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マルコス独裁時代の戒厳令下での犠牲者の名誉回復と補償 [フィリピンの政治経済状況]

 もう一つの素晴らしく、感動的な経験
 エミリー・ファヤルド:アンバ・バーラ
 
7月4日報告


 アキノ政権は、1972年から1985年のフェルデナンド・マルコス独裁時代の戒厳令下での犠牲者の名誉回復と補償をはじめたらしい。ベニグノ・アキノの父ニノイ・アキノ上院議員はマルコス時代末期に暗殺されたから、アキノ家の政敵であったマルコスとマルコス時代の犯罪を告発することになったようです。フィリピン社会が公に人権侵害を告発するようになったことは前進です。ただし、人権侵害は決してマルコス時代に限られたものではありません。コーリー・アキノ時代にも、そののちの時代にも存在した。人々の運動は、いずれマルコス時代後から現在に至る人権侵害の告発にもつながっていくでしょう。(編集部)


 KPDが行っているキャンペーンの一つは、ベニグノ・アキノ政権による「2013年賠償と補償法」への対応です。この法律の目的は、1972年から1985年のフェルデナンド・マルコス独裁時代の戒厳令下での犠牲者を認め、名誉回復と補償することにあります。マルコス時代はフィリピン人に対する人権侵害の長い時期であり、ここバタアンでも多くの犠牲者の名誉回復が認められつつあります。

 すべての被害者は正当な請求者であり、補償を獲得する権利があること、そして警察や軍といた加害者が犯した違反のレベルに応じて補償されます。レベル1から10までに分類され、最高の違反が行方不明と殺人被害、そのほかは拷問、不法拘禁、強姦などです。そして法律の最も良いところは、悲劇的な人権侵害がフィリピンの歴史に書き込まれ、この国の学校で教えられることになっているところです。そのほかには、政府がフィリピン全土の戒厳令時の犠牲者のすべての名前を刻んだ博物館と彫像を建築することになった点です。

 この法は2013年2月に調印され、2年間だけ実施されます。つまらないことに、ベニグノ・アキノ政権は、請求者の正当性を検証する検証委員会メンバーを選ぶためにすでに1年を浪費してしまいました。

 今日、私たちの最大の課題は、「宣誓供述書」作りです。要件の一つは、必要な法的文書作成であり、語られた物語を正確に記録しなければなりません。被害者=原告/請求者にとって困難なことの一つは、多くの人たちが「宣誓供述書」の書き方を知らないことです。原告が死亡した場合には、被害者の家族の一人が原告/請求者になります。

 この前の6月21-22日、私たちはバタアン州モロンのすべての犠牲者と請求者に連絡をとり、宣誓供述書の「書き方相談」を行いました。バタアン地域は、バタアン原子力発電所が建設されていた時期から戒厳令下のあいだ、最も軍事化され弾圧された地域の一つでした。

 被害者の宣誓供述書について議論したり編集したりする時に、私たちは冷静になり詳細で正確なデータを取得する必要があります。被害事実に触れるとつい恐怖と激情のため冷静さを失うことになりがちです。被害者から人権侵害についてそれぞれ独自の物語を聞くたびに思うのは、私たちがフィリピンと地方の歴史を読み学んだことからはほど遠い、はあるかに深刻な物語があると、あらためて気づかされることです。私たち宣誓供述書作成ボランティアにとって、被害者の怖れの声を聴き、経験した拷問を正確に再現し記述することは、きわめて難しいことでもあります。私は被害者の話に関係していたし触れていたにもかかわらず、彼らを助けることができませんでした。

 私が編集に参加した宣誓供述書の一例は、マルコス時代にマルコスによって武装化した保安隊によって目の前で母と父を殺されるのを目にした一人の女性(当時は少女)の話でした。30年後、彼女は話をしながら泣きだしてしまいました。一瞬にして両親を殺された心の痛みが癒えないまま、事件後、家族はバラバラになり兄弟姉妹すべてが別れて暮らさなくてはならなくなりました。彼女はそのとき10歳だったそうです。彼女は家族の悲劇の記憶を持ち続けてきました。今に至るまで、そのトラウマ的経験に苦しみ続けているのです。私はフィリピンの現代史をあらためて知った思いがしています。

 被害者から聞き取りしていた私の同僚の一人が急に泣き出したことがありました。集団レイプされた被害者の話を聞いたのです。戒厳令下で多くの人権侵害があり拷問がありました。私たちは被害者のため同情/共感する場面に多々遭遇するのです。

 聞き取りのための二日間の活動の後、私たちはとても感情的になり、戒厳令下の被害者の痛みを伴う経験を自分の痛みと感じました。その時代に私はいませんでした、赤ん坊でさえありませんでした(私は1978年生まれです)。しかし私は痛みを感じましたし、検証委員会が要求する「重い語られた歴史」をはっきりとした映像の物語として、私の心のなかに再現することができました。被害者の心障体験に接した時、私は助けることはできませんでしたし、時には涙をたたえるだけで泣くこともできませんでした。

 被害者が自らの体験を語ることは、被害者にとって大変な苦痛なのです。被害者のうち幾人かは、今でも恐れ怯えています、すでに亡くなった人もいます。それでも被害者の物語が彼らの心の中から消えていかない限り語りつがれ、そして名誉は回復され補償されるでしょう。

 私たちは、語られた物語/歴史を、多くの人々や関係者に通知する責任があります。そして、私は自分自身に約束します、私の息子が成長したら、マルコス独裁時代の人権侵害がどのように悲劇的であったか語り伝えます。しかしもっと重要なことは、人権侵害は決してマルコス時代にだけのことではありません。すべての政権、例えばグロリア・マカパガル・アロヨ政権時代に、コーリー・アキノ政権の時代でさえも、同様の人権侵害がありました。そのことも同時に語って伝えます。民衆が自身の歴史を知り語り伝える、そうして歴史をつくる、それが私たちのやり方なのです。

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