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アキノ新大統領によってフィリピンは変わるか? [フィリピンの政治経済状況]

アキノ新大統領によってフィリピンは変わるか?

1)フィリピンにアキノ新大統領
 5月10日のフィリピン大統領選では、「清廉さ」をアピールしたアキノ氏が幅広い層の支持を獲得、40%以上の得票率で圧勝した。アキノ氏にとって幸運だったのは、大統領選が始まろうとする昨年8月、母親が死去し注目を集め、大統領候補になる絶好の宣伝機会を得たことだろう。
 投票日近くなって優勢が伝えられ、地滑り的な勝利を収めたようだ。終盤には勝ち馬に乗ろうとする経済界や、約100万人の有権者を持つ有力キリスト教団体などもアキノ氏支持に回った。就任式は6月30日。任期は6年。

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  <アキノ新大統領 Asahi com.から>

 アキノ新大統領は「まずは汚職と不正利得に向き合う」と強調し、一貫して訴えてきた腐敗撲滅を最優先に取り組むことを改めて約束した。アロヨ政権の汚職疑惑追及を公約に掲げており、疑惑調査委員会の設置計画を表明した。選挙戦の演説でアキノ氏は「汚職がなくなれば貧困もなくなる」と、政府内にはびこる不正の一掃とともに貧困問題の解決を約束した。

2)ひたすら、イメージ選挙 
 今回の選挙でも変革は、争点とならなかった。
 母親のシンボルカラーだった黄色で、「汚職反対、貧困をなくそう」というイメージを大量に流した。もっとも、この点では、ほかの候補者たち、エストラ―ダ候補もビラール候補も何ら変わりはなかった。細かく比較すれば「清廉」なイメージのアキノ候補が、「一番まし」なのかもしれない。
 実際のところ、どの候補も汚職をどのようになくしていくのか、腐敗撲滅、貧困や教育問題、経済回復などを約束したが、どうやって実現するか何のプランも持ち合わせていないところをみると、比較しようがないというのが実情だろうか。
 イメージだけをふりまき、人々はイメージに振り回された選挙であった。形骸化した選挙、手続きだけの選挙の行きついた一つの姿かもしれない。

3)アキノの語るように「汚職がなくなれば、貧困もなくなる」か? 
 アキノ新大統領は選挙キャンペーン中に「汚職がなくなれば、貧困もなくなる」と語った。
 これは果たして本当だろうか?
 「汚職」はどうして発生するのか?どうすればなくなるのか?
 フィリピンでは、「汚職」は有力な「ビジネス」であり、現存のフィリピン支配層、フィリピン資本家の間に長年にわたって定着している。フィリピンサイドのみならず外資、外国政府も恩恵を受けている事実を忘れてはならない。きわめて構造的である。
 「汚職・腐敗」にもいろいろあって、最も大きいのは、外国資本と一緒になった資源開発、通信事業、環境ビジネスなどのジョイントビジネスであろう。このビジネスに加わるには、国家権力を握っていなければならない。フィリピン資本家が外資に対抗できる「力」は、許認可権、税金など国家権力から由来するからだ
 国家予算は、全国民から収奪した税金であり、これを手にする権利は政権を奪取することである。選挙のたびに政治的殺人が多発するのは、この利害をめぐってである。それ以外にも大小様々な汚職、腐敗がはびこっている。

 だから、「汚職をなくす」ためには、国家予算にぶら下がっている既存のフィリピン支配層そのものを放逐しなければならず、これと結びついた外資、外国政府との関係もいったん断ち切り、関係を再編しなければならない。現存の国家機構を粉砕し、まったく別の汚職を無くすための国家機構に置き換えなければ、実行はほとんど不可能である。しかし軍や警察も国家予算にぶら下がり権益を受けている現存国家機構のひとつである。これら現存の社会関係を破壊したり一掃することは、アキノ新大統領には到底できない。アキノ家自身が所有する大農園ルイシタ・アシェンダの土地でさえ小作人に分け与えてはこなかったし、アキノ家と直接に近いコファンコ財閥の追放などできないからである。

 「汚職追放」のイメージを流すだけで、なくしていく方策を一切語らないアキノの選挙戦が、「偽りのイメージ選挙」であることを証明している。こういうイメージだけの汚職追放は、決して目新しくはなく、これまでの選挙で何回も行われた。今回もその繰り返しである。

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  <アキノ新大統領 Asahi com.から>

4)フィリピンの民主主義は遅れた段階にあるのか? 
 イメージ選挙、有名人の人気投票のような選挙では何も変わりはしない。まったくその通りであろう。
 では、「フィリピンの現状は参加民主主義ではなく、ポピュリズムや衆愚政治(デマゴーク)に陥っているとも解釈できてしまうような段階」であるのだろうか?
 フィリピンの現状は、「民主主義がいまだ定着していない」、「欧米型民主主義にはまだ至っていない遅れた段階」にあるのだろうか?

 むしろそうではなくて、昨年11月のミンダナオ大量虐殺事件によって鮮やかに透けて見えたように、ポピュリズムやイメージ選挙、「政治的殺害」がはびこる人権無視のフィリピン社会は、決して「前近代的な」「遅れている社会」であるからではない。先進国による開発を現地で実行する現代的な支配システムの末端として機能しており、日々、再生産されていると見るべきであろう。「古いもの」、「前近代」ではなく、逆に「最も新しい」、「新自由主義の生み出す新しいシステム」であって、この「新しい現状」にどのように対抗していくべきかと問題は立てられなければならないのだろう。

 別の言い方をすれば、フィリピンの民主主義(=イメージ選挙、買収選挙)は、一握りの少数者による多数のフィリピン国民に対する支配の道具に変質させられている。したがって、フィリピン社会に必要なのは「人々のための民主主義」を取り戻すことである。「人々のための民主主義」とは、多数者による少数者の支配を意味する。少数者による腐敗・汚職をさせない、実力で押さえつける民主主義を取り戻すこと、これこそフィリピン社会に必要なことであろう。

 多数のフィリピン国民の利益のために、その利益と相反して汚職・腐敗を行う少数の買弁的なフィリピン支配層をどれだけ押さえつけられるかにかかっている。汚職だけではない。貧困問題の解決、人権擁護など多くの問題の解決もまたしかりである。
 アキノ新大統領が「汚職をなくし、貧困をなくす」か、を見極める「基準」は、この一点にある。

5)運動は新しくはじまる!
 アキノ大統領は言葉だけにしても、汚職の根絶、貧困の解決、人権擁護を約束した。この「公約」を守れ!と要求していくなかで、アキノの示した公約が嘘っぱちであることを証明していくことが、フィリピンの民主主義をより人々の側に取り戻していく過程であり、その運動でありこれからはじまるであろう。私たちも民主主義を取り戻していく人々やその運動とともにありたいと願っている。(5月13日記、文責:小林治郎吉)

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