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靖国に祀られている戦死者は、果たして戦後日本の平和と繁栄の礎になったのか? [靖国、愛国心、教育、天皇制]

靖国に祀られている戦死者は、果たして戦後日本の平和と繁栄の礎になったのか?

「靖国に祀られている戦死者は、国のために死んだ、戦後日本の平和と繁栄の礎になった。」
最近、おおっぴらにこのように言われています。
先日、田原総一朗がこのように言っているのをテレビで聞きました。

靖国に祀られている戦死者たちは何のために死んだのでしょうか?
果たして、「国のために死んだ戦死者たち」のおかげで戦後日本の平和と繁栄がもたらされたのでしょうか?

事実からして違います。
戦死者たちのおかげで、戦後日本平和と繁栄がもたらされたわけではありません。このように言うことは、決して死者を冒涜することにはなりません。

日本の軍国主義とアジアへの侵略が、日本の敗戦によって絶たれ、天皇制政府が倒され、天皇主権から国民主権へと切り替わり、国民の基本的人権が保障され、日本が生まれ変わったからこそ、戦後日本の平和と繁栄がもたらされたのです。

必ずしもそこに、戦死者たちの大量の死が必要だったわけではありません。
大量の戦死者を出したのは、天皇と戦前の日本政府が戦争をやめなかったからです。
降伏について考えてみただけでも、裕仁天皇は、国体の保持=天皇制の保持を停戦条件に入れるため、敗戦が必至となったにもかかわらず、戦争終結を引き延ばしました。この間に多くの人々が死にました。戦死者のほとんどは昭和二〇年に死んでいます(その数字を今おぼえていません)。天皇制保持のため「無駄死にさせられた」のです。これは「崇高な死、神聖な死」でしょうか。

裕仁天皇は戦死者の増大を特に深刻には考えませんでした。国民が戦争で死ぬのは当然と考えていました。
1975年になってですがこのように言っています。「原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾に思っていますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得にことと私は思っております。」
開戦の詔勅を発し、戦争をはじめた裕仁天皇が、そしてポツダム宣言を「遅すぎた聖断」で受諾した裕仁天皇が、このように言っているのです。

戦死者たちの死はむごいものですが、しかしこの点では無駄死でした。戦争終結を遅らせるための「死」であったからです。
「無駄死させられた」と呼ぶことは、決して戦死者たちを冒涜することにはなりません。無駄死を強いた者たちの責任を問うべきです。
戦死者たちを、「国へ命をささげた崇高な死」と称え、戦前の侵略戦争と日本軍国主義を正当化することこそ、むしろ死者を冒涜するものです。230万人もの兵士が死ななければ、日本軍国主義を廃絶しアジアへの侵略をやめることをしなかったことが問題なのです。
大東亜戦争を肯定する者、敗戦を認めたくない者が、「崇高な死、神聖な死」と呼ぶのです。

いつの時代も生きている者が死者を利用するものです。生きている者の都合で「死者」に意味を与えようとします。

現代日本において、「国へ命をささげた崇高な死」と称えることでこれを利用したい意図があるとみています。
イラクへ自衛隊を派遣するには、このような過去の死の意味づけが必要になっているとわたしは考えます。


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