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木下順二『神と人とのあいだ』を観る 民藝 [映画・演劇の感想]

 木下順二『神と人とのあいだ』、紀伊国屋劇場
 
2013年4月12日

  4月に紀伊国屋劇場で、民藝による木下順二『神と人とのあいだ』第二部の上演があり、観る機会があった。

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 1)民藝の上演は現代的な演出であったか?

 木下順二は1970年にこの戯曲を書き、日本の支配層と民衆自身の戦争責任の追求を試みた。戦争責任をどのように果たすかは、現在もなお重要な課題として残っている。もちろん情況は、1970年当時と2013年とでは同じではない。

 「南京虐殺はなかった」、「『慰安婦』などいなかった」という宣伝がマスメディア、インターネットを中心に支配的に広がっている現代であり、「歴史の書き替え」を公言する安倍政権が登場した2013年である。上演後ではあるが、5月には橋下徹・大阪市長が、「『慰安婦』制度は必要だった、日本ばかり非難されるのはおかしい」と発言、沖縄・米軍司令官に対して「米兵の性犯罪を減らすために風俗業を利用したら」と提言し、その人権意識の低さ、歴史認識の誤りを露呈し、国際社会から厳しく批判された。橋下市長のような認識は、急速に増大している。現代日本社会の風潮の一端を表現しており、決して特別ではない。そんな人権意識の欠落した、軍国主義を清算していない現代日本社会である。したがって、権力者と民衆内部の戦争責任追求は、いまだなお21世紀の日本社会の当面する現代的な課題として残っているばかりでなく、新たなかつ現実的な課題として浮上している。

 民藝の演出は、このような現代的情況への批判をまったく織り込んではいなかったし、「そもそも現代的状況への無関与を初めから決めてかかっていた」というような印象さえあった。もしそうであるならば、それは演劇と演劇運動の自殺である。

 自分たちの歴史や暮らしを見つめ、認識を深め、反省し検討するという、宇野重吉滝沢修らがかつてめざした演劇と演劇運動の特質、あるいは活力をすでに失っており、演出はただ「謙虚に」、原作を尊重するという態度、原作をなぞることをのみめざしていたようである。そのことで、作者・木下順二が描きだそうとした視点、問題提起の多くを掴み損ねることになっていたように感じた。
 このようなことはあらかじめ予想されていたことであって、今回の演出に期待していたわけではなかった。ただそれにしても、やはり残念であった。

 2)日本支配層と民衆自身の戦争責任の追求

 したがって観劇の興味は、『神と人とのあいだ』第二部で木下順二が、どのように戦争責任を追及し、戦後出発を描いたか、に集中した。A級裁判に焦点を当てた『神と人とのあいだ』第一部があり、それとの関連で第二部である。第一部を見ていないし、『神と人とのあいだ』に対する評もたくさんあるのだろうが、きちんと調べていないし知らない。そのような立場で批評するのははなはだ不十分であり作者に失礼であるが、不勉強な観客であることを自覚したうえで、感想を記しておきたい。誤解や間違いがあればすべて筆者の責任である。

 木下順二がこの戯曲を書いた1970年当時の日本は、戦後復興からさらに発展し世界第二の資本主義国となった。日本資本主義は高度に発展し、あるいは帝国主義復活が誰の目にも明らかになった時期であった。木下順二は、その「発展」のなかに日本軍国主義の復活、危険な傾向を感じ取ってこの戯曲を構想したのであろうし、新しい侵略戦争の危機を肌身に感じながら筆を進めているようなのである。作者の問題意識は積極的なものであり、評価すべきである。そのような劇作家は極めて稀であることを我々は知っている。

 木下順二はこの戯曲で、日本の支配層と民衆自身の戦争責任の追求を試みた。戦後の日本人が侵略戦争の歴史をどのように評価するのか、敗戦後どのように再出発しようとしてきたのか、戦後25年の経過・変化のなかで検討を試みている。そのことは軍国主義復活の根源を見つめ直すこと、戦後二五年の日本社会の本質的欠点を描き出すことでもある。その焦点となるのが、日本の支配層と民衆自身の戦争責任の追求である、ととらえている。その認識、設定は基本的に正しいと思う。

 そのような原作の基本的性格、あるいは態度は評価すべきであるし、期待した点でもあった。けれども、今回初めて上演を観て、そののち戯曲を読んだのだが、木下の提示している「日本の支配層と民衆自身の戦争責任の追求」、その批判の方向・内容は極めて不十分であるという印象を強く持った。『神と人とのあいだ』には、多くの「混乱」があると感じたし、木下順二の描写による提示、批判に強烈な違和感を抱いたのである。

 3)違和感とは?
 3)-1、 島民、猿の如き扱い

 戯曲では、戦争中に日本軍が占領した南方の島民66名をスパイ罪で処刑したと設定される。
 まず驚いたのは、登場する日本兵のいずれもが、高級将校も下級兵士も処刑された兵士Fも含めていずれもが、処刑の事実、その意味をきちんと見つめていない、反省していないことだ。

 登場人物は誰もが、島民処刑が重大かつ深刻な犯罪であることの意味よりも、処刑を理由にBC級裁判で裁かれ責任を問われないかを、恐れ怯えている。島民の被害など少しも考慮しないで、ただ自分たちの身の上だけを心配している。戦中であれば思っていても公然とは語り会えなかったろうが、敗戦後となってもなお島民の被害とその発生原因・責任を、批判的にかつ明確に認識するに至っていない。島民を同じ人と見なしていない、一人一人の「顔」を覚えてさえいない、一人の人と扱っていない。そのように登場人物を描き出す。

 その姿は戦後の日本人像として、一定のリアルさをもっているのだろう。南方の島民に対する日本人による認識、未開人、土人という意識は、戦前と変わっておらず戦後も引きずっている。
 問題は、木下順二が「意識的」にではなく、「無意識的」に、「無批判に」そのような描写を重ねているところにある。

 例えば、「わたしのラバー(lover:愛する人)さん、酋長の娘、色は黒ても、南洋じゃあ美人・・・・」という歌謡などは、軽妙で攻撃的ではないが、南方の島民は未開人であるという侮蔑を明確に内包している。戦後何十年ものあいだ、親の世代から何度も聞いた記憶がある。

 あるいは、対象はフィリピン住民だが、戦争と日本軍首脳に対する批判を内容とする大岡昇平『レイテ戦記』のなかで、当時日本軍が抵抗するフィリピン人を「土匪」、「共匪」と呼んだ呼称を、作者・大岡昇平はそのまま無批判に踏襲している。あくまで戦った日本軍兵士の視点のみであり、兵士らが殺し破壊し犯したフィリピン人の視点は欠如している。日本軍下級兵士とフィリピン人との関係は欠落していたし、戦後においても回復されていない。そのことに対する認識、反省もない。『レイテ戦記』の最後で、大岡は「フィリピン人こそ被害者であるにもかかわらず、十分に描かなかった」と反省めいた記述を残している。しかし、あくまで完成した後での反省文の追加であって、『レイテ戦記』の性格を変更するものではない。(もちろん『レイテ戦記』は、信頼して読むことのできる数少ない『戦記』であるし、大岡は戦争を起こした日本軍首脳を徹底して批判した文学者のひとりである。この「表記」よって『レイテ戦記』の意義が損なわれたと主張しているわけではない。)

 さて、問題は木下順二に、「猿の如き島民の扱い」に対する批判があるかということなのだが、明確には存在しない。木下も登場人物たちと同じように、文明に達してない島民、未開人として扱っていた。島民の表情は一色であり、描き分けていない、島民を対等の人間とはとらえていない、そのような造形となっている。何よりもこの島民の描写とその描写に対する木下順二の無批判に驚いたのである。

 3)-2、「自分たち日本人は被害者」

 さらに、戯曲では生き残った兵士も、処刑された兵士Fの妻も、「女漫才師」も、自分たちを、あるいは日本人全体を、戦争被害者として強く意識する姿に描き出していた。このことにふたたび驚いたのである。確かに日本人の多くは悲惨な戦争被害者であった、しかし日本が侵略しアジアの多くの人びとに被害をもたらした歴史に対する批判を、どの人物も明確に提示しないのは明らかにおかしい。戯曲は、敗戦から数年後と設定されている。木下が書いたのは1970年当時である。1970年に至ってもなお、疑問に思っていない。

 日本人の被害者ばかりが登場し、それぞれの「被害者意識」を披露する。確かに被害者の立場でものをとらえるのは当然のことだ。しかし、登場する人物は誰も、被害が起きた原因は何か、誰が「加害者」なのか、誰が戦争を引き起こしたのか、少しも認識していないし、しようとしていない。その事実をおかしいとも考えていない。そもそも誰が責任をとらねばならないのかを考えようとしていない。自分たちは被害者なのだが、被害が何の原因で起きたのかを問わずに、「被害」だけを嘆きおののいている。起きた現実に対して「無知な人々」として「生き残った日本人」を描き出し、かつ作者の木下がそのことに無批判なのである。このような戦後の日本人たちは、この先果たして戦争を批判し平和を享受することができるのだろうか、疑問に思う。

 戦前にも日本支配層は意図的に「自身を被害者と描き出した」ことがある、そのことが侵略正当化の口実に利用された。戦前の日本支配層は、「ABCD包囲網によって圧迫された被害国・日本は満州、シナに進出する以外にない」と、「被害者意識」で塗りつぶして状況を描き、侵略・戦争遂行へと国民を導く一つの「理屈」に用いた。もっとも、「ABCD包囲網」など、デマ以外の何ものでもなかった。

 こんなことをいうのは、2013年の日本人のほとんどが、領土問題で一方的に韓国や中国から「被害」を受けていると認識しているという、不可思議な事態、似た事態が起きているからである。おおよそ90%以上の現代日本人が、領土問題において「日本は被害者」と思い込んでいる。領土問題は、明治以降侵略した日本がその原因をつくったのであって、一方的な被害者と描き出すことなどできない。「為政者が被害者意識を煽るのは、目の前の日本社会の矛盾から目をそらすため」と疑わなければならない歴史的経過と根拠が存在する。

 「被害者意識」で国民を自己陶酔に導き、自身の犯罪を隠す政治手法は、むしろ現代的であり一般的であり、きわめて危険であると知っておかなくてはならない。
 イスラエルを見ればはっきりとわかる! 2000年以上もの民族の迫害、苦難、放浪の歴史を訴え強調し、『約束の地』の獲得、ユダヤ国家建設を訴え、その背後でパレスチナを占領し侵略しパレスチナ人への迫害行為を正当化し隠し、パレスチナ人の被害を無視してきた。そして自身の受けた迫害、苦難、放浪の歴史を、そのままパレスチナ人に押しつけている。「被害者意識」への自己陶酔は、自身の加害、侵略行為を「見えなくする」、為政者は政治的「目くらまし」として利用する。そのことをよく知っておかなくてはならない。

 したがって、自身のことを被害者と描く際には、被害の事実を明確に認識していなくてはならない。他の国の人々の被害をも明確に認識していなくてはならない。あるいはどうして被害が起きたのか、誰に責任があるのかを明確に認識しておかなくてはならない。それなしに、事実の確認はさておいて、とにかく自分らは被害者だと、涙に溺れるようなことがあってはならない。涙で、あるいは「被害意識」で、何も見えなくなってしまってはならない。支配層からの宣伝に取り込まれたそのような日本人がかつて多く存在したし、今も再生産されている現実を自覚しておかなくてはならない。

 確かに、戦後の日本人の一つの傾向、愚かな姿であったのかもしれない。多く存在したタイプであろう。であれば、戦後日本人のタイプを取り上げる木下順二は、次にその欠点を指摘するだろう、批判的な人物を登場させるだろう、打開する方向を提示するだろう、そう期待した。その期待は裏切られた。木下は無批判であった、明確な批判を立ち上げなかった。

 木下ばかりを批判するだけでは十分ではない。

 ほとんどの日本人が第二次世界大戦を語るときに、被害しか語らないという「不可思議」な「態度」をとり続けている。東京空襲などの戦争被害、広島・長崎の原爆被害を、日本や世界中の人々に語り訴えかけることは、現在もなお重要なことである。そのような活動を継続されてる人たちが多くいることに敬意を表さなくてはならない。しかし、「戦争被害を語る、原爆を語る」とは、被害の深刻さを語ることに終わっている傾向にあるのもまた事実である。戦争を起こした責任者を追及する声は欠落している。原爆投下による大量殺害に対する責任追及は欠落している。戦争を起こした原因は何か、責任者は誰か、追及しない。歴史認識を意図的に避けている。
 日本の支配層が、日本社会が、そのような「限定」で語ることを望み、強要するからであろう。また利益誘導するからであろう。
 日本の大手マスメディアを見よ!日本支配層の要請に、進んで従っている。ジャーナリズムの腐敗が、その「見事な見本」が目の前に存在している。

 誰が、なぜ戦争を起こしたのか、起こした理由はどのように不当なのか、誰に責任があるのか、少しも追及しない日本社会である。「二度と戦争を起こしてはならない!」といくら叫んでも、起こす原因を明確にし、すなわち歴史評価を行い、起こした責任と責任者の追及、処罰しなければ、「二度と起こさない」保障にはならない。「被害者意識」だけ語るのは、『神と人とのあいだ』の登場人物ばかりではないこと、むしろ現代の日本人の一つの典型であることを、自覚し批判し、克服を目指さなければならない。それがわざわざ木下順二の『神と人とのあいだ』を論じる意義の一つでもある。


 3)-3、「BC級裁判はデタラメ」か!

 いま一つは、木下順二によるBC級裁判の扱いである。確かにBC級裁判において、不十分な取り調べや間違いが多かったのは事実である。日本軍参謀・佐官級のごまかしや策略に、裁判官・検事を務めた連合軍佐官級が引っかかって、その結果旧日本軍上級将校は逃げおおせ、下級兵士、軍属が苦痛と犠牲を強いられ生命を失ったケースも数多くある。そのような「不条理」はいくつもある。しかしだからといって「BC級裁判」すべてがデタラメであった、間違いであったことにはならない。「BC級裁判がデタラメなものであった」とする主張が戯曲の前提、主調となっており、作者・木下順二が無批判に追従していることに、みたび、驚いたのである。

 BC級裁判は何を裁いているのか? そもそも日本の侵略戦争、侵略行為が審判の対象ではないか? 台本は、このことを忘れBC級裁判の不十分点の指摘ばかり強調し、その結果BC級裁判はデタラメであると描きだしている。

 戦後の日本社会と日本人が「BC級裁判」がデタラメであったと批判するためには、あるいは「戦勝国による敗戦国の審判であり不当である」と批判するためには、日本人社会が自身の力で戦争犯罪と戦争犯罪者をきちんと丁寧に、かつより適確に裁いて初めて、そしてまた日本軍国主義、天皇制政府の敗北は歴史の進歩であるという歴史認識を獲得して初めて、そのように主張する権利を獲得する。

 占領終了後の日本社会は、果たして戦争犯罪と犯罪人を自分の力で「間違いないように、デタラメを正して」裁いたか? 東京裁判、BC級裁判で逃げおおせた多くの戦争犯罪者、責任者を適確に告発し、裁き直したか? 日本社会は、正しい歴史認識を獲得したか?

 決してそのようなことはしなかった。むしろ、逆だ。
 東京裁判は、一応は軍部に責任を負わせることにし、戦争犯罪人である天皇や財閥を裁かなかった。昭和天皇と天皇制を延命させた。財閥など追及されてもいない。戦争遂行に加担した警察や検察、裁判官、官僚は、何の責任も追及されずに、生き延びかつ居座ったのであった。軍国主義日本から、民主日本に生まれ変わったが、政府官僚司法の顔ぶれは変わらず、看板だけを掛けかえた。
 そればかりではない、生き残った岸信介らA級戦犯を早くも復権させた、岸は首相にまでなった。処刑されたA級戦犯らを靖国神社に合祀した。戦争を起こした原因は何か突き詰めなかったどころか、侵略の歴史を隠し騙し、歴史を書き換えようとしてきたし、今もしている。
 「東京裁判、BC級裁判が不当で、デタラメだ」という主張は、日本支配層の政治的立場においてなされている。これに吸収される結果に陥ってはならない。

 したがって、「デタラメ」であるとまず非難されなければならないのは、戦後の日本政府、支配層であって、東京裁判、BC級裁判ではない。そのような経過と現状を無視して、BC級裁判はデタラメであったと描きだすことに、決して賛成できないし、そんなことをしてはならない。

 (木下順二は「第一部」でA級裁判を扱っており、日本の侵略・戦争犯罪への批判に対して、米国の原爆投下による市民の大量殺戮を持ち出し、「戦勝国が敗戦国の国民を裁く不当性」を指摘し、特に米国批判を一つの主張として取りあげている。大量殺戮は戦争犯罪であり追及されなければならないが、その前に、第二次大戦がファシズム対反ファシズムの戦争であったという基本的な歴史的評価が欠けている。日本やドイツの敗戦は歴史の進歩であることを認めなければならない。
 さらにまた戦争を国家間の争いと見なせば「戦勝国と敗戦国」という混乱に当然のこと陥る、そして国民を均一な存在と見なす民族主義に支配されているうちは、「国民間の争いによる戦争」に巻き込まれるであろう。1970年当時の木下順二は、反米の民族主義に傾いているように見える。これは別途検討しなければならない。)

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 4)木下順二は、何を言いたかったのだろうか? 

 戦争中に日本軍は島民66名をスパイ罪で処刑した。日本軍が占領した南の島、島民とは言葉が通じないと設定されている。治安維持、軍規引き締めのために、旅団長、参謀長よりもむしろ参謀中佐が主導し、島民を「スパイ」と仕立てて強引に処刑させた。軍首脳が、軍隊内の規律を維持し支配を強めるため、島民をスパイにでっち上げ、無実の島民を処刑させるのである。そこには何のためらいもない。処刑させることで侵略の軍隊に、非人間的な兵士に育てあげる、軍規引き締めの効果をもたらす。何も考えず殺人命令に従う非道な兵士を育て上げるのである。この島で起きた特殊な事件だとしても、日本軍に共通する特有の、非道なやり口である。このような日本軍隊の性格、特徴の描写は、適確である。

 積極的に従った兵士もいれば、いやいや従った兵士もいる。
 日本軍が犯した「犯罪の意味」をまず確認しておかなければならない。木下の戯曲には、この歴史的犯罪の事実認定と、それに対する批判が、きわめて弱い。

 裁判もなしに処刑したことが、戦後のBC級裁判で問題になり、主導者である参謀中佐は「裁判に準じる軍律会議を開催しスパイ罪と裁き処刑した」ことにし、そのために旅団長から下級兵士まで旅団員全員に口裏合わせをさせた。連合国の裁判官は、この「偽装」に簡単に騙された。その結果、参謀中佐の刑は軽くなった。もちろん、軍律会議など開催したことなどなかった。

 他方、尋問中に島民2名が死に、尋問した下級兵士の実行犯としての罪が追及された。日頃から島民に「親切」に接し、命令にいやいやながら従った兵士Fが、罪に問われ死刑宣告された。

 戯曲は、「本当に罪ある者は追及から逃げおおせ、罪のない者、軽い者が極刑に処せられた」という「悲劇」をベースにしている。島民の悲劇を素通りして、描き出す「悲劇」である。

 このような設定自体、果たして適切なのだろうか? 確かに「不条理」がそこに存在する。この「不条理」の指摘と克服を観客に提示する構成になっている。
 しかしこの不条理、被害者意識は、生き残った兵士とその遺族のものであって、島民のものではない。戦争犯罪を根本から裁き、告発するものではない。

 さらに、BC級裁判には多くの間違いがあったが、BC級裁判は日本の侵略を裁いているのであって、反ファシズムがファシズムを打倒した戦争の性格、それは歴史の確かな進歩であったが、そのことを忘れてしまったり、無視する権利を与えるものではない。

 「本当に罪ある者は追及から逃げおおせ、罪のない者、軽い者が極刑に処せられた」という「悲劇」を設定するのはいいが、この場合罪のない者、被害者とは、まず島民である。しかし島民は抜け落ちている。そのような歴史認識が欠けている。
 BC級裁判における「間違い」は大きな問題ではあるけれども、だからといってそれよりもさらに大きい歴史の進歩を忘れる権利を獲得するものではない。反ファシズムの立場に立つことを決して忘れてはならない。

 木下がこれをどのように批判し覆すのか? 注目した。しかし批判はなく、覆しもしなかった。

 兵士Fは大卒なので幹部候補生の試験を受け下士官になる資格があるが、試験を受けず上等兵のままであった。島民に親しく接し、通訳のような役目を果たした。島民に「親切」に接したので顔を覚えられていた。有利な証言を期待して親しく接した被害者の子供を証人として呼んだが、「母親を尋問し殺した兵士は誰か?」と尋問された時、被害者の子供は兵士F を指差した。その結果兵士F は処刑されることになった。「悲劇」であるとされる。生き残った日本兵は「誤解に基づく悲劇である」と、都合よく理解している。

 ただ、その悲劇は、日本軍兵士側からの説明である。果たして「誤解」なのか? 島民は兵士Fを「親切」だと思っていたのか? はなはだ疑問である。

 裁判では島民の誰もが兵士Fを擁護する証人に立とうとはしなかった。その事実は、島民にとって兵士Fも他の兵士も将校も同じ顔に見えたことを証明している。「親切さ」は、島民に伝わっていない。「親切さ」として伝わらない「親切」、日本兵の側が一方的に思い込み主張する「親切」であったことは、劇の設定からほぼ明白なようである。被害者の子供であれば「親切さ」を理解するだろうとして証人に立たせたが、この子供が日本軍と兵士Fをとくに区別せず、兵士Fにも「親切さ」よりもいくらかの「憎しみ」を抱いていたのも、劇の設定からしても明白なようである。

 にもかかわらず、その「疑問」は戯曲では検討されていない。被害者である島民の怒りは登場せず、「親切」であったとする島の支配者であった日本兵の認識をそのままそのまま無批判に、作者・木下順二が踏襲している。
 また、反ファシズムとファシズムの戦争であったという評価は、木下の戯曲には少しも出てこない。「勝者が敗者を裁いた」としか描かれていない。「勝者」が『神と人とのあいだ』の「神」である。

 最近の日本の右翼や支配層は、東京裁判を「勝者が敗者を裁いたものであった」、「負けたからまずかったのであり、勝てばいい」と公然と主張しており、木下の描写と論理は、その点において区別できないところがある。
 日本政府は現在もなお、韓国政府に対し、「過去の植民地支配を決して謝罪しない」立場を堅持しており、そのことが戦後68年経ても、両国間の「対立」を解決しない。東京裁判を「勝者が敗者を裁いたもの」と評価しておれば、決して解決しないであろう。

 当然のこと、木下の認識は一方的ではないか、欠陥がある、と問われ批判されるであろう。被害者「島民」の立場からの批判、被害者の子供の怒りは、劇中では立ち上がっていない、根本的な歴史評価が間違ってると指摘されるであろう。

 実際のところ、島民に対する日本兵の蔑視が劇中で表現されたが、それに対する批判、人間的な感情の回復は、劇中のどこでも問題にはならなかったし、存在しなかった。島民を「素通り」している扱いは、はじめから終わりまで一貫している。「木下がこの見方を覆すだろう」、このように期待して戯曲の進行を見守ったが、何も起こらなかった。期待は裏切られた。

 それでいて、あるいはそれだからこそ、生き残った日本軍兵士、遺族は、そして日本人全体は、自分たちを被害者だと主張するところに陥る、と私には見えるのである。島民の被害を忘れること、騙された自身の反省と責任を忘れることと、一様に自分たちを被害者と描き出すことが「表裏一体」になっている。そこに生き残った戦後日本人の特徴がある。自分たちの身の上にしか目が行き届かない、日本の侵略戦争と敗戦の世界史的な「評価」が欠けているから、被害者意識にとらわれる。

 女漫才師が、「なんであんたは生き残って帰ってきたのか?」と兵士Aを追及する場面があって、日本兵への批判めいた発言をするが、いつ間にか消えてしまい、「騙された」兵士なりの責任や戦争を起こした者への批判にはいたらない。

 登場する生き残った兵士、処刑された兵士F、旅団長、参謀中佐、・・・誰にも共通するのは、自身に処罰が及ぶのを恐れ、何とか処刑を逃れようとしていることだ。生き延びることだけを考えている。自身の犯した「罪」に対する認識と反省には不思議なことに誰も至らない、問題になってさえいない。何とか逃れたい、何とか生き残りたい、このような考えに支配されているだけだ。そのうえで日本軍兵士の誰もが、上級から下級まで誰もが、自分たちは被害者だと考えている。この点は「戦犯の妻」と非難されている処刑された兵士Fの妻も変わらない。

 旅団長は、自身の罪は免れえないとあきらめており、「納得はしないが結果責任を取る」立場である。参謀中佐は、まったく反省などしておらず、BC級裁判の追及から逃れることが日本軍軍人としての「使命」であり、そのための「作戦」を立て遂行するのが任務ととらえている。「軍律会議を行った」という架空の事実をつくりあげ、兵士に口裏を合わさせ、罪を逃れた。戦中も、敗戦してもなお、軍の命令や軍の秩序のうちに、自身の利害を見出し貫き通そうとするタイプの人間である、天皇制の主張のなかに自身の利害を見出し、他者を支配してきたタイプである。戦前にも戦後にも存在した日本人の一タイプである(よく描かれていると思う)。

 島民をスパイ罪で尋問し処刑した下級兵士たちは、命令でやらされた、だから自分には責任はない、と考える。実際に、命令されるまま行動してきた。島民処刑に荷担したことに罪の意識、反省はあまりない。「騙された、知らなかった、仕方がなかった、だから責任はない」という戦後の日本人の多数を成した思考を持つタイプである。

 結局のところ、登場する日本人の持った「認識」からすれば、上から下まで、日本軍兵士、あるいは日本人全員の誰にも責任がなくなる。軍の規律にしたがって行動した、誰かに命令された、誰かに騙された、だから自分には責任はない。こういう責任転嫁の連鎖の連鎖によって、誰も自分には責任はない、ことになる。

 では、いったい誰に責任があるのか、誰がどのように責任を取らなければならないのか、結局のところ誰一人考えない。誰かに責任はあるだろうが、俺にはない、自分は命令に従っただけだ、俺は騙された。責任転嫁の連鎖である。
 こうなると、誰も責任を負わない、無責任体制が現れてくる。戦争責任を問う時に、常の顔をのぞかせる「日本社会の無責任体制」が、ここでも姿を現すのである。最近の原発事故に対する日本政府、原子力村、官僚、マスメディアに至るまでの無責任体制とよく似ている、というより歴史的に引き継いできたものなのではなかろうか。

 伊丹万作が1946年に指摘し批判した戦後日本社会の「無責任体制」が劇中によく描かれている。日本人と日本社会の欠点を、木下順二は意図して描いたのだろうか、それとも無意識に描き出してしまったのか。
 たぶん後者であろう。木下順二が、この「無責任体制」を、問題の根源、戦後日本人の多くが持った欠点と認識しておらず、したがって明確な批判を立ち上げていないのは明白である。それゆえ克服も問題になっていないのである。木下は伊丹万作のようには問題視していない。

 戯曲は、BC級裁判の誤りによって起きた悲劇をベースにしている、その描写に対して作者・木下順二の明確な批判は立ちあがってこない。「BC級裁判はいい加減なもので信頼が置けない、あれはデタラメを行ったのだ!」、「アイツは逃げおおせたのに、俺はつかまった」、不服だ、不満だ、おかしい、・・・・・・・・。この繰り返しである。
 戦争を起こした原因は何であるか、責任はだれにあるか、を放擲しておいて、「アイツは逃げおおせたのに俺はつかまった」という話に流れる。戦争責任をあいまいにした日本人は、日本支配層、日本政府から東京裁判やBC級裁判への非難が出て来る時、これに絡め取られかねないことになる。
 BC級裁判の問題点の指摘は、戦争責任の追及、戦前の軍国主義への批判・反省、天皇制への批判と結びつかなければ、なかなか力にならないし、力強いヒューマニズムを獲得することはできない。しかし作者・木下順二自身はそのような立場を明確にしておらず、BC級裁判はデタラメなものだと、一緒になって主張している。

 ●島民の被害に目がいかない重視しない
 ●日本人の被害者意識に無批判に乗っかる
 ●BC級裁判をデタラメとする
 木下順二のこのような立場なら、結局のところ、何を言いたいのか! 支配層と民衆自身の戦争責任の追求をどのように行おうとしたのか、わけが分からなくなってしまう。
 果たして戦争責任の批判として現代的に有効な生きた批判の内容、方向をもつことができるのか! きわめてあやふやな、力の弱いものになってしまう。

 木下順二が劇中に描きだした現実、小心で運命におびえ震える善良な日本人の姿は、確かにあるリアリティをもって迫ってくる。確かにそんな人は多く存在した。問題は、そのうちにひそむ民衆の側の欠点、民衆自身の戦争責任の追求は、混沌として明確ではなく、意識さえされていないことにある。そのような意味では、当戯曲は未完成であると強く感じた。

 2013年現代に生きる我々は、戦後日本政府と日本社会は戦争責任を果たしてこなかった、侵略の歴史に対する反省と批判が乏しいという、たどってきた経過を「歴史の後知恵」ですでに知っている。もちろん批判はなかなか容易ではないのであって、生き残った日本人の暮らし、意識のうちに、生きた「批判的ヒューマニズム」を立ち上げ根づかせなくてはならない。木下について言えば、少なくとも批判の方向、内容を、戯曲の書かれた1970年当時の民衆の基盤において、提示しなくてはならない。天上から、理念的な批判をしてはならない、そのことは弁えなければならないのだが、そうだとしても木下の示した設定・描写は1970年当時の現実に対する生きた批判が生まれえない枠組み、視点、設定となっている、批判的要素を造形していない、あるべき日本人はどのように生きるのだろうか、考えるに至っていない、のである。

 5)木下順二は、どこに「ヒューマニズム」の発現を求めたのか? 
 
 木下順二は、どこに「ヒューマニズム」の発現を求めたのか? 誰が担うのか? 「ヒューマニズムの棲息場所」を1970年当時の現実、生きた人々のなかに見出していないのではないのか? そのように思う。

 そこで注目するのが、木下がつくり出した「女漫才師」、生き残った戦後日本人にとって、どれほど現実的なのだろう。

 上記の論点での批判において「女漫才師」が独自の主張をしたわけではない。生き残った兵士、Fの妻・希世子らとほぼ同じ考えの持ち主である。「女漫才師」の造形に「批判的ヒューマニズム」が表現されているわけではない。「女漫才師」は兵士Fに寄せるその「想い」を通じて、兵士Fの魅力・人間性を伝える独自の役目を負っているが、彼の魅力は必ずしも十分に描かれなかった。設定からするならば、兵士Fはそれほど魅力的な人物ではない。妻・希世子と女漫才師の関係は、一人の男をめぐる「対立」にはじまり、兵士F への共通の想いからこの「対立」はどのように変化・発展するのか注目するのだが、わかり合って対立は解消するものの、この解消は劇中でたいした意味を持たなかった。あるいは、女漫才師は「神様をとっちめてやろう!」と叫ぶ。兵士Fを処刑した神様(=占領軍や戦勝国裁判の不備)を告発してやろう、という意味なのだろうが、「神様をとっちめる」本当の意味を理解してはおらず、ただ小心な登場人物のなかで一人「大胆な」言葉を発するだけである。結局のところ、いわば『民衆法廷』という対話の場面をつくる上での「舞台回し」に利用されているだけだ。

 兵士の妻は、「戦犯の妻」として戦後の日本社会で「非難」される立場にあって、他の登場人物とは少し違う位置にいる。世間の非難に不満は述べるものの、不当さの根源的意味を自身のなかに持ち告発するわけではない。
 生き残った兵士も処刑された兵士の妻も「女漫才師」も、爆発しそうな不満を持つもののそのはけ口を知らず、したがってどこにも無責任体制を批判するモメントを有していないし、育てることができない。木下順二がそのように「造形」していない。

 ここで性格、立場が違うとされる人物は、処刑された兵士Fだけである。他の日本人とは、「処刑された点」が違う。生き残った兵士たちと妻、漫才師は、「処刑」される身を嘆き、同情する。戯曲中では、「処刑」は重い深い意味であると扱われている。しかし、冷静に考えれば、「処刑から逃れた、逃れることができなかった」、それ以上の違いは特にはない。
 「処刑された、殺された」事実を、登場する生き残った人たちは、奇異な程、とにかく重く深く受け取るらしいのだ。たぶんそれは、「代わりに死んでくれるから」であろう。

 生き残った人たちが「戦争責任とその批判」に目覚めたからではない。登場人物たちが兵士Fの処刑を「重く、深く」受け止めていても、「身代わりに死んでくれる」点で「重く、深い」だけである。したがって観客は、「重く、深く」受け取ることなどできない。
 兵士F だけが性格、立場が違うと設定されているが、あくまで設定されているだけで、木下順二の「意図」に反して、人々を説得する重くて深い意味、大した違いを持っていない。

6)処刑された兵士Fと生き残った兵士・日本人の対比

 この演劇での木下の工夫は、処刑された兵士Fと生き残った兵士たち、妻、女漫才師たちとを対話をさせる場面にある。演劇にしかできない手法であろう。そうやって木下は、いわば『民衆法廷』を出現させ、対話で認識を深めることを狙っている。
 したがって、この対話で木下の批判が姿を現す、明確になるはずと思ったし、期待した。
 生き残った日本人のなかには参謀中佐なぞは登場しない。彼は問題外だから、あらかじめ除かれている、それなりに選別されていることに納得する。登場するのは戦後出発を担う日本人たちなのである。

 生き残った兵士らは、自分たちの代わりに処刑された兵士Fの運命を憐れみ、同情しているから、兵士Fの語りかけを素直に「受け入れ」、「反省」する、兵士F の妻、女漫才師もよくわからないまま「反省」する。懺悔のような観念的な内面的な、どれも同じような「反省」をする。「反省」の内容が違うわけではない。登場させた人物は本質的に描き分けられてはいない。
 この反省の内容は何か? とにかく詫びよう、頭を下げよう、坊主懺悔というものではないか? 

 生き残った兵士たちは処刑から逃れるために一所懸命だった。果たして処刑から逃れることが、戦後出発の目標なのか!? それが戦後処理なのか?! 当然、このように問いが発せられる。木下順二の戯曲はこの問いにどのように答えたか? むろん、無批判に肯定していないかもしれない。しかし、その批判が「観念的」で、あいまいで、生きたものではないこと、力のないことが問題なのである。私の大きな不満なのである。

 戦死した多数の兵士たち、処刑された兵は、あれは不運であって、生き残った兵士らは運がいい。運がよかった生き残りの日本人は、死んだ兵士たちが身代わりになったので生き残ることができた、だから代わりに死んでくれた死者を悼み、感謝する。木下が描いていたのは、そのような懺悔的な、観念的な「反省」により多く傾いているのであって、懺悔的な反省の背後にひそむ欠点をはっきりと指摘するものではない。それが大きな問題、本質的な問題なのである。

 生き残った兵士たちも遺族も、騙されたなりの戦争荷担を反省するわけではない、軍国主義を反省するわけではない、戦争遂行した者たちを追及するわけでもない。ただ、自分たちは被害者なのだと、泣きながら自身の運命を悲しむだけで、「対話」の後もそこにとどまっている。

 このような認識は、現代日本では一つの「常識」に転化している。「国のために犠牲になった若い特攻隊の隊員たちのおかげで、現在の平和がある」、日本の支配層や大手マスメディアが、好んで意図的に流す説明であり、宣伝である。戦争荷担を反省するわけではない、軍国主義を反省するわけではない、戦争遂行した者たちを追及するわけでもない、誰も責任を負わない、犠牲者の悲劇だけがある。
 したがって、このような認識の上に確固たる平和など成立しない。

 確かに彼らは加害者ではない、悲惨な被害者である。ただ、こういう被害者たちはこの先も無力であろう。もう一度同じような状況に放り込まれたら、同じ行動をたどるだろう、「国のために」戦うだろう、支配者に利用され、そして被害を受けるだろう、そのように断言できる。なぜならば、恐れおののいているだけで、決して変わっていないからである。あふれる涙で自身の被害を嘆くという「未来」を繰り返すのだろう。

 そこに戦後出発は存在するか、出発する力は正当に育つか? 「批判的ヒューマニズム」は棲息するか? このように問うなら、「否」としか答えようがない。

 木下順二による台本のこのような処理に、大きく失望したのである。いずれにしてもこの場面が最も重要である。
130608 木下順二『神と人とのあいだ』箱04 (250x320).jpg

7)『神と人とのあいだ』?

 死んだ兵士も生き残った兵士も遺族も、運命に翻弄され、恐れおののいて生きてきたし、この先も変わりはしない。自身の運命をつかさどっているのは、偶然、すなわち「神」である。以前の「神」は、天皇制政府であり、軍隊と上官であったし、天皇と天皇制であった。今では占領軍が「神」である。
 自身の運命を偶然の産物としか認識しない人、戦争の原因を認識し批判を持たない人は、これまでもこの先も目標を持たない、自主的自覚的に行動しない、自身で変革をめざすことはない、運命に翻弄される。変革の欲求を持たなければ変革の意志は生まれない、意志がなければ変革の手段を獲得することもない。翻弄された人たちが自身の運命を顧みるとき、神という偶然とに支配され暮らしていると嘆く。そういう日本人が『神と人とのあいだ』と意識するのである。
 「批判的ヒューマニズム」を自覚した者は、決して『神と人とのあいだ』など意識しない。『人のあいだ』にのみ生きる。木下順二の戯曲には、運命に翻弄され、恐れおののいて生きるのをやめ、運命に立ち向かい自身で考え行動する新しい日本人は登場しない。批判的ヒューマニズム」を立ち上げていない、『神と人とのあいだ』に悩む、無自覚な日本人を描きだしている。

 木下順二の『神と人とのあいだ』の神とは、偶然(=神)に支配され「混迷する愚かさ」を持つ戦後日本人のリアルな姿を意図的に表現している、というアイロニーなのではないかと当初、私は真面目に思ったのである。これも違っていた。この点、木下順二はきわめて鈍かった。したがって、この付け足しは木下順二に対する「皮肉」に転化した。

8)終わりに

 1970年当時、木下順二は、日本軍国主義の復活、危険な傾向を感じ取ってこの戯曲を構想したのだろうし、この戯曲で、日本の支配層と民衆自身の戦争責任の追求を試みたことは、評価する。またそこに登場する日本人たちは、戦争の被害と苦しい生活に耐えながら善良であって、それでいて小心で怯えていて「運命」に翻弄されている、その造形、描写にはリアリティがあるし、ある「親しみ」さえ覚える。我々はそのような日本人あいだから生まれている。

 問題は、その「表面のリアリティ」に終わってしまい、それに対する生きた批判、「批判的なヒューマニズム」、「奥底のリアリティ」が、正統に立ち上がってきていないところにある。
 したがって、戯曲は「表面のリアリティ」のなかから生まれそれを批判し食い破る「奥底のリアリティ」を立ち上げ、その生きた二つの要素がひっぱり抗争し合う描写・構成に深化させなければならない。そうやって初めて生きた力を生み出すし、観客に自身の問題として訴えかける力を獲得する。

 花田清輝風に言えば「楕円の思想」である、楕円の二つの焦点が引っ張り合い相闘いながら、楕円の線を描いていくという構成・描写が、生きた人々の暮らしと認識の描写となるだろう。あるいは「総合芸術」、すなわち二つまたは複数の要素が自己を主張しあい闘争し、そのうえでそれぞれがそれぞれの論理で変化発展し統一的内容を獲得し、新しい現実を描き出すという水準に一歩踏み出すことが必要なのである。

 『神と人とのあいだ』は、「批判的リアリティ」が十分に生命を獲得していない。木下順二は、処刑された兵士F や尋問中に死んだ島民の子供によって、その「奥底のリアリティ」を明確に立ち上げることをしなかった。最大の被害者である島民からの批判を立ちあげることに思いも至らなかった。

 生き残った日本人、特に戦地にいなかった者は、日本が仕掛けた戦争の実態、その加害と現地の被害の実態がなかなかわからないし、知らされてこなかった。見えているのは「日本人の被害」=「働き手を兵に取られた被害、空襲と原爆による被害、戦中の困窮生活による被害」である。それだけでも十分すぎるくらい悲惨な被害を受けたのではあるけれども、戦争の性格を深く認識するうえで、そして戦後の日本人の戦争責任を問う上でやはり問題になる点である。

 この島の日本軍は、旅団長である陸軍少将を筆頭に、海軍大佐の民政部長、陸軍中佐の参謀による一個旅団、二個歩兵連隊の構成とされるから、当初は5,000人規模の軍隊であったと推定できる。相当大きな島であるし、他の島民集団もいたと推定される。日本の軍隊についてきた軍人・軍属、関係する民間人も多数いたはずである。「慰安所」があり「慰安婦」さえいた可能性さえある(島民の女が裁判で、日本兵が毎晩通ってきたと性暴力を暴露する場面がある。木下は、連合国判事や傍聴者に日本軍兵士を冷笑させて済ませた。日本軍の犯罪とはとらえていない)。
 戯曲が描くのは敗戦直前の時期、すでに南方の島に取り残され、軍は海軍将校と陸軍将校が混在しており、すでに当初の旅団の体をなしていないようだ。海上には多数の敵艦が観察され、来襲は時間の問題である。その前に島の治安作戦、および軍規引き締めのため、大スパイ事件をでっち上げ島民を処刑した、しかし、敵艦来襲、戦闘の代わりに敗戦が来たとされる。

 生き残った日本人に、戦争の性格と被害を広く深く認識させ覚醒させるために、すなわち「奥底のリアリティ「を立ち上げるためには、兵士F、島民の子供をより深めるべきではなかったか、被害を受けた島民を造形し登場させるべきではなかったか、あるいは旅団でひどい扱いを受けた朝鮮人軍属、民間人あるいは「慰安婦」を造形すべきではなかったか。そうやって「表面のリアリティ」とともに、これに対抗し揺るがす「奥底のリアリティ」を立ち上げ、生きた二つの要素がひっぱり合いで、戦争の姿を奥底から描き出し、戦争責任を明確に意識させるべきではなかったか、そのことで日本人の戦後出発を提示する構成に深化させなければならなかったのではないか、生き残った日本人の多くが持っていた、上述の三点の欠点を指摘する批判的視点を提起できたのではないか。

 そうして初めて、善良ではあるが運命に翻弄され小心で怯える生き残った日本人は、自身の視野の狭さを自覚し克服する契機を獲得するのではないか。またそこに自分の姿をみてとった観客は、自身の内部で「対話」を試み、演劇に深く参入するのではないか。そのように思う。
 (もちろん、単に登場させる人物、造形する人物の「種類」の問題ではない。作者の視点さえ明確であれば、兵士F や島民の子供の造形からでも、「奥底のリアリティ」を立ち上げることはできるだろう。あくまで例え話である。)

 このような感想は、すでに「改作」の具体的な内容・方向に一歩踏み出したもので、少々書き過ぎであるし、夢想的である。そのように自覚する。ただ、当戯曲への私の期待と批判をより明確に表現しようとしてこのような言い方になった。
 また、感想であったとしても、もちろん、あまりに遅いことも自覚する。2006年に木下順二はすでに亡くなっている。もっと早く言っておきたかった、そういう気持ちが残る。    (文責:児玉繁信)

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