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恐慌は次の爆発を求めて徘徊する [2008-9世界経済恐慌]

恐慌は次の爆発を求めて徘徊する

 1)2008世界恐慌とは何か? 何が起こったのか?

 2008年のリーマンショック以来、世界経済は深刻な大恐慌の過程に入っている。その回復の兆しもいまだ見えない

 (この変化を、「リーマンショック」とか、「世界同時大不況」とか、「リセッション」、「デプレッション」とかと、呼ぶのはふさわしくない。2008世界恐慌と呼ぶべきである。新自由主義の経済学は、あるいは大学の講壇経済学では、さらには大新聞の表記においても、これまで「恐慌」という言葉が嫌われ排除されてきた。それは恐慌を資本主義の危機としてとらえる考え方を嫌い拒否しているからである。経済学というのはきわめて「党派的な」学問であるのは確かなようだ。)

 もちろん、マルクスの言う通り、決して回復しない恐慌はない。が、少なくとも今次恐慌にあとの先進資本主義の回復過程は、1990年代から現在に至る日本経済の失われた20年とほぼ同じような過程をたどるのであろう事はほぼ予測することができる。
 米欧日の支配者たちは、この予想・この不安を、決して振り切ることができない。

 今次世界恐慌を経て、世界資本主義内部の力関係、構造は大きくダイナミックに変化しつつある。そのことの象徴的な変化は、欧米日資本主義の相対的な後退と、それに比べての新興国資本主義の発展である。一言でいえば、米国の後退、中国の台頭である。

 もちろん、経済的な大変化は、経済にとどまらず、政治・軍事・文化あらゆる面での大変化、構造転換をもたらすであろうし、すでにもたらしつつある。米国の力の後退は、現代世界の大きな政治的軍事的な変化として次々と現れてくるであろう。この先、少なくとも2008年恐慌からはじまった今循環において、世界資本主義の発展は、この傾向・方向・内容となるであろう。

 世界GDP(国内総生産)に占める各国の割合(内閣府発表)
      2009年   2030年 
 米国: 24.9% → 17.0%
 中国: 8.3% → 23.9%
 日本: 8.8% →  5.8%

 2)ケインズ政策が効かない

 今次恐慌は、米国からはじまった金融恐慌が、瞬時に世界金融恐慌となり、さらに世界的な過剰生産恐慌へとすすんだ。そして回復せぬまま各国の財政危機、欧州のソブリンリスクとしてその舞台を移したかの様相を呈してきた。
 今次恐慌の特徴的な姿は、その落ち込みの大きさであり、世界的なグローバルな広がりであり、世界同時性であり、かつ瞬時に全世界をとらえた点にある。

 先進資本主義諸国は、2008年恐慌以来、信用不安が広がり金融恐慌となった。そのあと、景気の大幅な落ち込み・停滞に苦しみ、資本主義的過剰生産恐慌に陥った。「恐慌を克服した、市場経済・資本主義は永続的に繁栄する」という言説を唱えた人たちは、恐慌を前に沈黙している。
 もちろん時代は違うけれども、材料も違うけれども、起きたのは一般的な典型的な資本主義的恐慌であった。マルクスの描き出す恐慌が、そのまま甦った感がある。

 各国政府は、2008年恐慌後、ケインズ的政策をいっせいに採った。そのひとつは、財政散布策。公共支出によって当面の消費を維持しようとした。いまひとつは、低金利、金融緩和、公的資金での金融機関の救済、市場への資金注入など。これら政策によって、景気刺戟、投資の拡大を狙っている。

 しかし、これらケインズ政策は欧米日においてまったく共通して、景気回復をもたらさなかった。先進資本主義市場での投資拡大はすすんでいないし、インフレ基調となることもなかった。それどころか資金はあり余ってジャブジャブ状態なのに、デフレ基調がすすみ、景気回復を見込むことができていない。大量の財政政策、公的資金を注入したのに、ケインズ政策は狙った効果を発揮することができない

 3)デフレとは何か?

 現在、「デフレ」状態に陥っているその意味は、単純に言って、資本主義的過剰生産恐慌の状態にあることに他ならない。
 「デフレがいけないと認識すべきだ」とか、「インフレへ誘導する政策を採るべきだ」などと「対策案」を主張したり、騒ぎ立てたりする者があるが、「デフレの認識」そのものを間違えている。資本主義の矛盾の表現であると認識しなければならない。
 あるいは、「デフレから抜け出ることが重要だ、必要だ!」と述べて人為的にすぐにでも対策可能であるかのような主張、あるいはそのような政策や対策が資本主義の変革なしに可能であるかのような主張は、同様に間違っている。

 資本主義的過剰生産恐慌、信用恐慌の状態からどのようにして抜け出すかというふうに問題を立てなければならない。したがって、現代資本主義の恐慌の原因は何か?ということになる。そのうえで資本主義変革のプランこそが要求されている。

 4)「流動性のワナ」と「クルーグマンの想定外」

 現在の事態は、ポール・クルーグマン教授(2008年ノーベル経済学賞)が指摘する「流動性のワナ」に陥った状態であろう。「流動性のワナ」とは、金融を緩和し流動性を増大しても、すなわちケインズ政策を採用し一次的な消費は拡大してもその次の投資につながらず、景気が一向に回復しない、その一方で財政赤字は積み上がるという、1990年代以降の日本経済の行き詰まりを描写した言葉である。

 しかし皮肉なことにその描写は、ケインズ政策がさっぱり効果を発揮しない米・欧州資本主義の陥った「現在の危機」そのものを、リアルに表現している。クルーグマンもここまで予想していなかった。「クルーグマンの想定外」である。

 支配階級の経済学者・クルーグマンは、「流動性のワナ」と呼んだとしても、それは描写だけであって、決して原因と対策を述べているわけではない、すなわち金融のグローバル化を、根本から批判しているわけではない。新自由主義のデタラメ経済学者と同様、危機を前にして無用なことに、変わりない。

5)どうして円高になったのか?

 2008年恐慌の時、日本資本主義は欧米ほど不良債権を持っていなかったので、金融資本の「傷み」は欧米ほど大きくはなかった。恐慌後の世界的な金融不安、信用不安のなかで、各国資本は「円」に逃避した。円高になったのはその理由からである。現時点でもその事情はほとんど変わらない。
 日本の金融資本は不良債権を持っていないけれども、それはバブル経済崩壊以降の不良債権処理をやっと終えたばかりで、前循環において世界的な投資をしていなかったその結果である。バブル以降の「低滞の時代」を強いられた日本経済の、いわば「けがの功名」である。

 ただ、そればかりでなく、「損の付け替え」をすでに終えており、すでに膨大な財政赤字が積み上がっている。バブル崩壊という恐慌の後で、長年にわたって日本政府が公共投資、財政散布策を実施し、日本資本に利益を保証したその結果、膨大な国債、財政赤字を日本政府が抱えるに至っているのである。そのような点では日本資本主義は欧米の先を進んでいるし、欧米資本主義の先行きを示唆している。

 6)危機は財政危機となって現れた

 財政散布策は、恐慌で傷んだ民間企業の損失を国家が引き受け国家財政に置き換えた。何か解決をしたわけではなく、当然のこと各国の財政危機を激化させただけであった。「損」の付替えである。

 米国も日本も欧州も財政危機に陥っている。特に、ギリシャ・アイルランド・ポルトガルなどでは財政危機が先鋭化し、国債が暴落する局面にまですすんだ。
 これら諸国政府は、IMFなどによって強制的に財政再建・緊縮財政を強いられ、その結果国民に犠牲が転化されている。他方で国際的な投機資金は、国債の暴落さえ利益を上げる機会ととらえ動いた。人為的に暴落局面をつくり、空売りして儲けて逃げる対応を示した。仮に失敗してもCDSによって損をしないのである。
 投資における危険を回避を回避するための手段であるCDSが、反対物に転化し危機の爆発力を高めたのである。何という皮肉だろうか。「合成の誤謬」などと名前をつけることはできるのだが、クルーグマンと同じように「流動性のワナ」と名前をつけることはできるのだが、資本主義はこの矛盾を解決できない。

 緊縮財政にすれば景気は後退する。各国政府は、「景気を後退させないで緊縮財政を!」という「矛盾した舵取」を強いられている。いずれにせよ妙案はない。現代資本主義は容易に解決できない事態に追い込まれている。

 国際金融資本は、各国政府の政策、支配の枠、思惑を超えてうごめいている。

 今次恐慌は、米国からはじまった金融恐慌が、瞬時に世界金融恐慌となり、さらに世界的な過剰生産恐慌へとすすんだ。そして回復せぬまま各国の財政危機、欧州のソブリンリスクとしてその舞台を移したかの様相を呈してきた。

 しかしあくまで「舞台」の移動であって、その背後にいてこの事態を規定しているプレイヤーは、瞬時にして世界を移動するグローバル化した金融資本であることは、誰の目にも明らかである。グローバル化した金融資本は、貪欲に利益を求めて、徘徊しているかのようである。恐慌はその後ろを追って、爆発する対象を求め徘徊している。

 7)グローバル化した金融資本の運動こそ、今次恐慌を引き起こした 

 2008年恐慌を準備したものは、前循環における金融資本による巨大な資本蓄積であった。2000年代の前循環において、特に金融資本を中心とする世界資本主義は、不均衡を拡大して発展を遂げた。米国は財政赤字・貿易赤字を拡大しながら、日本・産油国・中国の貿易黒字を、米国の金融市場への投資として吸収し、世界へ再投資する関係を通じて、発展した。円キャリートレードなど世界中から膨大な投機資金が米国に集まり、新興国、発展途上国、旧社会主義国を資本主義世界市場に引っ張り込み、世界市場を拡大してきた。

 範囲の拡大ばかりではなくその深度において、欧米市場では、「異様な深化」をみせ、金融市場は拡大した。住宅価格の高騰を利用し、サブプライムムローンなどを通じ借金をしてまで住宅を購入させ、この証券を化し世界金融市場に放り込み、世界中の金融機関に売りつけて、さらに高騰させたのである。
 
 さらには、M&Aを繰り返し、世界中の投資機会に参入し、あらゆる機会から儲けを汲みつくしてきた。金融市場はその範囲において、その深度において、急拡大したわけである。投機資金が価値増殖を求め瞬時に世界を駆け回り、実際に莫大な資本を蓄積してきた。

 この金融資本蓄積の一方的な極大化が、先進資本主義国だけでなく、資本主義世界市場に引っ張り込んだ新興国、発展途上国、旧社会主義国などの勤労人民の最終需要、消費との乖離を拡大させ、2008年恐慌を準備した。2008恐慌はその関係の破綻、爆発である。

 さてこのような蓄積システムは、2008恐慌を経て変わったか?
 まったく変わっていない。  プレイヤーの顔ぶれは一部変わったが、その運動、ビヘイビアは変わっていない。
 それどころか、同じ枠組みに、過剰資本はますます投入され、行き場を失っている。それなのにさらに過剰資本が投入されつつある。

 経常黒字国が米国債などを購入しファイナンスする関係は、恐慌後も特に変わっていない。それどころか日本だけでなく中国など新興国、産油国、東南アジア諸国などの顔ぶれを巻き込み加えて、より大規模に加速度的に拡大している。変わったのは、その規模と速度であろう。さらに大規模にさらに早く瞬時に移動する。

 2008恐慌以来、先進資本主義諸国は低金利政策を採り、景気刺戟を意図したが、一向に成果は上がらない。いくら金利を下げてもこれを借りて生産を再開しようという資本がいない。

 例えば、日本市場の例について言えば、勤労者は収入が低下しているので自動車を買えない、そのため自動車市場は急速に縮小している。売れる見込みがないから、自動車資本は国内に投資はしない。投機資金は行き場を失っている。なかには日産のようにタイで生産し輸入する。そうすると日本国内では雇用もさらに増えず、勤労者層の収入も増えない。デフレとなる。結局、スパイラル的に市場は縮小する。そのため、いくら金利を下げても国内で投資は拡大しない。したがって景気も回復しない。

 金利を下げただけでは効果がない。  では、どう対処したか?
 日銀は、一段階深く、金融緩和政策に踏み出した。金利政策だけではすでに効果がないと判断し、日銀が直接、ETFなどの購入を通じた株式市場の下支え策までとるにいたった。2010年11月、米国政府も更なる金融緩和政策を採った。市場に直接資金を注入したのである。

 しかし、これら政策をとったが、先進資本主義国の自国市場が活性化することはやはり簡単ではない。なぜならば、このように金融緩和しても、その資金はいっそう国際的な投機資本に回り、新興国や資源や食糧への投機にまわるからだ。

 どうしてそのように言えるか?
 1990年代以降の、日本政府は同様の施策をとったが、多くの資金は実際には、円キャリートレードで日本市場ではなく米国市場、米国金融資本を通じて世界中の投資へと流れたからである。

 あるいは、2009年、2010年だけを見ても、欧米日資本主義の資金の多くの部分はすでに、新興国や資源や食糧への投機にまわっているからである。
 事実、2011年1月現在、大量の投機資金は一斉に中国・インド・ブラジルなどの新興国に流れ込んでいる。すでにこれら諸国では、インフレ基調になり、不動産価格は上昇し、不安定さをましている。また資源や食糧への投機にまわり、これら市況を暴騰させている。
 これらの動きをみれば、一目瞭然である。

 そればかりでなく、2011年1月現在、中国・インド・ブラジルなどの新興国はインフレ基調となり、一斉に金利を上げ引き締めに入っている。すなわち新しいバブルがすでに準備され、その爆発を怖れなければならなくなっている。
 ケインズのいう金融緩和政策はそもそも、「資本が過剰なところから不足しているところへまわし、不均衡を解消する」ことを意図した。「金融の不均衡」が、恐慌の原因だという診断に基づいている。確かに、当初はその効果もあった。しかし金融がグローバル化し、投機資金が莫大な額に達したため、価値増殖を求めて勝手に運動するようになった。金融のグローバル化によって発展は次の局面に移り、それ自体が金融の不均衡をもたらした。反対物に転化したのである。「資本の不均衡を是正する」のではなく、逆に不均衡を生み出す要因に転化した。

 (その昔、ロシアの経済学者ツガン・バラノフスキー恐慌の原因として「産業不均衡論」を述べた。当人にとっては不幸なことに、あるいはわれわれにとっては幸福なことに、ツガンはマルクスの同時代人であった。マルクスによって「産業不均衡論」は見事に批判されている(「剰余価値学説史」)。「金融の不均衡」を恐慌の原因と診断する言説は、ツガンの説によく似ているだろう。)

 景気拡大を期待し、米国市場や日本市場に投資されるのではなく、より利潤率の高い新興国市場に投資されている。また資源・食料商品市場へ投機され、資源・食料品価格は急上昇している。したがって、このような金融政策は、狙った成果を挙げることなく、逆に世界経済の不均衡をいっそう拡大することになった。

 金融資本の拡大・加速度的な運動それ自体が、世界資本主義の金融を一層不安定にしている。各国の金融政策、財政政策、景気刺激策、それらを無効にしている。

 各国政府は、経済危機を「制御」できるわけではない。そもそもでかくなった投機資金、金融資本グローバル化が、「制御」をほとんど困難にしている。
 であるにもかかわらず現代資本主義は、もはや投機資本を膨張させることでしか資本蓄積を進められないところにまで来ている。

 8)恐慌は資本をブラッシュアップする、労働者に犠牲を強いる

 マルクスの言うとおり、恐慌を経て資本主義は自動崩壊することはない恐慌は革命の母だが、革命なしに自動崩壊することはない。
 恐慌は資本をブラッシュアップする。コストを減らし、労働者を解雇し、低賃金労働者に置き換え、生産性を向上させ、恐慌下で形成された低価格でも利益を上げられるように、「損益分岐点」を下げて、利益を上げよう懸命になる。すなわち恐慌下で、資本は自己を変革する。できない資本は没落し交代する。

 不良債権を抱えた金融資本や住宅関係資本を除いて、2011年初現在、すでに米国でも、日本でも、欧州でも、大企業は収益を回復し、大きな利益を上げつつあり、そのことで株価も回復しつつある。

 しかし、その一方で、労働市場の回復は大幅に遅れ、失業率は高いままである。そのことは家計支出の大きな障害となり、最終消費が拡大する上での障害になっている。「資本の経営努力」によって、正社員は契約社員・派遣社員に置き換えられ、勤労者層は全体として、収入を減じられている。
 それに加えて、財政危機は、この先長い年月にわたって、教育・福祉の削減・切り捨て、勤労者への増税、消費税の増税などを準備する。
 
 世界経済を牽引したアメリカ社会が、借金をして消費を拡大する時代は去ってしまった。確かな資産の裏づけのある者にしか消費はできなくなった。次の経済循環においては、アメリカの勤労者は、貯蓄に励み、家計と政府の財政赤字解消をまず実行しなければならなくない状態に置かれた。そのことは、アメリカ経済の回復過程は、小さな緩やかなものにしかなりえないことを意味する。最終的に景気を規定する最終消費の点で、はっきりした限界を抱えている。

 日本でも、実態は同様であるだけでなく、ある意味より深刻である。失業と派遣労働などの不安定雇用は増大している。正社員といえども長時間労働、サービス残業、過労死を強いられている。派遣労働者など年収200万円以下の労働者が2000万人を超えた。年収200万円以下なら、実際に結婚もできなければ、子どもを育てることもできない。老後の保障とて確保できない。年金を支払えない世代が急増している。国民健康保険にさえ加入していない人も急増している。
 資本の利益のために、労働力の正常な再生産さえ破壊してしまっているのであり、そのことは確実に近い将来の社会全体の崩壊をもたらすことは誰の目にも明らかである。
 しかし、誰の目にも明らかであるにもかかわらず、資本は利益のために、価値増殖のために、社会全体の崩壊へと競って進む。自らすすんで止まることがない。その欲求もない、意思もない、したがって解決する力もない。

 他方、中国やインド、ブラジルなどの新興国においても経済は好調なのにも関わらず、失業率は高いままである。投機資金は利益を求めて世界中を回っているのであり、したがって生産性向上を要求し、労働者の切捨て、契約社員・派遣社員への置き換えを要求する。
 ではあるものの、巨大な投資が集中しており、蓄積も大きい。中間層が増え、消費も拡大している。今循環における数少ない期待されている回復の「エンジン」であるのは間違いない。
 
 TPPや自由貿易協定は、当面の市場を拡大する。景気は回復する方向へ作用するだろう。しかしそのことは国境を開いて大多数の勤労者の貧困化を拡大することでもあり、将来のより大きな不均衡を招来する、すなわち次の恐慌を準備する。

 近い将来のより大きな不均衡、すなわち恐慌を準備することを通じて、恐慌から回復する。資本主義諸国、または各国政府がどんな景気回復策をとるとしても、それ以外の方途を採ることはない。
 グローバル化した金融資本の更なる蓄積と貧困化する多数の勤労者の増大、しかも世界的な増大、この矛盾こそが、次の恐慌の根本的な原因となるであろう

 9)グローバル化した金融資本を縛れ!

 グローバル化した金融資本の蓄積運動を縛り、止める以外に、状況を変えることはできない

 金融資産から税金を取る仕組みや高額所得者への所得税増額が必要である。
 教育・福祉予算を確保させていくこと、生活保護だけでなく、セイフティネットのための予算を確保させていくことが何よりも必要である。 
 さらには、金融取引そのものに税を課すことは是非とも必要である。トービン税であるが、しかし、これは誰がどのようにどうやって実行するのか、現実的な力にまでなっていない。いまだモラルキャンペーンのレベルである。

 生活破壊に抗い、反恐慌策を要求し実行していく人々の新しいつながりが必要である。
 反恐慌政策を実行させなければ、未来社会は想像を絶する荒廃したものにならざるを得ない。資本主義社会は、発生当初の資本主義がそうであったような、野蛮で略奪的な姿に、確実に変わっていくしかないだろう。
 そのような意味で私たちは時代の転換点にたっている。 (文責:小林 治郎吉)


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