海南友子監督の『苦い涙の大地から』 [映画・演劇の感想]
海南友子監督の『苦い涙の大地から』と『マルディエム彼女の人生に起きたこと』と比べて
二、三年前、海南友子監督のインドネシアの元「従軍慰安婦」マルディエムさんを描いたドキュメンタリー映画『マルディエム彼女の人生に起きたこと』(海南友子監督)を観たことがある。元「慰安婦」マルディエムさんは、現在もなお生きていて自身の声で日本政府を告発していた。
マルディエムさんにぴったりくっついてまわり、彼女や他の元「慰安婦」たちの現在の日常生活を、映画は描きだし、マルディエムさんがわれわれと少しもちがわない普通の人であることを教えていた。あれはわれわれの祖母の姿ではないか。それはこの映画はいいところだと思ったのだ。
ただ、マルディエムさんの行動や発言を丁寧に重ね、マルディエムさんをスケッチして見せる手法、すべてをマルディエムの行動や発言による場面で重ねていくスタイル、これが気になった。悪く言えば、監督は常にマルディエムさんの後ろに隠れ、前に出てこようとは決してしない。
こういう手法はなんというのだろうか。実証主義的描写といえばいいだろうか。
監督は「中立」の位置いなければならず、「事実」だけを重ねようとする姿がうかがえる。自身の見解は述べない。自分で禁止しているかのようだ。だから、監督自身が全体を把握し再構成して提示する志向をより少なくしか持たない。
ある種NHKドキュメンタリーの持つ共通する特徴だし、かつ欠陥だ。
この実証主義的描写についてだけいうと、『苦い大地の涙から』ではほとんど解消されている。良い方向に変わっている。
『苦い大地の涙から』は、旧日本軍が遺棄した毒ガスを最近になって掘り出し被害を受けた現代中国の人びとを描く。日本政府の責任を追及し補償を求める被害者の娘の生活と行動を描く。毒ガスはなお現代中国の人びとに被害をもたらしている事実、侵略の歴史と今日発生した被害の責任から逃れようとしている日本政府の姿を描き出す。
過去だけではなく現代の問題としてとらえる監督の考えがあり、その考えに従って映画は構成されているかのように見える。ここにあるのは、映画『マルディエム彼女の人生に起きたこと』の手法からの大きな変化である。この監督が実証主義的描写を完全に脱したかどうかは不明だが、『苦い大地の涙から』は明らかに監督の認識とそれに基づく主張によって再構成され表現されている。監督は被害者やその家族の後ろに決して隠れてはいない。
この変化が確かに認められる。無論それは歓迎すべき変化だ。
わたしは二つの映画の優劣を言っているのではない。それぞれのテーマは異なり、それぞれが、共によい面を持つドキュメンタリーだ。ただ手法の点で、表現スタイルの点でのこの監督が経た変化、進化が見えたとわたしには思えるのだ。それは歓迎すべき変化だ。(文責:児玉繁信)
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