SSブログ

土井敏邦監督 ドキュメンタリー映画 『沈黙を破る』を観る [映画・演劇の感想]

土井敏邦監督 ドキュメンタリー映画『沈黙を破る』を観る
2009年作品 シグロ


 「沈黙を破る」とは、イスラエル兵士の間から生まれたイスラエル軍による占領政策の実態を暴露・告発するグループの活動であるという。

 興味深いのは、この兵士たちの多くは敬虔なユダヤ教徒の家庭に育ち、イスラエル国民、ユダヤ教徒の義務として当然のごとく兵役についたことだ。兵役前に、特に疑問を持ったり、兵役拒否を考えていたわけではない。兵役を経た若い兵士のなかから、イスラエルの占領政策を批判する声が生まれているのである。

 イスラエルでは、男性は18歳から36カ月、女性は既婚者を除き18歳から21カ月の兵役義務があり、義務兵役を終えると男性は予備役に編入され一定期間予備役勤務の義務を負う。なおユダヤ教徒、イスラム教ドルーズ派教徒は義務兵役で、キリスト教徒、イスラム教徒は志願者のみである。

 兵役を経た兵士たちが、自分たちの経験した「任務」の実態を告発する。占領政策における一つ一つの事実、実態をまずすべてのイスラエル国民が知ることが大切だと訴えかける。

 メンバーの一人・ドタンという青年が語ったことは興味深い。兵役の後、同じ部隊にいた兵士の7割が、南米や南アフリカに旅行に出かけているという。兵士になる前は、「世界で最も道徳的な軍隊」であると教えられるが、実際占領地で若い兵士の行うことは、占領地パレスチナ人への抑圧行為であり、銃でもって有無を言わせぬ力を行使することである。18歳のイスラエル兵が自分の両親や祖父母の年代のパレスチナ人に有無を言わせず指示し、命令する。一つ一つ行為をこなしていくうちに、行為に慣れ当たり前になり、それまでの自分とその考えが大きく変わっていく。自分では何も考えないで機械のように任務を果たすことに集中する。軍隊に行く前にはイスラエル軍は最も人権を尊重する軍隊と教えられるが、パレスチナ人はユダヤ人の子供を殺すテロリストとその仲間であり、パレスチナ人の人権なぞどこかへ飛んでいってしまう。

 「イスラエル人のセキュリティ」のためには、なんでも許される。「セキュリティ」が拡大解釈、拡大適用され、占領政策が肯定され、パレスチナ人の生活、人権、命は粗末に扱うのが当然だとする「感覚」、日常がイスラエル社会に広がっていく。

 占領地で暴力的にふるまった後、週末は休暇のため家族のもとに帰り、私服を着てカフェで何事もなかったように家族や友人と穏やかに話す。兵士たちは占領地から、暴力と憎悪、恐怖心や被害妄想をすべて抱えたままイスラエル社会に戻り、表面上は平和と平穏を愛する市民として振る舞う。このギャップが、澱のように心のなかに溜まっていってしまうという。

 兵役の後旅に出るのは、占領地で行った行為に対して、兵士一人一人の内部で葛藤が生まれ、イスラエルを出て、兵士としての行為を忘れ逃れるためであると、ドトンは言う。とにかく占領地とイスラエルから逃れたいと欲する。しかし、旅に出てもやはりそれは一つの逃避であって、完全に忘れ逃れることはできない。

 そんな兵士には、「心理療法」が必要なことは明らかな状態なのだけれども、しかし、いくら「心理療法」を処しても解決するわけではない。治療が必要なのは兵士ではなく、パレスチナ占領を必要とし前提として成立している現代イスラエル社会である。イスラエル社会こそ病んでおり、内部から死滅しつつある、と告発する。

 「沈黙を破る」グループによる告発の様子も描き出している。
 占領地で経験したことを2004年テルアビブでの写真展で紹介した。写真展会場で参加者が座って話し合う。「兵役拒否すべきだ」と主張する婦人に対して、「結論を急がないで占領地の実態を知ろう」などという議論がおもしろい。
 また、国会の小委員会でグループメンバーが占領地での実態を「証言」する。証言中に「テロリストを支援するのか、ユダヤ人の子供を殺している」と発言を遮る議員(?)らしき人の声があり、それに対し「政治的発言は避けて事実を聞こう」という声も上がり、紛糾する。この様子は「現代イスラエル社会の悩み」をそのまま映し出している。

 映画が「沈黙を破る」メンバーと並行して描き出すのは、パレスチナ人たちの姿である。
 2002年のヘブロンの難民キャンプで爆撃により家を破壊されたペンキ屋の家族を追う。破壊された家掘り起こし残された貯金を探す男の姿を映し出す。埃まみれになって掘り返すが、手作業なので掘り起こしたそばから崩れる、大きなコンクリートの塊もある。「絶望」とはこういう姿なのだろうか。財産を失った男はあきらめきれなくて掘り返す。

 2007年に監督は再び、この家族を訪ねる。湾岸諸国からの援助によってヘブロンは復興していた。ペンキ屋は車の塗装をして暮らしていた。成長した子供たちに囲まれて「いつまでも過去を引きずっているわけにはいかない、忘れられないが忘れなければ生きていけない」などと語り、いまを精一杯生きている姿を見せる。それが実にいい。
 2002年の爆撃で右手を失った若者は家族を失い嘆き悲しんでいた。2007年再訪した時には法律家として働いていた。右手を失った後イスラエルから爆弾を投げた「テロリスト」の証拠であるとして逮捕され、3年間投獄され服役したという。踏んだり蹴ったりの扱いだが、にもかかわらず実に「穏やか」に話す姿が印象的だ。

 こういう人たちのあいだにこそ、本当のヒューマニティが生まれ育つのであり、したがって未来への希望が生まれるのであろうと思う。

 映画はドキュメンタリーであり、いろんなことを描き出している。見逃したこともたくさんあると思う。
 ただ、映画がはっきりと描き出しているのは、占領政策を取り続ける現代イスラエル社会が確かに病んでおり、もはや未来は描けないということではないだろうか。(文責:児玉 繁信)
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。