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ミンダナオの戦争は誰が起こしたのか? [フィリピンの政治経済状況]

ミンダナオの戦争は誰が起こしたのか

1)フィリピン政府、和平合意を破棄 
 フィリピン最高裁は8月4日、和平合意文書の調印を一時差し止める決定を下した。そしてフィリピン政府は8月21日、7月大筋で合意していたイスラム教反政府勢力モロ・イスラム解放戦線(Moro Islamic Liberation Front、MILF)との和平合意を破棄した。その結果、ミンダナオでは激しい戦闘が起きている。フィリピン政府のこの動きがそもそもの原因である。

2)16万人以上の避難民
 フィリピン南部ミンダナオ(Mindanao)島の北コタバト(North Cotabato)で起きた政府軍と反政府勢力モロ・イスラム解放戦線(Moro Islamic Liberation Front、MILF)との戦闘激化に伴い、国連(UN)は8月12日、避難民への食料援助を開始した。前週から続く戦闘で、フィリピン政府軍は12日、迫撃砲や軍用ヘリコプターなどで、MILFの拠点に激しい攻撃を加えており、これまでに住民16万人が避難を余儀なくされている。
こうした事態をうけ、国連人権委員会も、政府軍とMILFの双方に戦闘を停止し人道危機を回避するよう求めた。

3)2007年の和平合意
 2007年11月15日、フィリピン政府と反政府勢力モロ・イスラム解放戦線(Moro Islamic Liberation Front、MILF)は15日、クアラルンプール(Kuala Lumpur)で2日間にわたり行った協議で、MILFがミンダナオ(Mindanao)島で「祖先代々の土地」として主張する領域について合意に至っていた。
フィリピン政府とMILFは2001年に停戦し、和平交渉を開始したが、MILFへ移譲される領域の範囲に関して合意に至らず、大きな障害となってきた。合意によれば、MILF自治区より拡大される見通しだった。問題となっているミンダナオ島の土地は、16世紀後半にフィリピンがスペインの植民地となった際、フィリピン政府によって「国有化され共同使用されていた農地」である。
当時のフィリピン政府・交渉責任者Rodolfo Garciaは、「ミンダナオ島では30年以上も問題が続いていることから、政府側が譲歩した形となった。相手側が譲歩する見込みはないため、政府側が妥当と思える範囲で譲歩した」とこのとき発言した。
 
 最終和平合意には、治安、復興、および「祖先の土地」の3分野について盛り込まれる予定。両者はこれまでの協議で、すでに治安と復興については合意していた。
 和平合意では、MILFが拠点とするミンダナオ(Mindanao)島にあるイスラム系住民の「ホームランド(先祖伝来の土地)」について、独自の治安維持、金融、行政事務、教育、法律などのシステムを認めるほか、天然資源の管理に完全な自治権を与えることなどが盛り込まれ、40年にわたる流血の歴史を終わらせる「包括的な協定」への道筋を整える「歴史的な合意」とされていた。

 2007年11月15日の合意には、2008年8月までの合意が期待される最終和平合意に向け努力が続けられてきたが、フィリピン政府側が一方的に破棄したことになる。

4)和平合意を破壊する者
 フィリピン支配層の意向を汲む政治家らは和平合意を「憲法違反」だと反発してきた。その背後には、ミンダナオの資源や土地を支配したいという意向が見え隠れしている。それだけではない。背後に米政府、米軍がいる。戦闘で住民を追い出し、軍事力で土地や資源を奪い取ろうとするとともに、東アジアにおける軍事基地、軍事力の配置という戦略的構想が絡んでいる。
 フィリピン政府、和平合意破棄の態度を改め、即刻戦闘を中止しなければならない。米政府・米軍は、即刻先頭を止めさせなければならない。

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