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木下夕爾の詩をとりだして読む [映画・演劇の感想]

   生誕百年

  木下夕爾の詩をとりだして読む

140918 木下夕爾 表紙 - コピー (217x320).jpg
<木下夕爾 (1914~1965)>

 詩人・木下夕爾(1914~1965)は、広島県深安郡上岩成村(現在は、広島県福山市御幸町上岩成)に生まれた。中学時代は詩に熱中し、1932年上京して第一早稲田高等学院文科に入学した。1935年義父が倒れ、家業の薬局を継ぐため、やむなく名古屋薬学専門学校に転学した。1938年に帰郷し、それ以来亡くなるまで郷里で過ごし、薬局を営みながら在郷の詩人として生涯を送った。結核を患い病弱であったため兵に取られることはなかった。また地方にいたためか、文学報国会で戦意高揚の詩を書くのもまぬがれたようである。

 18歳~21歳の三年間を過ごした東京生活を終生、まるで恋人のごとく想いつづけた。夕爾の詩は、東京での詩人仲間との生活から生まれるスタイルがいったん確立したようで、そのためか東京へのあこがれはながく夕爾のなかに残った。

140918 井伏鱒二と下夕爾 - コピー (320x239).jpg


 戦争末期から敗戦直後の時期に、広島県備後地方にも幾人かの文学者が疎開したり、また外地から引き揚げてきた。井伏鱒二、小山裕士、村上菊一郎、木山捷平、藤原審爾らとの交流が、夕爾に新たな刺戟を与える。しかし、戦後復興がはじまると彼らは上京してしまう。夕爾には扶養家族もあり郷里を離れることはできなかった。取り残された夕爾はある哀しみを抱くが、すでに在郷の詩人として再出発すると決めていたようである。そのように読みとれる。


    東京行
近江卓爾兄に示す

 金をこさえて東京へ行つて来よう
 さう思つて縄をなつてゐる
 行つてどうといふこともないが
 昔住んでた大学町附近
 過ぎさつた青春について今さら悲歎にくれてもみたい思ひがする
   (われ等はや未来よりも過去の方が多くなつた)

 けれどどうにかまとまりかけると汽車賃が倍になる
 縄なひ機械を踏む速度ではとても物価に追ひつけない
 私のこの足はすでに東京の土を踏んでゐるかもしれない
 なひあげた縄の長さは北海道にも達するだらう

 冬ざれの野原の見わたせる仕事場へ
 わが子はふところ手でかへつてきて
 けさは池に厚い氷が張つたといふ
 霜に濡れたビナンカヅラの実を縁側にならべ
 クリスマスのお菓子をこさへようといふ
(詩集『木靴』第一冊 一九四九年三月より)


 妻・木下都によれば、夕爾自身は病弱だったため薬局の店番くらいしかできず、三反ばかりの百姓仕事もほとんどできなかったし、縄ないする姿を見たことはないという。

 「縄なひ」は百姓にとって数すくない現金収入だった。詩人は、足踏みの歩数を数えたかのように書いている。

 それにしても「縄をなう」とは懐かしい言葉だ。足踏み式の縄ない機に、よくしごき藁ごみを除いた稲わらを供給し続け、縄をなう。充満するわら埃の匂いと縄ない機の音を思い出す。
 夕爾の東京への憧れは、1949年の詩「東京行」の頃には、自身の生活を見つめながらの憧れに変わっているようでもある。


    晩夏

 停車場のプラツトホオムに
 南瓜の蔓が匍ひのぼる

 閉ざされた花の扉のすきまから
 てんとう虫が外を見てゐる

 軽便車が来た
 誰も乗らない
 誰も下りない

 柵のそばの黍の葉つぱに
 若い切符きりがちよつと鋏を入れる
(詩集『晩夏』一九四九年六月より)


140918 1957年、加茂川べり立つ木下夕爾  - コピー (227x320).jpg

 
 夕爾の薬局は、山陽本線福山駅から内陸にはいる福塩線・万能倉(まなぐら)駅の近くにあった。夕方よく夕爾は、自宅近くの加茂川べりや福塩線近くにたたずんだという。詩「晩夏」は、故郷の万能倉駅の情景を歌ったもののようだ。

 栗谷川虹によれば、戦時中彼の郷里、信州小諸地方の駅のプラットホームには食糧増産のため南瓜やさつま芋が植えられており、だから駅構内に南瓜や黍があっても少しも不思議ではない、詩「晩夏」を読んだ時、彼(栗谷川)は郷里の光景を鮮やかに思い出したという。
 詩が発表されたのは1949年であるし、駅も違うが、たぶんその通りなのだろう。

 晩夏の人けの少ない、時の止まったような地方駅、切符きりが黍の葉に鋏を入れるや、一瞬にして色彩が端々まで走り、描かれた光景は命を得る。じりじりとした夏の日差しが目に浮かび、蝉のやかましい鳴き声が聞こえてくるようでもある。詩のとらえた一瞬の光景が広がる。

 夕爾生誕100年を迎えた現在も、万能倉駅は高校生の通学する朝夕以外は、ほとんど乗降客はない。車社会になり夕爾が生きた当時より、さらに別様にさびれているかもしれない。無人駅となってすでに久しく、「若い切符きり」も姿を消したままである。

 夕爾生誕100年の2014年、彼の詩をとり出して読むのもまたよかろうと思う。

 <追記>
 写真はすべて、『生誕100年 木下夕爾への招待』(ふくやま文学館 2014年9月12日発行)からとった。また、9月14日、ふくやま文学館で栗谷川虹氏の講演があり、そのなかで「戦時中、プラットホームに南瓜やさつま芋が植えてあった」と聞いた。 (文責:児玉繁信)

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