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アーサー・ミラー『橋からの眺め』 民藝公演 [映画・演劇の感想]

アーサー・ミラー『橋からの眺め』
民藝公演、紀伊国屋サザンシアター 二〇〇六年二月八日から二〇日 公演中

一九五五年の作品。アーサー・ミラーは二〇〇五年二月十日に亡くなったから、追悼公演なのだろうか。

 『橋からの眺め』はニューヨーク下町ブルックリンのイタリア移民家族の話。橋はブルックリン橋のこと。
 密入国した妻ベアトリスの従兄弟二人、マルコとルドルフォを受け入れたエディは、彼らの家に滞在することを許す。エディは一緒に暮らし育て上げた姪のキャサリンを、常軌を逸するほどに溺愛していて、キャサリンが不法移民ルドルフォと恋仲になるのに反対する。市民権を持つエディでさえ、沖仲士の臨時雇いの仕事にしかありつけない状況であるにもかかわらず、あるいはそれゆえに、キャサリンが市民権を持たない不法移民と一緒になることをエディは嫌う。キャサリンがブルックリンからマンハッタンへ飛び立っていくことを空想しているのだろうか。そしてエディは、若い二人に嫉妬して従兄弟二人を移民局に密告してしまう。

 イタリア人社会では、仲間の密告は軽蔑すべき裏切りであり、密告者は誰も相手にしない掟だ。エディの裏切りによって、マルコはイタリアへ送り返されるし、エディと家族は崩壊する。

 全体を通して不法移民に対するミラーの目はやさしく同情的だ。

 アーサー・ミラーは一九五六年、非米活動委員会に喚問されるが、共産党の活動にかかわった作家の名前を挙げることを拒否した。
 他方、ミラー作品をずうっと監督してきたエリア・カザンは非米活動委員会に協力し6名を共産主義者であると密告する。密告された作家は職場から追放され、カザンは引き続き監督としての地位と仕事を得ることができた。密告した後のエリア・カザンの監督作品が、『波止場』一九五四年『エデンの東』一九五四年などである。

 この時から、ミラーとカザンは別の道を歩く。
『橋からの眺め』は、ミラーによるカザン批判であり、アメリカの当時の「狂気的な」社会状態への批判である。もちろん、実際には「狂気」のせいではなく、背後で操った者、手を下した者がいる。その者たちへの批判はまったく不十分だし、未だ完了していない。

 民藝の公演では、このような作品のもつ緊張感は演じられなかったし、同じような不法滞在者を抱え込む現代日本社会に対するアプローチもなかった。作品の生命をほんの少ししか感じることができない。
 密告のあとのエディの人格が破壊されていく描写は、ミラーの個人的な思い入れガ感じられて、多くは余計だ。また舞台回しである弁護士によるエディの不幸についての最後の独白も、「説明」として追加されている。演劇に「説明」を加えるなど、これも余計だ。

ミラーとモンロー

(追記)
 アーサー・ミラーは『橋からの眺め』を書いた後、一九五六年六月にマリリン・モンローと結婚した。モンローはセックスシンボルのように扱われてきたし、そのように利用されたまま死んだけれども、当時のモンローは大変純粋で知識欲にも燃え、「アクターズ・スタジオ」でスタニスラフスキー・システムを一所懸命勉強していた(演技力を身につけたかどうかは別だけれど)。ミラーが非米活動委員会に呼び出されるとき、モンローにも圧力がかかった。委員会に協力しなければ仕事ができなくなるぞと。フランシス・ウオルター非米活動委員会委員長は、一緒にニュース映画に出ればミラーへの質問に少し手心を加えるからというような取引も持ちかけた。これらすべてをモンローは蹴った。彼女の生涯のなかの輝かしい一面である。


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コメント 2

cassiopeam101

tamashigeさま、初めまして、民藝の公演に対する不満、判るような気がします。日本は不思議ですが、平和なんですね。エリア カザンの話、アーサー ミラーの話も聞いたような気がします。ネット上でもこれらの挿話については窺い知る事が出来るようです。
http://www10.plala.or.jp/shosuzki/edit/eliakazan.htm
勿論、アカデミー特別賞受賞の折のように立って拍手、座って拍手、座ったまま、ブーイングなどなどの態度表明があったように、このwebsiteもそのどれかなのでしょう。
しかし、あれこれの意見が出されている事が良いと思います。日本ではどれかの意見に統一されて、一色になってしまうのが、子供っぽくて経験の積み重ねにならないのがやり切れません。
日本にもかつて「転向」と言う言葉、行為、話題がありました。エリア カザンの「裏切り」はこれと重なる部分があると思いますが、かれのその後の作品にこの「裏切り」がどのように影を落としているか、につていは議論がされていないように私は感じています。作品は素晴らしい、だが裏切りは許せない、と言う感じです。ここが私は不満です。
日本の転向者には、エリア カザンの場合とは違って、作品が書けない、発表できない、などの影響が色濃く出ています。彼等が「波止場」を見てどのように感じたか、を知りたいと私は感じています。
一方、赤狩りで裏切らなかった人達は映画活動をその後出来なかった人が大勢居たそうです。
これらの問題は今も古くて新しい問題です。アメリカではテロ対策と称する盗聴活動など、日本では拉致問題、アジア諸国に対する感情的対外姿勢などをどう捉えるか、は冷戦対策の赤狩りと殆んど重なる問題だと思います。
だから、民藝の姿勢が問われているのでしょう。長話ご免。
by cassiopeam101 (2006-02-19 16:48) 

tamashige

「橋からの眺め」にコメントありがとうございます。

「転向」、「裏切り」の結果、どのように作品に影響しているか、作品として評価するとどうなのか?非常に難しいのです。
ではカザンの映画をどのように評価するか?ということなのでしょう。

わたしは、「エデンの東」(1954年)のジェームズ・ディーンの描き方などはカザンの後ろめたさを感じました。正面から人を見ない、常に上目づかいに相手を見るのです。そして家父長的な横暴な父親にひざまづいて愛をこうシーンなど、カザンの裏切りの後ろめたさの心境にもつながるようなところがあると思っているわけです。
ただ、ずいぶん以前に見たこともあり、自信がありません。それ以上に作品全体としてどう評価すべきなのかは、述べることができないのです。
確かに、このようなジェームズ・ディーンの演じたような形象が、当時のニューヨークのイタリア人社会で存在しえたとも思うのです。むしろこれは面白いことかもしれません。

「波止場」(1954年)の労働組合の描き方などは「悪意」を感じましたが、ただし、実際に労働組合の描かれたままの姿がそのままであったのか、実はよく知りません。
いずれにせよもう一度観ないとなんともいえないのが正直なところです。

なお、ハリウッド・テンの何人かは、映画の仕事ができなくて非常に苦労しています。仕事がないため変名でいろんな仕事をしています。
1956年「黒い牡牛」はアカデミー賞の授賞式で脚本家ロバート・リッチの名前が呼ばれましたが、何回よんでも誰も出てきません。ハリウッド・テンの一人、ドルトン・トランボの変名であり、彼は出席することさえできませんでした。また、1953年「ローマの休日」のストーリーを匿名で書いたのもドルトン・トランボであることを、本人が後に認めています。トランボは変名でしか脚本を書けない時期が、1960年まで続きました。

ハーバート・ビーバーマンはブラックリストに上げられて以降、独立プロをつくり労働者自主映画「地の塩」(1954年)を発表しました。しかしこの上映はことごとく妨害されました。メジャーの労働組合も妨害しました。小さな映画館でやっと上映にこぎつけましたが、米映画会社・メジャーは同じ日同じ時間に合わせて超大作の試写会を組んだりしました。「波止場」ではなかったか?と思っていますが、確かではありません。調べなければいけません。

「真昼の決闘」(フレッド・ジンネマン監督、カール・フォアマン脚本)
ゲーリー・クーパー演じる保安官が、以前逮捕した四人の荒くれ男が復讐しに、町に戻ってくることからドラマが始まります。町の人たちは口では一緒に戦おうといってくれますが、いろんな理由できて誰も助けにこない。誰も助けに来ないと知ったときのクーパーの表情がなんともいえません。
彼はたった一人で立ち向かうのですが、この孤独感がひしひしと観る者に伝わってきます。この場面は、非米活動委員会での追及と孤独感を、そのまま表現していると私は思っています。
クーパーは荒くれ男を一人ひとり倒してしまいます。倒したあとで、町の人たちはみな保安官を称えます。そのことには何も言わず、保安官は星形の保安官バッジを地べたに捨てて、妻(グレース・ケリー)と去っていきます。こういうシーンにも部分的に表現されていたと記憶しております。

今のところこれくらいのことしかいえないのです。
by tamashige (2006-02-28 22:32) 

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