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リリー・フランキー「東京タワー」 [読んだ本の感想]

リリー・フランキー「東京タワー

0)はじめに
 本も売れ、TVドラマも放映されている。世間の流行に後れてはいかんと思い、リリー・フランキーの『東京タワー』を読んでみた。最近TVでよく見かける下膨れの顔のリリー・フランキー。

1)リリーの才能のタイプ
 予想を裏切り、なかなか楽しく読んだ。読みやすい文章だ。そしてこれはいわゆる私小説であろう。小さい頃の思い出からこの小説は始まる。自身の体験したであろうエピソードの描写が魅力的だし、巧みだ。
 しかし、各章の始めに二ページほどをとって、抽象的な教訓を導き出したり、わざとあいまいに、ある場合は「象徴主義的」に書いている文章がくっつけられている。少し気取って、あるいは「文学ふうに」書こうとしていて、作意が前にできて、途端につまらなくなる。というより、この作家の表現力の欠如を暴露してしまう。これなどはまったく余計なことだ。この二ページは、各章に規則的に並べられているから、作者は意図してやっているのだろう。作者は何かひどい考え違いをしている。

 この「考え違い」と魅力ある本文を対比してみると、次のようなことが言える。作者は、フィクションを書けないタイプの作家であろうと思う。物語を自身で作ることが、よりできないタイプであろう。自身のこと、経験したことは生き生きと描写できるが、体験していないことを描こうとすると途端におもしろくなくなるタイプの才能。もっとも決して非難しているのではないし、非難されるべき特徴でもない。作家には二種類ある。モデルがいなければ書けない作家とモデルがいなくても書ける作家である。

 この作者は自分にあったこと、考えたことを、つとめてそのまま書こうとこころがけている時、おもしろさを発揮する。

2)「東京タワー」は二つに分裂している
 子供の頃の風景として書き始められ、後は母親の看病記録に変わってしまった。「東京タワー」は作品の前後で分裂している。前半の調子でどうして押しきらなかったのか、押しきればよかったのに、作品として分裂や破綻を避けられたであろうと思う。テーマも文章の調子も分裂してしまっている。作者は、途中から自身が何を書いているのか、わからなくなったではないか。

 初めのうちは、かつて暮した周りの人々、筑豊や小倉、別府の人々との関係に愛着を持つ主人公の心情がつづられている。その愛着の内容に魅力がある。人々の関係の再現に魅力がある。
 ところがオカンが病気になってからは、文体、文章までも変わってしまう。対象はオカン一人になってしまい、テーマがいつの間にか変質している。「オカンとの日々」は作者にとって大切なのだという思いから、対象が時代と人間関係を超えた「オカンひとり」になった。時間の流れが一挙にゆっくりとなり、日々起きる出来事をもらさず書き記すことが目的であるかのように叙述が変わってしまった。それまでの何か乾いたところのある、ある種のユーモアのある文章なのだが、その調子が消え失せてしまい、文章のリズムと面白みも失われた。
 「自身の思い」と「描写」とが折り合いをつけることができずに、「思い」のほうが大きくなって、すべてを占領してしまい、作品のテーマと性質まで変えてしまっている。残念だと思う。こういうところはまずいところだし、完成度が低いところでもある。

3)この小説はなにを言っているか
 母子家庭のみじめさを感じさせないように、一所懸命大切に庇護してくれるオカン、食事と衣服は、自分のものは節約しても無理して買ってくれる。自転車も買ってくれた、別府の高校へ行きたいと言った時も、ムサビ(武蔵野美術大学)へ行きたいと言った時も、無理して行かせてくれた。ムサビはオカンの財産をはたいてしまうことになった。オカンの優しさを感じていたものの、ただオカンに庇護されるだけの子供であり、学生であり、そのまま大人であった。そこから抜け出ることが大人になりかけた頃の目標だった。
 今振り返って、それにあらためて気づき、オカンとの関係を大切に思うのだ。
 どうして大切に思うのだろうか。作者はすでに庇護される必要はなくなったし、作者の現在には、オカンのような一所懸命大切に庇護してくれる人間関係は存在していないからだ。ここが肝心のところだ。ある意味、現代日本社会に対するリリーの静かな批判なのだ。

筑豊と東京の対比
 それから筑豊の田舎と東京を対比している。「貧乏だったが豊かだった」という。東京は豊かだけれど汚れているという。本当にそうであるかは別にして、筑豊の田舎がひとつの幻想として、美しく、子供時代が輝いていたように思えるのだ。「この町は豊かな町ではなかったけれど、ケチ臭い人のいない町だった。」

小倉の街の描写
 小倉のばあちゃんちで夏休みを過ごす。空に突き刺さる煙突。新幹線の停まる大きな駅。ジェットコースターのある遊園地。立ち並ぶデパート。ネオンの眩しい歓楽街。すし詰めの路面電車。………昼過ぎにはばあちゃんが市場に買い物に行くのについて行く。………揚げ物屋で鶉の玉子の串揚げや肉屋のソーセージを買ってもらって食べるのが楽しみだった。………
 ばあちゃんは五十円くれることが多かったので、小倉の駄菓子屋はかなりお坊ちゃまな買い物ができる。
 ベビーコーラに串刺しのカステラ。グッピーラムネにチロルチョコ。ゴム人形に指でネバネバやると煙の出る魔法の薬。………クジ屋のババア。「当たり」や「一等」が入っていない。………そんなイカサマはババアの駄菓子屋に限らず、たこ焼き屋のたこ焼きにはたこでなく「ちくわのぶつ切り」が入っていたが、もうこの町ではそんなことを指摘する者はいなかった。………

 こういう風景の描写は、何を描いているのか?この風景を大切に思っている作者の心情がよく読みとれる。安物の駄菓子屋の想い出は、「安っぽい」ことに作者の非難は向いていない。「クジ屋のババア」の狡さに非難は向いていない。それよりも、同じような貧しいなかで日々の暮らしを送った人々であったというふうに描かれている。作者は、そんな人たちとの関係に、愛着と懐かしさを感じている。
 タコ焼きにタコの代わりにちくわが入っていても、この町では誰も非難しない。タコがなけりゃチクワで済ます、誰でもそれぞれ生活の上で実際やってきていることから、それもしようがないと誰も認める。ある種の生活の智恵であるし、こんなことくらい、いくつもいくつも受け入れなければ、生きていけない。子供の頃はいやだったが、そんなことを思い出すと、「貧しくても豊かだった」と、作者は現在から見て、思うのである。
 「貧しくても豊かだった」とはどういう意味か。必ずしも、正しく適切な表現ではない。実際そうであったかどうかは別にして、作者は当時の生活、人間関係のなかに人間的なものを感じ、現在の作者の生活、もしくは現代日本の生活のなかに非人間的なものを見ている。現代日本の人間との対比、そして現代日本の風潮への作者の批判がある。ただその批判は、現実的な基盤を見いだすことはできていない。

ボタ山に自分も埋もれるのではないかという恐怖感
 ボタ山に自分も埋もれるのではないかという恐怖感。確かにその通りだろう。作者の少年は確かに、この田舎には自分の未来はないと思った。
 「下らない差別に、世間の狭い大人たち、毎日毎日二四時間が、ここで費やされていくことに焦りと恐怖を感じていた。イギリスやアメリカの音楽のなかには、こんなチマチマした価値観を否定しているんじゃないか、………」と感じた。
 こういう感情は地方出身者の多くが持つものだろう。
 現在の作者には、すでにこの時の「焦りと恐怖」はない。なぜならば、田舎を抜け出し、幸運なことに東京で生活を確立しているからだ。しかも、オトンのような田舎の人間には理解できない種類の仕事で暮している。
 この作者が、あれほどボタ山に埋もれてしまうのではないかと思った強烈な恐怖感も、今では「懐かしい想い出のひとつ」として振り返ることができる立場にいる。
 そのことであれほど嫌っていた田舎やくすんでみえた友人、大人たちが、すべて美しかったとまではいかないが、「ある愛すべきもの」に転化していることを、作者は発見する。現代の彼が喪失している濃密な人間関係がそこに存在していると思えるからだ。ここにリリーの書きたいことがある。
 もっといえば、現代の作者を取り囲む「希薄な人間関係」に批判的なのだ。しかし、このことには特に触れられていない。  誰もが貧しかったし、洗練されていなかったし、みっともないこともたくさんありまた欠点も持つ人たちだが、率直に自分の愛情を投げつける密度の濃い人間関係は確かに存在したし、愛着を持つと、作者は読者に白状しているのである。そのことは、希薄な人間関係しか形成しえない、あるいは人間関係を物の関係に置き換えてしまう現代日本の社会関係への批判が作者のなかで澎湃として広がっているようであるのだ。ただ、それを回復するにはどうしたらいのか、必ずしも明確ではない。批判はあいまいなまま、宙に浮いている。

 完成度が低いとか、テーマが分裂しているとかは、いずれ修復可能だろう。その上で続けて言えば、リリーの批判や大切に思っていることは、確かに魅力的だし、リリーの観察した描写一つ一つに同意するのだが、しかし描き出しているものは、閉じられた世界のことのようであり、現代とのかかわりが薄くて、現代生活に対する意識的な批判として成立していない。だから何か生命力に乏しいというのが、最終的な不満として残ってしまうのだ。(文責:児玉 繁信)


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たか

おもしろかったよ。確かに最後はオカンばっかりになったりもしたけど、素直に泣けてきたしね。
by たか (2008-02-11 13:33) 

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