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「脱経済成長論」は空論 [2008-9世界経済恐慌]

「脱経済成長論」は空論

ピープルズプラン研究所ATTAC Japan「脱経済成長論」が主張されている。

 ATTAC Japanは、フランスからセルジュ・ラトゥーシュ(Serge Latouche)を招いて講演までしている。

 「脱経済成長論」がいかに空論であるか、みたび論じてみよう。
 具体的に論じてみるのがよかろう。

 「脱経済成長」を一国で実現することを考えてみよう。
 「脱経済成長社会」を実現するには、「公正な」分配を行うことが必要である。少なくとも、資本と労働の間での分配比率を決して変えないことである。
 日本社会は、実際に、1991年から2009年まで、GNPにおいてゼロ成長であった。しかし、正社員の派遣社員化、不安定雇用の増大などによって、労働分配率は低下した。格差社会が生まれた。

 さて、資本主義のもとで、ゼロ成長は可能か?
 可能である。1991年から2010年までの日本は実質ゼロ成長社会であった。

 では、ゼロ成長社会で労働分配率を一定のままにできるか?
 できない。  より正確に言えば、資本主義のもとでは決してできない。

 なぜならば、日本資本主義は世界資本主義の中で競争しているのであり、ゼロ成長下で労働分配率を一定のままにすると、資本蓄積率が低下してしまう。例えば、ただでさえ高度経済成長している新興国の資本に比べ資本蓄積率が低いのに、あるいは欧米に比べてさえ低い成長率であるのに、そのうえ労働分配率を一定のままにしたら、資本蓄積率の国際競争において、大幅に差をつけられて資本間競争に負けてしまう。そんなでは国際競争に生き残れない。日本資本が生き残るためには、貧乏人を増やして格差社会にして、資本蓄積を少しでも増やす以外にない。これが、この20年個々の日本資本の取ってきたビヘイビアである。そのような行動を取らない限り、資本は生き残れない。

 もっとも、「全世界で現状の労働分配比率を固定し、競争などしない」という約束が、実現できるなら、ゼロ成長社会でそれぞれの資本は生き残ることができるだろう。したがって、「脱経済成長社会」が実現できるだろう。しかし、そんなことは理念の世界でのみ成立するのであって、現存の資本主義では成立しえない。

 そもそも、自由競争こそが資本主義である。競争などしないと誓いあえる資本主義など、資本主義ではありえない。資本主義である限り制御できない「無政府性」なのである。

 したがって、「脱経済成長論」は、資本主義の廃絶のうえにのみ成立できる。
 しかし、ピープルズプラン研究所ATTAC Japanの語る「脱経済成長論」は、資本主義の廃絶を前提としていない。

 したがって、「資本主義の廃絶」を前提としない「脱経済成長論」は、理念の世界にのみ存立するだけである。
 現実の資本主義世界においては、存立できない。ある種の理念運動、宗教運動の類であることは、明らかである。

 経済に対する、あるいは資本主義に対する理解、知識が決定的に不足している。実に愚かである。

 「脱経済成長論」が、単なる理念運動、宗教運動の類であることは、「脱経済成長論」を唱える者が「脱経済成長社会」を実現するには何をすればいいのか? 決して語ることがないという、この厳然たる事実が証明している。
 より正確に言えば、論理的に言って、決して語ることができないのである。(文責:小林 治郎吉)

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