SSブログ

メルセデス・ソーサが死んだ [映画・演劇の感想]

メルセデス・ソーサが死んだ

 毎日新聞10月6日朝刊によれば、4日、ブエノスアイレスの病院でメルセデス・ソーサが死んだとありました。七四歳でした。
 
 もうずいぶん前になりますが、一九七七年来日したことがあります。
 長い黒髪に大きな瞳の小柄な人でしたが、声量は大きかったことを覚えています。憤りをぶつけるように激しく荒々しく、時には人々に語りかけるように低くやさしく、説得力と包容力のある歌声でした。表情豊かなその歌声が印象に残っています。

 一九七〇年のチリ・アジェンデ政権が成立していく過程で、音楽を通じて社会変革をめざす「ヌエバカンシオン」(新しい歌運動)が大きな影響力を持つに至り、チリだけではなく南米各国で共鳴するかのように、それぞれの伝統的な民族音楽を研究し尊重し、そのうえで人々の現代の暮らしと感情を率直に歌う新しい歌が生まれてきました。「ヌエバカンシオン」は、人々に自分たちのこと、世の中のことを歌に歌い、そのことであらためて見つめなおし、さらに人々と共有し、関係をつくり、新しい社会をつくりあげていく運動の一翼をにないました。メルセデス・ソーサはそのなかにいました。代表的なひとりでした。
 しかし一九七三年、米国政府・資本の後押しによってピノチェットがアジェンデ政権を倒し、南米各国で軍事独裁政権が成立し、反動化が進みました。ソーサ自身もアルゼンチンの軍事独裁政権によって夫を殺害され、七九年には自身も身柄を拘束され、のちにフランスやスペインに国外亡命を余儀なくされました。ちょうど来日した七五年や七七年のころは、ソーサにとっても、つらい厳しい時期だったと思います。

 そのようななかでも変わることなく、人々のために歌い続けたソーサに、心から敬意を表します。

 晩年のソーサのほほ笑んだ表情を眺めながら、この人の歌を聞くのが好きです。目が細くなり豊かに笑います。原住民の血が現れるのでしょうか。そのようなことにさえも親しみを覚えます。
 ソーサが亡くなってしまっても、彼女の歌がずっと人々のあいだで歌われ続けていくことことを望みます。(文責:吉)
 



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。