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金石範の話を聞く [読んだ本の感想]

金石範『火山島』出版・復刊 記念シンポジウム

 11月8日(日)、成蹊大学で、金石範『火山島』出版・復刊記念シンポジウムがあった。『火山島』は、1948年済州島で起きた四・三事件を描いた小説である。約20年かけて1997年に完結した。

 2015年に『火山島』全巻の韓国語訳が初めて出版されたという。韓国の人たちは、『火山島』をどのように読むのだろうか? 

 当日、翻訳者である金煥基(東国大学日本学研究所長)さんが挨拶した。日本でもオンデマンドではあるが、岩波書店から『火山島』が復刊される。韓国語出版と復刊、そして金石範90歳、それらをすべて記念したシンポジウムである。
 金石範さんも出席し挨拶した。

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<挨拶する金石範>
 
 2015年10月16日、韓国・朴政権は金石範の入国を拒否したという。その理由は、2015年4月、「済州四・三平和財団」平和賞の初代受賞者に選ばれた金石範が、授賞式で事件当時の政権を批判したことが関係している。済州島で住民を虐殺した警察や政府関係者の人的な関係、および政策を引き継ぐ保守勢力がいまだに朴政権の一部を構成し、影響力を持っているからだ。
 現在もなお、金石範と作品『火山島』は、韓国社会に全面的に受け入れられておらず、したがって「歴史の空白」を埋めるべく闘っているのである。

 4人のパネラーがそれぞれ報告した。
 あるパネラーが、金石範の『火山島』は、歴史の空白を文学が埋めたと指摘した。まったくその通りである。済州島四・三事件を金石範は、政権によって隠蔽され、歴史資料もなく、現地取材に訪れることもできないなか、書き継いできた。小説『火山島』を追いかけるように、2003年盧武鉉政権になってやっと真相究明、済州島四・三事件が何だったかを、振り返る事業がはじまっている。

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<11月8日、金石範『火山島』シンポジウム 於 成蹊大学>

 当日のパネラーの一人によれば、金石範の作品は、「『日本文学』ではなくて、『日本語文学』と呼び直すべき」(鶴見俊輔)なのだそうだ。楕円の新たな軌跡をなぞり、楕円をあらためて説明しなおそうとするかのようで(花田清輝、『楕円の思想』)、どうでもいいことを論じているのではないかと思えることもあった。

 そのなかで、金石範の話が印象に残った。パネラーたちの報告の後、立って挨拶した。「90歳を祝われるのは嫌だ、しかし、『火山島』が韓国語で出版されたこと、復刊もされること、今日も多くの方に参加いただいたことに感謝する」と語ったうえで、金石範の挨拶は沖縄・辺野古の話になった。

 三、四日まえ(11月6日?) 沖縄・辺野古で新基地建設に反対し資材搬入を阻止するため座り込んでいる人たちを、警察がごぼう抜きにするに場面を見た、しかも沖縄県警察ではなくて、警視庁から派遣された200名の警官だった。本土から派遣された警察官が、基地に反対する沖縄の人々を排除する、弾圧する。金石範は、これを見て済州島の四・三事件を思い浮かべたのだという。済州島へも本土から来た警察や右翼集団が済州島の人々を虐殺した。その光景を思い浮かべたという。
 「侵略」そのものではないか。「侵略」と呼ばなくてはならないのではないか、という。

 金石範は続けてこう語った。「歴史書によれば、明治になった後、『琉球処分』があったとしている。しかし『処分』はおかしかろう。『処分』とは、汚いものをゴミ箱に捨てる、不要なものを処理するという意味ではないか! 日本政府の琉球支配確立に当たって、反対する沖縄の人々を抑えつけ、無理やり言うことを聞かせた歴史的事件を、『処分』という言葉で表現するのはおかしい、『琉球侵略』、『沖縄侵略』と呼ぶべきだ」

 さすがに文学者ではないか! 何と言葉を大切にすることだろう!

 『火山島』出版・復刊記念のシンポジウムでの自身の挨拶に、沖縄の辺野古基地反対を語る、反対する人々に自身の気持ちを重ねて語る。この作家はどこまでも現実を生きる作家だ、金石範の特質が如実に示されているのではないか、そのように思って聞いたし、あらためて感心もしたのである。 (文責:児玉 繁信)



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