SSブログ

映画「あんにょん・サヨナラ」にもし欠点があるとすれば… [靖国、愛国心、教育、天皇制]

映画「あんにょん・サヨナラ」にもし欠点があるとすれば…

映画「あんにょん・サヨナラ」の欠点とは、決してこの映画を貶めるために言っているのではない。むしろこの映画が炙り出している日本人側の問題として受け取らなければならないことを言いたいのである。

1)映画「あんにょん・サヨナラ」の主張
映画「あんにょん・サヨナラ」の掲げている要求は、勝手に靖国合祀された韓国人兵士遺族からの「合祀取り下げ」である。韓国人兵士は決してすすんで日本軍兵士となったわけではない、当時の社会的状況からほとんど強制されて、心ならずも兵となったのであり、心ならずも日本帝国主義の植民地支配と侵略に荷担させられ、命を落とした。それなのに日本帝国の侵略戦争と植民地支配のために命を奉げたと称えられて靖国に合祀されるのは、遺族として耐えられない、合祀の取下げを要求する、というもの。

映画は、その結論を導きだす過程で、靖国神社が明治以降の日本の戦争を支えた戦争神社であることを暴露し、批判している。また、この批判を行う上での実際的な基盤として日本と韓国の民衆の連帯の具体的な姿を描き出している。これらはこの映画の優れたところではあるが、しかし最終的には韓国人兵士の靖国合祀取り下げが一つの要求として出てきている。

この映画は韓国と日本の合作。映画の結論は、韓国の人々の要求であろうし視点であろう。「韓国人にとっては侵略戦争、植民地支配を支えた靖国神社に合祀されたくはない」という主張に収斂するだろう。そのことはよく分かる。韓国人や韓国人遺族、あるいは朝鮮人や朝鮮人遺族にとっては、当然の要求である。台湾人遺族とて同じような要求をしている。

しかし,日本人のとるべき態度、要求はそれだけでよいのか、と問わなくてはならない。

2)「A級戦犯分祀論」「靖国神社の国営化」論の持つ意味との関連で

いまや、日本政府や自民党が、韓国人・台湾人の靖国合祀を取下げに応じる可能性はあると思う。あるいは現実的に出てきたと思う。2006年6月以降、日本の支配層、政府自民党から、「A級戦犯分祀論」や「靖国神社の宗教法人格廃止と国営化」案が出てきた。日本遺族会会長・古賀誠、自民党政調会長・中川秀直、麻生太郎外相などが発言している。

このことは何を意味するか。「A級戦犯分祀」でアジア諸国からの批判をかわし、かつ靖国の無宗教化・国営化で「憲法の政教分離原則」にも触れないような、新しい靖国を作ろうとしている動きもある。このなかで「韓国人・台湾人の靖国合祀を取下げ」に応じる可能性は、わたしは充分にあると思う。

実際に韓国人・台湾人の靖国合祀を取下げたところで、日本の支配層にとっては何ら失うものはない。過去の侵略を認めるか否かの違いである。そんなことより、むしろこの先の新しい日本の戦争に対応した「国立の追悼施設」、「国営化され、政教分離された靖国社」とするほうが重要だと考えれば、受け入れたところで何の問題もない。

わたしは、映画「あんにょん・サヨナラ」短縮版で元自民党幹事長・野中広務氏が激しく「韓国人・台湾人の靖国合祀を取下げ」を主張するのを見て、野中広務氏の主張と映画の主張が合致することにまず驚いたのだが、よくよく考えて見れば、それは不思議ではない。野中広務氏の政治的見解や立場が決して変わったわけではない、以前からの主張と矛盾しないのだ。

野中広務氏は、様々な問題はあるにしても東京裁判で「A級戦犯」に戦争責任を負ってもらって、それを前提に政治的決着をつけ、サンフランシスコ講和条約を締結し、戦後日本は出発したのであり、そのことをいまさら覆そうとしてははならない主張しているのである。

野中氏の主張は、靖国神社の「A級戦犯合祀」は問題であり、分祀すべきであるという立場であり、「韓国人・台湾人の靖国合祀を取下げ」も受け入れたらいい、そうすれば、韓国や中国、台湾の、他のアジア諸国から批判されることはない、というものなのである。
そのような主張は、小泉首相や安倍官房長官らの考えよりはマシではあるが、対立点が見えにくい非常に「したたかな」主張なのだ。「スマート」で現代的に危険だ。私は少しでも「マシ」なほう選んだらいい、と間単に言えないと思う。

小泉政治を修正しようとする政府自民党の一部が考えている新しい靖国社案では、「韓国人・台湾人の靖国合祀を取下げ」は受け入れられる可能性が充分にある。したがって、この要求だけならば、「21世紀の新しい戦争神社としての靖国社」への道を掃き清める可能性がある。

3)どう対応すべきか?
これに対応するには、われわれ日本人としては、「韓国人・台湾人の靖国合祀を取下げ」要求だけではなく、「21世紀の新しい戦争神社としての靖国社」という新しい危険を指摘し阻止する主張、および視点が併せて必要だ。それは日本人としての責任である。

韓国・朝鮮人遺族の課題ではない。台湾人遺族の課題でもない。日本人が負わなければならない課題だ。

むろん映画「あんにょん・サヨナラ」は、イ・ヒジャさんを支援するためだけの映画ではないし、靖国問題は韓国人遺族の問題だけと決して決めつけて描いているわけではない。

しかし、日本人としてのとるべき態度の点で、不明確なところを持つのは、あえて言えば映画「あんにょん・サヨナラ」の欠点なのである。
そしてそれは、靖国問題をあたかも過去処理の問題とらえ、21世紀の戦争神社としての靖国の危険性へ対峙できていない現時点の日本の民主勢力の側の持つ欠点でもある。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。