マニラでも、韓国水曜デモ1000回アクション [フィリピン元「慰安婦」]
マニラで、韓国水曜デモ1000回アクション
12月14日、被害者団体マラヤロラズと支援者が、日本大使館に抗議
UCAニューズの伝える12月14日のマニラでの「水曜デモ1000回アクション」の様子です。
ucanews.com Asia Desk, Bangkok and John Francis Lagman, Manila
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『慰安婦』たちの最後の抗議
多くは年老い病気のため、日本政府の謝罪を要求し続けることができない!
第二次世界大戦の間に彼女らに対してなされた残虐行為に謝罪を求め、韓国の『慰安婦』と支持者が、ソウルの日本大使館の前で、毎週行ってきた抗議が今日12月14日、1,000回目を迎えました。
韓国の被害者たちの行動に連帯して、性的に虐待された女性たちはマニラを含むアジアの都市で、「水曜デモ1000回アクション」に加わりました。そこで、日本帝国陸軍による残虐行為を非難し、日本政府が過去の誤りを認め正すよう要求し、被害者と支持者がデモを行いました。
韓国の被害者たちは、今では80歳後半と90歳台であって、続けるにはあまりに老いています。被害者たちがほぼ20年間定期的に続けてきた毎週水曜日の抗議を続けられなくなりつつあります。
「この問題を解決するために、私たちは日本大使館前に出かけて行って、戦わなければなりません」と、パク(87歳)さんは、韓国ヘラルド紙に話しました。
「私が日本大使館前に出かけて抗議するのは、それが問題解決の唯一の方法であるからです。日本政府は公式に謝罪して、生存者に賠償金を与える必要があります。多くの日本人もこの問題を解決すべきだと語っています。しかし日本政府が拒絶しています。」
弁護士ヴァージニア・ピンラック(女性団体カイサカ議長)によれば、フィリピンにはおよそ2,000人の戦時性暴力被害者がいます。
「私たちの多くは、現在病気になっています。元気な者はほんの少数です」と、被害者の一人である81才のイザベリータ・ヴィヌヤ(Isabelita Vinuya)さんは語りました。ヴィヌヤさんは、マニラでの集会で12人の被害者と100人以上の支持者を代表し抗議しました。
「日本軍兵士は私の両親と兄弟を殺して、家を燃やし、財産を略奪しました。そして私たちをレイプしました。本当に惨めでした」と、ヴィヌヤさんは言いました。
1943年に、13才のヴィヌヤとパンパンガ地方マパニケの約100人の若い女性は、日本軍駐屯地に拘留され、その夜強姦されました。
「私たちには、食事もありませんでした。一滴の飲み水さえも与えられませんでした。一部の女性は、精神的なショックから正気でなくなりました、のちに彼女らは死にました」と、彼女は思い出しながら語りました。 「とてもひどく傷つけられました。私たちはみんな怖くて、空腹で、無力でした。」
「慰安婦」システムは、日本政府が関与した「組織的で計画的な犯罪」であったことを、日本軍による性奴隷制度のための韓国女性会議は、韓国ヘラルド紙に示しました。
公認記録によると、日本の占有された領域からの50,000-200,000人の女性が、性的な奴隷制度を強いられました。
韓国と他のアジア諸国からの若い女性は、日本軍の前線へ輸送されたと、レポートにはありました。その場所は、中国、フィリピン、台湾のような場所であり、そこでと彼女たちは一日につき最高40回も強姦されました、そればかりではなく、飢えて、叩かれて、拷問されました。妊娠したのがわかれば強制的に中絶させられました。
今日12月14日、いくつかの都市で抗議行動が行われましたが、日本大使館からは少しの反応もありませんでした。
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下記の写真は、現地から(支援団体カイサカ)直接、送られてきたものです。
当日の様子を伝えています。
<被害者団体マラヤロラズを先頭に日本大使館に向かって行進する、真ん中はマラヤロラズ代表リタさん>
<日本大使館前のデモ参加者>
<日本大使館、正門前に立つ被害者たち>
<日本政府に対し公式謝罪と補償を求める抗議声明を読み上げるリタ代表>
<垂れ幕には、「今こそ謝罪を! 第二次大戦中の日本軍による性的暴力被害者に正義を!」と書かれている>
<挨拶する女性団体カイサカ代表ヴァージーさん>
<挨拶するScrap VFAスポークスマン、チェスターさん>
<日本大使館前に立つ被害者たち(マラヤロラズのメンバー)>
<日本大使館前での抗議集会、参加者とともに>
12月14日、被害者団体マラヤロラズと支援者が、日本大使館に抗議
UCAニューズの伝える12月14日のマニラでの「水曜デモ1000回アクション」の様子です。
ucanews.com Asia Desk, Bangkok and John Francis Lagman, Manila
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『慰安婦』たちの最後の抗議
多くは年老い病気のため、日本政府の謝罪を要求し続けることができない!
第二次世界大戦の間に彼女らに対してなされた残虐行為に謝罪を求め、韓国の『慰安婦』と支持者が、ソウルの日本大使館の前で、毎週行ってきた抗議が今日12月14日、1,000回目を迎えました。
韓国の被害者たちの行動に連帯して、性的に虐待された女性たちはマニラを含むアジアの都市で、「水曜デモ1000回アクション」に加わりました。そこで、日本帝国陸軍による残虐行為を非難し、日本政府が過去の誤りを認め正すよう要求し、被害者と支持者がデモを行いました。
韓国の被害者たちは、今では80歳後半と90歳台であって、続けるにはあまりに老いています。被害者たちがほぼ20年間定期的に続けてきた毎週水曜日の抗議を続けられなくなりつつあります。
「この問題を解決するために、私たちは日本大使館前に出かけて行って、戦わなければなりません」と、パク(87歳)さんは、韓国ヘラルド紙に話しました。
「私が日本大使館前に出かけて抗議するのは、それが問題解決の唯一の方法であるからです。日本政府は公式に謝罪して、生存者に賠償金を与える必要があります。多くの日本人もこの問題を解決すべきだと語っています。しかし日本政府が拒絶しています。」
弁護士ヴァージニア・ピンラック(女性団体カイサカ議長)によれば、フィリピンにはおよそ2,000人の戦時性暴力被害者がいます。
「私たちの多くは、現在病気になっています。元気な者はほんの少数です」と、被害者の一人である81才のイザベリータ・ヴィヌヤ(Isabelita Vinuya)さんは語りました。ヴィヌヤさんは、マニラでの集会で12人の被害者と100人以上の支持者を代表し抗議しました。
「日本軍兵士は私の両親と兄弟を殺して、家を燃やし、財産を略奪しました。そして私たちをレイプしました。本当に惨めでした」と、ヴィヌヤさんは言いました。
1943年に、13才のヴィヌヤとパンパンガ地方マパニケの約100人の若い女性は、日本軍駐屯地に拘留され、その夜強姦されました。
「私たちには、食事もありませんでした。一滴の飲み水さえも与えられませんでした。一部の女性は、精神的なショックから正気でなくなりました、のちに彼女らは死にました」と、彼女は思い出しながら語りました。 「とてもひどく傷つけられました。私たちはみんな怖くて、空腹で、無力でした。」
「慰安婦」システムは、日本政府が関与した「組織的で計画的な犯罪」であったことを、日本軍による性奴隷制度のための韓国女性会議は、韓国ヘラルド紙に示しました。
公認記録によると、日本の占有された領域からの50,000-200,000人の女性が、性的な奴隷制度を強いられました。
韓国と他のアジア諸国からの若い女性は、日本軍の前線へ輸送されたと、レポートにはありました。その場所は、中国、フィリピン、台湾のような場所であり、そこでと彼女たちは一日につき最高40回も強姦されました、そればかりではなく、飢えて、叩かれて、拷問されました。妊娠したのがわかれば強制的に中絶させられました。
今日12月14日、いくつかの都市で抗議行動が行われましたが、日本大使館からは少しの反応もありませんでした。
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下記の写真は、現地から(支援団体カイサカ)直接、送られてきたものです。
当日の様子を伝えています。
<被害者団体マラヤロラズを先頭に日本大使館に向かって行進する、真ん中はマラヤロラズ代表リタさん>
<日本大使館前のデモ参加者>
<日本大使館、正門前に立つ被害者たち>
<日本政府に対し公式謝罪と補償を求める抗議声明を読み上げるリタ代表>
<垂れ幕には、「今こそ謝罪を! 第二次大戦中の日本軍による性的暴力被害者に正義を!」と書かれている>
<挨拶する女性団体カイサカ代表ヴァージーさん>
<挨拶するScrap VFAスポークスマン、チェスターさん>
<日本大使館前に立つ被害者たち(マラヤロラズのメンバー)>
<日本大使館前での抗議集会、参加者とともに>
従軍慰安婦問題は、キーセンとして韓国人によって貧しいが故に人身売買され慰安婦になった女性について、「強制連行されていた」と、反日的な朝日新聞が意図的に誤報したのが、ことの始まりである。
by 盗人・李 (2011-12-18 20:29)
慰安婦=売春婦
by たかはし (2011-12-19 03:14)
kumahide さん、はじめまして。また1年半前の記事にコメントをお許し下さい。
2013年、橋本大阪市長の「従軍慰安婦は必要だった」は、米国でも非難を浴び、また露や韓国も猛反発。国内においても、同政党の身内からは庇護されていても他の政党からは非難、ないしは距離をおかれてしまいました。
私も初めて聞く話なので、勉強中です。
朝日新聞のねつ造であり、統治下の現韓国において、日本の行政府や軍の「強制連行」の証拠は無く、民間業者(女郎屋)が詐欺で募集したのだという事で、日本「国」にはなんら責任が無い・・そんな主張のようです。
しかし、大日本帝国陸軍将兵の戦記や元慰安婦さんの証言では、募集時の詐欺もですが、軍による移送、慰安所へと引き渡された際の派遣軍による暗黙の了解、慰安所における性行為の強要、暴力が書かれているのを見ました。
こと、フィリピン前線における慰安婦の証言は、私は今までに少ししか発見できませんでした。貴ブログに多少述べてあるので、助かりました。
フィリピンでは、民間女郎屋が居ないんでしょう。村の娘さん、ゲリラの女性を暴力と銃で強奪、拉致していたようですね。
韓国の「強制連行」ばかりをどなたも問題にしているようですが、フィリピン女性の場合が、剥き出しの軍による直接行為のように感じています。
まだ私は、戦後のフィリピン政府と日本国の間の賠償がどう処理されたかまでは調べておらず、今からです。
残念ではありますが、大半の現日本人には、従軍慰安婦のことは知れ渡っておらず、冷静に勉強する必要があるように思います。
私の回りには、日比ご結婚組の方が多いです。近所にはフィリピン家族も沢山住んでいます。
もし、ご許可頂ければ、貴ブログの、特にフィリピン関係の証言等を、私のブログにご案内したいのですが・・・。
by 群青 (2013-06-07 17:19)
群青さん
コメントありがとうございます。
当ブログを案内いただけるとのこと、喜んでお願いします。
ご指摘の通り、フィリピン戦線の、特に前線では、慰安所をつくるのが間に合わず、駐屯地に誘拐、監禁した例が目立ちます。昼は料理や洗濯などをさせ、夜は性の相手をさせました。女狩りをした例もあります。
なお、「略取」(=刃物や銃を突き付けて連行すること)も「誘拐」(=甘言や騙して連行すること)はともに犯罪です。戦前の日本においても。
それを、強制連行=略取を指示した文書がないとして、責任がないといっています。誘拐はあったと認めているのでしょう?
法的知識が欠如しています。マスメディア、ネットの宣伝など。
橋下市長は弁護士なのに、略取誘拐ともに犯罪であるという初歩的な知識もっていません。
なお、略取を認めた文書は存在します。東京裁判の証言、証拠書類、バタビア裁判の記録です。日本政府はこれら文書を認めたうえで、サンフランシスコ講和条約に調印しました。したがって、これらは公文書であり、それゆえ強制連行を示す文書は存在します。
そんな単純な「屁理屈」が大ぴらに言われているのは、日本社会だけです。国際社会では受け入れられません。
よろしく。
by kumahide (2013-06-11 01:44)