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ヴェルコール 『海の沈黙』を観る [映画・演劇の感想]

ヴェルコール 『海の沈黙』を観る
神田岩波ホール、2010年3月10日


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1)フランス国民に、レジスタンス精神を注ぎ込んだ
 小説『海の沈黙』は、1941年10月に書かれている。ナチス・ドイツによる占領がはじまったばかりの時期。当時フランスは、ドイツの電撃戦(1940年5月10日~6月25日まで)によって一方的な敗北をこうむり、フランス政府は降伏し、ドイツによる占領がはじまった。茫然自失の状況に追い込まれていた多くのフランス人は、どのように占領下を生きるのか、どのような抵抗が可能なのか、手探りの不安な状態に置かれたであろう。

 そんな時に、この小説は現れた。作者がだれかもわからない。フランス人であることに間違いはない。
 注目されたのは、占領下にもかかわらず不服従の態度を貫き、占領者であるドイツ軍人に対峙しているその姿である。当時のフランス人の多くは、主人公「私」と姪の確固たる不服従の態度に、自信を取り戻し、「そうだ、このようであらねばならぬ」と思いを重ねたのであろう。

 『海の沈黙・星への歩み』(岩波文庫)の解説で加藤周一が書いている。この作品の「特徴は、…直接に体験的であることと、体験が単に個人的なものではなく、国民的なものであるということだ。」

 まったくその通りだ。「私」のとった態度に、フランス国民が一つになって共感を重ねた。わずか一ヶ月半の戦闘での降伏、敗戦・占領という事態に、われを見失い自信を打ち砕かれ、どのように対処していいか混乱していたフランス人全体に、すなわちフランス国民に、小説は「レジスタンス」の精神を注ぎ込んだ。これが小説の果たした実際的「効用」である。たぶん、体験した人にしかなかなかわからないのかもしれない。

 小説が描き出しているのは、反戦ではない、レジスタンスである。レジスタンス精神は、占領・支配への憤激、反抗である。何よりも自分たちの日常生活を破壊されたことへの怒りである。ただし、レジスタンスを組織的に実行するには、強い精神と組織が必要になることをも暗示する。小説の描かれた段階1941年10月段階では、まだ行く末はみえていない。

2)小説の描写

 小説の特徴的な点は、断片的な描写を重ね、その断片を通じ不服従の心理描写を重ねていくスタイルをとっていること。作者ヴェルコールが書いた初めての小説だそうで、確かに描写や展開にぎこちないと感じるところもあるものの、「私」と姪の精神の闘いが鮮やかに表現されている。作者は「体験」を、断片的固定的な描写を重ねて表現しており、構成はきわめて単純だ。

 画家であった作者は、この小説を書かずにはおれなかった。彼の占領下での生活とそこでとった態度を描いたが、彼の体験はフランス人全体に共通しており、不服従の心理描写は、フランス人にレジスタンス精神を叩き込んだ。ドイツ軍に対するレジスタンスの精神をうちたて、占領下の生活を立て直し、それぞれができること実行しなければならないと、文字通り「無言」で訴えていた。静かで熱いその心情は、誰にも共通した「国民的なもの」であった。そして彼のレジスタンス精神はフランス国民に確実に伝わった。

 主人公「私」も姪も、不服従の態度で接する。ドイツ人将校ヴェルナーの会話にも応じない。頑固なまでの不服従、これこそ小説が広く支持された第一の理由である。

 それから、善意の持ち主・音楽家でフランス文化に尊敬の念をもつドイツ人将校ヴェルナーは、不服従の態度をもって臨む「私」と姪に親しげに話しかけ、ドイツとフランスの「結婚」を語る。しかし彼の「理屈」は、善意といえども「占領者の理想」にほかならず、同意は屈服を意味する。
 沈黙の抵抗によって作者は、占領下においても被占領者フランス国民が、精神的に優位に立ちうることを示そうとした。この点に広く支持された第二の理由がある。

 みずからの尊厳をどこにどのように取り戻すべきか、迷っていた当時のフランス国民に、その姿を指し示した。小説の持つ何の装飾もしていないこの「むきだしの真実」が、当時のフランス人をひきつけたし、そして現代のわれわれをもひきつける。

 小説は、ドイツ人将校ヴェルナーと彼の描く「理想」が方便であって破綻してしまうことを描く。ただ、ヴェルナーの自己破綻として設定されている。
 彼の語る理想は、「ドイツによるフランス占領は、ドイツ人とフランス人が仲良くなるチャンス」というもの。幻想に囚われているのは、この小説の場合ドイツ人将校なのではあるが、実際にはフランス人の間にもひろがっていただろう。「利益」は人を誘導したことだろう。ドイツ人とうまくやっていくことで自身の利益を求める者は存在しただろう。ヴィシー政府であり、一部のフランス人である。多くのフランス国民にとっては、傀儡ヴィシー政府からもこの幻想をふりまかれたのであり、まずは対決しなければならなかった「論理」であったろう。

 ところが、この論理は小説のなかでは自己破綻してしまうと設定されている。細かいことを言えば、自己破綻は何によってもたらされたのか?ということ。崩壊させたのは、ドイツ軍による占領の現実であり、それを肯定する同僚ドイツ人将校によって、である。必ずしも不服従を貫くフランス人によってではない。
 最後に、「私」も姪も、破滅したドイツ人将校に少し同情していることだ。この道理はわからないわけではない。
 これらの点は、少し気にかかる。
 
 やはり、これらのことは小説の書かれた1941年10月という時期に関係しているのであろう、歴史的に評価しなければならないということだろう、と思う。そのようにみなければならないのだろうと思う。

3)映画の描写
 映画の良さは、小説のよさに多く依存している。登場するのは主に3名、その会話の場面が映画の大半を占める。その断片的描写だけでもって、レジスタンス精神を描き出している。

 映画と小説の違いは、映画がつくられたのが1947年であって、戦後であるということだ。わずか8年後だけれど、様変わりした状況下である。フランス国民はドイツ・ファシズムの敗北を目の前で見た。連合軍の勝利でもあったが、フランス国民は反ナチスのレジスタンスは、あるいはドゴールの自由フランスは、解放の闘いの一翼を担った。フランス人は、ふたたび自信と誇りをとりもどした。不安から解き放たれた、そんな「位置」から映画はつくられている。小説の持つ不安、緊張感とは少し異なるように感じるところ、何かしらの「違和感」のようなものもあるような気がした。占領下フランス人の囚われた不安と緊張感が少ししかとらえていないように見えるのは、気のせいだろうか。しかし、本当のところよくわからない。

 また、映画は小説を尊重している。映画の構成と描写は小説に忠実に従っている。小説の描写を映像でなぞっている。脚本は小説そのままにつくられていると言っていいほどだ。問題は、小説を忠実になぞることにあるのではなく、小説の神髄、すなわち当時の困惑するフランス人にレジスタンス精神を注入した意義をよくとらえ表現しているか、であろうと思う。この点にも若干の疑問はある。

 というような小さな疑問はあったとしても、当時のフランス人をとらえた不服従、レジスタンス精神の姿を鮮明に描き出しているところに映画のよさはある。
 「私」も姪も、ただ黙っているだけ。沈黙が不服従をそのまま表現している。ドイツ人将校ヴェルナーが話しかけると、編み物の手を早める姪の心の揺れも、不服従の心の生きた動きをそのまま表現している。
 小説も映画も直接描いていないが、不服従の背後にはレジスタンス精神とレジスタンス運動が広がっていることを暗示している。
 特に映画がよく表現しているのは、「私」の視線、眼の光である。ヴェルナーの話しかける言葉に反論しない。しかし彼の眼は、同意していないことを明確に表現している。それだけではない、人間としての尊厳をも表現している。

 沈黙を貫く「私」の視線、眼の光は確かに見たことがある。イスラエル軍に対峙する占領下のパレスチナ人の眼の光りだ、米軍支配下で暮らすイラク人やアフガニスタン人、沈黙しているが、決して服従していない人のそれと同じだ、というようなことも考える。

追記 2010年8月26日

 忘れないうちに、気になった点を書きのこしておきたい。
 小説と映画には「違い」がいくつかあった。そのうち、下記に気になった二つのシーンを記しておく。
 一回観たばかりなので、二つ以外他にも「違い」はいくつかあるだろう。
 もちろん、映画はかならず原作通りでなければならないと主張しているわけではない。

 一つは、映画では、ドイツ人将校ヴェルナーは、占領者たる自身の論理が破綻していく根拠の一つとして、強制収容所におけるユダヤ人虐殺を語っていた。
 しかし、これは歴史的事実に反する。1941年の時点では、「強制収容所におけるユダヤ人虐殺」はドイツ人将校といえども知ることはできなかった。広く知られるのは戦後である。このような安易なところが、映画の緊張感を減じている。

 いま一つは、最後のシーン、ドイツ人将校ヴェルナーが去る時、主人公はヴェルナーに視線を注ぎ続ける。原作では、いつの間にかヴェルナーは去っていなくなったとあった。これは監督の「工夫」なのだろうが、成功しているのかどうか、判断しかねる。(文責:児玉 繁信)
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