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3月18~24日「2012反核アジア・フォーラム」に参加して [反原発]

 原発を廃止しよう!
 
反核バタアン運動(NFBM):ミッチー・チャン


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 「2012反核アジア・フォーラム:以下NNAF」が、3月18~24日から韓国で開催され参加しました。韓国で開催された「核産業サミット」に合わせて、人々活動であるNNAFを開催すること自体、すでに抗議の声明なのです。フィリピンから、私(ミッチー)が招待されました。とともに「反核バタアン運動:以下NFBM」は地元の代表としてエミリーを送りました。

 福島事故の余波において、各国は核政策を再評価してきました。そして、アジアの人びと、世界中の人々は、既存の原発の廃止、新規建設計画の破棄を要求しました。原発廃止を決めた国があります。しかし、韓国政府は反対方向に向かっています。価値ある教訓として受けとるよりもむしろ、韓国政府は福島事故を原発海外輸出のいい機会としてみなし、核エネルギー利用計画を確定させ、推進しています。「核安全サミット2012」は、特に、原発輸出を拡大する機会として利用しました。

 日本政府も同じではないでしょうか。福島原発であれほどの大事故を起こしながら、いまだに原発推進をやめようとしていません。再稼働を画策しています。
 このような動きを阻止するために、アジア各地の反原発活動家たちは、地元の人たちと固く結びつき反対するイベントを、韓国で準備しました。これは韓国政府の核政策に強く反対するイベントであるとともに、アジアの人びとだけでなく世界中からの反核、原発廃止の声なのです。

 3月18~24日「2012反核アジア・フォーラム」に参加して
 
反核バタアン運動(NFBM)エミリー・ファヤルド


 私(エミリー)とミッチーは、3月18~24日の6日間、韓国で開催された「2012反核アジア・フォーラムNNAF“No Nukes Asia Forum 2012”」に参加し、活動しました。私にとって、この訪問は、「核のない世界を実現する」という目標にむけ、自身の確信をより強い確固たるものにしました。アジアの異なった国々の人たちの経験や展望を交換し交流し、私たちは多くのものを学び、また獲得しました。

 1)2012反核アジア・フォーラムの活動
 第一日目(3月19日)に、ミッチーが記者会見で話しましたし、セジョン・センター前の反核宣言週間集会では演説しました。
 また、同じ日、サムチェオク(Samcheok)市のサンナエドン・カトリック教会での地元の人々との交流で、私はフィリピンにおけるバタアン原発反対の闘い、その経験を説明しました。
 韓国政府は、サムチェオク市に原発建設を予定していました。サムチェオク市の反核公園には、原発建設を中止させた勝利のモニュメントがあります。2000年にサムチェオク市民は、韓国政府と闘い原発建設を阻止したのです。反原発バタアン運動のように、サムチェオク市民は大きな集会、抗議運動を組織しました。もちろん市民は、地元で反核団体を組織しました。私たちはその事務所で、朝食をいただきました。

 原発建設を阻止した市民の皆さんに敬意を表します。私たちは、デアハクロ公園で集会を開催しました。そこで反原発キャンペーンをリードしているカトリック教会の多くの聖職者に会いました。ここでは反原発活動のためであれば、教会設備を自由に使うことができます。反原発運動は市民生活に根付いているのです。
 また、ヨンドク行政区でも私たちは集会を催しまし、また教会ホール内で地元の人々と会談しました。 聖職者は、私たちを歓迎してくれました。  

 三日目(3月21日)、釜山市で私たちは記者会見し、釜山国際展示場(BEXCO)前で、「環太平洋地域原子力会議」に対する抗議集会を行いました。その日「環太平洋地域原子力会議」は、この会場(BEXCO)をおさえていました。

 四日目(3月22日)、ソウルに戻り、ソガン(Sogang)大学で、「核安全保障サミット」に対抗した「国際会議」を開催しました。そこで私たちは、一人の旧友、ジョセフ・ガーソンに会いました。彼は、米国の核兵器使用の即刻停止、「核のない世界」のための核政策と挑戦を話し合う米国委員会のメンバーです。
 この国際会議で、ミッチーが「福島原発災害後のバタアン原発反対運動とフィリピン情勢について」報告しました。
 また、福島から参加した日本人グループは、「福島原発事故と原発のないアジア」について発言しました。

 五日目(3月23日)、私たちは、原発と原子力産業推進する「原子力産業サミット」に抗議するため、サミット会場であるインターコンチネンタルホテル前でデモと集会、記者会見を行う予定でした。しかし、集会もホテル前での記者会見も、できませんでした。というのは韓国警察が地下鉄駅で私たちを阻止し、会議に行くのを許さなかったからです。少し交渉しましたが、警察は私たちの通行を許しません。周りには、活動を取材するため多くのメディアがいましたので、急遽その場で「記者会見」することにしました。警察がこの「記者会見」を止めようとしたので、警察との間で「小さな闘争」を経験しました。多くの韓国市民がその場を通り過ぎて行きましたが、私たちが何のために闘っているか、見つめ、理解してくれました。市民の多くは、しぐさで私たちを支持するサインを送ってくれました。もっともなかには、私たちにむかって怒鳴りピケラインを破ろうとする者もいました。しかし、そのような否定的な人より、ポジティブ支持がずっと多かったのです。
 地下鉄内の集会と記者会見では、私にも発言の機会があり、原発建設・原発輸出の停止を訴え、そのうえで非核アジア、「核のない世界」をつくろうと呼びかけました。
 韓国の警察は、奇妙なこともしました。集会の後警察は、私たちに昼食を振る舞ったのです。集会がすんだあと遅れてきたジョセフ・ガーソンもそのおこぼれにあずかりました。

 午後に、私たちは「2012反核アジア・フォーラム声明」を承認して、採択しました。声明では、福島事故の被害の実情について触れました、同時に、この時点でさえ日本政府が、世界の平和と安全、人類の生存に反し、いまだに核技術や核兵器の輸出をしようとしていることを批判しました。また、タイ、インドネシア、フィリピンの3カ国は、核計画・核政策の廃止にいては、3カ国とも同じ状況下にあります。どの国もフィリピンと同じように、各国の核開発を進めてきたのです。また、日本グループは、福島犠牲者の支援と、既存の原発と核開発計画の廃止を呼びかけました。
 全体として上記の声明は、世界中の人々に、「核のない世界」のために団結すること、世界中のそれぞれの国においてすべての原発計画、原発推進政策に対し慎重になること、停止することを呼びかけています。また、原発と核武器を使い続けることを批判し、福島事故の後でさえ、韓国政府のようにいまだ多くの政府が、福島やチェルノブイリの教訓を学ぶことなく、核技術を利用し輸出し、利益を上げることを望んでいる現実を指摘しました。

 「公正なエネルギーのための行動(The Energy Justice Actions)」の後、議論し最終的な声明とする予定であり、私たちに送られてくることになっています。入手次第その写しを送ります。

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 2)韓国政府の神経質なまでの対応

 私たちの韓国入国には、困難が伴いました。というのは、私たちの滞在中や出国した一日後に、韓国政府や進側による三つの原子力会議、サミットが行われたからです。
 韓国政府は、原発推進の国際会議を失敗させないため、神経質と言えるほどの対応をしました。私たちを推進派の会議やサミットの会場に近づけさせませんでしたし、NNAF事務局長の佐藤さんを入国させませんでした。

 ●3月18日にはじまった「環太平洋地域核会議(釜山)」:
 二年ごとに環太平洋諸国で順に開催される「核エンジニア原子力産業相互会議」。
 原子力産業の会議、および各国学術団体を含むアメリカの原子力学会(ANS)によって組織されています。アカデミックなセミナーや、原子力産業展示を行います。
 ●3月23日:「原子力産業サミット(ソウル)」 これは「ソウル核安全保障サミット2012」公式の特別イベントであり、主催者は、韓国水力原子力社です。世界における原子力産業代表者会議です。

 ●3月26日:「ソウル核安全保障サミット2012」
 サミットは、核テロの脅威に対する連携施策、核物質の不法輸送防止と関連施設や核物質の保護に携わってきました。
 しかしながら、福島原発事故や提案されている原子力平和的利用のための地域協力という新しい課題において、範囲は核安全保障から核安全まで拡大されることになっています。
 主催国である韓国政府、韓国の原子力産業は、サミットを原発輸出促進のよい機会としてとらえている点に、特に留意しなければなりません。
 彼らは、サミットと平行し、原子力産業サミットを開くために、世界中から招待された原子力産業CEOたちなのです。そのうえ、環太平洋核会議も主に原子力産業に支えられた開催されることになっており、その結果、韓国ソウルのサミット周辺に、世界の主要な原子力産業の代表者がほとんど集まっていたことになります。

 入国トラブル
 入国の際に私たちは、ソウルにおける「公正エネルギーアクション」という団体の招待で国際会議に参加するために招待されたビザを示しました。仁川国際空港の入国審査では、私たちはスタディツアーに参加するために来たと申告したところ、入国許可されました。他の国から参加人たちも同じように、または観光目的だと申告しました。しかし、日本から参加した佐藤さんは入国できませんでした。おそらく彼は「2012反核アジア・フォーラム』事務局長であることは事前に知られていたからでしょう。不当なことです。佐藤さんは、空港で入国拒否され、一晩中空港に留め置かれ、翌朝、日本に送り返されました。佐藤夫人だけは入国でき、活動に参加しました。彼女はたまたま別の飛行機で来たため入国できたようなのです。

 韓国の緊迫した政治情勢
 韓国では、4月11日には、国会議員総選挙があり、12月19日には大統領選挙があります。今年は、議会と大統領選挙で結着がつきます。今回、原子力エネルギー問題は、主要な論争点となるでしょう。

 皆さんに感謝
 私が「2012反核アジア・フォーラム」に参加するに当たり、みなさんから支援いただきました。感謝します。私にとってはすばらしい経験でした。核問題に対する私の理解を一層深めることができました。日本と同じようにソウルも交通費や食費が高いことにあらためて気づきました。
 どうもありがとう。私のレポートに疑問の点があれば、遠慮なくお尋ねください。(3月28日記)
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