SSブログ

ママパサノ(Mamasapano)の衝突 [フィリピンの政治経済状況]

 ママパサノ(Mamasapano)の衝突

Ph_locator_map_maguindanao.png

 1)マギンダナオ州ママパサノでの衝突
 2015年1月25日(日)には、ミンダナオ・ママサパノ(Mamasapano)周辺で、フィリピン政府武装勢力と地元の反政府グループ間の鋭い衝突した。戦闘では、フィリピン国家警察エリート特別行動部隊(SAF)の44人のメンバーが殺された。モロ・イスラム解放戦線(MILF)が、後に18人の反政府勢力側に死亡したと報告した。いくつかの地元の民間人も、事件の間に殺害された。
 突然の衝突と戦闘、および多数の死者と負傷者を出したことは、フィリピン政府と反政府勢力間の和解交渉を頓挫させるのではないかとの懸念を引き起こした。
 MILFだけでなく、バンサモロイスラム自由の戦士(BIFF)の両方のメンバーが反政府側の行動に関与していたと報告された。事件が起きた後、アキノ大統領はMILFとの交渉継続を決めた。
 MILFの代表はまた、地域の平和を確立するための努力は衝突によって破壊されないと表明した。それにもかかわらず、この数週間、政府軍とBIFFの反政府グループとの間で戦闘が続いている。

 2)ミンダナオ・イスラム教徒自治地域(ARMM)、マギンダナオ州
 ミンダナオ島では、歴代のフィリピン政権はキリスト教徒の政治家や住民、協力的なイスラム教徒の一族を支援して、先住のイスラムの人たちをミンダナオ西部の一地域に追いつめ、入植・開発してきた。迫害された住民は、モロ民族解放戦線(MNLF)のもと分離独立をかかげ、永年にわたる政府、入植者との戦闘が続いた。
 分離・独立を抑え込むため、コラソン・アキノ政権以降、永年にわたる交渉の末、1989年に「自治基本法」(Organic Act、Republic Act No. 6734)を成立させ、ミンダナオにミンダナオ・イスラム教徒自治地域(ARMM)を設けで自治を認めた。ARMMは4州だけで1990年11月6日に発足した。マギンダナオ州はARMMを構成する4つの州のうちの一つである。
 96年にはイスラム最大派、MNLFと歴史的な和平協定を締結し、議長のヌル・ミスアリがARMM知事に就任した。ARMMではMNLFが事実上与党化したことから、治安が急速に回復し、経済活動も活発となった。問題は解決に向かうかに見えた。ところがアロヨ政権は2001年に、ミスアリへの汚職・腐敗追及キャンペーンを繰り広げ、ミスアリ議長退任へと追い込んだ。
 これ以降、アンパトゥアン一族がARMMの利権をほぼ掌握した。アンパトゥアン一族もイスラムではある。05年には子息がARMM知事に就任し、アロヨ-アンパトゥアンによるミンダナオ中西部支配体制が完成した。
 2009年11月、知事選に出ようとしたマングダダトゥ(Mangudadatu)市長の支持者・ジャーナリスト57名が、アンパトゥアン一族の私兵によって殺される事件が起きる。
 戒厳令が敷かれ、イスラム自治権承認を剥奪し、再び「北」の中央政府が主導権を握った。

 3)開発利権が集中するミンダナオ
 ミンダナオはニッケル、銅、金、石油・天然ガスなどの鉱物資源の宝庫であり、96年のMNLFとの和平合意以降、欧米日・中東からの開発投資、政府のインフラ整備事業など、多額の資金が流入した。
 武装したイスラム勢力による戦闘をひき起こしあるいは起きたことにし、米軍やフィリピン軍が進出し住民を追い払い、そののち海外の資本が資源開発する事件が多発してきた。MNLFが解体された現在、ミンダナオの人たちはモロ・イスラム解放戦線(MILF)に一つのよりどころを求め、自身を防衛してきた。MILFは和平を求めフィリピン政府と交渉を続けている。
 今回、突然起きたマギンダナオ州ママパサノの悲劇によって、和平のプロセスが壊れるのではないか、と多くの人々が心配し、また注目している。
*************


Mamasapano-and-Aquino-1.jpg

 ママサパノの悲劇と和平への道
 
2015年1月29日、ジョエル・タボラ

 1)ママパサノの悲劇を悼む

 アキノ大統領はミンダナオ、ママサパノ(Mamasapano)で亡くなった人のために追悼の日を呼びかけました。私たちが金曜日に半旗を掲げ追悼した時、また慈悲と思いやりのため神に祈ろうと呼びかけた時、私は、よく知られたテロリストへの逮捕令状を取り持った任務で死亡した警察官の死も哀悼されるべきと考えました。同時に私は、同じ機会に死んだMILFとBIFFのメンバーの死をも哀悼します。私は、或いはすべてのフィリピン人は、彼らに哀悼しなければなりません。服従、無知、無謀または恐れによって無鉄砲な虐殺または野蛮な暴力に追いやられた、すべてのフィリピン人を哀悼します。沈黙のなかで、私は平和を祈ります。

 私はまた、私たちの平和への道が閉ざされないことを祈ります。犠牲と痛みの伴う困難な、骨の折れる道です。しかし、それは希望の唯一の道です。

 2)戦争と暴力の原因を想い起こそう!

 私にとって、事件の道筋を辿ることは、南の人々にとって覚えているにはあまりに痛ましく、北の人々にとって認めるにはあまりにきまりが悪いことです。このことはミンダナオでの戦争と暴力事件の原因を思い出すことを意味します。
 いくつかの事例を示しましょう。ヌル・ミスアリ(当時、MNLF議長)はヤビダ(Jabiddah)虐殺をきっかけに立ち上がりました。 ヤビダ(Jabiddah)虐殺に終わったのは、サバ州におけるマルコスの無謀な冒険主義がありました。イスラム教徒と彼らの土地・ルマド・ミンダナオ(Lumad Mindanaoans)を奪い、ミンダナオ風景を変更してしまった北から入植政策の歴史もあります。「白い外国人」の「少し茶色い兄弟」のやり方を拒否したムスリムの人々を、文明化するためアメリカ人と手を携えて北から来たフィリピン人の歴史、アメリカによるバドダヨのムスリム虐殺に立ち会った「フィリピン人」の歴史もあります。

 3)ミンダナオ、虐げられてきた歴史

 ホロ(Jolo)州バド・バグサ(Bud Bagsak)。イスラム教徒は、自身のイスラム信仰、文化と独立を外国人から守るために、勇敢に戦いました。スペイン人が征服したことがなかったムスリム・スルタンの主権も一緒に、スペインがアメリカにフィリピンを譲渡したと規定しているパリ条約でした。征服し植民地化するスペインの意志を挫いた300年にわたるモロ戦争の歴史。スペイン人の到着前のフィリピンにおける成熟した文明の存在した200年。モロ・アイデンティティ、政治的主権とそれまでの発展に対して、「北」からもたらされた不正行為は、ミンダナオにおける戦争と暴力の原因でした。
 「平和への道」とは、北から来たフィリピン人が南のフィリピン人(ミンダナオ先住民)を尊重することを意味します。ミンダナオは北の人々の開発のための道具ではありません。ミンダナオは、国民経済の発達の「機会」でもなければ、フィリピン政治家による「進歩」のための道具でもありません。ミンダナオの民族、歴史、文明は、北の人々による開発のための道具ではありません。もし私たちが責任を持つ文化、政策、法律が尊重しないなら、「平和への道」を辿ることはできません。

 北の国家元首によって与えられるべき正義と尊敬の欠如に失望し、イスラム教徒がイスラム独立を要求した時がありました。独立の呼びかけは、南の非イスラム・フィリピン人の心に、ある恐怖を植え付けました。恐怖した彼らは防衛の最善の方法は、攻撃だと思い込みました。そうしてイラガス(Ilagas)のテロが始まりました。それは、黒シャツ党員とバラクーダの対抗テロを生み出しました。そしてマニリ(Manili)の虐殺とブルドン(Buldon)の戦闘をもたらしました。ミンダナオの土は、その息子や娘の血で浸されました。 MNLF、そののちMILFは、今よりはるかに厳しい情況のなかで、イスラム教徒の独立の根拠を掲げました。海外からのイスラム教徒に支持されているとして、北の国家指導者によって、ミンダナオ人たちを征服するために北から軍隊が送られました。海外からイスラム支援などありませんでしたし、できませんでした。

 4)より高いより貴い水準での、平和への道

 戦争を止めることができた唯一の道は、銃や暴力や戦争が問題を解決しないどころか、さらに銃や暴力や戦争の必要を増大させるという相互の洞察でした。そのような洞察は、「平和への道」をフィリピンにもたらすのです。当初、MNLFとのパートナーシップであり、現在はMILFとのパートナーシップです。私たちが踏み外してはならない道すじです。

 銃と戦争が平和を創り出すことができるとかつて思っていましたが、現在私たちは、立憲民主主義を共有し平和に向けた合意を作り上げ、平和、交渉、合理的な議論により共通の夢を作り上げ、より高い、立派な水準において「平和への道」へと踏み出すことに同意しました。これらの協定は「平和への道」の本質に属しています。協定は誠実に合意されたものであり、誠実さは保持されています。そうでなければ、平和は危険にさらされるのです。

 交戦が終わった1997年、停戦合意の運用ガイドラインを実行する「平和のための協定」の一つが始まりました。「警察と軍事行動と管理/実際業務の活動は、GRPによってミンダナオと国中で行われ続ける。その追跡において、GRPとMILF軍隊の間の対決的な状況は、事前の調整によって避けられる。」(第II項)これは、和平交渉(MILF)を我々の正式なパートナーとする合意です。それは、一方的に解釈したり、または無視できる合意でありません

 このような項目を合意に入れた理由は、おそらく、「平和への道」が、困難であり危険に満ちていることに、双方が気づいているからです。平和にはその敵がいます。平和へのプロセスは、政権、強力な武装した一族、恥知らずな貪欲、武器取引、外国の利益、宗教的な過激主義、地方的および全国的テロリズムさえも含む、伝統的なセンターの利益によって攻撃されます。私たちのパートナー(MILF)は、平和に対するこれらの敵を知っています。北からのどんなプランナーが企てることよりも、彼らMILFは対応する力を持っています。和平交渉が始まったからといって、平和に対する敵がやっつけられたわけではありません。和平交渉は、私たちが平和へともに歩み、平和の敵に打ち勝つことが、共通の利害であることを意味します。ミンダナオにおける平和のためのパートナーはMILFです。

 それは信頼を前提とされたパートナーシップであり、そして唯一の信頼において成長できるパートナーシップです。それは大統領の言うように、何度も負担の成果を生んだパートナーシップです。:「私たちはお互いを信頼し合い、すでに偉大な進歩を遂げてきた。私たちは一緒に仕事ができることを証明した。」

image1-e1423539924616.jpg
<Mamapasanoの日常生活>

 5)政府のやり方のうちに、和平合意を壊してしまう要因が存在する

 したがって、ママパサノ(Mamasapano)という緊張状態の町で2人のテロリストの存在に対処するための1997年協定規定として、我々のパートナーがなぜ参加しなかったのかは、私には不可解です。

 この文脈では、アキノ大統領の昨夜の立場は不明確でした。大統領は、テロリスト追跡に関係する部隊は、「実行する前に大統領の認可を待つことは非実際的であるので、活動の一つ一つやすべてにおいて私の了解を得ることは必ずしも要求されない」と述べました。ここで大統領は、作戦において大統領の承認は必ずしも必要はないと言っています。大統領は、「承認した」とは言っていない。承認は彼からなされたと言っているようです。どうやら、彼は作戦を補完し協同で行ったようです。 「彼らは、2人の令状を提供し、行動をとることを決めた。」 大統領は、この特定の作戦について説明されたと認めておらず、一般的な説明を受けたと言います。「これらの説明会では、PNPは、マルワン(Marwan)とウスマン(Usman)に対する継続作戦について私に説明した……」 説明会では、彼は指示を与えていた: 「私は何度もSAF、軍事の間で、適切かつ十分な、タイムリーな調整の必要性を繰り返した」。ママサパノ(Mamasapano)の不安定な情況から、「訪問者は、この領域に入ることができない」と発言したすぐその後で、大統領は「フィリピン政府軍が静かに、慎重に入って行く必要がある……。」と言うのです。しかし、大統領はまた、ミンダナオにおける平和のためのパートナーであるMILFとの調整を、なぜ工作員に指示しなかったのでしょう? また、なぜ彼の部下は、この命令を与えていないのでしょうか? それは合意の無視だったのでしょうか?  あるいは平和のパートナーに対する不信からなのでしょうか? あるいは、ミンダナオは裏庭であり、マギンダナオはとげのないバラのベッドだと考える「北」の傲慢なのでしょうか?

 北の方法ではなく南の方法で、政府が大虐殺を防ぎ、その目的を達成したことを助けた一つのグループとの調整に、誰が失敗したのでしょうか?

 なぜ「政府とMILFとの信頼」は、汚れた評判の男が率いる秘密コマンドに、置き換えられたのでしょうか? 「平和への道」は、銀三十枚のために捨てられたのでしょうか?
 政府のやり方のうちに、和平合意を壊してしまう要因が存在します。北の傲慢な態度は存在し続けています。

 6)バンサモロ基本法が脱線してはならない

 大統領の声明にある通り、バンサモロ基本法の承認に至る和平プロセスが脱線してはならないことは、私にとって明確なことです。ママパサノで殺された人たちに対する残忍なやり方が許されることはありません。私たちはこのことに対し、目を閉じることはできません。しかし、上院議員アラン・ピーター・カエターノが無意味なことをして、責任をもっぱらMILFのせいにすることはできません。向こうみずな計画とひどい作戦の実行は、ひどい結果をもたらしました。もちろん、責任は計画を立てた者にあります。

 しかし、被害が起こましたが、バンサモロ基本法を含めるべきではありません。逆にそれはフィリピン議会の知恵を通じて、より緊急な、道すじをつくるのです。ここでは、私たちは賢い議員を必要としますし、共通の惨劇をきちんと見つめる政治家が必要です。このことは、正義からするならば、フィリピンのイスラム教徒への長年の負債なのです。私たちは敬意を持って彼ら接しなければなりません。そのことに合意しています。私たちは、みずからの自尊心で持ってこの負債に接することが必要なのです。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。