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フィリピン元「従軍慰安婦」問題にたいするカサナグの会の見解 [フィリピン元「慰安婦」]


フィリピン・アニャタム 「赤い家」の前で
「赤い家」は日本軍軍駐屯地であり、ここでマパニケ村の女たちの強姦があった

フィリピン元「従軍慰安婦」問題にたいするカサナグの会の見解

 1990年代に入り、元日本軍「慰安婦」の人々をはじめとして、旧日本帝国の侵略戦争や植民地支配で被害を受けた人々が次々に名乗り出て、謝罪と補償を求め始めました。50年もの間事実が知られていなかったわけではありません。しかしこの問題が公的に認められたのはわずか十数年前です。「50年も60年もたって名乗り出るのはおかしい、やらせだ」という非難があるのはこのような事情を無視するところからきています。
 日本政府は戦後一貫して「慰安婦」「慰安所制度」に対する軍、すなわち政府の関与を否定してきました。さまざまな資料の発見や元「慰安婦」の証言から軍の関与を否定できなくなり、92年になって初めて、宮沢首相が韓国訪問時に盧泰愚大統領に対して植民地支配と従軍「慰安婦」について「一定」のお詫びをしました。1993年8月、細川首相は就任時、「あの戦争は侵略戦争であった、間違った戦争であった」と明言し、韓国訪問時には、創氏改名、日本語の強要、神社参拝意の強制、「慰安婦」問題について一つ一つ指摘して「反省」と「陳謝」を表明しました。
 しかし日本政府は、戦後補償に踏み出すことはまったくせず、「法的責任」を認めないという態度は一切変えていません。「サンフランシスコ講和条約および二国間条約において請求権の問題は放棄されており戦後補償はできない、個人補償はできない」という従来の政府の見解は変わりませんでした。日本の司法も従来の政府よりの態度を変えず、戦後補償裁判のほとんどは原告敗訴が続いています。現在なお、名乗り出た被害者たちが償いも受けず次々と亡くなっています。
 日本社会は名乗り出てきた被害者たちの訴え、戦争責任と植民地支配責任の根本的見直しを要求する声に、応答することなく無視する態度をとり続けています。
 95年村山内閣のもとで「アジア女性基金」が立ち上げられましたが、しかし基金は多くの被害者と支援団体から激しい批判を浴びました。日本政府には法的責任はないことを前提にして、それに代わる人道的援助として「アジア女性基金」を設立し、国家ではなく民間の基金から被害者に「償い金」を支払おうとしたからです。多くの被害者が、この基金は日本政府が法的責任を免れるための隠れ蓑にすぎないと批判しました。
 「アジア女性基金」も含めて戦後補償に取り組んだら日本の国家予算は破綻してしまうという指摘があります。戦後補償に対し日本政府が支払った金額はこれまで約41兆円とされ、そのうち40兆円は軍人恩給であり、残りの1兆円が国家補償の賠償金と言われています。法律的には、国家賠償とは別に個人賠償の問題は残っていますが、日本政府が個人賠償に応じたことはありません。日本軍人の戦死者は230万人、日本軍によるアジアの犠牲者は2000万人です。日本政府の態度がいかに内向きであること、しかも日本人でも被爆者や空襲の被害者はほとんど無視されていることは、この問題における日本政府の取った立場がどのようなものであったかを如実に示しています。(なお「アジア女性基金」は5億6500万円の募金が集まりました。)

 90年代に「慰安婦」問題が浮上してから、さまざまな国際機関がこの問題に対する見解の表明や勧告を行っています。ICJ(国際法律家協会)、ILO(国際労働機構)、さらに国連の人権委員会(96年クマラスワミ報告、98年マクドゥーガル報告)など、いずれも日本軍の「慰安婦」制度が国際法違反の戦争犯罪であり、「人道に対する犯罪」と認められるので、日本政府の法的責任は免れず、正式な謝罪と国家補償、責任者処罰を実行すべきだと勧告しています。国際社会では「慰安婦」問題は戦争犯罪であるという認識が定着しているのです。
 このような国際社会からの批判にたいして、日本国内では90年台後半からネオナショナリズムが台頭しています。「自由主義史観」から「つくる会」へと発展し、この運動は「慰安婦」問題の無化を狙っています。日本の侵略責任の否認と戦争犯罪の免責を狙うきわめて政治的なものです。
 これらは、91年の湾岸戦争の時、日本政府は130億ドルも拠出したのに「血を流さなかった」とされアメリカ政府から評価されなかったことから「トラウマ」のようになって、96年「日米共同宣言」、97年「新ガイドライン法」、99年「周辺事態法」、「国旗国歌法」、2001年「テロ対策特別措置法」とつづき、世界的規模で軍事化する体制にきりかえようとする動きと対応しています。軍事と新ナショナリズムのイデオロギーを中心に国家を復権させようとする傾向とが非常に顕著に出てきています。
 こうした傾向が極点に達したのが小泉政権誕生です。小泉政権のもとで「歴史認識」問題が外交問題に発展しています。「つくる会」が準備した「新しい歴史教科書」が文部科学省検定に合格し、「若手国会議員の会」や地方議会や教育委員会を通じて、「草の根ファシズム」ともいえるようなキャンペーンを行い、徐々に採択実現をさせています。教科書のなかから「慰安婦」の記述は消えました。小泉首相の靖国参拝は国際問題になっています。

 わたしたちは、このような現在の条件のなかで、これまでの日本政府の侵略戦争と植民地被害の責任追及をさらに発展させなければならないと考えています。
 憲法9条を守るとともに、この条文のみに依存して平和主義を主張するだけではなく、国際社会と自主的に平和的な関係を追求していくことが重要です。
 それは被害者意識から加害の意識化という課題でもあり、「唯一の被爆国民」とか「国民は軍国主義の犠牲になった」という視点をさらに広げて、旧植民地の人たちやアジアの被害者とともに加害の責任を明確にした上で、第三世界に対する現代もなお続く政治的経済的「暴力」への批判と合わせて自覚する視点を持たなくてはなりません。
 元「慰安婦」への謝罪と補償は、決して過去に対する謝罪と補償だけではなく、わたしたちの日本社会が二度と悲惨な侵略戦争と植民地支配を繰り返さないという、現在と未来にたいする保障でもあります。元「慰安婦」たちとの交流はわたしたちが、人間性を取り戻し、日本社会のなかに新たに打ち立てる試みでもあると考えています。


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