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ノモンハン桜はどこへ行った(5) 草原の生活 [ノモンハン旅行]


ゲルの人

ノモンハン桜はどこへ行った(5)
草原の生活

モンゴル人は、土地を耕すことをしない。穀物や野菜を栽培しない、野菜も採集している。新巴尓虎右旗(しんばるがうき)での昼飯では、黄色い花びらを炒めた料理を食べたが、これは野生の花であった。にらも採集する。野生の草花でビタミンを補給するのが伝統的な食事だ。
耕作している土地はない。海拉尓発の列車窓から線路沿いにじゃがいも、葱畑をわずかに見かけた。それ以外に畑を見ることは一切なかった。

満州里(まんしゅうり)や海拉尓(はいらる)、阿木古郎(あんぐろ)の町では、もちろん今は野菜を買うことができる。中国の地域から野菜や日常生活用品が送られてくるのであり、市場は品物にあふれている。
街中の市場では、ピーマン、ジャガイモ、きゅうり、なす、きくらげ、セロリ、葱、香菜などの野菜が豊富にあった。種類が驚くほど多くかつ新鮮だ。当然のこと他の地方から運んでいるのだろう。
阿木古郎の住宅裏の市場には、ナス、ピーマンがあった。男が大きな包丁を手に持ち、肉の大きな塊をそのまま切って売っていた。冷蔵庫などない。ホテル一階のマーケットは近代的なものでポリスチレンの容器に分けて売っていた。スーパーマーケットスタイルである。長いナスとこれまた長いピーマンがあった。

草原にところどころ池があり、この水場で馬も羊も水を飲む。近づいてみたが泥水。まれに井戸があり、くみ上げて家畜に飲ませているところもある。草原では水脈の通るところを20mから30m掘れば水は出る。水脈にしたがって1kmごとに連なっている井戸を見た。
放牧は個人経営で国から土地を借り、広い放牧地を簡単な柵で区切り、境をとしている。夏なので農家はゲルで放牧地内を移動する。レンガつくりの家がまれに見えるが冬家畜を囲う場所だ。ゲルも家も車で数キロ走ってやっと出会えるほどにまばらに点在している。

満州里も海拉尓も阿木古郎も一歩街を出れば見渡す限り平原である。これらの街は平原のなかに忽然と姿を現す。広い平原に人工的に建設した町である。ほとんど平らな平原なのだからどこへ町をつくろうが自由に建設できそうなものである。街なかは4車線の広い道路であり、東西南北にまっすぐ伸び、そしてまっすぐ地平線に消える。

阿木古郎の街で夕食前に散歩したが、食堂はあるものの、それ以外は衣料品店、なべ・台所用品日用雑貨店、オートバイ修理店、など。喫茶店らしきものはない。食堂で牛乳出し紅茶をどんぶりで飲んだ。一杯1.5元。
7月なので午後八時半ごろまで明るい、商店は八時過ぎには閉まってしまう。
建設されているのはレンガコンクリート製の数階建てのビルばかりで、二階以上は集合住宅。田舎なので高層ではない。ビルといってもレンガ造りであり、その上に白いしくいを塗っている。地震がないので比較的簡単な構造のようだ。新たに建てられている住宅はこの集合住宅ばかりで一戸建ての建築を見かけることはない。古い平屋住宅はレンガ作りで、町の回りに点在するが、街中では見つけることはできない。

伝統的な生活様式は急速に一掃されつつある。
驚いたのは、海拉尓北のキプチャクハン遊営地のゲルである。アルミの骨組みに鉄製の扉のゲル。なかには市販の木製のベッドが2つに市販の布団が敷いてあった。放牧生活とて昔のままではない。

商店は中国語、モンゴル文字、ロシア文字で書かれている。街中であれば半地階と半一階は、商店が入っている。現地商店の看板ばかりで大都市に比べるとマクドナルドやKFCなどの看板がないのが、大きな違いである。建築の仕方の流行なのだろうか、都市から入ってきた同じ様式の集合住宅が続々と建設されている。伝統的な町は急速に姿を消している。


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