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映画「ガザの美容室」を観る [映画・演劇の感想]

映画「ガザの美容室」を観る

コピー ~ 180707 映画「ガザの美容室」.jpg
<映画「ガザの美容室」チラシ.>

1)
 2018年になってトランプ米政府がエルサレムをイスラエルの首都と認め、米大使館をテルアビブからエルサレムへ移動させた。イスラエルによる入植や占領、首都移転は、国連の安全保障理事会決議に違反している。中東の人々を憤激させている。

 2018年5,6月にガザでは連日4万人におよぶデモが繰り広げられ、60人の非武装のパレスチナ人抗議行動参加者が、イスラエル狙撃兵に殺害された。米大使館移転を祝い「イスラエル人がエルサレムで踊っている」間に、ガザでは武器を持たないパレスチナ人の血が流れていた。トランプ政権はイスラエルを全面的に支持し、パレスチナ人の殺害をまったくとがめていない。

2)
 映画は2015年の作品なので、2018年のエルサレム首都移転より前につくられている。ただ、ガザの置かれている状態は、変わってはいない。戦闘状態のガザ、イスラエルによって経済封鎖され屈従を迫られるガザ、巨大な強制収容所と化したガザは、何も変わっていない。

 パレスチナ・ガザの美容室。女たちが集まっておしゃれやメイクする。離婚調停中の主婦、ヒジャブを被った信心深い女性、夫からの暴力に悩む女性、結婚を控えた若い娘、出産間近の妊婦、美容室クリスティンとその家族、雇われている若い美容師・・・・・・・・・。戦争状態のガザの日常を生きる女性たちの姿を描いている。ときおり美容室から見える外の光景も映し出されるが、画面の大半は美容室のなか。ドラマは美容室のなかだけで繰り広げられる。その点では監督は、きわめて実験的な手法をとろうとしている。

 イスラエル軍の飛ばすドローンは、爆音で登場する。目の前にドローンやイスラエル兵の姿は登場しない。美容室の近くで戦闘が起きるが、これはどうもガザを支配しているハマスの軍あるいは警察と密輸・犯罪組織との戦闘のようだった。

 「虐げられたガザの女性たち」という世界に広まった「イメージ」に対して、監督は不満があるようで、そういうつくられたイメージを破壊したかったのだろう、そのように受け取ることができる。

 おそらく監督はガザの女性の日常、生きた姿を描き出したかったのだろうと思う。戦闘状態のガザでも、ガザの女性は生きているのであり、そこには家庭内の暴力に悩む女性もいれば、離婚もあるし、結婚を控えた娘もいる。何かよくわからなかったが、仕事がなく薬に手を出した恋人と別れられない美容師もいる。美容院の経営者の女性はどうしてなのかロシアから移住してきて、ガザで美容室を経営している。ときおりロシア語が飛び交う。蝋かガムテープかような接着剤を塗り、いきなり剥がしてムダ毛処理をしたり、マニキュアを塗り、おしゃれをする。どれもみな、ガザで生きる普通の女性たち。監督は、女性の日常の姿を描き出したかったのだろうということはよくわかる。


コピー ~ 180707 映画ガザの美容室」裏.jpg
<チラシ裏>

 美容室が戦闘に巻き込まれた時に、「戦争をするのは、いつだって男たち」、「私たちが争ったら、外の男たちと同じじゃない」と誰かが発言する。でも、若い美容師の恋人らしき髭の男が撃たれ負傷したのをみて、女たちは美容室に引きずり込んでハマスの警察から隠そうとする。
 だから、チラシには「戦争をするのは、いつだって男たち」と印刷されていたけれども、映画は必ずしも、戦闘状態のガザを「男と女の対立」として描き出しているわけではないことも、明らかなようだ。

 あるいは、誰だったか、「ハマスもファタハもうんざり」(?)といった発言も飛ぶ。
 ハマスもファタハも、おしゃれや美容など何の興味も示さず、闘いのため女性を従わせようとし、時には有無を言わせない家父長的な扱い、支配もあるのではないか? たぶん、監督はガザにおける女性の扱われ方に対する批判を描き出したかったのだろうと思う。

 あるいは「ハマスもファタハもうんざり」というセリフは、この映画が外国で上映されるための「パスポート」なのかもしれない、というようなことも思った。本当のところはよくわからないが、そうであってもなくても、どちらでもいい。
 
 イスラエルの姿は出てこないし、戦闘も誰と誰との対立なのかもよくわからないところもある。イスラエルによる経済封鎖、支配への批判は直接的には何も描いてはいない。観る者が想像力を働かせて感じとれ!ということなのだろう。(少し、無理があるようには思える。)

 戦闘状態のガザ、イスラエルによって経済封鎖され屈従を迫られるガザ、巨大な強制収容所と化したガザ。そこにも生きている女たちがいる、その姿を伝えたい、これが監督の描きたかったことなのだろうと思う。

 たしかに、その発想はガザの現実生活、これまでの描き方扱われ方にたいする監督の批判があるようなのだ。
 ただ、その批判はより徹底したものか? より本当の姿を描き出したことになるのか? ということが次に問われる。
 美容室のなかの女たちの姿だけで、ガザを描き出すという監督の野心的で実験的な手法は、果たして成功しているのだろうか?

 いろいろあるが、十分には成功しているようには思えない、というのが私の印象だ。
(渋谷アップリンクで上映中)
(文責:児玉繁信)













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