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安部公房『榎本武揚』を読む [読んだ本の感想]

安部公房『榎本武揚』を読む  1965年7月26日初版、中央公論社

 2017年10月6日、ある古書店で安部公房『榎本武揚』を見つけ買い求めた。すぐに読み終えた。ずいぶん前の作品であるが面白かったので評を書く。

1)きわめて独創的な才能

 豪快でユーモラスな表現、リズミカルでシャキッとした文体と日本語。それだけでも、めったにない、なかなかの才能と実力であると、あらためて思い知らせてくれる。
 明治維新という変動の時代を生きた榎本武揚が、いかに魅力的な人物であったかを、生き生きとした文体で描そうと試みた。
 
 文体だけにとどまらない。小説の構想は、極めて独創的である。そればかりではない、小説の構成もまたきわめて独創的であるし、野心的でさえある。読者をわくわくさせる。榎本武揚の思想と行動に、土方歳三の思想と行動を対抗させ、その奮闘でもって時代精神を描こうとした。忠節と転向として「対立」させて、表現している。しかもそこに、戦前に憲兵であった福地屋の主人の忠節と転向をも重ね合わせ、現代的課題として展開しようとしている。何という大胆さであるか。果たして、破綻せずに押しとおせるのだろうか?

 安部は何を描き出したのか?
 安部公房の描きだす榎本武揚は、むしろきわめて現代的な人物である。実にイキイキとしている。生きて眼前に存在する人物として思い浮かべることができる。安部公房の手腕である。もちろん、安部公房も、現代的に描き出す必要を見出したのであろう。
 どうしてなのか?

 安部公房は、執拗に『榎本武揚』に挑んでいる。それは当然のこと安部公房自身の現代に対する認識、批判が背景にある。1965年に書かれていることから、1965年当時の日本に対する批判も、当然のこと意識されているだろう。戦前の天皇制軍国主義日本に対する忠誠と戦後民主主義への「転向」の関係についての、安部公房の追究も重なっている。あるいは当時の共産党に対する忠誠とその批判をも視野に入っているかもしれない。

2)安倍公房は何を描き出したかったのか?

 安部公房は、何を書きたかったのだろうか。榎本の人物の大きさを描き出そうとしている。知の巨人であり、革命の実行者でさえある。現代においても、対置されるべき人物とその性質を、安部公房は提示したかったのだろうか? たぶんそうだろう。
 描き出された榎本武揚は現代に生きているがごとくイキイキとしている。土方歳三と対峙し、榎本武揚の大きさをさらに堂々と浮き上がらせている。叙述は、土方歳三の部下・浅井十三郎の考えと行動を通じて、榎本批判として叙述ははじめられる、しかし榎本武揚の「大きさ」が際立ってくる。

 土方歳三のあの変質的な執着は、徳川末期、滅びつつある封建制から生まれていると榎本に語らせている、その通り、適確な指摘である。土方歳三の駆使する「徳川への忠誠」は、崩壊を前にして自身の地位を守ることばかり考えている従来の武士たちへの批判であり告発であり、徳川体制内で土方が彼らを押しのけて成り上がっていく行動の指針である。しかし、徳川封建制はすでに崩れかかっていた。崩れかかっていたからこそ百姓の近藤勇や土方歳三が侍になれた。それ以前の盤石だった徳川の時代においては、近藤も土方も到底武士にはなれなかった。

 土方歳三の理念と行動は、徳川擁護を掲げているものの、あくまで建前で会って、徳川を擁護する道筋を通って土方が百姓から武士へ成り上がるところに重点があった。侍に成り上がることをそれ以外の思想、すなわち時代を変革するプランも理念も持ちあわせていなかった。世の中が見えていなかったのである。

 したがって、土方自身が、そして彼の理念と行動自体が、すでにアナクロニズムであった。徳川封建制は大きな社会的変動によって崩れかかっていた。薩摩も長州も、徳川打倒から近代的中央集権国家の建設を目指した。それまでの封建制を再建したのではない。したがって、土方や榎本に比べれば、とてつもない進歩であり、百姓や商人や下級武士など大多数の人びとの要求と希望を体現したのである。それは榎本の才能の大きさをも越えていた。もっともその近代中央集権国家は成立後、百姓や下級武士の要求を裏切ったのではあるが。

 百姓から侍になりたかった土方や近藤は、社会的に広範な支持を受ける時代的精神をその内に持っていなかった。それゆえ、彼らの理念と行動は社会的変革とはならなかった。革命的運動からは無縁であり、というより反革命勢力の手先、テロリストであった。滅びゆく人間であったし、滅ぶのは必然であった。このことを安部公房は、榎本武揚と対比して、見事に表現する。

3)安倍公房の目に映った榎本武揚

 他方、榎本武揚はどうか。
 榎本武揚は、見事に彫り上げられているか?
 土方ほど愚かではない。徳川の崩壊は必然と知っている。問題は、あるいは榎本の矛盾は、誰よりもよく歴史発展の方向を認識していながら、榎本自身の行動は運動の要素となりえなかったことである。

 安部公房は、榎本の「人物の大きさ」をあまりに強調する、時代を超えてさえ強調する。しかし、誰しも時代を超えることはできない。超えることができない榎本を描いていないところが、安部公房『榎本武揚』の欠点ではないかと思う。

 明治維新は、不完全な不徹底の民主主義革命である。榎本が西洋に遊学し学んだ新しい知識は貴重ではあるものの、幕府の役人である彼にとっては、徳川封建制を破壊する行動はとり得ず、革命において彼の知識は役立つ場所を得られなかった。得られなければいくら才能の大きさを誇ろうとも、意味はない。

 武闘派の新選組や彰義隊らを江戸から脱走させ、江戸を戦火から守ると同時に、武闘派を分散させ弱体化させたのが榎本の深謀遠慮であるかのように描くのは、単なる嘘である。
 「江戸を守るため、戦火を交えなかった」とは一つの口実であり、幕府旧勢力の一部が、何とか新政府の権力者の一員に加わりたい希望を表現している。守りたかったのは江戸ではなく、自身の地位であろう。勝海舟もその点は同じではないか。江戸で戦闘があったなら、幕府の旧権力機構はより徹底的に破壊しつくされただろう。そのことで明治新政府への権力移行は、ただスムーズに行われたろうし、変革はより徹底にしたものになったろう。

 明治維新のなかで、不徹底な、不完全な行動しかとれない榎本であったし、それは彼の立ち位置から来た。したがって、余るほどの新知識を身につけていたにもかかわらず、榎本の理念も行動もまっすぐに変革へと結びつかない。「知恵」があるように描くが、社会的実行と結びつかない、梃子を得ることができない「知恵」は、「知恵」ではない。「無用の人」、榎本武揚である。

 安部公房はこの点を知っていない、少なくともそのように見える。不思議なことである、また奇妙でもある。実に賢く才能のあふれる安部公房がこんなことに気づかないことがあるのか? きわめて残念に思うところである。

 榎本が「無用の人」に終わらざるを得ないのは、決して個人的性質からくるのではない。榎本の抱える時代的な矛盾に、安部公房は思い至らないようにみえるのである。
 しかし、想像するに、榎本武揚自身は、そのことを自覚していたのではないか。「無用の人」と何度も扱われ、そのたびに「悲しみ」を自覚しただろう。なぜその悲しみを描かないのか、「無用の人」榎本を描かないのか。
 
 徳川体制を徹底的に破壊すればするほど、変革は前に進む。それをまっすぐにできない榎本、そのような位置にいない榎本は、偉大な役割を果たすことはできない。立ち位置から、その歴史的役割は決まる。

 榎本が仮に、軍艦を引き連れて、官軍に寝返り、徳川体制破壊をより徹底的に実行すれば、明治政府内でより強力に変革を実行する権利を獲得するかもしれない。しかし、そのようになるには、理念と社会的運動が必要である。人々をとらえた運動なしに、一夜の裏切りで寝返っても、力にはならない。歴史は陰謀で動くものではない。榎本は背後に変革を求め支持する人々を組織しなかった。

 時代の要請は、個人の「知恵」の水準を越えている。「知恵」は個人の所有物でさえない。集団的社会的運動として、歴史的な役割を果たす。このような描写が、安部公房には欠けている、あくまでも「知の巨人」榎本である。非常に残念に思う。

 榎本武揚を「矛盾のなき人物」と描き出しているのであって、その限りでは偽りに転化しているであろう。榎本武揚は自分では解決しえない大きな矛盾を抱えている、にもかかわらず、安部公房の目はそこに向いていない。この点だけに限って言えば、「節穴」であったようにみえる。
 「無用の人」榎本武揚の悲しみを描いたならば、その人物像は、本当に大きな、時代的なものとなったろう。それを回避したから、「大きく」見せる工夫が必要となったろう。
 
 徳川に忠誠を誓う武士を集団で脱走させ、疲弊させ、蝦夷地にまで引き連れて、滅びやすくした、という安部公房の説明は、嘘だ。「偽り」そのものである。このような「知恵」を持つに人が、賢いのではない。そもそもそんなものは「知恵」ではない。あとからつくった「つくり話」である。ハッタリの一種で、人を驚かせるには役に立つだろう。一時は騙される者もいる、しかし、だまし続けることはできない。安部公房はだまし続けられると勘違いしたのだろうか。もしそうであれば、だまされているのは安倍公房自身である。
 
4)福地屋の主人の忠誠と転向

 安部公房は、榎本にみられる時代への忠誠と転向に、福地屋の主人の抱える「時代への忠誠」と重ねて描いている。ただ、この構成・構想は、大胆で魅力的であり、作者の才能の大きさを感じさせるが、残念なことに成功していない。

 厚岸に住む福地屋の主人は、戦前、憲兵であり、義弟を石原莞爾信奉者という理由で告発し死に至らしめた。本人は「時代に忠誠」を尽くしただけで悪意はないという、ただ敗戦により時代が変わり「忠誠」の中身が変わり、誠実に生きてきただけなのに非難されると嘆く。福地屋の主人は、その気持ちを徳川封建制から明治新政府へと時代が急激に変わったなかを取り残されて生きた土方歳三や榎本武揚の気持ちに重ねる。

 榎本武揚は、明治新政府に取りあげられ、のちにずいぶんと出世したことから、変節漢と非難される。土方歳三は、自身が「無用の人物」になっていることを薄々感じとりはしたが、『徳川への忠誠』なる理屈で生きるのを変えることはできなかった。福地屋の主人は、いずれに対しても自身の姿を重ねて、同情する。

 ただ、それが同情に落ちて、福地屋の主人の「時代への忠誠」、戦前と戦後のあいだの変革の意義をあいまいにするかのような取扱いに陥ってしまっているところは、はなはだよくない。
 それは、土方の「武士道」、「勇猛さ」に感心しているだけでは、戦前戦中の日本軍人の「玉砕精神」を褒め上げなくてはならなくなるのと似ている。また榎本の抱える時代的な矛盾を描きださない安部公房であれば、福地屋の主人の悔恨にただ同情するだけでなく擁護する方向へ傾いて終わるのは必然なのかもしれない。少し言い過ぎだとは思うが、榎本武揚を矛盾なき人物と描きだすことは、時代的精神から離反すること、行き過ぎた称揚に至るのであり、戦前に対する適切な批判に至らない結果をもたらしているようでさえあるのだ。

5)見上げた才能

 というような根本的な不満もあるけれど、構想通り、押し切って書き上げる才能と実力は、見上げたものである。表現もユーモアがあって、しゃれている。例えの文句が、リズミカルで具合がいい。美しく力強い日本語をつくりだしている。
 「歴史物」でありながら、時代的であり現代的だ。生きて再現されている。小説には時代を再現して目の前に突き出して見せる、小説でこのような表現や描写が可能なのだ、こんな可能性があるんだと、あらためて教えてくれる。読んだ後もなお興奮が残っている。(文責:児玉繁信)




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