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二人のロラが亡くなりました [フィリピン元「慰安婦」]

 二人のロラがなくなりました

  フィリピン女性団体カイサカのアンナさんからのメール

 マラヤロラズ(戦時性暴力被害者団体)の二人のロラがなくなりました。タルシラ・サムパン(Tarcila Sampang)とエメレンシアーナ・ヴィヌヤ(Emerenciana Vinuya)です。

マパニケ タルシラの姪の妻 (640x480).jpg
<左:ロラ・タルシアの遺族、右はマラヤロラズ代表ロラ・リタさん>

 ロラ・エメレンシアーナさんは10月1日に亡くなっていました。10月21日になってマラヤロラズ代表のロラ・リタさんから知らされました。ロラ・リタさんは私の古い携帯番号に連絡をくれたのでわからなかったのです。ロラ・エメレンシアーナさんの姪の妹がヨルダンに行っていた時にトラブルがあり、この姪の手助けをしたことがあります。1930年1月23日に生まれの82歳でした。亡くなる前、彼女には麻痺がありました。

 ロラ・タルシアさんは10月20日夜、亡くなりました。タルシラさんは、あの1944年11月23日の拷問と虐殺の犠牲者の一人でした。彼女はこの数年間糖尿病や喘息を患っており、治療のためマニラに住んでいました。1929年12月24日に生まれの83歳でした。

 添付した写真は、二つの遺族に香典を渡した時に撮りました。ロラ・リタさんが同行してくれました。
 初めの写真の若い女性はロラ・タルシラの甥の妻です。
 二つ目の写真の男性はロラ・エメレンシアーナの義理の息子さんです。

 あなたから送っていただいた香典は指示通り、二つの遺族に渡しました。二つの遺族はあなたに最も深い感謝の気持ちを表しました。遺族はコミュニティによる40日祭祈りの費用に使わせてもらうと言っておりました。

 アンナ



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 この件でカイサカのヴァ―ジーさんからも下記の連絡が入りました。
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 親愛なるイチロー
 マラヤロラズへの継続的な支援をいただき、ありがとうございます。私たちカイサカから、誰が香典をマパニケまで届けるか確認します。写真は後で送ります。
 ところで、カイサカとKPDと他の共闘団体や組織が、「フィリピンにおける戦争中止!」、「反核反戦アジア」を掲げ、連帯提携し、3日間のここマニラで、あるいはクラークで、スービックで、バタアンで共同行動を行います。フィリピンから米軍撤去20周年を記念する行動でもあります。11月24日は、米国向けに最後の飛行機が飛んだ日です。平和と連帯のための活動家たちの3日間の集まりです。
 スービックで、ツアーとショートプログラムが開催され、アジアとフィリピンにおける米軍のプレゼンスについて議論があるでしょう。次にバタアンで、バタアン原発に対する活動家の集まりがあります。その後マニラでもろうそくの照明でバヤニ文化のプレゼンテーションが開催されます。私たちは後であなたに、それら活動の写真を送ります。
 連帯して、
 ヴァージー(カイサカ議長)
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コメント 1

mei

こんにちは、関西の大学生です。
マラヤロラズに関する記事を読ませて頂いております。

私は昨年あるNGOの主催するスタディーツアー内でマラヤロラズと交流し、マパニケ村の事件について直接ロラたちからお話を聞いてきました。
私はそこで初めて旧日本軍の行った残虐な行為を知り、衝撃を受けました。このことを自分のできる範囲で日本の人たちにも伝えて行きたいと思い、近々、小規模ではありますがマラヤロラズの勉強会を開こうと思っています。
そこで、ロラたちが事件のことについて証言している映像などお持ちでしたら勉強会で使用したいと考えております。
もし可能でしたら映像を提供して頂けないでしょうか?
by mei (2014-07-08 16:22) 

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