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横須賀での米兵による佐藤好重さん殺害事件,12月20日、横浜地裁 [米兵によるレイプ事件、犯罪]

横須賀での米兵による佐藤好重さん殺害事件
 12月20日、横浜地裁で 第一回口頭弁論

米兵による犯罪の根絶を!被害者に正当な補償を!

<12月20日、口頭弁論後の報告会に80名参加>

米兵リース・ジュニア・ウィリアム・オリバーによる強盗殺人事件の被害者、佐藤好重さんの夫・山崎正則さん等遺族が起こした民事裁判の、第一回口頭弁論が12月20日午後2時から横浜地裁で開かれ、101号法廷の定員である80名を越える傍聴者が参加しました。わたしも参加しましたが、少し遅れたため傍聴券をもらうことができませんでした。裁判の後、開かれた報告会で今日の口頭弁論の様子を聞きました。

原告・山崎正則さんが本人陳述をおこない、弁護団からは、「事件の残虐性」(緒方義行弁護士)、「沖縄の米軍犯罪について」(荒垣勉弁護士)、「安保条約・地位協定と米兵犯罪」(内藤功弁護士)などの陳述をそれぞれ行いました。
原告・山崎正則さんの本人陳述は感動的だったと傍聴参加した人から聞きました。報告会で「本人陳述」が配布されましたので、下記に添付します。

次回公判は2007年2月21日11時から横浜地裁101号法廷で行われます。
なお、裁判支援のため「山崎さんを支援する会」(個人は一口:千円、団体は一口:二千円)への入会を呼びかけています。
連絡先は、「米兵による女性強盗殺人事件を糾弾し、山崎さんの裁判闘争を支援する会」電話045-201-9644、郵便振替口座番号00290-4-59916 です。

<事件概要>
2006年1月3日早朝、出勤途中の佐藤好重さんが惨殺された。犯人は、横須賀を母校としている航空母艦キティホークの乗組員リース・ジュニア・ウィリアム・オリバーでした。リースは前日から酒を飲み続け、更に飲むための金欲しさに、通りかかった人を襲って金を奪おうと付近を徘徊していました。そこへ佐藤好重さんが通りかかったのです。犯人は、道を聞く振りをして彼女に近づき、いきなり殴りかかり、抵抗されると更に殴る蹴る、襟首を持ってビルの角に打ちつけ、彼女が血の泡を吹いて倒れ動けなくなるまで暴行を加えました。好重さんが動けなくなったことを確認し、バッグを奪って逃げました。好重さんは病院へ搬送される途中になくなりました。肋骨の多くは折れ、腎臓と肝蔵は破裂し、顔面頭部は陥没していました。残虐な事件です。
犯人は、刑事裁判で無期懲役の判決を受け、現在服役中ですが、この犯人個人を罰するだけでは、米兵による犯罪はなくなりません。神奈川県内では2006年だけでも16件以上の米兵の犯罪が発生し、18人が検挙され、その度に米軍当局は綱紀粛正、再発防止を表明しますが、なんら実効性のある対応をしていませんし、することができません。また補償については、特に公務外で事件を起こした場合などは、米軍や日本政府の対応も非常につめたく、補償さえされない場合が現在も続いています。
米軍基地が存在していることが事件の原因であり、この裁判は日本政府と米軍の責任を強く問うものです。

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本人陳述 山崎正則
2006年12月20目

<木村和夫弁護団団長と山崎正則さん>

私は、アメリカの空母キティホークの乗祖員に殴り殺された佐藤好重の夫の山崎正則です。
 私は、21才の時から相模鉄道のバスの乗務員として現在まで勤めています。妻は系列会社からバスなどの清掃に来ていました。
 私たちがはじめ知り合ったのは、2000年頃でした。はじめは挨拶ていどのつきあいでしたが、その内お互いの身の上のことなどを話しあうようになり、親しく付き合うようになりました。まもなく結婚をしようと思うようになって、そのために2004年4月頃から、私と妻は横須賀市内に1DKのアパートを借りて一緒に住むようになりました。
 ある日、二人で散歩をしている時に、今住んでいるマンションが売りに出ていることを知りました。妻は、このマンションを見ると、とても気に入り、「便利もいいし、花火大会もよく見えてながめもいいし、こんなところに一度でいいから住みたい。あなたの年金をマンションの支払いに当てれば、生活費は私が働いてかせぐから買おうよ。」と、もう夢中でした。妻はこれまで二度結婚に失敗し、子供が産めないなど家庭生活に恵まれていなかったし、私も結婚に失敗するなどして、あまり良い人生ではなかったので、ここを買って二人で幸せになろうと買うことを決めました。早速手続きをして、2005年の9月に入居しました。それまで私がたくわえていた1200万円を頭金にして、残り1500万円を私名義で10年のローンを組みました。しかし、権利はこれから先二人に何かあってもいいように、私と妻で半分ずつにしました。
 新しいマンションでの生活はとても幸せでした。特に妻は大喜びで毎日が楽しいと言って元気に働きまわっていました。
 ある日の夕方、いつものように、ベランダでタバコを吸っていると、妻が寄ってきて「やまちゃん。ありがとう。これまでも長い間私の生活費のめんどうまでみてくれ、その上こんなマンションも買ってくれて、私は生まれてきれまでの中で今が一番幸せよ。長生きしてね。」といって、涙を流してくれました。
 私も、一番幸せな気持ちでした。考えてみますと、私たちニ人はこれまであんまり幸せな暮らしを送ってきませんでした。恵まれない家庭生活、恵まれない人生と言ってもいいと思います。だから、これからは、二人で幸せな家庭生活を送ろうと話し合いました。そのためには、春になったら入籍し、退職したら退職金などを当てて一日でも早くローンを返し、ゆっくり日本一周をしよう、と話し合っていました。

 私たちが、望んでいたことは、他の人にとってはたいした望みではないかもしれません。
 しかし、私と、妻にとってはこれまでこつこつと真面目に働き、しっかり生きてきてやっといだいた夢なのです。それを、あの米兵は、遊ぶためのお金欲しさに、たった10数分でめちゃめちゃにしてしまいました。しかも、その10数分は妻にとっては、地獄の苦しみの時間でした。
 刑事裁判の時に、現場のビデオが音声だけでしたが流されました。妻の「助けて」「や
めて」と言う声が何度も聞こえ、それにお構いなしに犯人が妻を殴る音、ビルに打ち付ける音が聞こえました。あれが妻の最後の声でした。あの声は一生忘れられません。
 あの時、私に助けを求めていたのです。それができなかった。この悔しさ、情けなさは一生消えません。

生きている頃の妻は、他人にもやさしくよく気を使う人でした。職場の同僚にも食事をおごってやったり、行きつけの歯医者さんや美容院には、行くたびにお土産を持っていったりしていました。
 ある時こんなことがありました。
私と妻が、町を歩いていると、むこうから外国人の家族連れが来ました。だんなが二、三才位の女の子を抱いていましたが、その子は何かぐずっていました。すると妻は「どうしたの」と言ってそばにいき、さっき自分のために買ったばかりの、小さな人形をプレゼントしました。

 私は、ここで大きな間違いをしてしまいました。
 その時私は妻に、「やめろ」というべきだったのです。「横須賀では外国人には、近づいてはいけない」、「外国人を見たら、はなれろ、逃げろ」と教えるべきだったのです。私がそうしなかったばかりに、妻は犯人に道を聞かれ、警戒するどころか親切に道を教えようとして殺されてしまったのです。

 今も仕事から帰ると、ドアを開けて思わず「ただ今」と言ってしまいます。
 でも誰も答えてくれません。
 その時また、「ああ、そうだった。」と、妻のことが思い出されます。
 それから、妻の位牌の前に行き、線香を上げてその日の出来ごとを話します。
 今日も帰ったら、妻に「思い切り、お前のことを皆さんの前で話してきたよ」と言います。

 私は、妻が使っていたものは、なに一つ片づけていません。スリッパ、おはし、茶碗など一つ一つを見るたびに、悲しさと悔しさでやりきれません。
 私がどんな気持ちで日々を送っているかどうぞ察してください。

私がこの裁判を起こしたのは、お金のためだけではありません。私は、お金ではなく妻を返してくれと言いたいのです。
 私たちがこんな目にあったのは、日米両政府が政策として米軍の基地を置き、その米軍が兵隊をきちんと管理していなかったからです。基地がなかったら、米兵が居なかったら私たちは幸せに暮らせていたのです。それを壊した責任を米軍や政府にきちんと取ってもらいたいとこの裁判を起こしました。
 米軍基地が日本にある限り、私たちのような被害者が出ます。もうこれ以上私たちのような被害者が出ないように、米軍や日本政府がしっかりした手だてをつくるような判決を出して下さい。
 心からお願いいたします。


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