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両国の回向院 [現代日本の世相]

両国の回向院

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 両国・大江戸博物館の「モンゴル至宝展」とやらに出かけたものの、歴代モンゴル王朝の金飾りをおもに集めた展示ゆえ、観客は展示品を価格に換算するのがいかにも容易。俗っぽいことこのうえなし。金飾りの大きさに比例した熱心さと感歎の声をあげるよう誘導される。

 早めに切り上げて両国駅あたりをうろうろしていると、回向院とあったのでのぞいてみる。
 明暦の大火(1657)の死者を供養するために建立された、と説明板にある。回向院過去帳に記載された死者数は20,002人、江戸全体の死者は数万人にのぼったという。

 行き場のない死者を葬る必要があったから建立された回向院。明暦の大火は江戸の街ほとんどを、すなわち町人屋敷のみならず、江戸城本丸を含む武家屋敷も焼きつくしてしまった。それゆえ、江戸復興のために武士ばかりでなく、町民の気持ちも考慮するが必要であったというわけか。

 それからそののち回向院、行き場のない死者を引きとる専門寺院となった。行き場のない者に行き場があるのは、いいことだ。
 安政の大地震(1855)の死者(4,000人)もここにいる、関東大震災の犠牲者もいる。いずれも引きとり手のない死者たち。

 江戸の住民、名もなき民、有象無象は、「死んだ証」をもって、かつてかれらがここらあたりに「生きた証」を残す。

 ただし、古い死者を祀るだけでは商売はうまくいかないようで、犬猫ペット供養塔や力士力塚などをも受け入れて、雑然とした様相を呈す。われらが祖先、名もなき民にとっては、このいいかげんな「雑然さ」は、むしろ親しみやすかろう。にぎわいがあり、われらには似合いだろう。

 墓地もあるが、つめにつめ、墓石は手を伸ばせば「お隣さん」に届く。これでは地震がきたら、となりの墓石に当たって共倒れとなろう。

 もともと共倒れした同士だもの、それもまたよかろう。死者は次から次へと増えるので、新参者多くなり、先に行き着いた者共は、居場所をつめるしかない。

 それに加えて回向院、昨今の土地高騰の波うけて、周りの土地は次々と業者に切り取られ、両側からマンションやビルが迫りきて、参道も細く削られた。本堂の後ろももう他人の土地で、回向院自体も狭いところに押し込められた。
 「ああ、狭苦しや回向院」、墓石たちが口そろえた歌声を、夜も深き境内で、聞いた人があるという。死んでなお、厳しい生存競争にさらされているというべきか。(文責:玉)

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