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台湾の現代小説『自転車泥棒』を読む [読んだ本の感想]

台湾の現代小説『自転車泥棒』を読む

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 台湾の現代小説『自転車泥棒』。作者は呉明益。文藝春秋 2018年11月10日発行.


 作者らしい主人公の家族の物語が、当時所有していた実用自転車「幸福号」の探索を通じて叙述される。仕立て屋の父が、仕事に使っていた実用自転車とともに失踪する。主人公が、父と自転車を探す物語は、父や母の経てきた生活をたどっていく叙述となる。自転車をいわば「象徴」として登場させる小説となっている。

 家族それぞれの自転車にまつわるエピソード、思い出から物語はどんどん広がっていく。父親はかつて台湾少年工として日本に徴用され、神奈川県の座間海軍工廠で働いていた。多くの台湾少年工が爆撃で父の目の前で死んだことも触れられる。

 アジア太平洋戦争開戦の12月8日、マレーシア・コタバルに上陸した日本軍は銀輪部隊(自転車部隊)としてシンガポール目指すが、その部隊に加わった台湾人兵士の物語が叙述される。
 また、軍用自転車の一部が台湾から送られたが、故障か何かで送られず台湾に残った自転車があり、小説は戦後の台湾社会のなかでのその自転車の行く末をたどる形をとり、戦後の台湾人の暮らしや台湾社会の描写へとつながっていく・・・・・

 当初、家族の話と思われたが、作者のたどる物語はどんどん広がり、台湾のいろんな人々の経てきた歴史の叙述になる。作者の力量、広い視点を感じさせる。

 物語のひろがりを導き、全体を生きた姿で統一しようとしているもの、それは作者の欲求、あるいは意志として結晶しているのだが、台湾人としての自覚、矜恃のようなものである。国民党による一党支配の時代をくぐり抜けた台湾人の新たなアイデンティティの形成を意識しているようなのだ。それは台湾社会の現代的な問題意識なのだろう。台湾社会の成熟と余裕が、この作者を通じて表現されている。

 作者は、外省人も、本省人も、原住民もみな台湾人であるととらえている。日本の植民地時代があり、日本軍に徴兵され徴集され徴用され、ある者は日本兵としてアジアへ、ある者は少年工として日本へ、それぞれが戦争に巻き込まれた歴史がある。その傷も癒えぬ間に1945年以降は蒋介石の国民党軍が中国から支配者としてやってきて、228事件、弾圧があり、それまで台湾に住んでいたの人々を支配し、反共独裁政治の時代が続く。もちろん支配した軍人ばかりではなく下っ端の兵士もいる。彼らは戦後、台湾で生きた。
 
 時代に翻弄された支配者でない、人々の歴史がある、生き抜いてきた人々の生活がある。人々の経てきたそれぞれ生活にたいする作者の愛着がある、台湾人のアイデンティティの形成のために作者はその見つめなおしを訴えているようでもある。

 強いられた歴史、目の前の事態に対応し従い、余裕などなく懸命に生き抜いた歴史であったとしても、それもまた台湾人のたどってきた歴史であり、そのなかで人々は暮らしてきたし、家族の生活はあった。一つ一つの道行きを認め尊重しながら、その上にやわらかい批判や反省を、作者はかさねる。

 たどった経過から現代の台湾の人々の生活や文化が生まれていることを認めたうえで、歴史全体を把握し引き受け、現代とこれからの台湾と台湾の人々の生活を打ち立てようとするかのような姿勢を、作者は示している。

 このことがかつてなく新しいと思う。民衆のたどった歴史のようなものを見つめたうえで新たなアイデンティティを形成しようという、このような構想が可能になった現代の台湾社会であり、ある成熟なのだと思う。

 内外の厳しい政治・経済情勢、歴史的な事件、あるいは自然的環境の影響を受け、それへの対応に忙殺されて、自らを「振り返る」ことを長らく忘れてきた。世代間、エスニックグループ間、地域間、あるいは外省人、本省人、原住民で断絶した関係、日本統治時代、国民党統治時代があった。そのあとアメリカや日本資本を呼び込むことで経済発展を試み「卑屈」な対応を余儀なくされた日々も続いた。

 断絶してきた社会、あらゆる面で断絶され、互いに非難し、共有せず排除し、あるいは触れることができず触れてこなかった人々の関係、歴史、記憶を、改めて見直そうとしている。全体像を再現し、再発見していくことの意義や社会的な関心を、現代台湾社会や現代の台湾に生きる人々に訴えている。あるいは問題意識、思い、心情、欲求、動き・・・・を描き出している。
 
 家族の体験の描写でありながら、それを「個人的なもの」ではなく、台湾人、あるいは台湾民衆のもの、として描き出している。作者は、ずいぶんと大きな、あるいは豊かな構想の上に立って叙述しているようなのだ。

 それが何となく「ふんわか」とした、時を飛び越え全体が包摂されるかのようなある種「不思議な」感じさえする作者独特の文章の運びによって叙述されるのだ。

 可能にしているものは、これまで生きてきた台湾人への敬意であり、生きてきた人々の生活への尊重、あるいは愛着である。そのことがよくわかる。

 こういうところが優れていると思う。 (文責:児玉 繁信)




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