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パンパンガ州マパニケ村の戦時性暴力被害者たちのこと [フィリピン元「慰安婦」]

パンパンガ州マパニケ村の戦時性暴力被害者たちのこと

マパニケのロラたちは英語がそれほど得意ではない。そのため今回はタガログ語のできる方に通訳をお願いした。

マパニケは村である。高等教育の学校はない。また当時、住民の多くが小作人だった。1944年に日本軍によって、家が焼かれ家族は殺されたが、生き残ったロラの多くはその時10代半ばであり、その後の生活は困難をきわめ、学校へ行くどころではなかったのである。

しかも、通訳の人によれば、マパニケ村のロラたちは日常生活ではパンパンガ語を使い、証言してくれるとき通訳の都合によりタガログ語を話してくれていると聞いた。初めてその事実を知った。その意味では彼女たちはバイリンガルなのだ。

パンパンガ語とタガログ語は同じ系統の言語ではあるらしいが、単語はずいぶん違うらしい。タガログ通訳によればパンパンガ語で話されるとさっぱりわからないと言うのだ。

元「従軍慰安婦」が名乗り出たときに、英語のできる人が国際会議などで証言する例が多かった。今でもそうかも知れない。それはそれで立派なのだけれど、英語がそれほどできないロラたちも数多くいるという事実を、今回訪問するまでわたしはあまり考えなかった。
英語がそれほどできない数多くのロラたちが、自由に発言し主張できるようにしなければならないことも、また考えなくてはならない。


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