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映画『出草之歌』を観る [映画・演劇の感想]

映画『出草之歌』を観る

いい映画だ、というより立派な映画だ。登場する人物が皆立派だ。

この映画は、ドキュメンタリーであるが、高金素梅さんや飛魚雲豹音楽工団の発言や歌、活動をそのまま追う形で作られている。古い民謡を掘り起こし、人々のあいだで歌い継ぐことで祖先と自分たちのことを再認識する活動を行っているのだが、その結果音楽を通じたドキュメンタリーとして出来上がった。監督または、カメラマンはこの人たちと一緒に行動し、一所懸命この人たちを追っている。撮影者は、「作意」というよりも、まずこの人たちを信頼し尊重し、その生活と活動を描いている。それらをも画面から読み取ることができる。

飛魚雲豹音楽工団の歌には、祖先と民族を尊重する心が溢れている。古くから伝わる生活の旋律を歌うのだが、彼らの祖先が侵略者たちに踏みにじられ、殺され利用され、土地を奪われていった無念の思いを自身の思いとして重ねて表現している。そのことは同時に、現在の自分たち原住民の社会的な扱われ方の認識、その批判を含みこんで、古い旋律が新しい内容をもって流れるのである。

原住民にはさまざまの民族がいて、言葉もちがうし、もともと文字を待たなかった。1999年9月の台湾大地震で被害を受けた原住民の救護活動から、「原住民民族部落工作隊」、「飛魚雲豹音楽工団」は、古くから伝わる民謡を歌い歩き、人々の自覚を促していく。会合では日本語や中国語、民族の言葉がまぜこぜになって飛び交う。事務所のなかや広場や道路べりで、すなわち人々のなかに入っていって歌い継いでいく。生活と政治と文化活動が一体となっている。こういう姿を映画は率直に描き出す。

しかもかれらの主張は、偏狭なナショナリズムに陥ることなく、台湾における原住民の権利の回復とその運動に理解ある漢族も受け入れ共同し、更には国際的な活動の必要性までまっすぐに主張するのだ。この主張や活動の仕方に本当に感心した。

台湾を侵略した者たちが原住民の象徴である蛇の上に国旗が重ねられ描かれた絵が紹介される。オランダ、スペイン、清、日本、中華民国。
特に日本の侵略が原住民に大きな痛手を残したし、今も引きずっていると指摘する。日本は台湾を清から切り取り、原住民の大量虐殺を行った。一九三〇年の霧社事件はその象徴である。原住民の土地を奪い、支配のために皇民化教育を行い、第二次世界大戦では高砂義勇兵として利用した。そしてその結果、遺族の了解もなしに現在もなお皇民として靖国神社に祀られている。

民族衣装に身を包んだ高金素梅さんや原住民代表たちが靖国神社を訪れ、祖先の魂を勝手に祀るな!魂を返せ!と要求する。その姿がわれわれを撃つ。日本人こそ彼ら以上に靖国神社に対して、日本政府に対して怒らなければならない。

映画はヒロインであるかのように高金素梅さんの行動や発言を追っている。素梅さんの言葉は激しく強い。民族の尊厳とそれを許さない者への怒りが表情に溢れている。「凛として」という言葉がある。TV ドラマなどでも良く使われる。しかし出てくる日本人像は、言葉に負けていてちっとも「凛として」いない。高金素梅さんや飛魚雲豹音楽工団の人たちこそ「凛として」にふさわしいと、映画をみて思ったのだ。

下北沢シネマアートンで上映中。6月24日から7月7日まで


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