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二つの表情――映画「蟻の兵隊」評―― [映画・演劇の感想]

二つの表情
   ――映画「蟻の兵隊」評――
映画のチラシから

 北支那派遣軍第一軍(五万九千人)の司令官、澄田中将、今村高級参謀らが策謀し、日本軍を山西省軍閥・閻錫山に共産党軍との戦闘に使うことを申出、そのことで澄田ら日本軍高官の安全の保障と日本への帰国を取引した。そのため、奥村らはポツダム宣言に違反し、一九四九年四月二四日、人民解放軍に投降するまで戦い続けるのである。いわば、彼らは売り渡された兵隊なのだ。日本政府は現在に至るまで、奥村らを逃亡兵としての扱いを変えていない。
映画「蟻の兵隊」は、売られた兵隊・奥村和一が、現在もなお日本軍の卑劣さを告発し、その過程で自分たちの侵略行為も自己批判していく姿を追う。

1)二つの表情 
 あれは二〇〇五年の八月十五日の映像だろう、靖国神社に多くの人々が集まっていて、そのなかの一グループを前に小野田寛郎が講演している。「自分は靖国神社に入れなかったいわば落第生」と「冗談」をいい、ニコニコ笑いながら聴衆に話している。奥村和一は黙って聞いている。講演が終わり帰り際、奥村が小野田をつかまえ話しかける。「小野田さん、侵略戦争の美化ですか!」。小野田の表情が般若の表情に一瞬にして変わる。「侵略戦争ではない。開戦の詔勅にも書かれている。」と怒鳴る。小野田の表情の変化を、映画は見事に捉えた。

 奥村は羊泉村に日本軍に慰安婦にされた劉面煥さんを訪ねる。劉面煥さんの受けた被害を黙って聞く奥村。劉面煥さんが奥村に言う。「少なくとも今のあなたは強暴な日本兵には見えない。」
 奥村さんが奥さんに、新兵教育で中国人を刺殺した自身の行為を話すことができないと監督が紹介する。すると劉面煥さんが奥村に、「奥さんに話してあげなさいよ」と語りかける。これを黙って聞く奥村の表情がいい。下から劉面煥さんを眺め見る。安心したような、無防備の表情である。映画はこの時の表情を見事に捉えている。奥村によれば、仏さんに見えたという。

 この捉えた二つの表情だけで、この映画は大きな仕事をしたと言える。

2)いまだに闘いつづける奥村
 
 奥村和一は八〇歳を超えた今も闘っている。自分のなかの日本軍兵士と闘って自身を変えようとしている。

 新兵教育の時に刺殺した中国人の遺族と会う。奥村は自身が刺殺した中国人を農民だと長い間思っていたが、日本軍が管理する炭坑の中国人警備兵だったと知らされる。中国人警備兵は、日本軍と銃撃戦になったあと、降伏し逃げなかったので日本軍につかまり、新兵の刺殺訓練の的にされた。
奥村はなぜ逃げなかったのか、激しく非難する。「逃げておれば、俺は刺殺しないで済んだのに」との気持ちから、非難の言葉が強くなる。自分の責任が少し軽くなるように感じたのだ。遺族を激しく追及する姿を映画は捉える。奥村のなかに潜む日本軍兵士が顔を出した瞬間だ。
 そして、宿に帰って監督に指摘され、兵士に戻っていた自分にやっと気づく。自分のなかに引きずっている日本軍兵士と闘って自身を懸命に変えようとする奥村を描き出す。

渋谷・イメージフォーラムで上映中。


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