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新年にあたり [現代日本の世相]

新年にあたり

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<小熊秀雄 長々秋夜 Long long autumn nights>

 新年にあたり、何がふさわしいだろうと考え、小熊秀雄(1901~1940)の詩を引用させてもらうことにした。
 若いころ私は、日本的なもの、伝統的なものへの反発と忌避から、日本語の美しさを考えなかった。小熊の詩に触れて初めて、力強い美しい日本語があることを知った。そういう思い入れもある。

馬車の出発の歌
小熊秀雄

仮に暗黒が
永遠に地球をとらへてゐようとも
権利はいつも
目覚めてゐるだらう、
薔薇は暗の中で
まっくろに見えるだけだ、
もし陽がいっぺんに射したら
薔薇色であったことを証明するだらう
嘆きと苦しみは我々のもので
あの人々のものではない
まして喜びや感動がどうして
あの人々のものといへるだらう、
私は暗黒を知ってゐるから
その向ふに明るみの
あることも信じてゐる
君よ、拳を打ちつけて
火を求めるような努力にさへも
大きな意義をかんじてくれ

幾千の声は
くらがりの中で叫んでゐる
空気はふるへ
窓の在りかを知る、
そこから糸口のやうに
光と勝利をひきだすことができる

徒らに薔薇の傍にあって
沈黙をしてゐるな
行為こそ希望の代名詞だ
君の感情は立派なムコだ
花嫁を迎へるために
馬車を支度しろ
いますぐ出発しろ
らっぱを突撃的に
鞭を苦しさうに
わだちの歌を高く鳴らせ。
《漂白詩集》1935、36年頃

 力強くてのびやかなこの詩は、日中戦争が膠着状態となっていた1935、6年(昭和10,11年)に書かれている。
 小熊の詩はサバサバとしている、生活の中から生まれた言葉であり、しかも反骨心に満ちている。小熊は暗い時代のなかで独りぼっちでありながら旺盛な猛然たる仕事をした。

 高等小学校を出た小熊はすぐに自活しなければならず、鰊・イカ釣り漁師の手伝い、養鶏場番人、炭焼き手伝い、農夫、昆布拾い、伐木人夫、製紙パルプ工場職工などに従事した。パルプ工場の機械に挟まれ右手の2本の指を失った。詩人としてデビューしたのは30歳を過ぎてからで、すでに自由に書けない時代となっていた。詩集も出すことはできず貧困のうちに結核で死んだ。40歳だった。
 侵略戦争にかけ込んでいく天皇の日本は詩人の命までも縮めた。小熊の詩と小熊の家族の経てきた道は、日本人民の経てきた苦痛と運命をさながらにうつしている。
 
 その苦痛と運命を、現代日本社会のなかに重ねて今考えるべきだと、私は思うのだ。新自由主義のもとで格差は拡大し貧困層は増大し、外国人を低賃金で使い捨てている。階層化がすすみ、人々はつながりを喪失し孤立しているため、現実の全体がまるで見えていない。そうして多くの人が自分の在りかを見失っている。

 私は小熊秀雄の読まれる時代が来たと思っている。小熊の生きた時代を重ねて考えなければならない事態に私たちは当面している。

 闇が深いことを知れば、自分の在りかを知りつながりを求めるはずだ、徹底した現状の批判のうちに希望が身震いし始めるはずだ。それが人の尊厳というものだろう。小熊の「元気」と描き出した「希望」を思い起こしそのように思う。

※(岩波文庫『小熊秀雄詩集』、あるいはネット上の「あおぞら文庫」に全集がある)
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