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靖国神社に代わる新追悼施設建設に賛成すべきか?(2) [靖国、愛国心、教育、天皇制]

靖国神社に代わる新追悼施設建設に賛成すべきか?(2)
靖国神社拝殿

1)靖国神社と広島市の原爆資料館との対比

わたしは、靖国神社による死者の「追悼」が「顕彰」に転化する仕組みを考えるとき、いつも広島市の原爆資料館を対比して思い浮かべます。
原爆資料館は、被爆者の悲惨な被害を克明に伝えています。あの被害の描出、再現は、被害者に対する人間的感情が背景に流れていると受け取っております。悲惨な被害をもたらした者への怒りと告発が必然的に立ち上がってきます。戦争を防ぎ得なかった反省と戦争を引き起こした者への強烈な批判のなかに、被爆者への追悼が成立していると思うのです。それゆえ観る者に、原水爆禁止の強い要求と戦争への批判をはっきりと訴えるものになっています。
原爆資料館は、私たちにとって現存する追悼施設の一つのモデルです。しかしこれとてその性格が確定しているものではありません。

2)千鳥ケ渕の無名戦士戦歿者施設
詩人・石川逸子さんが戯曲「千鳥ケ渕へ行きましたか?」を書き、無名戦士を戦争の犠牲者としてとらえ、その鎮魂をうたっています。戯曲には戦争批判があり、戦争を引き起こした者への批判が底に流れています。
映画「あんにょん・サヨナラ」に、雪の日、イ・ヒジャさんたちが千鳥ケ渕の無名戦士戦歿者施設に参拝するシーンがあります。この行為も、無名戦士を戦争の犠牲者としてとらえ、その鎮魂を祈るものです。
千鳥ケ渕へは、無名兵士の鎮魂、追悼のため、いくつかの団体が自主的に参拝しています。

しかし、千鳥ケ渕へは小泉首相も参拝していますし、宮家(今名前を思い出せない)も訪れています。彼らの参拝の意味は、国のために死んだ兵士の顕彰です。

同じ千鳥ケ渕への参拝でも意味が違ってくるのです。場所や施設の問題を超えています。
千鳥ケ渕の戦歿者は、軍隊の階級で区別されていないし、また千鳥ケ渕は追悼を目的にしています。それらは靖国神社とちがいます。侵略戦争を正当化する主張を、施設としては特にしていません。それらのことはよく理解しますが、例え千鳥ケ渕への参拝でも、小泉首相やその後の政府代表者、すなわち国家による追悼が行われる場合は、必ず国家の戦争目的の是非を問うことなく、ただ国家のためにその身をささげたことが称えられ、そして次の世代に国家への献身を説く顕彰施設に転化してしまう可能性が非常に大きいでしょう。
もちろん、今のところ、日本政府は靖国神社を「放棄」するつもりはないし、新追悼施設に即刻代えようとはしていませんから、とりあえず現実的には問題になってはいないだけです。

3)「あるべき追悼施設」
8月4日の朝日新聞で、ドイツ国家による戦歿者施設者追悼施設が紹介されていました。そこにはケーテ・コルビッツ作の母子像がモニュメントとして置かれ、戦士した兵士と犠牲になった市民が区別されずに追悼されています。ケーテ・コルビッツの母子像は、犠牲者の側に立って、戦争を引き起こした者を強く批判しています。そのことは、ドイツ国家自身がナチス国家の引き起こした戦争を批判し反省することを前提としてこの施設があることを、強く主張しています。戦後ドイツは、二度と戦争を引き起こさないと、周囲諸国、および周辺諸国の人々に対して宣言しなければ戦後出発できなかった政治的状況があったからです。
ユダヤ人団体から、被害者のユダヤ人とナチに協力した兵士が一緒に祀られるのは問題で、分離すべきという批判があるそうです。わたしは、ナチに協力した兵士といえども、戦争指導者などを除く多くの兵士には犠牲者の面があるので、その誤りを批判する観点が明確にされて施設が設立され、運営されれば、必ず下分離する必要はないと思います。
このドイツの戦歿者追悼施設は、現在ある限り「あるべき姿」の施設であると思われます。しかし、これとて国家による追悼施設である限り、追悼から顕彰へ転化する可能性はより小さいと思いますが、まったくゼロではありません。この施設の性格もまた確定しているものではありません。

平和は、天から与えられるものではなく、その時々の戦争準備、歴史の書き換えなどあらゆる戦争への志向を批判し、そのことで人々が共通の考えを持ち、平和を求め続ける関係を日々つくり上げていくことで、確保されるものと考えています。

4)戦後日本政府は、「死者」をどのように扱ってきたか?
戦後日本政府は、「死者の扱い」を明確に区別してきました。
遺族年金・軍人恩給に見られるとおり、遺族年金・恩給額は軍隊での階級と勤続年数に応じて算定されました。靖国神社に祀られて戦死者は「神」になりましたが、死んだ後も遺族年金の金額で階級わけされました。死んで神になったとおだてられても、神=死者に階級があるのです。

さらに、広島、長崎の被爆で死んだ者、東京大空襲などで死んだ者とその遺族は、なんら補償さえされず、文字通り放置されてきました。戦後日本政府は死者をはっきり「区別」してきました。日本政府が市民の犠牲者に対してなんら詫びてさえもいません。戦歿兵士であれば、「国家のために命を落とした」として、次の世代を兵士に駆りたてる宣伝に使えますが、市民の犠牲者についてはその「死」は、政府の責任を問われこそすれ、「利用」できないからです。

千鳥ケ渕でさえ、兵士だけであり、市民の犠牲者は弔われていません。
もちろんのこと、日本の戦争により犠牲になったアジアの人々は、更に放置されています。

5)これらのことから、戦歿兵士の追悼は、同時に広島・長崎の犠牲者の追悼、東京大空襲などで死んだ者の追悼、そしてアジアの犠牲者の追悼と、一体になったものでなければならないこと、戦争の性格が何であったか、それを批判する施設でなければならないことが明確になってくるでしょう。このような観点にたてば、論じるべきは追悼施設だけの問題ではなく、さらに国家の政策にかかわることが、明確になってくるでしょう。
それは戦後日本政府が取ってきた態度、政策の全面的な見直し、批判の観点に立つことでもあります。

これらすべての観点に立った上で、私たちは新追悼施設建設についての態度を決めなければならないところへ来ています。


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