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ノモンハン桜はどこへ行った(4) 甘珠尓廟 [ノモンハン旅行]


カンジュール廟にて

ノモンハン桜はどこへ行った(4)
甘珠尓廟(かんじゅーるびょう)

ホロン湖のある新巴尓虎右旗(しんばるがうき)から阿木古郎(あんぐろ)へいたる途上に甘珠尓廟(カンジュール廟)がある。ノモンハン戦争で日本軍が海拉尓から最初に兵を進めたところである。ノモンハン集落の北西にある。甘珠尓廟はラマ教の廟である。モンゴルにはあちこちにラマ教の廟がある。甘珠尓廟は文化大革命で破壊されたが、最近人々の寄付によって再建された。立派な建物群である。この廟も平原に突然現れる。

ラマ僧が住み、色鮮やかに飾り立ててある。靖国神社より広いであろうほどの敷地にいくつかの建物がある。黒いかわらに赤を基調に壁が塗りたてられている。千年近くにわたりモンゴル遊牧民の文化の中心であったろうし、ラマ僧はモンゴル社会の支配者であった。梅毒はラマ僧を通じて広められたと言われている。
仏塔や廟の屋根には大きな青銅製の鈴が下げられていて、不断に吹く風にゆれカランコロンカラコロンといくつかの音色が混じった、哀愁を帯びた低い音を絶えず奏でる。同じようにつくられているように見えても、鈴の形や肉厚の違いで音程や音色が微妙に異なるのであろうか。また境内では太く長い薄茶色の線香が焚かれ、細い煙がたなびくが、常に吹いている風によってたちまちのうちに消える。廟の四方は見渡す限りの平原である。

日本軍は司令部を置いたノモンハン北方の将軍廟は戦闘で破壊されたままである。今ではその跡さえないという。


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