「蟻の兵隊」から、付け足し [映画・演劇の感想]
「蟻の兵隊」から、付け足し
映画「蟻の兵隊」のなかで、奥村和一が、当時(当時がいつかわからない、敗戦直前かあるいは敗戦後か)部隊の兵士のうち朝鮮人兵士が、解放区に向けて脱走したと語ったと記憶する。正確でないかも知れない。
朝鮮人兵士の解放区への脱走から、金史良の『駑馬万里』(一九四七年十月)を思い出し、取り出してみた。金史良が北京飯店から解放区を目指したのは、一九四五年三月。順徳から日本軍の封鎖線と遊撃地区とを突破し、朝鮮義勇軍の本拠である華北・太行山脈へと赴き、解放地区で『駑馬万里』を書いた。
金史良は『駑馬万里』序文に次のように書いている。「・・・特別配給とかいうほんのわずかのくるみ油の燈火のもとで、・・・夜の更けゆくのも忘れて夢中でしたためた、・・・日本軍と閻錫山の軍隊の潜伏する娘子関の険しい山々を前にして、渡河しながらこの記録と日記、手帳などを背嚢の底から取りだし、懐中にしっかりしまいこんだ・・・・」
軍閥・閻錫山の本拠地は太原であり、奥村の駐屯していた寧武は更に太原の北方である。
「娘子関」がどこかわからず明確でないが、地理的に近いのではないかと思われる。
それこそ「余不備」(あとはよろしく)
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お陰で、南京陥落を祝う提灯行列の意味が、より重層的な膨らみを持ちました。
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by zeroko (2006-09-30 12:56)