繋がっていて、更には米政府・米軍とともに「テロの時代に海外へ派兵できる国家、戦争する国家」へ日本を作り変えようとする政府の露骨な思惑が背景にある。

これら全部に私たちは多くの人々が統一して反対し阻止できる最もいい方法で対処しなくてはならない。


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靖国神社へ抗議に行こう [靖国、愛国心、教育、天皇制]

靖国神社へ抗議に行こう

靖国神社のパンフレットから

6月2日、ピースサイクルの靖国神社抗議行動に参加した。韓国人・台湾人の戦死者の靖国合祀をやめるように靖国神社に申し入れを行った。
韓国人遺族イ・ヒジャさんが合祀取下げを要求し抗議に行ったときは、靖国神社社務所前で立ったままの申し入れになったと聞いたから、中へ入れないのかと思ったら、部屋に案内しての申し入れとなった。
「靖国神社など行かない」という人もあるだろうが、参拝ではなく抗議に行くのが良い。

韓国人・台湾人の戦死者への対応だが、日本政府は、戦死の通知を韓国人・台湾人遺族には行っていないし、遺骨の収集や返還も一部民間団体が行った例はあるものの、政府は何ら行っていない。その資料さえ隠している。
靖国神社は政府・厚生省の名簿によって勝手に合祀したが、合祀の事実を韓国人・台湾人遺族にさえ連絡していない。言葉通り勝手に合祀した。

靖国神社は「追悼する」といいながら、最も追悼すべき遺族と遺族の心情さえ無視して合祀した。この対応は、靖国神社は本音では追悼するつもりなどないことを、明白に証明している。
合祀の目的は、「追悼」ではなく「顕彰」するため。「国家のために天皇のために戦い死んだ」と「顕彰する」ためだけだ。生きている者が死者を利用するために「合祀」するのだ。

靖国神社によれば、「韓国人・台湾人の戦死者は、その当時は日本人だったから合祀した」と言っている。
軍人恩給や遺族年金は、支給の時点で「日本人ではないから、支給しない」と政府・厚生省は主張している。

これは何だ。二枚舌ではないか。こんな説明を聞いて怒らない者がいるだろうか。


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ビデオ「考えてみよう靖国問題」 [靖国、愛国心、教育、天皇制]

ビデオ「考えてみよう靖国問題」

5月26日、ビデオ「考えてみよう靖国問題」を観た。映画「あんにょん・サヨナラ」で使われなかった映像をもとに、30分の短縮版として作成されたらしく、「あんにょん・サヨナラ」の単純な短縮版ではなく、やや独立した作品になっていて、これだけ見ても作品として見ることができる。この点は成功していると思う。
30分なので、重要と思われるシーンをとにかく詰め込んであって、特にインタビュウが多く重ねられていて、靖国問題の解説としてはわかりやすくできているのだが、やはり映像で訴えるところが少なくなっていて、作品としては観る者が自身の感情を重ねていくには少々忙しい。

しかし、野中広務や高橋哲哉のインタビュウは明快で実によくまとめてあった。これだけ見ても「靖国問題の焦点は何か」よくわかるものにできあがっている。
特に高橋哲哉が指摘していたことは重要だと思う。
靖国神社は決して単に過去の歴史ではないこと、小泉や自民党閣僚が参拝するのは、現代の「テロ戦争」と闘い、自衛隊が世界に出かけていって資源や権益を確保する現代と近い将来の日本支配層の権益確保の国内態勢をつくることに目的があるのであって、中国や韓国、アジア諸国の反発を知りながらあえて靖国参拝を強行することの本当の意味を見抜き、これを暴露し反対しなければならない、という点だ。
わたしたちは、つい過去の侵略戦争の問題その反省、謝罪の面だけに大きく比重をおいてとらえがちであるが、支配層の意図はリアリスティックに現代と将来を見据えていることを知らなければならないと改めて認識したのだ。
ビデオの作者もそのことをよく承知したうえでつくりあげている。それも心地よい。


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靖国に祀られている戦死者は、果たして戦後日本の平和と繁栄の礎になったのか? [靖国、愛国心、教育、天皇制]

靖国に祀られている戦死者は、果たして戦後日本の平和と繁栄の礎になったのか?

「靖国に祀られている戦死者は、国のために死んだ、戦後日本の平和と繁栄の礎になった。」
最近、おおっぴらにこのように言われています。
先日、田原総一朗がこのように言っているのをテレビで聞きました。

靖国に祀られている戦死者たちは何のために死んだのでしょうか?
果たして、「国のために死んだ戦死者たち」のおかげで戦後日本の平和と繁栄がもたらされたのでしょうか?

事実からして違います。
戦死者たちのおかげで、戦後日本平和と繁栄がもたらされたわけではありません。このように言うことは、決して死者を冒涜することにはなりません。

日本の軍国主義とアジアへの侵略が、日本の敗戦によって絶たれ、天皇制政府が倒され、天皇主権から国民主権へと切り替わり、国民の基本的人権が保障され、日本が生まれ変わったからこそ、戦後日本の平和と繁栄がもたらされたのです。

必ずしもそこに、戦死者たちの大量の死が必要だったわけではありません。
大量の戦死者を出したのは、天皇と戦前の日本政府が戦争をやめなかったからです。
降伏について考えてみただけでも、裕仁天皇は、国体の保持=天皇制の保持を停戦条件に入れるため、敗戦が必至となったにもかかわらず、戦争終結を引き延ばしました。この間に多くの人々が死にました。戦死者のほとんどは昭和二〇年に死んでいます(その数字を今おぼえていません)。天皇制保持のため「無駄死にさせられた」のです。これは「崇高な死、神聖な死」でしょうか。

裕仁天皇は戦死者の増大を特に深刻には考えませんでした。国民が戦争で死ぬのは当然と考えていました。
1975年になってですがこのように言っています。「原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾に思っていますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得にことと私は思っております。」
開戦の詔勅を発し、戦争をはじめた裕仁天皇が、そしてポツダム宣言を「遅すぎた聖断」で受諾した裕仁天皇が、このように言っているのです。

戦死者たちの死はむごいものですが、しかしこの点では無駄死でした。戦争終結を遅らせるための「死」であったからです。
「無駄死させられた」と呼ぶことは、決して戦死者たちを冒涜することにはなりません。無駄死を強いた者たちの責任を問うべきです。
戦死者たちを、「国へ命をささげた崇高な死」と称え、戦前の侵略戦争と日本軍国主義を正当化することこそ、むしろ死者を冒涜するものです。230万人もの兵士が死ななければ、日本軍国主義を廃絶しアジアへの侵略をやめることをしなかったことが問題なのです。
大東亜戦争を肯定する者、敗戦を認めたくない者が、「崇高な死、神聖な死」と呼ぶのです。

いつの時代も生きている者が死者を利用するものです。生きている者の都合で「死者」に意味を与えようとします。

現代日本において、「国へ命をささげた崇高な死」と称えることでこれを利用したい意図があるとみています。
イラクへ自衛隊を派遣するには、このような過去の死の意味づけが必要になっているとわたしは考えます。


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靖国神社へ行ってみました(5)--「靖国の大衆化」-- [靖国、愛国心、教育、天皇制]

靖国神社へ行ってみました(5)
-----「靖国の大衆化」----
戦没軍用犬碑

遊就館の展示がきれいにスマートになっていることを、前回書きました。
現代の若い世代に靖国神社もアピールしているのだと思いましたが、そのスマートさは何だろうと、ずっと何か引っかかっていました。

遊就館のスマートさは、街宣車で日の丸の入り軍服もどきを着た右翼青年、戦中世代の老兵士のイメージとも明らかにちがいます。主張は同じでも「ファッション」がちがいます。
展示には戦死の「悲惨さ」は、描かれていません。むしろ隠されています。

対比して、広島の原爆資料館にある「死」の悲惨さ、むごたらしさを思い浮かべました。
ずいぶん前に見ましたが、資料館には、放射線障害による紫の斑点だらけとなった男の身体、黒焦げになり木偶のボウにしか見えない死体、川に浮かんだ腹の膨れた死体群、焼けた皮膚をぼろきれのようにまとった人々、などの姿があったことを思い出しました。

戦死した兵たち、特攻隊で死んだ兵士たちの死も、「悲惨さ、むごたらしさ」においては変わりなかったはずです。渡辺清の『砕かれた神』には、武蔵艦上で米軍機の攻撃により、腹が破れ内臓が飛び出た同僚兵士が泣きながら必死で腹の中に内臓を掻き入れている姿が描写されています。

遊就館展示の意図は何でしょうか?
死の悲惨さ、むごたらしさをあえて描かない意図は何でしょうか?

靖国では、国に捧げた死は「神聖なもの」、「崇高なもの」でなければなりません。そのとき、いつのまにか「国」も神聖なものに転化します。国は、「家族をまもるため」、「郷土をまもるため」、「暮らしをまもるため」として内容を与えられます。しかし実際にはその「国」の後ろに、当時の天皇や日本政府、軍部首脳が隠れています。

死の悲惨さ、むごたらしさを描くことは、死をもたらした者への批判が立ち上がってきます。誰がこのようなむごたらしい死をもたらしたのか?繰り返さないためにはどうしたらいいのか?
当時の天皇や日本政府、軍部首脳への批判が、やはり次に出てくるでしょう。大量殺戮の米軍に対しても批判は立ちのぼってきます。

この認識の流れ・道筋こそ、遊就館展示の意図だと思います。あるいは原爆資料館との違いだと思うのです。


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「死者は区別しないで追悼するのが日本の伝統?」 [靖国、愛国心、教育、天皇制]

死者は区別しないで追悼するのが日本の伝統?」
----靖国神社は死者を区別して祀っている――――

「笑って行きます」

「日本人の国民感情として、なくなるとすべて仏様になる。A級戦犯はすでに死刑という現世で刑罰を受けている。・・・死者に対してそれほど選別をしなければならないのか」(2001年7月12日朝日新聞)
A級戦犯を靖国神社に合祀したことを小泉がこのように言っていました。
「A級戦犯は犯罪者かもしれないが死んでしまえばみな神として祭って追悼するのが日本古来の伝統である。」
A級戦犯を合祀していることの説明としてこのように言いました。

しかし事実が違っています。
靖国神社は死者を明らかに区別して祭っています。天皇のために死んだ軍人・軍属だけを靖国神社に祭っています。明治憲法は天皇主権だから、国家のためとは天皇のためです。決して国民のためではありません。
西郷隆盛は靖国神社に入っていません。なぜなら西南の役で、天皇の政府に歯向かったからです。靖国神社の合祀基準は明確です。天皇のために戦って死んだ者、戦争で死んだ者だけが祭られます。坂本竜馬、武市半平太、榎本武揚は入っていますが、白虎隊は入っていません。

だから小泉が言っているのは初歩的な間違いです。死者ははっきりと区別されています。

日本の伝統とは何のことでしょうか。
確か北条時宗は元寇との戦いで敵である蒙古兵も含めて祀りました。
日本の中世・近世には、外国軍との戦争においても敵味方双方の戦死者の慰霊をおこなう「怨親平等」の弔いがありました。
靖国神社は、このようなやり方とは明らかにちがうやり方をしています。

「怨親平等」の弔い
北条時宗の元寇後、円覚寺建立  文永・弘安の役での敵味方双方の戦死者の慰霊
島津義弘 朝鮮出兵後、高野山奥の院・敵味方供養塔の建立
平重盛の紫金山弦楽寺、藤沢清浄光寺の敵味方供養塔、
足利尊氏の霊亀山天龍寺、
足利尊氏・直義兄弟の太平山安国寺、
北条氏時の玉縄首塚


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靖国神社へ行ってみました(4)―戦陣訓:「生きて虜囚の辱めを受けず」 [靖国、愛国心、教育、天皇制]

靖国神社へ行ってみました(4)
―――戦陣訓:「生きて虜囚の辱めを受けず」―――

参道で遊ぶ小学生

戦陣訓:「生きて虜囚の辱めを受けず」
戦陣訓は東條内閣が国民に示しました。

この戦陣訓のために、多くの兵士が無駄に死にました。兵士ばかりではありません。民間人も追い詰められ自死を強いられました。
沖縄やサイパンで民間人が、婦人が岸壁から海へ身を投げる姿が米軍のフィルムに記録されています。

この戦陣訓を出した東條英機は自殺に失敗しました。「生きて虜囚の辱めを受けた」わけです。

右翼諸君は、金で頼まれれば街宣車で出張してくるアルバイト右翼は別にしても、「純正右翼」の人たちは、この東條をどのように評価しているのでしょうか?
東條の靖国合祀にどのような態度をとっているのでしょうか?
聞いてみたいと思っています。


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靖国神社へ行ってみました(3) [靖国、愛国心、教育、天皇制]

靖国神社へ行ってみました(3)
―――あいも変わらぬ「大東亜戦争肯定」論―――

靖国神社の主張は、「大東亜戦争肯定」論です。
すなわち、「鬼畜米英」です。
しかし、この主張をあまり露骨にするとほころびが大きいので、ごまかしています。

中国東北部の歴史地図が展示されていましたが、「満州国」で終わっています。中華人民共和国の成立を展示していませんし、そもそも「大東亜戦争肯定」論からは、中華人民共和国を認める立場ではありません。

「日韓併合」も「合法的であった」という展示です。

中国も韓国も朝鮮民主主義人民共和国もこのような歴史観を認めることは到底できません。自身の存在を否定されているのですから。


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靖国神社へ行ってみました(2) [靖国、愛国心、教育、天皇制]

靖国神社へ行ってみました(2)
-----「靖国の大衆化」を狙っている----

靖国神社へ行ってみました。今回は遊就館を見学しました。
戦争の評価がなされていますが、その内容は、あいも変わらぬ「大東亜戦争肯定」論です。
ただし、今回驚いたのは展示が「現代化」されていて、洗練されていることです。靖国神社もどのように受け入れられるか、気にしているのでしょう。
「靖国の大衆化」を狙っています。

訪れたのは土曜の午後でしたが、入場者が多かったことに少し驚きました。幼子連れの父親や学生らしき20歳代の男女など若い人が目立ちました。
今年の6月に訪れたときは平日でしたので、境内はまばらでした。そのとき、本殿の前で「異国の丘」のハーモニカ演奏する年配の夫婦を見かけました。ちょうど昼休みで、近くのOLでしょうか、休憩所で弁当を広げていました。地方から来た年配の人と外国人観光客が目立ちましたが、あわせても20人程度いただけでした。

遊就館展示の写真やパネルは新しいものでした。
会場の照明も工夫されていて、たとえば新しいパネルに青い光線を当て、見やすい展示をこころがけています。ある一角で「軍艦マーチ」が流れていましたが、雑音の入った古い録音ではなくスマートな男声合唱で、あれは新しく録音したものではないかと思います。専門家、たとえば電通などのプロの手が入っていると感じました。
「大東亜戦争肯定」論の歴史解説がなされていますが、よほど事前に調べていないと、そのまますんなり納得してしまうのではないでしょうか。

入場券を買って、「自動改札」を通って二階に上がります。二階ではまず映画が上映されていて、ビジュアルで訴えます。
零戦や桜花、回天などの特攻兵器、高射砲や大砲などもきれいに展示されていました。一部の兵器はペンキが塗りなおしてあり、スマートに見えるように心がけているようでした。米ソなどに比較した兵器の貧弱さ、前近代性を隠そうとしているかのような意図さえも感じました。

祀られている戦死者の写真が多数並べられていますが、すべて新調されていてきれいなものです。従軍看護婦の写真が数多く展示されており、犠牲者中の比率からすればもっと少ないでしょうが、強調されています。軍人兵士だけでなく、全国民的に戦い、死んだことを主張したいのでしょうか。

また、悲惨さ、残酷さを可能な限り隠しています。血染めの遺品は、阿南惟幾の血染めの遺書(それもコピー)と、女学生たち毛髪で「必沈」と書かれた血染めの日の丸だけで、血塗られた靖国のイメージはなるべく隠そうとしていると感じました。「死」を美しく演出しようとしています。

演出はなかなか見事な手腕です。
展示の「現代化」、洗練、「靖国の大衆化」は、若い人たちの反発がないようにアレンジしています。これは決して戦中世代を当てにした展示ではありません。現代の若い世代に「愛国心」を刷り込みたいという意図を感じました。


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12月17日(土)「女たちの戦争と平和資料館」~「靖国神社」を訪ねる [靖国、愛国心、教育、天皇制]

12月17日(土)
「女たちの戦争と平和資料館」~「靖国神社」を訪ねる

12月17日(土)
★三鷹駅改札集合 午前10時
  または、現地集合「女たちの戦争と平和資料館」 午前11時(地図裏面参照)
★費用:入場料1300円+昼食代
  (「女たちの戦争と平和資料館」入場料500円+靖国神社 遊就館800円)

「女たちの戦争と平和資料館」に行きましたか? まだの人は一緒に行きませんか?
もう行った人も、グループでがやがやと話しながら見学すると新しい発見があるかもしれません。
 靖国神社は小泉首相が参拝し問題になっています。私たちも一度行ってみませんか?
批判するにも、どんなところかきちんと見きわめておくのも必要でしょう。
一人ではなかなか行きにくいようなので、みんなで行きませんか?
よく知った人も知らない人も、見学した後で言いたいことを言い合えば、新しくわかることがあるかもしれません。

ロラネットは2004年末からいくつかの学習会を行ってきました。
中国人元「慰安婦」問題、インドネシア元「慰安婦」の映画上映など。
今回は部屋の中に閉じこもるのではなく、外へ出かけてみようと思います。
 12月8日は太平洋戦争開戦日です。私たちにとっては「不戦の日」です。いろんな催しがあるでしょうが、ロラネットは、早稲田の「女たちの戦争と平和資料館」と、小泉首相参拝で揺れ動く「靖国神社」をセットにした、見学シリーズを考えました。
 ”戦争被害”と”戦犯合祀”と相反する場所ですが、ことさら対比して見てみようと思います。どなたでも自由に参加ください。 

 早稲田の「女たちの戦争と平和資料館」は8月1日にオープンしたばかりです。入り口には、日本軍の性暴力をうけ名乗りをあげた元「慰安婦」の人たちの写真も展示されています。
8月に来日した際に撮影したロラ・キナンさんの写真は展示されているでしょうか? 
 また、「靖国神社」が問題になっていますが、行ったことのない人が意外と多いようです。批判するにしても一度はきちんと見ておく必要があるでしょう。
 靖国神社はどんなところで、何を主張しているのでしょうか、どんな人が来ているのでしょうか。目と耳と肌で感じ取り、みんなで話すのもまたいいのではないでしょうか。
 なお、小泉首相に倣って言えば、今回はロラネットによる「公的参拝」でも「私人としての参拝」でもありません。「見学」です。そこのところ、ヨロシク。
 初冬の東京散歩です。お腹もすくでしょう。

行程:
三鷹駅→早稲田「女たちの戦争と平和資料館」→昼食→
→九段下「靖国神社」→三鷹(交流会)

主催:
フィリピン元「慰安婦」支援ネット・三多摩
(通称:ロラネット)問い合わせ・申し込み先:
ピナット内:℡0422-34-5498


日韓首脳会談と靖国問題 [靖国、愛国心、教育、天皇制]

日韓首脳会談と靖国問題

小泉首相とノムヒョン大統領が6月20日ソウルで会談しました。
会談では「靖国神社」問題で溝が埋まらなかったとのことです。

中国や韓国が、靖国神社への「A級戦犯」合祀や小泉首相の参拝を批判するのは、「A級戦犯」を「英霊」=「護国の神」として顕彰することが彼らの指導した戦争を侵略戦争ではなく正しい戦争として正当化することにつながるからです。侵略された韓国や中国は認められるわけがありません。

小泉は会談で「戦争の美化や正当化ではなく、二度と戦争を起こしてはいけないという気持ちで参拝している」と語ったそうですが、この理屈は苦しいものでした。

靖国神社は「戦争の美化や正当化」をするためにつくられています。天皇の戦争のために戦って死んだ軍人だけ顕彰するための神社です。死者の追悼が目的ではありません。そもそも戦争で死んでも悲しむことを許さないで、遺族と国民に無理矢理にありがたいと思わせ、次の戦争へ兵を送ることを目的にしています。

小泉首相が最初の靖国神社参拝時に「・・・戦争犠牲者の方々すべてに対し、深い反省とともに、謹んで哀悼の意をささげたいと思います。」という談話を発表しましたが、靖国神社そのものは大東亜戦争肯定し「戦争の深い反省」をしていないし、「すべての犠牲者」ではなく天皇の戦争のために戦って死んだ軍人だけを祭っているし、「哀悼の意」など表するところではなく、死を顕彰する場所なのです。
靖国云々と騒ぐ割に小泉首相は何も知りません。あるいは知っていてあのような態度で振舞っているのでしょうか。
小泉は「A級戦犯合祀への批判は死者への差別だ、死者は選別をいないのは日本の伝統だ」などと言っていますが、まったくものを知りません。これこそ無知です。
靖国神社には、天皇のための戦争で死んだ者しか祭られていません。坂本竜馬は祭られていますが、西郷隆盛や会津の白虎隊は祭られていません。沖縄戦や東京大空襲で死んだ民間の日本人、広島・長崎の被爆による死者も祭られていません。侵略戦争で殺した相手国の人たちも祭られていません。死者を差別し選別しているのは靖国神社なのです。小泉がこんな常識さえ知らないというのにはあきれてしまいます。
ごまかしてだまそうとしているのでしょうか。韓国政府も韓国の人もこんな言葉でだまされはしないでしょう。

さて、完全に行き詰っています。小泉はこの先、日本外交をどのようにしようとしているのでしょうか?


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アジアから靖国問題で責められる、日本人は被害者か? [靖国、愛国心、教育、天皇制]


靖国神社まえで

アジアから靖国問題で責められる、日本人は被害者か?

これまで、戦後補償で41兆円支払われ、そのうち40兆円が軍人恩給といわれています。アジアの国々への戦争被害には約1兆円といわれています。
靖国問題でアジア諸国から批判されたり、戦後補償問題が論じられたりすると、あたかも日本政府や日本人が被害者であるかのような気持ちになる人が多くいますが、これは数字ではっきり示す必要があります。こういう銭金の問題は誰も言わないが、どうしてなのか不思議です。

軍人恩給はそれぞれ一体いくら支払われているのでしょうか?
戦後60年経ていまだ支払われています。もうそろそろいいんじゃないの。

A級戦犯の軍人恩給は一体いくら支払われているのでしょうか?
ぜひ知りたいと思います。
軍人の階級と勤続年数で算定されるのでしょうから、東条英機の遺族など一体いくらになるのでしょうか?(孫である東条由布子さんが最近テレビに出ているのを見ました。)
他の軍人遺族はどれだけ支払われているのでしょうか?ぜひ知りたいものです。


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靖国神社へ行ってみました [靖国、愛国心、教育、天皇制]


戦没馬碑

靖国神社へ行ってみました

1)どんなところか見ておきたいと思って、話題の靖国神社へ行ってみました。
九段下から大鳥居があって正面から本殿まではえらい長い距離を歩かされます。鳥居やら建物の配置がいびつだと感じました。ばかでかい大鳥居から長い距離を歩かされて参拝者は権威に圧倒されるという狙いがあるのでしょうか。その割には本殿の裏は商業地域に隣接していて法政大学サークル棟からトランペットの間の抜けた音が聞こえてきます。
大鳥居近くは日当たりがよく白い鳩がいました。わざわざ白い鳩を放しているのでしょうか。ただ木々がうっそうとしていた本殿近辺には鴉が多くてまるで主のようでした。
午後1時前後でしたから、休憩しているサラリーマンやOL姿が目立ちました。観光客は地方から来た年配の方と外国人が何人か目立ちましたが、全体的に人出はまばらで静かでした。零戦をはじめ戦争資料画展示してある遊就館には、入場料が800円だったので払う気になれず入りませんでした。次の機会に気が向いたら入ってみようと思います。
新しい建物建設や管理、木々などの庭園管理などに膨大な費用がかかりますが、銭金の問題はどうしているのか気になります。宮司らは何人いてそれぞれの給料はいくらなのでしょうか。知っている人があれば教えてほしいものです。

2)社務所には、「所謂とはA級戦犯とは何だ!」という無料パンフレットが置かれていて、靖国神社の見解を書いています。騒がれているから靖国神社も気になるのでしょう。確かに存続にかかわります。
パンフレットに書かれておることは下記のとおりでした。
①「東京裁判は報復裁判であって無効」、大東亜戦争肯定論を堂々と主張しています。「何が侵略戦争か自衛戦争かは当事国にゆだねられている」という論拠から、大東亜戦争は自衛戦争である主張しています。
②「サンフランシスコ平和条約を受諾したが、敗戦国として刑の執行を約束したに過ぎず、東京裁判そのものを認めていない」。なかなか苦しい論理建てです。
③面白いのは、「A級戦犯論と東条英機論を混同すべきではない」という項目です。「東条英機は日本の国政を誤り戦争に巻き込み敗戦に至らしめた元凶である。」という声もあるとして反東条論の一部を紹介し、A級戦犯と東条英機の区別を試みています。
東条内閣は「戦陣訓」----生きて虜囚の辱めを受けず---を出しましたが、東条英機自身虜囚となった時、まともに自決することができませんでした。東条英機が自決に失敗した当時、これを「腰抜けとして笑いさげすむ」風潮がいわゆる床屋談議で語られました。国民に広く嫌われていたのでしょう。また東京裁判で戦争責任を追及されたとき東条が「天皇にすべて報告しているから自分に責任があるとすれば天皇にも責任がある」と弁論したことが関係しているのかもしれません。
④いまひとつ面白いと思ったのは、「戦争責任論を開戦責任と敗戦責任」に分けていることです。「東京裁判が裁いた戦争責任は『開戦責任』である、東条も含むA級戦犯の責任は『敗戦責任』である」との主張です。
「敗戦責任」なら認めてもいいということでしょう。今度は負けないように考えていこうということでしょうから。逆に言うと、「開戦責任はない、交戦権(戦争をする権利)は各国にある」という主張でしょうから、「開戦責任」といわれても痛くもかゆくもないということでしょうか。
しかし、これは危うい面をはらんでいます。東京裁判では、米国の意志で帝国陸海軍「大元帥」であった天皇の不起訴とし、ソ連・中国・オーストラリアなどの天皇訴追論を抑え込みましたが、東京裁判のこの枠組みが否定されれば、天皇の戦争責任に直結する主張になります。


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