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サッカーワールドカップ、横並びの熱狂 [現代日本の世相]

テレビのどのチャンネルを見てもサッカー日本戦の映像ばかり繰り返して写している。1998年フランスでのワールドカップの時に、「休暇が取れないので、仕事をやめてフランスへ観戦に行った若者」を紹介していたのが記憶に残っている。彼はその後どうしたのであったか。
サッカーワールドカップの騒ぎに戸惑ってしまう。クロアチア戦の視聴率は70%近くになったという。

試合前の君が代の演奏の際に、中田英寿が大きく口をあけて歌っていたのを見たのは、軽い驚きだった。数少ないTV インタビュウからの印象だが、彼は波風を立てないで周りとすぐ妥協する日本的習慣から遠く、自身の主張をそのまま表現する日本人的でない若者と見えて、その点密かに好感を持った。中田を含む日本選手代表は、確かに「現代のヒーロー」である。

わたしには、サッカーを含むどのスポーツに関しても観戦は嫌いではないが「ニッポン、勝て」という思い入れはない。もちろん、サッカーそのもの、あるいは選手それぞれがいやなのではない。
そうではなくて、最近の政治家が得意げに言う「愛国心教育」の声高な主張と呼応するものを感じて、不安になるのだ。観客のすべてが、あるいはTV 観戦する誰もが、「自主的に」興奮して熱狂し、自然に「ニッポン」と叫んでいる。もちろん、トップ・レベルのゲームを観ることは楽しいし、つい観てしまうのだが、アナウンサーが「ニッポン」と叫び、観客が頬に日の丸をペイントしているのを見ると風景を見ると、ウーンとうなってしまう。

「君が代」や「日の丸」、あるいは祖国に対する忠誠がいつのまにか押し寄せてくる風潮には日々閉口している。
そんなことを強制されなくても、日本人の長所や美点はそれとして大いに認め、短所や欠点は冷静に省みることはできるし、そうしてきた。その伝統のうちにありたいと願う。「国として」ではなく「日本人の特質」として、対置すべき自己認識と批判がなくてはならないのではないかと思う。
しかし、そのようなプロセスがすっ飛んで、「国としての日本」、すなわち「君が代」や「日の丸」、あるいは「祖国に対する忠誠」が押しつけられているのだが、これと呼応するかのように、WBCやサッカーワールドカップなどのような機会に別の形で人々が熱狂し、その熱狂がそのまま「ニッポン」に収斂されるようで、非常に不安だ。

さて、ニッポンはオーストラリアに敗れ、クロアチアと引き分けてしまった。決勝リーグ進出にはブラジルに3点差以上で勝つしかない。
観戦しての印象だが、サッカーはハードなスポーツだとあらためて知った。90分間走り回らなければならない体力消耗戦であり、体のぶつけ合いではある意味格闘技に近い。
二つの試合を見て感じるのは、公平に見て日本チームの実力は、「FIFA18位とされているより、かなり低いのではないか?」と。
敗戦のあと、TVのアナウンサーや評論家は、しきりに「あきらめるな!」「奇跡を起こせ!」を叫ぶ。「神風が吹く!」といっているようにさえ聞こえるのだが、少々うがち過ぎだろうか?

(追記)6月22日
試合前の「君が代」斉唱のことで知人から、次のようなことを教えられた。以前、中田英寿選手は試合前の「君が代」斉唱の折、歌っていなかったことがあり、マスコミで取り上げられ非難された。それ以来、カメラは常に中田の口元に注目している。この騒ぎに嫌気がさしたことが、彼がヨーロッパのチームに移籍した理由の一つであるというのだ。


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まさひこ

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by まさひこ (2006-06-20 02:02) 

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