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『下流社会』を読む [現代日本の世相]

『下流社会』を読む。

 ここ10数年の日本社会の変化をよく描写している。特に団塊ジュニア世代の状態、行動、考え方をとらえているとともに、「恐ろしい現実」を教えている。
 現代日本人全体に、コミュニケーション能力の減退が一つの特徴的現象として現れてきており、そしてそれはわたしの考えによれば、現代日本社会そのものの特質からくるものだろうと思う。
 日本社会はこれまでの社会が経験したことのないような「高効率な社会」を他の諸外国に比べて一歩早く実現しつつあり、近い将来の資本主義社会の一モデルを形成しつつある。コンビニに行っても、商品と千円札を差し出せば、会話することなくなんだって買い求めることができる。
 そのことの明らかな影響がコミュニケーションの希薄化であり、人々の孤立化であり、軽いコミュニケーション障害をもつ大量の人々の出現である。
 秋葉の「萌え系」なども目にするのも驚きだが、もちろん驚いてばかりもいられない。これが成立する現代の社会関係の変化を認めなければならない。
 「下流社会」風に言えば、「萌え系」は、未婚の20代から30代男性であり、独身、年収300万円以下、派遣社員。コミュニケーション能力は低く、会社やサークルなどでリーダーシップを発揮することはない一群の人たちの一部である。
 年収が300万円以下だと結婚は非常に難しいし、派遣社員なら加齢とともに収入が増える見込みはない。そもそも女性が選ばない。結婚をあきらめ、代替的に「意志的に」萌え系に走る。残念ながらそれは商売の対象であり、子羊群の大量発生である。
 そのような例は他にも多く見られる。初めて聞いたが「干物女」(ひうらさとる『ホタルノヒカリ』)。主人公は20代にして恋愛放棄、平日は会社から直帰してコミックを読み、手酌で酒を飲み、休日は布団のなかでうだうだすごす。

 人々の関係を物の関係、金の関係に置き換える過程が社会全般にスマートに実現されている。これまでの人間関係の成長を準備せず、コミュニケーション不全の大量の人々を生み出す結果になった。人が人となるのは社会関係の獲得であり、人はその総体であるから、この発達が「節約」されている。
 もちろん、資本主義社会はその結果に困るわけではない。バーチャル情報はコミュニケーションのバーチャル化をもたらし、「装うこと」が可能となり、装っているつもりが同時に自身を失うことに行きつく。
 コミュニケーション能力不全は、労働力の種類わけをも予定しているから、余計な再生産のための社会的経費を節約しているかのようである。すなわち、働き蜂にはロイヤルゼリーを施す必要はない。全人的に発達する必要を認めない。むしろ単純労働に従事する多くの労働者群には「不要」である。これこそ現代日本社会が形成しつつある一つの未来社会像。
 さて段階ジュニア世代ではないにしても下流社会の一員であるわたしは、何と考え、どうしたらいいのか。


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