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美輪明宏が語った日本人「慰安婦」 [元「慰安婦」問題]

 美輪明宏が語った日本人「慰安婦」

 美輪明宏、作詞作曲「祖国と女たち」、「慰安婦」の悲しみを歌った1970年代の歌です。ご存知の方も多いかもしれませんが、私は最近知りました。検索すればYou tubeで聴くことができます。一度、聴いてみてはいかがでしょうか?
 ソン・シンド(宋神道)さんも兵隊と一緒に歩哨に立ったと語っていた、と言います。
 唄は、日本人「慰安婦」が、名乗り出ることがきわめて難しい日本社会であったと告発しています。この点は現代、より一層ひどくなっています。「名乗り出ることができない社会」とは、人権が擁護されない社会でもあります。
 最後の「大日本帝国 万歳……」の絶叫は、日本人として扱ってもらえない嘆き、非難への反発として発されたものと理解されます。
 何はともあれ、美輪が自身で作詞作曲して歌っていることに感心しました。

 「美輪明宏のラジオでの発言」TBSラジオ 2012年8月12日
 で今度は、あの、女の人のね、今従軍「慰安婦」のことでね、モメたりもしてますけれどもね。あれはねぇ、ま、私が戦後仲良くなった従軍「慰安婦」で帰って来た人たちはね、みな日本人でしたよ。貧しい農家のね、娘さんたちが、あたしが売られて行けば、父ちゃんも母ちゃんも弟たちも餓え死にせんですむからっていうことでね、でそれで、満州にいい働き口があるって言われて、行ってみたらそれが従軍「慰安婦」でね。それでね。あの、敵が来るとね、あの、銃を渡されてね男たちと一緒に戦ったんですって。でそして、あの、とにかく、流れ弾に当たって死んだりするでしょ? そうするとね、日本婦人までも戦わせてそういうことをしたって、日本軍の恥になるからってんでモンペを脱がされちゃって、あの、中国服にね、着替えさせられて放り出されちゃって、後は野ざらし雨ざらし。線香一本上げてもらえない。埋めてももらえない。そういう状態だったって。

 でそして帰って来たら帰って来たで、村の人たちに、とにかく、「慰安婦」やってたって汚らわしい、どの面下げて帰って来たかって。うちでも家名に泥を塗ったって言われて。うちの為、国の為にあたしたちは行ったのに、なんだこれはって、もうボロボロボロボロ涙を流して。あたしはホントもらい泣きしましたよ。可哀想でね。で、それがね。「私の歌」を聞いてね。ああこれで私は成仏できますって言ってくれた時に、ホント私は良かったですけどね。ま、戦争というものはね、いろんなことがあるの。もう二度としちゃ駄目ですよね。ですから日本ももっとプライドを持ってね。えーとにかく今度は知性と凛とした気概を持ってね。ご先祖様に恥をかかせないように、気概を持って政治家も何も、官僚もすべてが生きていってもらいたいですね。
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「祖国と女たち」美輪明宏、作詞作曲

 北は青森から 南は沖縄
 売られ買われて 今日も旅行く
 違うお国訛りで 慰めあいながら
 捕虜の女囚も 同じ仲間さ
 荒れ果てた肌に やせこけた頬
 今日も覚悟の 最後のけ化粧
 万歳 万歳

 毎日百から二百 兵隊相手に
 朝日が昇り 月が落ちるまで
 いずれ死んでゆくことが 決まっている男
 虚ろに空を 見つめる女
 涙も渇れはて 痛みもないさ
 そこには 神も仏もいない
 万歳 万歳

 誰の子かわからぬ 赤子残して
 死んだ女やら 銃を片手に
 愛する若い兵士と 散った女やら
 歌える女は 子守唄を唄う
 あまりの怖さに 狂った女
 嫌な将校に 斬られた女
 万歳 万歳

 男はなんていいんだろう 羨ましいじゃないか
 勲章をもらえて、恩給もつくさ
 死ねば死んだで 名誉の戦死とやらで
 立派な社に 奉られるんだろ
 私も男に 生まれていたら
 今ごろきっと 勲章だらけ
 万歳 万歳

 戦に負けて帰れば 国の人たちに
 勲章のかわりに 唾をかけられ
 後ろ指をさされて 陰口きかれて
 抱いた男たちも 今は知らん顔
 祖国の為だと 死んだ仲間の
 幻だいて 今日も街に立つ
 万歳 万歳、ニッポン 万歳
 大日本帝国 万歳 万歳
 大日本帝国 万歳
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