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自民党が衆議院選挙で大勝は、どのような意味をもっているか? [現代日本の世相]

自民党が衆議院選挙で大勝は、どのような意味をもっているか?
日本社会でどのような変化が進行しているか?

今回の選挙は、大宅壮一の言い方をまねるならば、「一億総浮動票化」と特徴づけることができる。都市部でも地方でも、ほとんどが従来で言う「浮動票」のような動きをした。

自民党の集票機構――農協、日本遺族会、特定郵便局局長会、医師会、公共事業と関連するゼネコン、建設会社など、以前のようには機能しなかった。
その機能が全面的になくなったわけではない。存続しているものもある。しかし、公明党―創価学会の集票機構を除いて、従来のようには機能しなかった。
落下傘候補と呼ばれる地域に関係を持たない候補の当選が象徴的だ。突然候補になって、しかも当選を果たした。従来の地縁、血縁を通じた集票機構は機能せず、ほぼ崩壊しつつあることを白日の下にさらした。
都市においても地方においても、マスメディアを通じた小泉首相の「改革」パフォーマンスが最も大きな影響を及ぼした。従来、都市部は、批判勢力、すなわち、民主党、共産党、社民党などの基盤であり、自民党は支持を集めることに常に苦労したが、今回は様変わりした。自民党は党員によるしっかりした党組織を持っているわけではない。都市部の多くの人々が、小泉首相の「改革」パフォーマンスに影響を受けた。これを巧妙だと評価する者もいる。しかしもともと確固とした支持ではない。いわば「気分」による支持である。

「一億総浮動票化」としてあらわれた、この現象の背後で進行する現代日本人のもつ判断様式の変化に注目しなければならない。
選挙での投票行動のみが主権者の行使する「権利」行動になった。日常の社会的行動は極端に貧困になりながら、主権者の残された「権利」は、政党の選択のみである。集会の自由、デモやストライキの権利は、憲法にも記載されている人々の権利であるにもかかわらず、これを行使することは極端に少なくなり、他方で「選択の権利」だけが主権者に残されたのである。
有権者は自身にとって何が問題であり何が必要か、本当のところを理解していない。理解せずに幻影を求めて、「改革」「改革」の合唱にひきつけられた。「改革」として思い描くものはばらばらである。ただ「改革」という言葉だけが一致している。

依然として国民生活は急速な変化による打撃を受けつつある。IT、金融長者が続出するとともに、ニート、不安定雇用者、派遣労働者、年金生活者の貧困化が急速に進行している。政府の発表した生活五分位間の最上の第1分位と最下第5分位間の格差は168倍にまで急拡大した。貧困層は組織化されず社会的に発言し行動する機会とつながりを持たず、孤立したままである。
政党もこの変化に対応し、国民の大多数を占める貧困層をその置かれている境遇への批判から組織しようとはしておらず、幻想でのみ支持を得ようとしたし、この先もそのようにするだろう。今回は自民党、小泉のパフォーマンスがそれに成功した。
ただし、これをもって主権者を操るのは簡単だと見るべきではなかろう。国民が心から変化を望んでいるからこそ、幻想が有効に有権者の歓心を買ったのだ。


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