SSブログ

神風特攻隊 関のために [神風特攻隊]

フィリピンのパンパンガ州マパラガットの神風記念碑

記念碑には、最初の神風特別攻撃隊である敷島隊の関行男大尉、中野盤雄一飛曹、谷暢夫一飛曹、永峰肇飛長及び大黒繁男上飛の名とその戦功が記されている。関行男はもともと艦上爆撃機乗りで、「艦爆に乗せてもらえるなら特攻などせずとも自分は敵艦を沈めてみせる」と最後まで言っていた。関は決して進んで神風特別攻撃隊で飛んでいったわけではない。
戦果も記念碑には米空母セント・ロー撃沈と書いてあるが、セント・ローは小型の護衛空母であり、通常の航空母艦空母ではない。しかも「成功裡に終わった」と記している。こういうところは読む者が勝手に誤解しやすいように、話を大きく書いてある。
「陸軍参謀本部」が、わざわざ「陸軍」をとって、「参謀本部」と自称したのと同じだ。
記念碑の碑文の文章は、この日本軍の体質と同じ考え方、尊大というか、口先だけで責任を負わない「参謀本部」の伝統を引き継いだ人物が書いていることがわかる。

碑文:「関機が先ず最初に米空母セント・ローに体当たりした。同艦は炎上、20分後に沈没した。他の隊員も全員体当たりを果たし、米空母カリニン・ベイ、キトカン・ベイ、サンガモン、サンティー、スワニー及びホワイト・プレーを大破あるいは中破させ、米軍に多大の損害を与えた。成功裡に終わった・・・」

神風特別攻撃隊などというのは、戦略戦術的に見てはるかに劣勢の側の捨て鉢の戦法であり、戦法といえるものでさえない。日本軍上層の無能ぶりを示すものだ。それをごまかすために、多大な戦果を挙げたと言わなければならなかった。
関はこのとき二四歳、他の四名は二〇歳前後の若者であった。彼らの死は悔やまれなくてはならない。しかし称えられるものではない。


nice!(0)  コメント(3)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

nice! 0

コメント 3

ぽんきち

私は誇りに思います。よくぞやってくれました。
by ぽんきち (2005-06-13 22:45) 

ニホンガワルイニホンガワルイニホンガワルイニホンガワルイ

http://www.geocities.jp/kamikazes_site/gaikoku_kamikaze/kamikaze_philipine.html

>無能ぶりを示すものだ。
無能は君。一方向しか物事を見れない感覚障害だ。

彼らの死を無駄死にだという君は、どう考えても無駄に生きている。
by ニホンガワルイニホンガワルイニホンガワルイニホンガワルイ (2006-10-26 00:31) 

大伴 家持

正義を語って他人を同調させたいんだね。でも無理だったでしょ。
卑怯者がすることだもんね。嘲笑

by 大伴 家持 (2012-07-23 03:15) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。