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2006年7月18日の公判の様子 [米兵によるレイプ事件、犯罪]

日本から裁判傍聴に参加されたアジア女性センター丹羽さんから、当日の公判の様子のレポートが届きましたので、転載します。
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2006年7月18日の公判の様子

私たちは午後1時から5時近くまで続いた公判の前と後に、KAISAKA(今回の裁判の女性支援組織16団体のひとつ、長橋さんが所属するカサナグの会とは長いお付き合い)のメンバーに、今回の裁判に関する具体的な話を聞きました。主に話してくれたのはバージニア・スアレス・ピンラック(Virginia Suarez-Pinlac)女性弁護士。彼女はLavor Advocates for Wokers’ Services で働いており、今回の裁判の弁護団の一員でもあります。彼女からお聞きした話と、実際に裁判に傍聴に言って理解したこと、感じたことなどをまとめます。
内容に間違いがあればそれは丹羽の理解の問題で、他の方には責任はないことを付け加えます。
7月5日、米大使館への抗議行動

これまで20人(本人ニコルさん、加害者スミスを含む)の証言で明らかになってきた事実関係

二コルさんは家族と、カンテン(街の食堂?)を経営していた。事件がおきたのは2005年11月1日のこと。オロンガポへ休暇で来ていた(91年の基地撤去後、98年に結ばれた比米地位協定による)米海兵隊(沖縄所属)兵士の一人と義姉アナリサ・フランコさんが友人で、彼女たちとともにニコルさんはバー・ネプチューンで時間を過ごした。
スミスが踊ろうと二コルさんを誘い、二人は席を立った。その際、ニコルさんは、スミスが外に連れ出そうとしたので義姉の友人米兵に目で訴え、ダンスのみに応じた。彼が了解の様子を見せたので席を立った。
その後の彼女の姿は、バーのガードマンが見ている。ニコルさんはひどく酔っており、スミスの背におぶさっていて、外に連れ出されていた。彼女が自分で歩ける状態ではないほどだった(つまり何らかの合意を示すことができるような状態ではなかった)とガードマンは証人としての証言でのべている。
別の証人となったガードマンは、はっきりとスミスを指して、彼がニコルさんをバンに乗せたと、実演入りで説明した。スミスは、彼に聞かれて、二コルさんは自分の連れだと言ったとも証言した。
次の証人は、基地労働者の男性。夜11時半ごろ、彼はバンから男性がまるでごみを捨てるかのように女性を扱い、彼女が下ろされ道路に倒れるのをみた。その労働者の男性が彼女を伴って警察へ届け出た。車には6人の男が乗っていたという。スミスはビールを片手に持っていた。
またラジオで翌日スービック基地のレイプ事件を耳にした警備責任者が、何か証拠物件は残っていないかと、周辺を探しにいき、下着と張り付いたコンドームを発見して届け出た。

スミス側は合意を主張。ニコルさんの記憶があいまいで信頼できないと主張している。
彼の上司が行け行けとはやして、スミスの行動を了解した。他に車内にいたうちの2人は同じ行動を取っていた。

最初にニコルさんに接した女性警察官は、彼女がぼろぼろの状態で、とてもセックスを楽しんだ女性とは見えなかったと証言している。また彼女の被害証言を記録している。

バンの運転手は、最初の聴取で、ギャングレイプであると証言していたが、1週間後に証言内容を変えて調書を取り下げた。よって証言は求めていない。
アナリサさんは、スービックベイの捜査員の一人から、事件の揉み消しを持ちかけられたことを証言している。

ニコルさんを診察した医師は、ニコルさんの体のあちこちの傷が、レイプ被害に特有のものであることを証言している。
前回証言した法医学者のラケル医師は、過去、日本にも行っているという経験豊富な誰もが認める第一人者の女性医師で、彼女は、ニコルさんの傷はレイプ被害の傷の特徴を持っていること、および、証拠(下着とコンドーム)の価値判断についてきっちり証言している。ただ、彼女は民間で活動している医師であり、政府関係者ではないため、裁判官に証言価値をきちんと理解させるために、再度、国家警察に関係する今回の証人・法医学者(男性)を申請した。内容的には、前回と相当程度重なる。

また米国犯罪捜査官3人の証人申請もしたがそのうち一人は外交特権で出廷を拒否した。後の2名は証言し、二人の間で性行為が行われた事実を認めた。ただし、彼らは合意であったというスミスの証言を補強している。
しかし同時に、これまで扱っているフィリピンにおける米軍関係の事件のうち、半分はレイプケースであることも証言している。

6月2日から開始された裁判で、すでに20人の証人が採用されて証言をしている。検察側は当初40人の証人を申請したが、最終的には30人に絞り、少なくとも後2人を予定している。その一人はアルコールの体内残量を調べる専門家であり、ニコルさんが警察で調べを受けていたときから逆算して、事件のころ、合意をしたり判断をしたりすることができる状態ではなかったことを示す予定。もう一人はニコルさんの記憶のあいまいさや、記憶が飛ぶことなどこそがレイプ被害者特有の状態であるということを証言する予定の女性精神科医である。

裁判は開始後、月・火・木・金と週4回のペースで進んできている。なぜこのようなマラソントライアルになったかというと、それは結論を出すまで1年しかないという地位協定に縛られているためである。

同乗していた男たちは6人だが、そのうち4人を起訴。実行犯のスミスとはやし立てて彼の行動をあおった男たち。

公判が開始される前に、ゴンザレス司法長官が、3人は従犯に過ぎないと、担当者たちの意向を無視して勝手に発言した。しかし裁判官はそれを取り入れなかった。検察主張どおり、4人を共同正犯として裁判を開始している。

相手側が印象つけようとしていることは、バー・ネプチューンはいかがわしい場所であり、それを承知で彼女は来ていた。そのようなふしだらな女であるとうこと。
ニコルさんはスミスの行為の最中、「“もっともっと”と積極的に要求し、楽しんでいた、下着はまったく破れてもいないし、暴行の後はみられない。」、「コンドームを試用していたことは何よりも合意があったこと、通常の性行為であったことを示している。」、「彼女はバージンではない。現に事件のまえ30日以内にもセックスをしている。」等などという、あまりにも古びた、従来も散々されつくした被害者を被害者として認めない、女性の側に責任を押し付ける主張を展開している。

裁判官は通常一人である。今回の事件は特殊であり注目もあるため、裁判所ではなく市役所庁舎特別会議室で行われている。

今回の公判の直前、容疑者のスミス上等兵が、弁護士を通じてAPの取材に応じたとのこと。書面による質問にFAXで答えたもの。「ここで私の人生の取り返しのつかない一年が奪わ
れた。もう嘘は出ないこと、人々が事実を知るようになることを願っている」。(06/7/16)

直ちにニコルさん側はすぐに抗議声明を出した。

当日市役所についたのは、公判予定時間の約50分前。法廷の開かれるフロアに着き、うろうろしていると、後ろから突然硬いものが私の背中を押すので振り返ってびっくり。銃を手にした米兵と思われる男が、4人の被告を従えて来ていた。目の前1m足らずのところを、スミスを含む4人が歩いていくのを、唖然としてみているばかり。後で写真をとることができたかもと、残念。

その後、バロットさんたちと一緒に、法廷に入る。
正面に裁判官、向かって左側に証人席。
その前に記録者席。中年の女性担当者は、機会の紙送りが不調なためか、たびたびストップを掛け、皆が見守るという感じ。なんと4時間の法廷を一人でずっと担当していた。もう一人男性担当者がテープレコーダーを回していたようだ。

裁判官席に向き合うように、長い机がセットされ、左手側に検察、右手側に被告人弁護団がずらりと座る。検察側は5人がすべて女性、弁護側は男性ばかりというのが一目で分かる構図だ。

そこから柵があり、委員会の傍聴席という風にフロアが区切られている。横長の椅子で一列12人くらい座れるものが8列ほど?席は9割がた埋まる状態だった。
最前列には、右側に被告人4人が平然と座っている。その前を通って回り、私たちは2列目に座った。私たちの前にいる親子を紹介された。母親と、ニコルさんのシスターといわれたが、裁判の過程で、裁判官の求めに応じて、証人が彼女をニコルさんだと指し示したので、びっくり。

裁判当初支援者たちは、被害者をどのように守るかで、彼女によく似た何人かの女性たちが固まって行動し、被害者を特定させたり、マスコミの写真撮影をさせないように努力をしたそうだが、本人証言もすんでおり、かまわないということだろうか。彼女は毎回母親とともに出廷しているとのこと。彼女は前回かその前か、公判開始前に、スミスを持っていたバッグで、バシンとぶったたいたということだが、今回の彼女の様子は、相当につらそうで、何とかできないものかと胸が痛む。

すぐ横の席には、法廷を描く若い男性や女性が5人ほど座っていた。さらさらと描き出し、水彩で色をつけていく。15分くらいで、様子を書きとめる彼らに、一枚コピーさせてくれないかと頼んだけれどまあ無理な話だった。彼らの一人が、私たちのすぐ前に座る母と娘をスケッチしているのを見て、もしかして彼女が、と思ったけれど、案の定だった。
被告人4人は、たびたびの女性たちの抗議が効いたのか、あまりおしゃべりはせず、ニヤニヤも少なく、姿勢よく座っていた。ガムをかみ続けている男もいたが。

今回は前半の1時間が、証人を採用するか否かに費やされた。つまり前回証人と内容的には重なることがおおく、改めて彼に証言させる必要があるかどうかという点だった。彼の資格や、経験、訓練期間、専門分野などをめぐってやり取りが続いたが、最終的に裁判官が採用を決めて休憩に入った。

後半はスクリーンとパソコンが持ち込まれ、証拠品の下着とコンドームが大きく映し出されるのをみながらの証言となった。パンティ、コンドーム、精液などの言葉のオンパレードで、当事者にとってのこの時間は拷問にも等しいものだったと思う。

最終的には、弁護側が、証人に対して反論したり、反対尋問をするのに必要な専門家の出廷が今回はできていないということで、反対尋問は次回、両方の専門家の都合をあわせて日程を設定するということで、閉廷となった。1時間も採用の可否で費やしたのは、弁護側がこの専門家証言を採用させないことで、前回の女性専門家の内容を、「民間の活動家に過ぎない」として効果を引きさげさせようとする予定だったことがよくわかった。

日本の裁判手続きでは、まず当事者の出廷はほとんどなく進む。書面でのやり取りも多く進み、実際の法廷ではその補完的な部分を中心に絞ったやり取りが行われるのが通常だ。また被害者本人に対する双方の尋問は、時間もあらかじめ限定され、ついたてが準備されたり、ビデオリンクを通じて別室で行われたり、それなりに被害者の人権に配慮したシステムが作られてきている(長い間の当事者支援の声が少しずつ形になってきたものだけれど)が、それに対してこの法廷の様相は、きついものだと思った。

また週4回の法廷というのは、関係者が仕事もやめ、ずっとそれに向き合わされ続けるということで、被害の側にとっての厳しさは想像を超える。1年間で結論を出すというこの取り決めの過酷さを改めて実感した。
証人採用の可否についてもすべてこの場でというのが優れているのかどうか、日本の法廷手続きとの異なり方について、気になるところだ。

支援グループのバロットさんたちが私たちを、盛んに日本からこの法廷を見るために来た、と紹介してくれたため、何人かの記者にインタビューを受ける羽目になってしまった。海外からも注目を集めているほど重大なことと意識してもらえるのはうれしいので、質問に答えることになったが、インクワイアラーの一面掲載には戸惑った。

裁判終了近く、一人の女性が傍聴席に座った。ラモスの妹?シャハニさんとのこと。この裁判の行く末や、比米協定の改善なども大いに提起されるべき問題だと痛感した。

基地撤去後、問題がどう変化してきているのか、ということも主要なテーマに、日本軍による元フィリピン「慰安婦」支援グループのネリア・サンチョさんたちが呼びかけた国際会議が8月にもたれるとのことだが、日本からの参加はどうなのか、確認してみたい。また沖縄などでどれくらい同様の被害があるのか、調査は同化なども聞かれたことで宿題になっている。沖縄強姦救援センターREIKOや「結」などが調査をされていたので、問い合わせなくてはならない。

今後の見通しについても弁護士に聞いてみた。検察側が自信を持って立証できると考えているのは、首班スミスの有罪。他の3人についてはまだなんともいえないが、スミスが、自分の上司に当たるカーペンテール上官に了解をとったといっていることから何とかできるのではないかと期待しているとのことだった。

いろいろ宿題も多いですが、本当に得がたい経験でした。こんな機会を得られたのは、皆さんが作ってこられた関係性の賜物だと思います。心から感謝します。


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