「沖縄密約」不開示が確定、 最高裁は存在する意味がない! [現代日本の世相]
「沖縄密約」不開示が確定――最高裁第二小法廷
1)とんでもない判決!
1972年の沖縄返還時に日米両政府が交わした「密約文書」を、西山太吉さんらが情報公開法に基づき開示を求めた訴訟に対し最高裁(第二小法廷 千葉勝美裁判長)は、7月14日、上告棄却の判決を出した。開示を認めなかった二審・東京高裁判決を支持し、原告側の上告を棄却し、原告側の敗訴が確定した。
東京地裁一審(2010年4月)では、「文書の重要性は極めて高く、国が保有していると認定できる」とし、開示と賠償金支払いを命じた。
東京高裁二審(2011年9月)は、密約文書が交わされたことを認めたにもかかわらず、「秘密裏に廃棄された可能性があり、国が保有していると認めるに足りる証拠がない」として不開示が妥当と判決していた。
最高裁判決は、「沖縄返還の交渉過程で文書が作成されたとしても、不開示決定時点で国が保有していたとは推認できない」と結論づけた。最高裁第二小法廷の4人の裁判官の一致した判断であるという。一審、二審では文書が作成されたことは認めたが、最高裁は作成されたことも明確には触れなかった。
最高裁判決は、政府・行政側が廃棄などを理由に不開示とした文書について市民の側に「存在」の立証責任を課したものとなる。政府が隠している文書の存在を市民の側が証明することはほとんど不可能である。しかも今回の判決は、文書は存在したとしても、のちに廃棄したとすれば開示しなくていいというものである。廃棄すれば、或いは廃棄したと言えば、開示しなくていいことになる。2001年の情報公開法施行前後に大量の行政文書が廃棄された前例もある。「廃棄」が不開示の理由に使われることになる。
この判決によって、政府文書を、国民には隠し通し、政府・官僚の思うが儘に扱うことができることになる。官僚としては政府文書を自身の管理下に置くことが権限であると考えていて、こんな権限の拡大に一所懸命になる。
2)司法がすすんで政府の意向を酌む
最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長含む4名の判事)は、司法がすすんで政府の意向を酌む意志を表明した判決を書いたのだ。政府の受けはよくなるだろう。「司法が政府・行政をチェックする」ということなど、少しも考えていない。政府の意向、すなわち自身の出世ばかりを考え、上の意向をおもんばかる裁判官(ヒラメ裁判官)ばかりが増えているということだ。しかも、それが最高裁の判事たちだ。
3)情報は国民の財産
1972年に「沖縄密約」が作成されたことは、米国国立公文書館の文書公開によってすでに明らかになっている。開示された米国文書を元に西山太吉さんらが、「密約文書」の開示請求訴訟を起こしたのである。
日本では、政府・行政文書は、各省庁の管理下にあり、官僚は自己の所有物と見なしていて、隠すも小出しにするも官僚の権限として扱われている。
アメリカの例ばかりを出すのは気が引けるが、米国立公文書館は行政文書に対するすべての権限を保持している(とされる)。すなわちあらゆる行政文書を集める権限をもち、リストを作成し公開し、重要度を分類し公開の水準も決定する。そこに各省庁の意向が反映することはない。
日本にも国立公文書館はあるが、名ばかりであって職員数は100人余りしかおらず、文書の保管や修復を主に行っているだけで、何の権限もない。各省庁が権限を持っている。各省庁から公文書館へ提出される文書は各省庁が決めるし、公開するかどうかも省庁が決める。
HIV問題の時に、厚生省官僚が当初は存在しないと言っていた文書が、世論の批判、追及と、菅直人厚生大臣の姿勢もあり、存在を認めざるを得なくなったことがあった。あの「失態」は、日本政府の行政文書の管理の実態をよく表している。
そもそも文書のリストさえ作成されておらず、何があるか、官僚にしかわからない。求められればその都度探す。都合が悪ければ存在しないと言い、相手国の開示により存在が確認されても後に廃棄したと言い、責任を逃れることができる。捜したが文書はないと答えたHIV問題の時の厚生労働省官僚は、後に何か罰せられたか? 偽装であり、背任にあたるが、少しも罰せられなかった。
政府文書・行政文書は「国民の財産である」という考えがそこには存在しない。「官僚」は自身の地位と利益を保証するための私有物と見なしている。
4)国民はないがしろにされている
2013年に秘密保護法が制定され、今年末から施行される。ますます、政府・行政の情報や文書が国民の目から遠ざけられていって、政府や支配層に占有されることになる。政府・行政のチェックを果たす真の役割を、みずからすすんで放棄するような司法は、何の役にも立たない。
1)とんでもない判決!
1972年の沖縄返還時に日米両政府が交わした「密約文書」を、西山太吉さんらが情報公開法に基づき開示を求めた訴訟に対し最高裁(第二小法廷 千葉勝美裁判長)は、7月14日、上告棄却の判決を出した。開示を認めなかった二審・東京高裁判決を支持し、原告側の上告を棄却し、原告側の敗訴が確定した。
東京地裁一審(2010年4月)では、「文書の重要性は極めて高く、国が保有していると認定できる」とし、開示と賠償金支払いを命じた。
東京高裁二審(2011年9月)は、密約文書が交わされたことを認めたにもかかわらず、「秘密裏に廃棄された可能性があり、国が保有していると認めるに足りる証拠がない」として不開示が妥当と判決していた。
最高裁判決は、「沖縄返還の交渉過程で文書が作成されたとしても、不開示決定時点で国が保有していたとは推認できない」と結論づけた。最高裁第二小法廷の4人の裁判官の一致した判断であるという。一審、二審では文書が作成されたことは認めたが、最高裁は作成されたことも明確には触れなかった。
最高裁判決は、政府・行政側が廃棄などを理由に不開示とした文書について市民の側に「存在」の立証責任を課したものとなる。政府が隠している文書の存在を市民の側が証明することはほとんど不可能である。しかも今回の判決は、文書は存在したとしても、のちに廃棄したとすれば開示しなくていいというものである。廃棄すれば、或いは廃棄したと言えば、開示しなくていいことになる。2001年の情報公開法施行前後に大量の行政文書が廃棄された前例もある。「廃棄」が不開示の理由に使われることになる。
この判決によって、政府文書を、国民には隠し通し、政府・官僚の思うが儘に扱うことができることになる。官僚としては政府文書を自身の管理下に置くことが権限であると考えていて、こんな権限の拡大に一所懸命になる。
2)司法がすすんで政府の意向を酌む
最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長含む4名の判事)は、司法がすすんで政府の意向を酌む意志を表明した判決を書いたのだ。政府の受けはよくなるだろう。「司法が政府・行政をチェックする」ということなど、少しも考えていない。政府の意向、すなわち自身の出世ばかりを考え、上の意向をおもんばかる裁判官(ヒラメ裁判官)ばかりが増えているということだ。しかも、それが最高裁の判事たちだ。
3)情報は国民の財産
1972年に「沖縄密約」が作成されたことは、米国国立公文書館の文書公開によってすでに明らかになっている。開示された米国文書を元に西山太吉さんらが、「密約文書」の開示請求訴訟を起こしたのである。
日本では、政府・行政文書は、各省庁の管理下にあり、官僚は自己の所有物と見なしていて、隠すも小出しにするも官僚の権限として扱われている。
アメリカの例ばかりを出すのは気が引けるが、米国立公文書館は行政文書に対するすべての権限を保持している(とされる)。すなわちあらゆる行政文書を集める権限をもち、リストを作成し公開し、重要度を分類し公開の水準も決定する。そこに各省庁の意向が反映することはない。
日本にも国立公文書館はあるが、名ばかりであって職員数は100人余りしかおらず、文書の保管や修復を主に行っているだけで、何の権限もない。各省庁が権限を持っている。各省庁から公文書館へ提出される文書は各省庁が決めるし、公開するかどうかも省庁が決める。
HIV問題の時に、厚生省官僚が当初は存在しないと言っていた文書が、世論の批判、追及と、菅直人厚生大臣の姿勢もあり、存在を認めざるを得なくなったことがあった。あの「失態」は、日本政府の行政文書の管理の実態をよく表している。
そもそも文書のリストさえ作成されておらず、何があるか、官僚にしかわからない。求められればその都度探す。都合が悪ければ存在しないと言い、相手国の開示により存在が確認されても後に廃棄したと言い、責任を逃れることができる。捜したが文書はないと答えたHIV問題の時の厚生労働省官僚は、後に何か罰せられたか? 偽装であり、背任にあたるが、少しも罰せられなかった。
政府文書・行政文書は「国民の財産である」という考えがそこには存在しない。「官僚」は自身の地位と利益を保証するための私有物と見なしている。
4)国民はないがしろにされている
2013年に秘密保護法が制定され、今年末から施行される。ますます、政府・行政の情報や文書が国民の目から遠ざけられていって、政府や支配層に占有されることになる。政府・行政のチェックを果たす真の役割を、みずからすすんで放棄するような司法は、何の役にも立たない。
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